プロローグ
そこは、一面の荒野だった。草木、動物、昆虫。命有る全てを否定する■の乾いた大地、それは悠然と目の前に拡がる光景を見つめている。 吹きすさぶ風が塵を巻き上げる度にそこらかしこに転がるアル物が揺さぶられ、キィキィと金切りを上げている。 全身を覆うように装着された武装は至るところから粘液性の液体が漏れだし、苦悶すら浮かべず横たわるそれは、■体だ。 男もいれば女もいる。子供も見えれば老人もガラクタとして転がり、全員が分厚いアーマーを着込み、手には重火器、ナイフ、爆薬と多様な武器を手にしたままに生きたえている。 だがそれらは只の■体ではなかった、切り裂かれた皮膚、或いは抉られた体幹から覗くのは鋼鉄製のボディ、漏れだしている粘液もよくよく見れば体液ではなくオイルなのだ。 アンドロイド。人工皮膚で覆われた外見は人間と遜色ない精度を持ち、高度な人工知能を有するそれは一体で軍の一個小隊に匹敵する性能を発揮する戦闘兵器だ。 不眠不休で稼働し、無痛覚で怯むことすらないそれが連携を組めば、一週間もしないうちに都市一つ落とす事も可能、到底生身の人間が太刀打ち出来る代物ではない、それが完全に破壊され横たわっている。 「数23体、アンドロイド部隊全滅までの累計時間41分56秒」 全く抑揚ない呟きが荒野に落ちる。 「第二部隊到着予想1分24秒、殲滅開始まで1分32秒」 アンドロイドの残骸、その中心に立ち尽くす男が一人。 顔には若干の幼さが残り、夜を彷彿させる深い黒髪、同色である黒のロングコートを着こんだ全身黒づくめ。肌は少女と言われても通じるきめ細かさだが返り血の様にベットリとオイルを浴び無残にくすんでしまい、唯一右手に下げている鈍色のスナイパーライフルMW9《エムダブリューナイン》だけが光を放っている。 この男こそが荒野に拡がる惨状を作り出した張本人。顔だけでなく全身に返りベットリとオイルを浴びたその姿が何よりの証拠である。 「予想殲滅終了時間38分19秒」 男が呟くのはこれから起こる出来事のシュミレーション結果だ。それは戦闘予測ではなく、殲滅予測。 男は今まで戦いと言うものを経験した事がなかった、幾度となく繰り返されるそれは殲滅であり、完膚なまでに標的を蹂躙する行為のみ、それほどまでに男の能力は他を逸脱しているのだ。 統一された足音が響いてくる。それは少しずつ音を増しながら男に迫り、やがて眼前に新たな標的が現れた。数にして31体、中には長距離砲撃用のミサイルランチャー、防衛特化の巨大シールドを装備した固体が追加されている。アンドロイドには情報共有システムが搭載され随時最適な情報を更新している、間違いなく先程の男との戦闘データが反映され最適な配人をセレクトしたのだろう。 それでも男が弾き出す予測時間は第一戦時より短縮されたままだ、相手だけでなく男自身も先程の戦闘でデータを入手し、標的が増援される事を想定しての結果だった、イレギュラーは何一つ存在しない。 一瞬の沈黙。 先に動いたのはアンドロイドだ、前衛のシールド部隊が素早くシールドを連結させ前方を固め、その後方からミサイルランチャーの砲撃が飛ばされ、左右からそれぞれ十体近接担当であるナイフ部隊が飛び出し男に襲いかかる。 ランチャーにより正面及び上空、ナイフ部隊により左右を閉ざされ、後方へ飛び退けようにもバックステップでは回避は間に合わない、完全に包囲された。 -対象接近、回避不可 男が右腕を外転しMW9を地面と平行に構え。 -刀剣形成、硬度設定、迎撃…… MW9のバレル周囲からのエネルギーが拡散、密集し青紫のエナジーブレードを構成。 -開始 迫り来るミサイル、それは 男の眼前に迫った瞬間、無数の鉄塊へと姿を変えた。神速、その様に呼称したとしても過言ではない体技、続く第二、第三の砲撃を苦もなく退けていくだけでなく、同時に襲いかかるナイフ部隊さえ次々に撃退していく。 相手の懐に飛び込み腹を貫く、降り下ろされるナイフを腕ごと切り落とす、足をもがれ身動きのとれない個体を盾に対象に接近し三体纏めて凪ぎ払う、男の戦術に容赦などない、どこまでも冷徹に対象を排除していく。 その間にも降り注ぐミサイルも怠らず処理を行いながらの殲滅作業は、25分38秒後に終結することになる。 ナイフ部隊は完全に全滅、ミサイルランチャー部隊は弾丸切れによる攻撃不能状態、アンドロイド部隊の攻撃手段は完全に沈黙した。 当然機械である彼らアンドロイドに怒りなどという感情はなく、仲間の仇討ちという思考自体がプログラミングされていない、目的はあくまで男の排除のみだ。しかしそれも攻撃手段を失った現状では達成不可能と判断したのか、シールド部隊を壁に撤退を開始していく。 -対象部隊撤退開始、追撃スタンバイ MW9から刀身が消滅し、男は右腕のみで銃身を対象にターゲットした。 -目標補足 男の指がトリガーに掛かり。 -ファイア 引き絞られると同時にマシンガン並みの速度でエネルギー弾が掃射され、正確無比にシールド部隊中心の一体に向かっていく。全ての弾丸がシールドの一点に集中砲火、強固な装甲を突破、対象の頭部を吹き飛ばす。 続けざまに残り五体のシールド部隊も、シールドを貫通し行動不能に追い込む。防壁が崩壊した事により無防備となったミサイルランチャー部隊も銃弾に撃ち抜かれ倒れていき、アンドロイド部隊は前衛だけでなく後衛も呆気なく全滅させられた。 男はMW9を下ろし、ゆっくりと後衛部隊に近づいていく。鋼鉄の屍の中に一つだけ稼働している固体があった、四肢のみを撃ち抜かれ身動きのとれない固体だ。 男はその固体の頭を掴み挙げると、顔面に拳を叩き込み鈍い音と共に陥没させた。剥き出しの機械部品に懐から取り出したデバイスを接続する。 -ハッキング開始 アンドロイドの情報共有を逆手にとり相手部隊中枢にハッキングにかける。次々と対象本拠地、残存戦力、今の戦闘で新たに対象が入手した男のデータから弾き出された新たな対応策等の情報がデバイスに転送されていく。転送が終了しデバイスを引き抜くと、男は再び拳を叩き込み人工知能を完全に破壊した。 累計殲滅時間38分19秒。僅かな誤差も出さず、男は殲滅を完了した。 -対象拠点位置確認、殲滅完了予測4時間9分26秒 顔に浴びたオイルを拭う事なく男は歩き始める、自らに課せられた任務を終わらせる為に。 そして4時間9分26秒後、アンドロイド部隊及び管制者の拠点は完全に破壊される事になる。 一人の生存者も残されなかった蹂躙劇、その中で最後に息を引き取った者はこう呟いたという。 マキナ、人の姿をした殺戮機械、人形と。
第一章 戦場のマキナ
1
