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[330]

プライベートなこと

投稿者:あーもんど

2010年11月、父が亡くなった時点で、預金はなくなっていた。
だから私は必死になって遺産相続の話し合いで、母と兄からいくら非難されようとじっと耐えて何度も実家に足を運んだ。あの頃はまだ1人で行動できたから。そういえば父がなくなる前の日も亡くなった日も1人で吉祥寺の森本病院へ行って母と落ち合ったり母を待ったりした。転びそうで歩くのがほんとにこわかった。あの頃はまだ歩行器を使っていなかった。考えてみると私は精一杯頑張ってきたとおもう。父が親の家にいた時も何度も夫と会いに 行った。転びそうになっても父の車椅子をおして神代植物園を歩いた。
私はがんばりすぎたのだとおもう。よく転ぶようになってもまだ家事をしていた。しりもちをつきながらも台所に立ちベランダで干しものをした。こんな状態になるまでがんばりすぎた。
患者活動もよくがんばったと思う。第2回WPCスコットランドに行ったのも意味があったと思う。日本の患者の目を世界に広げJPCの開催にもつなげたと思う。
私の人生で何が間違っていたのだろう?
私を評価して慕ってくれる人もいる。
私の経済状態は逼迫している。



Toshiko Atoda

(2016年02月26日 (金) 16時00分)

[339] うちの親父

投稿者:五十嵐
うちの親父
私の父は“わかった。任せろ”と同じ意味で“うるさい。黙れ。”と言う。
私の言語障害を“お前の話していることはわからん”と言われたとき相当傷付いたが
その意味が“私が聞き違えて申し訳ない”という意味だと気付くのに相当時間が掛かった。
うちでは、そういう会話のやりとりをしている。

(2016年03月01日 (火) 17時18分)

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[341] 家族も一つの社会

投稿者:あーもんど
五十嵐さんは人間としての優れた能力を持っている。
人間に欠かせないのは社会的な経験だけではない。
父上の音葉の表面的な意味を真の意味に翻訳する能力、それは私の家族には欠けていた。
この翻訳能力も人間が"大人になる"過程で身につける(はずのもの。)


(2016年03月01日 (火) 19時16分)

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[342] 言葉って懐刀のよう

投稿者:きょん2
人間が大人になるって、ずいぶんと成長しなけりゃならないと
つくづく感じています。

身内、特に近しい人とかの場合、吐き出される言葉は時として
突き刺さることもあるから。

五十嵐さんの翻訳力は、お父上の人となりを想像させてくれて
私には感じるものがありました。

言葉というのは刀みたいな気がします。持つべき人が持っていて
決してたやすく抜かないというような、そういう品性をもちたいと
思いました。

(2016年03月02日 (水) 11時49分)

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[343] 339追記・補足

投稿者:五十嵐
前回のお話だと私が勝手にいいように解釈しているとらえることもできると思うのですが・・補足
私も初め“お前はなに言ってるのかわからない。”と言われたとき死んでも許さないくらいの気持ちに
なりました。そして、そのときの怒りを引きずったままいました。
何年もたち、“黙れ、うるさい。”はお袋が心臓の手術で入院する際の話し合いのときの喧嘩で
出ました。“大丈夫だ。安心しろ。”くらい言えないかなと思いました。
お袋の入院中、父の帰宅後、ある日突然ガラガラっと窓が開き、いきなり“鬼は外”外に周り外から
“福は内”もう何年もやらなくなっていたことを一人でお袋の為に親父が“一人節分”をやっていました。
このとき、この人(父)は自分の息子の障害を揶揄するようなことはしないだろうと思うようになり、あのときのことは
“私が聞き取れず、申し訳ない”という意味に解釈しています。詭弁のように聞こえますが、父を知ればわかるし
父を知らなきゃ理解できなかったと思います。以上です。

(2016年03月02日 (水) 17時46分)

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[344] 一人の人間を知るということ

投稿者:あーもんど
家族…いつもそばにいる。
でもどんな人でどんなことを考えているか何も知らない。
知っているつもりで何も知らない。

ごく近いところにいる家族が、どんな人か発見する。
人を発見するには、距離をおいて見なければならない。
物理的距離、心理的距離。
それができるのは大人になったということだと思う。

当然のことだが、誰もが大人になれるわけでもない。

(2016年03月03日 (木) 01時14分)

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[345] 抱えきれない思い

投稿者:きょん2
大人であっても子供のような人はいる。
自分も小さな子供のようなところがあるので
他の人についていえるわけではないけど、
近しい人に疑念を持たれたり、悪くとられたりすると
相当精神的にはまいるのです。

年をとった母の思いがけない言葉に傷つくことが
あります。悲しいけど自分が距離をおくしかないものと
あきらめるしかないです。
大人になるってつらい。
母のこと、私の知らない部分もあるんだと思えば
いいのかもしれない。近すぎるとなかなか客観視は難しい。

(2016年03月03日 (木) 07時29分)

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[346] 私も母の言葉に

投稿者:あーもんど
きょん2さん
私も母の言葉に傷つく。
どうしてこんなに傷つくのか

母の耳が遠くなって電話で話せなくなってしまった。
私が実家に行くのが大変になって会えない。

あれはこういうことなのよと説明したくてもできない。
手紙を書くのも簡単ではない。

傷ついた心はそのまま。

(2016年03月03日 (木) 09時11分)

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[348] 母方の祖母

投稿者:五十嵐
母方の祖母の話し 私の祖母が亡くなったのは周りの人間がまだ大丈夫そうと言うので
 だいぶ後になって私がお見舞いに行ったその日に亡くなりました。私が祖母に会いに行ったとき、私には祖母の姿が決して大丈夫そうには見えませんでした。話がすでにできない、付けられた管が痛いのか、痒いのかはわかりませんが、かきむしって外してしまうので縛られていたと聞いていたその跡も残っていました。目も閉じたまま私が 来たのを知ると、一回だけ目を開けてくれました。手を出してきたので、母がその手を握ると 違う、お前じゃない。と言わんばかり母の手を払いのけたので、私が祖母の手を握ると、祖母は 私の手の平に何かを書き出しました。それすら残る体力を想えば身を削るような行為だったのではないでしょうか。手の平に実際に何を書いたかわかりませんでしたが、“ありがとう”とかそういう言葉以外見当たりませんでした。しかし、相部屋で他に患者さんも診えたので“大丈夫だよ。ここにいるからね。”としか言えませんでした。
その日の夜、祖母が亡くなったと電話が入りました、私はぎりぎりで間に合ったのではなく、祖母は私が来るのを待っていてくれたのだ、私と会えたから、祖母は安心して逝ったのだと、私は思っています。もちろん、昔から私は祖母に可愛がられ、大好きなお婆ちゃんでした。

(2016年03月03日 (木) 20時01分)

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[349] 涙が溢れて

投稿者:あーもんど
五十嵐さんは文章がうまいのか?
と一瞬おもった。
たしかに下手じゃない。
でも、この文章はテクニックでなかせているのではない。と思う。
やっぱりうまいんだろうな。
くどくど説明しないで、いっぱいのことをあらわしている。


(2016年03月04日 (金) 01時35分)

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[350] というか

投稿者:あーもんど
文章がたくさんのことを表している、あるいは
たった1つのことしか言おうとしていないゆえに感動をよぶ。。

たったひとつのこと…「祖母は私が来るのを待っていて…逝った」
その一句に万感の思い溢れる。


(2016年03月04日 (金) 01時57分)

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