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仕事 |
投稿者:あーもんど
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私は職業を持ったことがない。 17歳で発症するまで、自分は大学を出て職業につくものと思っていた。 だが歩くことが難しくなって自分の身体が変だと気づいたとき、目の前にあったこれからの人生が 一瞬にして消え去ってしまった。 これからの生活が具体的にイメージできないのは、人から生きる力を奪う。
その後 10年以上経って、お薬を飲むようになると、ある程度動けるようになった。
仕事をしてみたいと思ったことがある。週1回、夫の母の原稿書きの仕事を手伝っていて、 それが楽しかったし自分にもできそうだった。夫の母は原稿書きのほかに、日本語学校で教えていて、 母はそこで私が仕事ができるようにお膳立てをしてくれた。でも最後に勇気が出なかった。 今考えると、あの頃の体調なら、週一回午後だけ渋谷に通うことはできたとおもう。
50歳近くなってAppleの創設に加わった。 そのときはどこかに通勤するわけでもなく、自分が主体的に選んだテーマを自分の好きな時間に 文章を書くという、PD患者には最高に向いている"労働条件"だった。 文章を書くことは、お金にはならなかったけど、私の生涯の「仕事」だと思っている。 お金 に ならなかったけどそれ以上のものを私は得たのかもしれない。(しつこいようだけどお金も欲しかった)
結論的に言うと、PD患者でも仕事はできる。 ただ条件は難しい。 本人の得意なことを自由な時間に自由な環境で。 それを考えればいいのだ。
(2016年04月25日 (月) 04時27分)
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ありがとう |
投稿者:匿名
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| この一言に尽きます
(2016年04月25日 (月) 08時07分)
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理論的に言うと |
投稿者:あーもんど
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| PD患者は、何かに合わせることが難しい。 何かに合わせるのではなく、逆に自分に合わせる。 そうすれば、何かをすることができるはずだ。
自分を中心にする。 現実的には難しくても、これが理論的には正しい
(2016年04月26日 (火) 01時08分)
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Hさんのこと |
投稿者:ハトポッポ
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| 初めにお断りしますが、あーもんどさんは私が最も愛する親友の一人、そしてこの掲示板は私が好きな掲示板ですが、というよりだから、この掲示板に書き込みはすまいと決めてきました。今回だけの例外です。
Hさんは清水建設の一級建築士で素晴らしいエリートでしたがもうたぶん20年くらい前にPDを発病しました仕事で使っていた部下をすべて会社に返してひとりきりで小さな仕事だけを受けて清水建設でやっていこうとしましたがやはり無理でした、奥さんとも離婚して故郷である北海道に帰りました。その時、帰ったら、むこうの大学院に入ってもう一度学びたいというのではなむけにと言って彼の原稿を私が英訳させていただいておわかれしました。
彼は大学院を終えてどうなったかというと世間が捨てておかなかったのでした。彼の仕事を評価するかたたちがいたので向こうで個人事務所を構えて再び前と同じ専門分野の設計をはじめました。ときにはその仕事の打ち合わせのために上京することもありました。そして彼はケアマネをしていたかたと再婚しました・何年か前に北海道で彼に会いました。約束のレストランに現れた彼は昔と同様にきりりとしていて病人的ではないけれど、車いすに乗っていて車いすはへるぱーがおしていました。そのときオッとおもったのは彼がヘルパーをつかいヘルパーに指示をしてるんですね。
彼はあーもんどさんのおっしゃるように自由業にしたことで成功した例のひとつでしょう。でもその道の険しさはいいがたいものがあるのも事実です。 そのことについてはうまく書けませんでしたが。
(2016年04月26日 (火) 03時02分)
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実例をあげてくれて |
投稿者:あーもんど
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| ぽっぽちゃんが見事な実例を上げてくれた。 Hさんは特別優秀な人だが、それほど優秀でない(?)普通のひとでも可能だと思う。 条件のうちの幾つかだけでも満たせば、それだけ仕事が楽になる。 要するに楽に働けるようにすればいいのだ。 時間を短くする 自宅でする 得意なことをする
などなど
(2016年04月26日 (火) 03時59分)
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