任務を終え、本部に帰還すると最初にやることはいつも同じ、熱いシャワーで身体に染み付いた■臭を洗い流す。自身では気にせずとも周囲の人間、特に上司との面会においてそれは最低限のマナーだと教育されたからだ。 シャワーの後は身体から抜けた水分と栄養を補給し適度な休息に入り指令があるまで待機、全身から疲労を完全に拭い去ることに専念する。 最近になり男に宛がわれた個室は以前利用していた部屋に比べホテルのスイート程も面積があるにも関わらず、置かれている家具と言えば窓際のシングルベッドにパイプ椅子と木製の机が一つ、壁際には連絡用のモニター付きの端末があるだけ。別にこの部屋がただっ広い牢獄と言うわけではない、男に支払われる報酬からすれば部屋全体を豪勢に彩る事も訳はないが男は何も手をつけようとはしない。必要性は皆無だからだ。 着替え、食べ、休息する、その為だけの場所であればいい。 水滴を拭いながらパイプ椅子に腰掛け、果物を皮ごとかぶりつくと味わう事もなく嚥下する。 この後はとある式典が設けられており、男はその壇上に上がる予定にとなっている。男が受け持つ基本的な任務から外れはするが、任務であることに変わりない、従い今は備えるだけだ。 壁際から着信音が響き、男はそれを手に取るとモニターには正装で身を包んだ初老の男性が映った。 「ミスターマキナお時間でございます、講堂までお越しください」 老人が恭しく一礼すると通話は切られ、モニターは沈黙する。 マキナと呼ばれた男はベットに放り込んであった黒のコートに身を包み部屋を出る支度を整えた。 モニター操作で扉が左右にスライドすれば男の個室とうって変わった、白を基調とし絵画や彫像と言った各種調度品に彩られる豪奢な廻廊が現れ、道に合わせ進んでいく。エレベーターに乗り込むと最上階を指す121のボタンを押す、男のいた90階から5分程で到着する筈だ。 壁に寄りかかり男はある人物の言葉を脳裏に再生した。 彼は言った。マキナは表に立つ事は似つかわしくない、いや、有ってはならない存在、民を照らし出す光の影であり■を見つめる視線こそお前の存在価値。我らはお前をそう教育してきた、それでありながら今度は民衆に顔を晒さねばならぬ、なんとも支離滅裂、歪であるのだろうか。上り詰める野心も持たない男が口にする、決められた通りに並ぶ言葉の羅列に何を見いだせる。 下らなく滑稽、お前は人ではない、マキナである。 121階に到着しエレベーターの扉が開くと、その先から壮大な光景が飛び込んできた。 見渡す限りのヒトヒトヒト、慣れぬ人間ならば思わずここは本当に地上から遥かに離れた場所かと疑いたくなる程だ。そして、そこにいる全員が壇上に立つたった1人を見上げていた。 白地に散らされた金粉により荘厳な紋様が描かれた、一見すると甲冑にも見える礼服を纏った青年。山吹色の髪に透き通った瑠璃色の瞳、その瞳で民衆を見据える姿からは、年齢からは想像出来ない威厳に充ちている。 「クロノス閣下万歳!」 「我らが王よ!」 「勝利は我等が王と共に!」 「我等の命は覇王が為に!」 民衆から溢れんばかりの賞賛を浴びる王の名は、クロノス・ワナ・エーリュシオン九世。若干24歳でこの地を治める覇者である。 この国、覇都エーリュシオンは代々一人の王によって治められてきた国家である。何者よりも強く、聡明であり、英雄と呼ぶに相応しい功績を挙げた者が血縁に関係無く、王の名であるクロノス・ワナ・エーリュシオンを襲名するのである。 世界には空一面を埋め尽くす異界の門をくぐり抜け侵攻してくる異獣と証されるものが存在する。多様な姿を持ち、人間の子供程度の大きさから城をも越える個体も確認され、その全てが人間に対し激しい敵意を宿す異形の獣。 8年前に起きた大規模な天災、後に覇都の落日と呼ばれる異獣によるエーリュシオンへの大進行において先代の王は敵に討ち取られ、エーリュシオンは異獣の手に落ち文字通りの魔都と化したのだ。 人々はことごとく蹂躙されていった、男は切り裂かれ、女は喰われ、子供は異獣の発する毒素に倒れていく。圧倒的な異獣との戦力差を前に近隣の同盟国も匙を投げ、絶望のみが渦巻く魔都、しかしそれは僅か一月《ひとつき》で人の手に奪還されることになる。 どこから現れたのか、一人の少年が奇跡の力によって異獣を消し去っていったのだ。毒素をもろともせず手で触れる、それだけの行為で異形の獣は断末魔を轟かせた。神の御業とも言える光景を目の当たりにした人々は少年に希望を見い出し、再び武器を手にした。近隣の国々も神の御業に平伏の意思を示すと今一度力を振るう事を誓い、結果未曾有の大災害は驚異的な早さで終結を迎え、その後に国を救った少年は新たなる覇者として祭り上げられる事となる。 血筋、伝統、格式。 その様な物は一切関係無く、感謝の念を込め、全ての民が奇跡の少年に王の座を譲り渡したのである。 当事僅か17歳、史上最年少にして歴代の中最も民に畏敬の念を懐かせる覇王が誕生したのだ。 「諸君、時は来た」 壇上のクロノスが凛とした声を発した瞬間、講堂に溢れていた賞賛が途切れ沈黙が訪れた。覇王の言葉が染み渡り、人々はそれに聞き入る。 「かつて幾度となくこの世界に侵攻を繰り返し、遂には我等がエーリュシオンをも喰らおうとする愚かな獣に正義の裁きを下す時が来た。浅ましく空に蔓延る獣共、奴らを牛耳る獣よりも悪しき存在、800年前、腐敗した大地を見捨て愚かな獣に与し、天域へと逃げおうせた悪魔を思い出せ! 奴等を滅ぼし天域を我等の手中に収めるのだ!」 800年前、突如として空を被い尽くした異界の門より人界に姿を現した異獣の驚異は甚大であった。当時の技術では到底適わない毒素により瞬く間に大地は腐敗し、世界の半分近い人間が■んだ。只の人間には手も足もでない異獣に人類が唯一持った対抗手段が神の奇跡のである。 クロノス同様神に加護の力を与えられた人類の中でも突出した力を持つ者たちが現れ、彼等は神に次いで高貴な存在だと謳われあらゆる奇跡を起こし、異獣に対抗出来る存在だった。 人類の希望であった。だがしかし、彼らは更なる絶望を降らせる悪魔に変わることになる。 異獣と手を組んだのだ。 異獣から手を引けば異界の門の先に新たに産まれた楽園、天域に迎えいれるとそそのかされ神の御使いは腐敗した大地を見放した。 結果、完全に対抗手段を失った人類はその科学技術を進化させる道を見出だし、首皮一枚の所で生存することになる。 やがて神の使徒は、怒りと憎悪を込められこう呼ばれるようになった。 裏切りの神徒、アヴェスター。 「神から私と同じ力を与えられながら人々を絶望の淵へ追いやった愚か者共全てに、憎悪の根源に裁きを、我等に祝福を!」 再びクロノスが張り上げた声に対し、ふつふつと、声が挙がり始めた。 