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自分を肯定して |
投稿者:あーもんど
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私はできるだけ自分を出して生きたい。 この年になって初めてそう思っている。 どういう理由からか、私が"自己に目覚めた"のは遅かった。 それまでは"世間で目立たないように生きる"、良家の子女だったのではないかと思う。 少なくともそういう私を少なくともそういう私を望んでいた。
人がどう言おうと自分を出す=表現する。もしそれをしてはいけないというなら、そこにはいない。 私は自分をを使い分けたくない。 私は利口でありたくはない。
(2016年05月29日 (日) 02時20分)
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あーもんどさんのまわりの小さな出来事も書いてください |
投稿者:つちやけいこ
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| あーもんどさん、おひさしぶりです。初めてお邪魔します。
実は去年、父が骨折して入院したため、あまり良好とはいえない体調の時も実家に行き来しなくてはなりませんでした。そんな中で思い出していたのはあーもんどさんがどこかに、書かれた記事です。あーもんどさんのお母さんが、頼りにしているのは誰かと尋ねられたとき、「子供。」と答えられたという内容のものです。 わたしの母も同じ質問に「娘」と答えていました。 こんなに頼りないわたしを?と思いつつ、あーもんどさんの記事が思いt出されました。 そして12月に入ってすぐ、自宅の冷蔵庫が壊れてしまい、あわてました。その時もあーもんどさんが、夏に冷蔵庫が壊れて、冷たい水が飲めなかった、という記事を思いだし、冬だったのは幸運だと思いました。 あーもんどさんの身の回りの小さな出来事も書いてください。ぜひぜひ、お願いします。またココを読ませていただきます。頑張ってください。
(2016年05月29日 (日) 08時00分)
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わたしはわたしで変われない |
投稿者:あい。
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| わたしの右腕は、生まれつき肩以上に上がらない。
でもこの右腕を恨んだり悲しんだことはありません。
なぜか?それは生まれつきだからです。この姿が、
わたしの五体満足だからです。
そんなわたしが嫌な思いをしたのは、小学生のころでした。
母親が連絡帳に右腕のことを書いてくれるのですが、体育の
授業の時、どの種目ができるのかできないのかは本人にしか
わからない上に、なぜ腕が上がらないのか、なぜ見学するのか
がうまく説明できなくてクラスの子たちに、サボってると
思われたことです。担任も新任で不慣れだったのでしょう、
クラスで私のことを共有してくれなかったので、体育の時間は
とても苦痛なものでした。小学生のころは、なぜか右手のことを
隠しておかないといけないような、妙な気分でいました。
そして中学生になった時、「初めに言おう」と決めて、母親や先生に
任せるのではなく自分の口でひとりひとりにいって回りました。
それでもサボってるといわれましたが、今度は自分の口で説明できる
ので、とても楽でした。
ちなみに、右手が動きにくいので、私はピンクのサウスポーです。
(2016年05月29日 (日) 09時12分)
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