先日の軍艦島報告を致します。 長〜いので興味のある方はどうぞ。 (お手数ですが画像はアドレスをコピーしてブラウザのアドレス欄に貼り付けてください。)
-基本データ- 端島(通称軍艦島) 明治期より海底炭鉱の島として栄えたが、主要エネルギーが石炭から石油に代わり、 1974年に閉山。現在は無人島。
8月9日午前3時。小雨。山口市を出発。
…3分後、ドシャ降り(なんでやねん!)。前が見えないの、前が。
高速に上がるも雨はどんどん酷くなり、早速車内では雨男・雨女探しが始まります。
関門海峡を渡り、九州上陸。雨、やみました。 今年の山口県は祟られているとしか思えません。
午前7時30分。長崎港到着。港は同士や五島列島に渡るお客さんたちでごった返していました。 天気も上々。無風。いける!いけるぞ!
が、受付には「悪天候のため上陸はできません」の張り紙。 そこにいた全員が不思議に思うも、海の男が言うのだからと周遊のみのコースに申し込みました(古い桟橋のコンクリで作ったストラップをもらいました)。
船に乗り込むほとんどが若者。船は満員。結構人気あるんですね。 目の前には長崎造船所。巨大タンカーやイージス艦も停泊中。青空も広がり最高ではないですか。 では、出港!
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途中、見える景色を案内してもらいながら、のんびり船観光をたのし…
早くも船酔い _| ̄|○ 造船所の感動ですっかり忘れてたよ。船酔いするんだった…
約1時間後、船内が騒がしくなり、いよいよ目的地が見えてきました。
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船酔いも吹き飛び、否が応でも盛り上がってきました。 ただ、こんなに穏やかなのになぜ上陸できないのかと皆がボソボソ言っていると…
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はい、納得 щ(゚Д゚щ) 海の男、あんた大正解! 堤防を波が軽く飛び越え、桟橋は波で埋もれてました。 恐るべし、東シナ海(あってます?) そりゃ年間100日しか上陸できないわけです。 それにしても島の周りだけ異様なまでの荒れっぷり。
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上の写真は写真中央の白いビルが7階建ての小中学校。 奥は住宅。10階にある屋上が保育園だったそうです。もちろんエレベータはありません。 当時の保育園児はタフだった。
びっちり並んだ高層住宅。 この中には日本最初の鉄筋コンクリートアパートがあります(大正15年)。人口密度は東京の9倍。 マラソン大会は住宅の中をぬって行われたそうです。 高台には幹部のための住宅や浄化槽(真水は貴重でした)。 事務所や共同浴場、飲み屋や映画館、プール、美容院などなんでもあったそうです。 住民の生活は非常に豊かで三種の神器(洗濯機・テレビ・冷蔵庫)の普及率は100%(全国平均10%)、炭鉱事業が国策的にも優遇されていたことがわかります。 島に灯台があるのですが、これは今でも使われているそうです。
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日本海軍の軍艦「土佐」に島全体の形が非常に似ているというのが軍艦島と呼ばれる所以。 うーん、確かに軍艦っぽい。 本来の島は今のサイズの3分の1程しかなく、埋め立てて、今のサイズになりました。 左隣に見える丸い小さな島が「中ノ島」。 端島には火葬場がなく、隣の中の島で火葬を行っていた島です。 ここには煉瓦が崩れた後がありました。
船長さんが島の周りをゆっくり周ってくださったので、上陸こそできませんでしたが、充分堪能できました。 そして、少しでも近くにと乗客が船の片側に寄るので転覆するんじゃないかってくらい傾きました。 復路はサクサクとスピードを上げて戻りましたが、島を離れた途端、船酔いを思い出しあと少しのところで…でした。
到着後、ちょうど長崎の原爆投下時間で、桟橋でサイレンと共に皆で黙祷。
その後、せっかく長崎まで来たんだからと、暑っい中、歩いて観光をし、渋滞に巻き込まれて帰りました。
日本のエネルギー産業を支え、かつては東京の9倍もの人口密度を誇り栄えたものの今は廃墟と化した島。 同じ炭鉱の島として栄え、今はリゾート地としてとてもにぎわっている隣の島とのあまりの違いにせつなくなりました。 辺りを包む独特の空気感。豊かな生活があったとはいえ、厳しい自然と闘ってきた人々、事故で炭鉱から生きて出られなかった人々の想いを少しですが感じました。 今後も悪天候などでどのように形を変えて残っていくか分かりませんが、この島のことを記憶に残していかなくてはいけないですね。
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