「…………ついに……ついに……」 「……お、おお」 「我等の時代が……」 やがてそれは、拡がっていく。 「クロノス閣下万歳!」 「我らが王よ!」 「勝利は我等が王と共に!」 「我等の命は覇王が為に!」 先程と一糸違わぬ声援が、より力強さを増して覇王に向けられる。 「そうだ、勝利は我等が手に、勝利は私の愛する民の為にある!」 「「「「「「オオォォォォォォォォォォォォ!!」」」」」」 限りない賞賛を浴びる覇王を見上ながら、マキナは時を数える。 懐のデバイスがバイブし、瞬間を告げた。 「そして今日は皆に紹介しようと思う者がいる、これを見よ」 クロノスが左腕を後ろに向かって振りかざすと、背後のスクリーンに映像が映し出される。そこに映るのは、アンドロイドの大軍を次々に返り討ちにしていく一人の戦士、先日行われたマキナによる殲滅戦である。 群衆から驚愕の混じったざわめきが起こる 「皆も目にした通り、これは先に行われた違法学者及び彼奴らの開発したアンドロイドを用いての模擬戦である。当然アンドロイドが使用する武器並びにAIに関してセーフティーは設定されていない、しかし……」 クロノスが指し示した先、マキナにスポットライトが当たる。 「彼はその様なものは物ともせずに我等に力を見せ付けた、正にエーリュシオン、いや、覇王に次ぎ世界最強の戦士である!」 クロノスが腕を横に振るい、それを合図に民衆が左右に別れ道ができ、マキナがゆっくりと歩を進めるとライトも彼を追ってくる。少しずつ、少しずつ大きさを増していく畏怖の念を浴びながら、マキナは進む。 マキナは壇上に登り、クロノスの傍らに立つと、民衆の視線を真正面から受ける形になる。 この様な視線には慣れている、自分を初めて目にしたヤツは大抵恐怖か疑いを抱く様だからだ。 「彼の名はマキナ、今回異界の門への侵攻において部隊を率いる総隊長だ。この中にマキナの名に聞き覚えのある者はいるか?」 クロノスはマキナの横に並ぶと、今一度民衆を見渡す。 そこからは沈黙しか帰ってこず、それが答えだった。 「まあ当然だろう、私もこの地位に就くまで彼を、いや、マキナと呼ばれる存在を知りすらしなかった。覇王がクロノス・ワナ・エーリュシオンを襲名するのと同時にマキナの名は当時、その役目に最も相応しい戦士に贈られる、その役目とは……」 覇王が深く溜めを作り、民衆も息を飲む。 「覇王の影、覇王に仇をなす愚か者からその身を呈して■守する王に次いで強き者なり、一人の覇王につきマキナも一人存在するのだ。国が数多くの幼子の中から選抜し振いにかけ、幼少の頃より身心共に調整を施すことで心を殺し続けた者達がいる、その子らは命を賭け競い合い勝ち残った者のみが生き残るのだ、故にその身、鋼の如し、決して表に現れず影として其処にある、王の盾であり王の剣、故に機械《マキナ》、心を持たぬ兵器だ!」 クロノスがマキナへと向かいあう、瞳に悲しい色を灯しながら。 「だが、私はそれを知り愕然とした、王を護るためとはいえ民をその様に扱う悪しき風習は私の代で終わりにしたい、彼も私が早々に王位に就いてさえいれば、先代から救い出しマキナなどと呼ばれる事もなかったのだ、本来ならば今からでも自由に生きてほしい、だが悲しい事に彼は闘い以外の生き方を知り得ない」 クロノスの右手が、ゆっくりと差し出される。 「ならばせめて、その力を持って英雄となってほしい、覇王の影であり続けるのは今この時までだ。私は明日、25回目の生誕日を迎える、年を重ねる度に私の力は弱り、今では異獣の相手も儘ならない、だからこそそなたに、絶対的強者であるマキナに世界を救う天域侵攻作戦、双角の鉄槌(バイコーン)の最前線に立ち、勝利を掴んでほしい、受けてくれるか……」 表情を変えずマキナは膝まづくと、クロノスの右手の甲に口付けを交わした。 「今一度、揺らぐ事のない覇王への忠誠を、ここに誓います」 事前に指示されていた台詞を口にする機械。王に対する忠誠を誓える喜びも、自ら戦いに挑まない主君に対しての怒りも、戦に命を掛けなくてはならない悲しみも、勝利を掴み英雄となる楽しみも、何も無い文字の羅列。 だが、そんなものは関係ない。これは絶対的強者を従える王の姿を民衆に焼き付ける事で更に指揮を高める為の茶番劇。 人はそんな茶番劇でさえも心を動かす。現に民衆からはクロノスへの尊敬は一層高まり、そして先程とうって変わりマキナへも期待の眼差しが向けられている。 「諸君!」 覇王の言葉に空気が絞まる。 「我等の勝利の為に、いざ立ち上がれ!」 「「「「「はっ!」」」」」 全ての民衆がその場に膝まづいた。絶対の勝利を信じて、主を信じて。 ただ一人、マキナのみが違った。 --本式典における指示内容完遂 マキナに有るのは、世界を救うことでも、自由を得ることでもない、機械が抱く物は任務達成、それだけだった。
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部屋に戻るなり、音をたてながらマキナはベットに倒れこむ。 先の茶番劇後に直ぐ後、羨望の眼差しを向けてくる兵士達に囲まれそうになったが、クロノスの計らいで何とか逃れ自室に戻ってきた所だ。 妙な疲労が体に残っいる。やはり慣れない任務はイレギュラーでしかなく、回復にも時間がかかりやっかいな事この上ない。 こういう時は直ぐに睡眠に入るのが最善と判断し、明日の任務にも備え瞼を閉じ意識を沈めていく。 少しずつまどろみ始め、眠りに落ちる寸の所で部屋のチャイムが鳴り、視線を壁の端末にやればモニターが光っているのがわかった。 身体を起こし応答ボタンを押すと、一人の使用人が映る。 「お休みの所失礼致します、マキナ様お時間は宜しいでしょうか?」 「構わない」 やたらと丁寧口調な使用人に対し、マキナは淡々とした口振りで返す。 「ありがとうございます、軽食とお飲み物をお持ち致しました、お手数ですがドアロックを解除していただけませんでしょうか?」 -軽食、飲料物 「そんなものを頼んだ覚えはない」 「はい、コチラはあるお方からマキナ様のお部屋にお届けする様にと承りまして」 早速マキナを狙う輩が出てきたのか、王の懐刀と言われようが重要な作戦に不振人物の介入を拒む者が出るのは想定内だ、だとすれば早々に排除しなければならない。 使用人が制服の胸ポケットからメモを取り出し、読み上げる。 「先方様の方からはG.Iと伝えれば分かる、との事ですが?」 -了承 「入れ」 今のやりとりで危険物ではない事が確認出来た、部屋に入れても問題ない。 ロックを外しドアを開けると、使用人がワゴン押しながら入ってくる。 「それではコチラの方にサインを頂けますか?」 差し出された伝票に潜入任務で使うサインを記入しそうになりマキナと書き直す。自分の名称を書類に書くのはこれが初めてだった。 「はい確かに、それでは失礼致しました」 丁寧に腰を折った後、使用人は部屋を出ていく。 マキナがワゴンに掛かっていた布を払うと、そこにはとても上等には見えない壷が3つにグラスが2つ、これまた安物であろう皿が3つ、それぞれチーズに干し肉、ピーナツ等の豆類が盛られている。 壷の蓋を外し匂いを確かめる。全てに違いは有るがどうやら酒らしい。 相手の次の行動は予測出来る、恐らく数分と経たないうちに再びチャイムが鳴る筈だ。 そして予測通りにチャイムが響くと、今度はモニターを確認する事なく扉を開いてやる。 そこには、先程マキナを講堂に呼び出した初老の男性が立っていた。新雪の様に艶の有る白髪と髭は綺麗に手入れされ、掛けている黒渕メガネがその柔和な表情を更に柔らかくしている。上質な生地を使ったと思われるスーツを着こなし、良く良く観察すれば年不相応に引き締まった体格をしているのが分かる。まるで紳士《ジェントルメン》と言う言葉が服を着て歩いている様だ。 男性は軽く腰を折ると言葉を口にした。 「夜分遅くに失礼致します、どうしてもマキナ様にお話が御座いましてお伺いした所存でございます、せめてと思いまして先程の物を手配させて頂きました」 男性は身体を起こすと、マキナの瞳を見据えながら続ける。 「お邪魔しても、よろしいか?」 「構いません」 マキナは即答し男性を部屋に招き入れる。 扉を閉め、改めて男性を見る。すると彼の表情は一変していた。 「ふん、粗末な部屋よ。クロノス閣下のご厚意でこの様な場所を与えられたのだ少しは着飾る事を覚えたらどうだ、いつか任務で役に立つ事もある」 「ご忠告、痛み入ります」 もはや廊下の時とは立場が入れ替わっていた。 マキナに対し文字通り腰を低くしていた男性は今では部屋の中心で仁王立ちになり、額にシワを寄せマキナを睨み付けている。 マキナも男性には表面上とは言え敬意を払っており、二人の上下関係が垣間見えた。 「心にもない事をぬけぬけと、それでよい」 男性の口がつり上がり、獰猛な笑みが張り付く。 「それでこそマキナ、ワシの後釜に相応しい」 「お褒め頂き、光栄です」 この紳士の名はゴドウィン・イングヴァルト。クロノスの側近を務める右腕であり、歴代最強と称される先代のマキナだ。 「座れ、無駄話があってわざわざ赴いた訳ではない」 遠慮なくゴドウィンはベットに腰掛けると、マキナにワゴンを運ばせその上から壷を一つ取る。壷から透明な液体がグラスに注ぎ、一気に煽るとぶはぁと息を吐いた。 「お前も掛けて一杯やれ」 マキナも指示通りにパイプ椅子に浅く腰掛け、自分のグラスに壷の残りを注ぐと一口舐める。 「味はどうだ?」 マキナは頬を朱く染め、酔った口調で返答した。 「少し癖がありますが、それが堪りませんね、そちらのチーズに良く合いそうです」 普段と違い、弾んだマキナの声には喜びという抑揚が、顔には頬の緩んだ酔いの表情が見られた、思わず別人に見えてしまう。 「くく、そうか癖が堪らずこのチーズに良く合うか」 ゴドウィンはチーズを千切らずかぶり付くと、グラスの残りで流し込んだ。 「それは誰の言葉だ? 男か、女か、子供か、はたまた老人か? 今の貴様は何者として言葉を口にしている」 「現在この瞬間は愛酒家、それも比較的粗悪品を好む男性として思考しました。ゴドウィン様の趣向を考慮したところ、これが最善と判断しました」 再び抑揚消失させ、マキナは即答した。 対してゴドウィンは何かを堪えているのか、ワナワナと身体を震わせている 「成る程、ワシに合わせて酒好きの男となったか……それも何故だ、この場、空間では不要ではないか」 「ゴドウィン様の趣向にマキナとしての性能へ興味を持たれているのを記憶しておりました、余興には相応かと」 そして遂に、それは口火を切り、勢いに任せたゴドウィンはグラスをマキナの顔面目掛けて投げつける。ぶつかる寸の手前でマキナの左手に受け止められたが一歩誤れば顔面は血で染まっていたに違いない。 「ハァハッハッハッハッハ! 素晴らしい、マキナよ貴様、もし相手がクロノス閣下ならどう対応した?」 「閣下に適応します」 「相手が平民でもか?」 「はい」 「男でも女でもか?」 「適応します」 「何故だ?」 「潜入、情報収集、暗殺、その他対人任務において良好な人間関係を築くことで任務をより確実に完遂する事を目的とした訓練によるものです」 「そこには貴様の感情はあるか?」 「私に感情は必要ありません」 「ハァハッハッハッハッハッハ!」 マキナが答える度に、一層ゴドウィンの笑い声は大きくなる。心底歓喜しているのだ。 「こんなに愉快なのは初めてかもしれん、先王時代から覇王に仕え、不完全ながらマキナの称号を得たワシだがよもやこうも簡単にワシ以上にマキナに相応しい者が見つかるとは、これが愉快で無ければ何だと言うのだ!」 第八代マキナ、ゴドウィン・イングヴァルト。 今でこそ表向きは覇王の第一の側近であり温厚な人格者だが、それは彼の本質ではない。 大戦斧を手に一度戦場に降り立てば、覇王の敵を狩りつくすまで止まることのない絶対殲滅者。彼の戦闘後、戦場は原型を留める事はなく時には味方まで巻き込む凶悪さを持ち、覇王以外何者の命令を聞くことのない性質により、先代覇王の側近達は覇王に対し戦場へのゴドウィン投入の制止を幾度となく申し立てた程だ。 ついた通り名が暴走兵器《ジ・オーバーロード》。側近達により厄介な狂犬に皮肉を込めて付けられたものだ。 最強の名を欲しいままにしていたゴドウィンだが、しかしそれはあくまで戦闘に関してのみであった。その性質から潜入、情報収集、暗殺と言った工作活動能力は皆無であり、何よりマキナとしての第一条件である精神の抑制は欠片もなされていなかった。どの様な処置を施そうと、彼の飽くなき覇王への忠誠のせいか心は揺らがず、その姿を覇王に認められた彼は特例のマキナに選ばれる事となり忠誠は更に深まっていったのである。 「マキナよ!」 2つ目の壷を直接煽りながらゴドウィンはマキナに詰め寄る。 「貴様に覇王への忠誠心はあるか!」 「先程、改めて誓ったばかりです」 「それは真の忠誠か!」 「はい」 「嘘だな」 喉を鳴らしながら酒を嚥下し、ゴドウィンは続ける。 「貴様が陛下に付き従うのは我々が施した調整の賜物だからだ、忠誠心など欠片もない、ただそう在るしかないからだ。完全……そう完全だ! 貴様は完全なる機械《マキナ》であるのだ!」 ゴドウィンはゆっくりと一息つき、視線を自らの左手に移した。はめていたシルクの手袋を外すとそこには古い傷跡があり、腕にも続いているだろう傷の上から火傷が重なり見るも無惨なそれをゴドウィンは右手で強く握り締めた。 「この傷はワシの罪の証だ。あの時、逃れ損じた民を異獣から守るためにあのお方は自ら身を投げ出した、傷ついた身体で異獣に立ちはだかり、最後の力を持って民を救ったのだ」 より強く、傷跡が千切れるほどにゴドウィンの右手に力が入る。 「民が避難したのを確認してから駆けつけたのでは遅かった。ワシも戦闘不能に追い込まれ結果として異獣も取り逃してしまった。ワシがあのお方の、何があろうと民を救えという命に従いさえしなければ……ただの機械として覇王を御守りする事を優先していれば、あの様な事にはならなかった」 ゴドウィンが固く目を閉じるのと同時、声に嗚咽が混じり始めた。 「あのお方は■の間際、ワシにゴドウィン・イングヴァルトの名を与えて下さり、生き延びる事で新たなる覇王を導く者としての道を指し示して下さった。そしてワシは救われた、最後の最後まであのお方に救われていたのだ」 固く閉じていた瞼がゆっくり開き、視線がマキナを射抜く。 「幸いにして早々に新たなる覇王、そしてマキナの候補者は見つかった、現覇王はともかく、偶然道端で拾った小僧にここまで適正が有るとは思わなんだ、覚えているか、ワシとお前が出会った時の事を」 その時の光景は、うっすらとだがマキナの記憶残っている。突然の異獣による襲撃により瀕■の重症を負った自分を目の前の男が助け出したのだ。傷だらけの身体で、傷だらけの斧を振り回し、獣を凪ぎ払う姿を目にした、まだ感情を宿していた頃の自分は何を思ったのか、それだけが靄が掛かり思い出せないがマキナはゴドウィンに頷いてみせた。 「……今度こそ……今度こそは覇王を守り抜いてみせる」 ゴドウィンは懐から取り出した物をマキナに差し出した。掌に収まる鉄の塊、濃灰のボディには画面と3つのボタンが備えてある小型デバイスだ。 マキナはそれを受け取り、凝視する。 「持っていろワシからの餞別、最新の異獣レーダーを搭載したデバイスだ。いざというときがくればお前の力になるだろう、肌身離さず持っていろ、任務全てが完遂された時の報告もそれを使えば良い」 「はい、有り難く頂戴致します」 「よし。マキナよ記憶しておけ、この世には完璧な勝者など存在しない、皆敗北をその身に刻んだ敗者である。だがな例外は存在している、覇王とその影であるマキナは勝者でなくてはならん……」 3つ目の壺の中身を一息に飲み干し、覇王の側近はマキナに説き続ける。 「覇王だけは敗北に身を浸す事なく、常に民に勝利を見せ付けなくてはならぬ、影であるマキナの敗北は覇王の敗北と知れ、必ずや覇王に勝利を捧げるのだ」 「記憶しておきます」 「よし、ならば話は終いだ、長居したな」 ゴドウィンは立ち上がり、最後は何も口にせず部屋を出ていった。 静寂に包まれた部屋の中、マキナは渡されたデバイスをコートの内ポケットに仕舞うと睡眠剤代わりにグラスの残りを飲み干す。美味いとも不味いとも感じないが安酒だけに回りも早いらしく、睡魔はすぐに湧いてきた、そのままベットに倒れ込み睡眠に入る。 延々と語られた先達の話に興味はない。アチラもそれは承知の事だろう。 しかし最後に伝えられた、必ずや覇王に勝利を捧げろと言う命令にだけは従うのみだ。今は戦いに備える事に専念する。 決戦は明日に迫っていた。
3
異界の門に閉ざされ、光の届かない薄暗い空が拡がり、吹き荒ぶ強風が身体を撫でる。 覇王の居住である塔の頂上、先日の式典が行われた講堂の更に上、この世界で最も天域に近い場所に戦士達は集まっていた。 人間2万人、アンドロイド3万体、そして機械が1人。合わせてその数50001の軍勢。エーリュシオンだけでなく、世界各国から集められた猛者のみがこの場に集結している。 先程からマキナの耳に届くのは、興奮を含んだ戦士達の会話だ。銃火器やレーザーブレードといったオーソドックスな物から中には最新爆薬に、巨盾、皆思い思いの武装を携えた戦士達は、緊張どころかこれからの戦いに、800年の時を得て果たされようとする人類の念願に心踊らさせているのだ。 士気が高まるのは戦闘の効率を考慮した上で非常に好ましいと言える。適度な興奮は人間の力を通常以上に引き出す要素としては最も単純で効果的だ、作戦成功率の上昇が見込めるだろう。 だが、自分がその中に加わる事はない。マキナにとって余計な会話は思考を鈍らせ作戦成功率低下を招く、必要性のない行動にはデメリットのみが存在する。 しかし、この様な場ではイレギュラーと言うものは常に発生するものだ。 「マキナ隊長!」 背後から声を掛けられ振り向くと、一人の兵士が自分に向かって敬礼していた。 鳶色の髪が良く栄える、少年の幼さが抜けきっていない顔立ちからして恐らく歳のほどは13、14と言ったところか。 「登録名を名乗れ」 「ハッ! 自分はラッツ・セシル少尉であります!」 ラッツ・セシルは敬礼を崩さず、爛々と瞳を輝かせマキナを見つめている。 「コドウィン様よりマキナ隊長の補佐を命じられております、何なりとご命令下さい!」 -ゴドウィン様のからの指示、予定されていた副官と判断 大規模な作戦だけにそれなりのベテランを選出すると予測していたが、とんだ誤差が生じてしまった。ならば先ずはこの副官を解析する必要がある。 「スキルは何がある」 「自分はコレだけが特技であります!」 ラッツは迷彩柄をしたサバイバルジャケットの胸部に逆さ釣りで固定していたサバイバルナイフを引き抜き、マキナに差し出す。 マキナはそれを手に取り観察する。刃渡りも狭く、とてもではないが人どころか異獣に対抗するには心許ない代物だ。 「これで、どの様に異獣を撃破する」 「それは……」 初めてラッツの口調がどもっていく。 「申し訳ありません、それはお伝え出来ません」 「何故だ」 「ゴドウィン様より、自分のスキルに関しては戦闘直前まで伏せておくよう言い付かっております、誰にも悟られぬようにと」 「ならば構わない」 「申し訳ありません!」 勢い良く、ラッツが頭を下げた。 「いくらゴドウィン様の命とはいえ、自分の上官にこの様な真似を、誠に申し訳ありません! 作戦終了後にどの様な罰も受ける所存であります!」 「必要ない」 「えっ……」 「ゴドウィン様の意向あっての事ならば、謝罪及び懲罰は必要ないと言っている」 「ですが……」 「全く、貴方もしつこいですね、そもそも自らが仕える王の側近の命に対して罰を与えるなど、それこそその男の地位が危ぶまれるとは考えないのですか?」 甘ったるい声だ。一言耳にする度喉元を舐められている錯覚を覚える粘ついた声が近付いてくる。 「久方ぶりに帰郷してみればなんと言うことだ、まさかこの様な事にすら気付かぬ阿呆を指揮官補佐に指名するとは、かのゴドウィン様も流石に躍起が回りましたか、ねぇマキナ?」 「……クトウ」 声の主は酷く痩せた青年だった。風に凪がれる琥珀色の長髪、細い輪郭の顔には皮肉な表情が張り付き、フレームレスグラスの奥に燃える焔を連想させる紅い瞳が佇んでいる。身体に密着している血で染め抜いた様な深紅のタキシードが見る者には毒々しい印象だ。 「おや……私の名など忘れられたものと思っておりましたが、流石はマキナ、一度記憶された事項については消えませんか」 ククッとクトウは喉で笑い、口角を必要以上に吊り上げた。 「光栄な事に私も今回の作戦に声が掛かりまして、かつて競いあった仲とはいえ今は同じ部隊の仲間、友好的にいきましょう、ねぇ?」 クトウが差し出す右手をマキナは握りかえさない。 「…………」 「おやぁ、素っ気ないですねぇ、昔よりも更に、貴方もそうは思いませんか」 「それは……」 言葉の矢先がラッツに向けられた。いきなり現れ、自分の上官と対等に会話するクトウに対しラッツは困惑した表情を浮かべる。クトウの言葉一つ一つが空気に絡まり場を澱ませていく。 「おやぁ」 思い出した様にクトウがおどけた。 「そういえば、自己紹介がまだでしたねぇ、これは失礼。私の名前はクトウ・バッハ、聖ガレリア帝国近衛騎士団副長を努めております、以後お見知りおきを」 胸に手を当て、優雅かつ誇らしそうにクトウは述べる。 海に隣接し山岳部の中頃、即ち大陸全体の南側を領地とするエーリュシオンに対し、聖ガレリア帝国は残りの大地、主に平地を中心とした積雪部を支配下に置く大国だ。 かつてはエーリュシオンと一つの国であったが、650年前に分裂し現在の形となっている。 エーリュシオンに並ぶ二強国の一つ。その帝王近衛騎士団副長が部隊に加わる事は一介の少尉であるラッツに、今回の作戦が世界の命運を背負っているのか再認識させる。 「ガレリア騎士団の方でしたか、大変失礼致しました」 ラッツはクトウに向かい腰を折り謝罪した。 「いえいえ構いません、元々そちらの会話に割って入ったのは私の方、あまりにも低能な会話でしたのでつい」 「用件はなんだ」 これ以上無駄な時間を使う必要はない、早々に切り上げるべきだとマキナは判断した。 「おや、先程も申したではないですか、この様な形とはいえ久方ぶりの故郷です、少しは旧知の方々と親睦をと考えるのはごく自然な事かと?」 「ならば用件はすんだ筈だ、行け」 「そっけないですねぇ実に、かつては貴方が居座る座を争った仲だと言うのに、負け犬に興味はありませんか?」 「……」 「くく、では退散するとしましょう、ここはおとなしくねぇ」 喉で笑い、最後まで甘く粘ついた声を残してクトウは自国の集団へと戻っていく。クトウの姿が集団に隠れ完全に見えなくなった時、ラッツが口を開いた。 「マキナ隊長、あの方はエーリュシオンの出身なんですか? それに……かつてマキナの座を争ったと」 「ヤツも候補者の一人だった、初期段階で除外され、人材を欲していたガレリアに買収という形で移籍した筈だ」 「そうでしたか、あの方もマキナの……」 「他に用件はあるか」 「えっ……用件でしょうか?」 「ないならば持ち場に付け」 「さ、最後に一つだけ!」 ラッツはクトウの乱入により失念していた本来の目的を声にする、僅かに震えるそれは真摯な感情であった。 「自分は8年前に家族を異獣に殺されました、両親も妹も。それだけではありません、家族同然に親しくしていた自分の兄貴分、初恋の相手、大切な人は全てあの日汚らわしい獣共に……」 少しずつ、ラッツの声が熱を帯びていく。 「初めてマキナ隊長の戦闘映像を目にした時興奮を隠せませんでした。貴方なら異獣を完全に駆逐出来る、世界中に渦巻く憎悪を晴らす事がマキナ隊長なら! だからその背中を護らせて下さい、必ず隊長のお力になります!」 一気に捲し立てあがった息のまま再び敬礼をきめるとラッツは自分の持ち場に駆けていった。 ラッツだけではないだろう、この場に集う全ての人間が今作戦双角の鉄槌(バイコーン)に人生を賭けている。かつて奪われた多くのもの。大切な家族、思い出の土地、日の下で自由に生きる権利。皆失った事柄に違いはあれど、復讐の二文字を心に刻みつけている。 マキナには到底理解しえない項目である。 そろそろ作戦開始時刻になる。自分も所定の位置にて待機するべきだ。 作戦開始にあたっての激励を行う為に設置された演説台の前に全戦士が整列する。マキナの位置は最前列中央、後ろには副官であるラッツ、左隣にクトウ、右隣を同盟諸国連合筆頭を勤める光都シトランテ所属である雪銀の鎧を纏った壮年の騎士が並ぶ。 今作戦に加わる強国、光都イルド。エーリュシオン、ガレリアの在る大陸から更に東へ、数十にも及ぶ小国が犇めくイリオス大陸。一つ一つの国が保有する権力はエーリュシオン、ガレリアには遠く及ばなくとも強力なカリスマ性により、イリオス全てを統括しているのが光都イルド、世界三強国の最後の一席だ。 密やかとは無縁と思われたざわめきも徐久に鳴りを潜め始め、各国の代表者が現れる。 齢九十を超えながら黄金の鎧に身を包む勇士はガレリア帝王。 ミントグリーンのスーツを着こなすイリオスを収める若き才女がイルド大統領。 そして覇王が姿を現し壇上に君臨した事で完全に場は張り詰めた。背後につき従うゴドウィンを始めとする側近達からも厳格な気が漂う。 ガレリア帝王が王の威厳を声に載せ、一言紡ぐ。 「今日この時を、我々が忘れる事はないだろう。永き時を得て我々は最大にして最後の一歩を踏み出す」 次をミントグリーンの才女は世界が掲げる信念を語る。 「覇都エーリュシオン、聖ガレリア帝国、光都イルド、この三国を中心とした連合軍は勝利に向かって歩み出す。皆今一度、双角の鉄槌(バイコーン)の信念を胸に刻み込むのだ!」 不純を司るとされる二角を持つ幻獣バイコーン。純潔を司るとされる一角獣ユニコーンの対とされる幻獣であり、今作戦の象徴とも言える存在。アヴェスターという絶対的不純に一撃では生温い、双角による二撃、即ち異界の門を突破する一撃から天域全てを奪い尽くす二撃で完遂となる作戦である。 「皆の勝利を信じている、さあ飛び立て!」 締め括るのは覇王。 激励は僅かそれだけだった。この時を忘れず、信念を胸に刻み、勝利を信じる。 これが最上の洗礼であり、これ以上は必要ない。 足元から光が登り、50001の戦士を包み始める。 予め用意されていた転移門を通じ戦士達の身体は異界の門へと送られていく。 視界が完全に遮られる瞬間、マキナが目にするのは期待に満ち足りた表各国代表の表情《かお》。その中に唯一自分を見つめる主。昨日と同じく哀しみを帯びている瞳が語りかけてくる。 勝てと。
身体が浮遊感に包まれ、視界も完全にホワイトアウト。 視界が晴れた先は人の世界とは常軌を逸した空間だった。 「……ここはなんだ?」 到着してからたっぷり十秒かけて誰かが口を開いた。 「…………本当に現実なのか」 「光が舞ってる……」 「綺麗だ……」 「綺麗だ……」 「なんて綺麗なんだ……」 天は炎の赤が染め、青く澄む水は黄土が埋める地から湧き出し、生える樹木に緑葉が芽吹き、白光と黒闇は淡雪の様に降り注いでいる。全ての色を内包し満ちる空間、視界で触れるだけで儚く心安らぐ豊かな光景。この美しい世界が人を喰らう獣の住処だと誰が信じられようか。 「何ともまぁ、ここまで美しいとかえって煩わしいものですねぇ」 クトウの感想は単なる皮肉ではない。並みの人間ならばあまりの神々しさに空間その物に膝まづいてしまいそうになるのは事実だ。 事前の調査によれば遥か彼方に開く出口までは直線のみの道程であり、異獣を除けば物理的な危険物は存在しない筈である。異獣は周期的に出現、消失を繰り返し周期を正確に把握さえしいしまえば被害を留められると報告されている。 だが精神はどうだろうか。圧倒的空間に皆の精神そのものが屈伏してしまえば戦わずして敗北となる。それだけはなんとしても避けなくてはならない。 その点マキナにはメンタル面の問題はない。もとより物事を慈しむ感情が消失しているのだ。対象の出現を感知した瞬間に撃退可能だ。 「前進を開始する、続け」 これ以上留まるのは非効率的と判断し、マキナはデバイスを通じ部隊を前進開始させる。 マキナの号令により目が覚めたのだろう、再び闘志を目に宿し戦士達は一糸乱れぬ統率で進んでいく。 だが、次の瞬間異変が起きた。 【敵反応発生】 懐のデバイスが反応激しく点滅している、マキナの物だけでなく他の隊員の物もだ。 「これは……」 「隊長、敵はどこに!」 焦るラッツにマキナは答えた。 「……ここだ」 辺りの光がより一層輝きを増していく。 「対象とは既に接触している」 光が姿を変え獣が産まれていく。 戦いの幕が降ろされた。
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「対象とは既に接触している」 無数の色達が姿を変えていく。一際輝きを増し、あたかももがいてるかの様に収縮、拡張を繰り返しながら。 そして、獣達は産まれた。 赤の炎は強靭な肢を生やし牙を剥き出す炎の獅子、青の水は禍々しい牙と凶悪な鱗に覆われた大鮫となる。黄土は人を丸飲みするのも容易い岩の大蛇、緑葉は流麗な体の背に翼を備え蔦で構成された翼竜として宙に座す。 だが、最も奇怪な対象は別に存在した、残りの黒と白。 「……そんな……あんなのデータに有りません!」 ラッツが叫ぶのも無理はない、マキナのデータベースにさえ登録されていない異形だからだ。 マキナの正面、やや離れた距離に人が佇んでいる。数は2人。 右に立つのは影よりも更に深い闇を宿した黒。顔も含む全身に身に付ける重厚な鎧、両手に下げた長剣、全てが深淵に染まった剣の騎士。 左に佇むのは光よりも更に気高い純に輝く白。顔から足先まで身に纏う鋭利な鎧、両手に携える大盾、全てを白夜に包まれた盾の騎士。 さしずめ、異獣の聖域たる異界の門、その守護者と言ったところだろう。 「異獣が人の姿をとるとはねぇ、事前の調査では報告も有りませんでしたが。さぁ隊長、どの様に動きますか? 辺り一面を囲む異獣に詳細不明の敵まで現れた、いきなりですが絶望的ではありませんかねぇ?」 台詞とは裏腹に余裕の笑みをクトウは浮かべてる、よくよく観察すれば腹を抱えるのを堪えてもいた。窮地こそ最上の美酒、クトウ・バッハは全員の利益など無視し自身の快楽に没頭する傾向がある。術者としては優秀だが、難としては多少ばかり難な性格だ。 「対象の総数を報告しろ」 【赤24000、青10600、黄15300、緑11300、黒ト白各1体、合計61202体】 デバイスからの情報を基にマキナの頭脳は即座に陣形を構築する。ラッツを除く全員のスキルは事前に詳細を受け取っている。更に過去から現在までの異獣の行動パターンを照らし合わせ、絶対の方程式を弾き出す。 「前方2体が敵陣の統率体と予測、俺が処理する、残りの対処はクトウを中心とし防御基準の陣形を展開、生存を最優先、coducto《コンダクト》を使用し各個体を強化、可能範囲で対象を撃退、統率体撃破後、敵陣営のバランスが崩れた瞬間に殲滅開始する」 不確定要素を含む情報から導き出された最善策、マキナは僅かな時間でそれを導き出した。 「くく、まぁいいでしょう。では皆さん、どうか私の護衛をよろしくお願いします」 「それは出来ん話だな」 「おやぁヴァイス殿、それはどういう了見で?」 クトウが目を細め放つ突き刺さす眼光を正面に受けて尚揺るがずにいる偉丈夫。その背に2メートル近い大剣を剥き出しで背負いながら尚余る長身から放つ厳圧は怯む事なく堂として立ち、彫りの深い相貌からは勇ましさも合わせて醸し出している。 光都イルド代表、ヴァイス・ザフィア。平民上がりでありながら他を圧する剣技を持ってイリオス最強の座に上り詰めた武人である。 「クトウ殿、貴公も気付いていないわけではなかろう。彼方の黒と白、奴らが将であるのは間違いあるまい、周りの異獣共もあの者達には敬意を払っている節がある」 ヴァイスの慧眼は確かだ。炎の獅子と水の大鮫、岩の大蛇は二人の騎士より前に出ず後ろに控え、そして翼竜も二人の頭上を舞う事はない、恰も王に傅いてるかの如くだ。 「恐らく大将は大将同士で交えようと言うのだろう、獣の王とは言え自ら戦の礼を示すならば応えぬは武人の恥、マキナ殿、私は貴殿と共に挑ませてもらう」 背から抜き放たれた蒼氷色の大剣、鏡より更に磨き込まれ光を反射するどころか吸い込んでいく様に見える。 偉丈夫は鏡の剣を両手で正眼に構え異獣の王、深淵の騎士に対峙した。 「案ずる事はないぞ、この大剣セルシウスを持ってして打ち倒せぬものは未だかつてない、貴公は安心して自身の戦いに挑むが良い」 例えここで退けと令を出そうとこの武人は聞かないだろう。いかなる戦場においても礼節を尽くした上で相手を打ち倒す、武人と呼ばれる者はそう言った人種であるとマキナは記録している。 「黒いのは任せて貰おうか、同じ剣士として手合わせしたい」 「了解」 マキナは白夜色の盾の騎士に向き合う。 デバイスにコマンド入力、マキナの右手に粒子が集いMW9を形成、戦闘体勢に移行する。 「ラッツ、お前は下がっていろ」 「隊長何故ですか!」 マキナの後ろに控えていたラッツが叫ぶ。 「こちらの陣営において貴様のみスキル不明、イレギュラーは勝率を著しく低下させる、ゴドウィン様の命とはいえ戦闘許可は出来ない自身の生存を最優先しろ」 「ですが!」 「命令だ」 「……分かりました」 渋面を作りラッツは最前線から下がっていく。当然だろう、憎き仇が眼前に拡がるこの状況で手出し出来ないのだから。 「まぁまぁそう落ち込まずに」 クトウがラッツの頭をポンポンと叩く。 「子供は子供らしく隠れていれば良いのです、ねぇ?」 「……くっ」 クトウの挑発に対し、より渋面を強くしながらもラッツはマキナの命令に従い後方に待機する。 その間にも他の戦士、アンドロイドは陣形を構築していく。遠距離部隊がクトウとラッツを中心に円上に展開、その周囲を近接部隊が、更に外周を防衛部隊及びアンドロイドが囲んでいく。 完成された防御、マキナとヴァイスを除いた全てを護る鉄壁が現れた。 ー戦闘体勢クリア 「戦闘開始!」 マキナが号令を発した。普段の機械からは想像出来ない声量により放たれた戦の狼煙。けしてマキナが高ぶっている訳ではない、自陣の士気の底上げが目的の虚栄である。だがそれは存分に効力を発揮していた。 「Angabe 《私に従え》、extreme《イクストリーム》」 クトウが腕を振るうと同時に足元に輝く紅玉色の陣円が出現、全身をたゆたせる指揮者《マエストロ》の動きに合わせ身体から陣と同色のオーラが吹き出し宙に向かって拡散した。 全ての戦士、アンドロイドを包んだそれはクトウ固有スキルcoducto(コンダクト) 。使用者が対象とした物体、有機物、無機物を問わずあらゆる強化を施す支援スペルextreme《イクストリーム》は攻撃能力即ち、身体腕力、武器火力全てを強化する。 かつてアヴェスターのみが持ち得た神術。何故この青年が神の御業を使いこなすのか、その答えは人類を護り続ける化学力にある。 本来、神力は全ての人々に与えられた能力である。しかしそれを発現、まして異獣に対抗しうる程のものは極めて稀であり、故に常人に比べより強く加護を受けたアヴェスター以外扱えぬ力であった。 だが人の化学力は神にすら反逆する、術者の身体に特殊処置を施す事により微弱な神力を活性化させ、オリジナルには及ばずとも神術を発現させたのだ。 クトウの場合、人体に存在する刺激点の中で取り分け強力な効力を発揮する瞳孔に投薬を加える事により神術発現を実現させている。 しかし、それは非常に強力が故に相応のリスクを伴う。僅かな能力を発現させようにも成人男性が卒倒する激痛に耐えなくてはならいだけでなく下手を打てば失明、最悪■に至る、クトウ程のものとなれば可能性は数段跳ね上がる。適正、技術、何より献体の精神力、それらが揃って初めて赦される神への冒涜である。 「brusquement 《荒々しく》、rapide 《速く》、au-dessus《高くその上に》、Sleipnir《スレイプニール》」 陣円が空色に変化、同時にクトウを包むオーラもそれに応じた。空色が宙を駆け、触れた者の機動力を向上させていく。 次々と色彩を変えるオーラ。防御力、回復力、思考速度、あらゆるスペックを万を超える個体それぞれに合わせ調律していく指揮者。聖域の輝きに劣らぬそれらを受け、勇猛果敢なる戦士達は獣と激突した。 「「「「「「「「オォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ」」」」」」」」 遅い来る獅子の爪を前衛の盾が受け止め後衛の爆薬と銃弾による一斉射撃が大鮫を貫き、攻められる前に近接部隊の剣が槍が大蛇を仕留めていく。上空から翼竜が襲い来る。 「頭が高いですよ畜生めが!」 指揮者が宙を仰ぎ両腕を展ばした。 「失せなさい!」 全陣営上空を覆う無色《いろなき》結界が展開され大鮫と翼竜が衝突していくそばから消滅していく。 対異獣結界オリハルコン、接触した異獣の特性を瞬時に解析し反属性の波動を精製する事で対象を消滅させるクトウの持ちえる究極の神術である。発動に用いる詠唱を事前に行い身体に刻み付けることで弾数に制限があるもののタイムロスを克服出来ている。 歴戦の戦士、究極の神術。これを突破するのは容易ではない。 だからこそ、偉丈夫と機械は己の戦いのみを見据えられるのだ。
蒼氷と深淵が交差した。 「ふん!」 呼気一発。一瞬と呼ばれる僅かな間、宙に描かれる幾数の軌道から火花が散る。 空気を薙ぐ度に振動が辺りに拡散する剛剣を軽々と扱うヴァイスに対し、深淵の騎士は両の長剣でそれを捌き、隙を見ては急所に鋭い一撃を入れてくる。 威力ではヴァイスが、速度では深淵の騎士が互いを上回り実力は拮抗しているかに見える状況、だが偉丈夫は気が付いていた。 「はぁぁぁぁ!」 地から斜め上空に向かい払われた一撃により深淵の騎士は吹き飛ばされ空中で体制を立て直し、着地した。 「まさかここまで相性が悪いとはな、いやはや参ったものだ」 焦りを欠片も出さずに偉丈夫はのたまう。 何の事はない、人と異獣の身体差だ。僅かな傷さえも致命傷と成り得る人間に比べ、異獣の生命力は桁違いである。ならば二刀を用い手数が上回る異獣にアドバンテージがあるのは自明の理である。 「覚悟していたとはいえ我が剣をここまで捌くか、成る程心躍る。確かにこのままであれば私はいずれ力尽き勝機はない、ならば……」 偉丈夫は再びセルシウスを正眼に置き、強敵に向き直った。その刀身の輝きは周囲の光を吸い込んでいるように見える。 「一撃でカタを付けさせてもらおうか、悪く思うなよ」 騎士が再び迫る。ヴァイスが勝負を短期に持ち込もうとするならば、更にそれを上回る速度で決着をつける腹積もりなのだろう。 「上等、推して参る!」
白夜の騎士を中心に疾走しながら、マキナは弾丸を浴びせていく。 対象の防力は鉄壁だ。左右に構えられた大盾はマキナの弾丸を苦も無く防ぎ、どのような角度から狙おうと反応し、可能な限りエネルギーを引き上げた射撃であろうと傷一つ付かない生きた要塞。 -ポイント確認 しかしマキナも闇雲にエネルギーを消費していたわけではない、本来マキナの戦闘スペックはオフェンスに比べディフェンスに比重が置かれている。確実な洞察眼により殲滅対象の攻撃を見切り、探り出したウィークポイントに殺撃を叩きこむ、それがマキナの戦術である。 戦闘開始から13分49秒が経過、機械はこれまでに得た情報から対応策を弾き出した。 白夜の騎士は上空からの攻撃に対して僅かに反応が鈍り、その際盾の縁を、即ち最も装甲の薄い部位を使用する頻度が極めて高い。6分27秒前から地上での疾走射撃のみに集中することで対象の意識の中から空中射撃への注意は希薄となっている筈だ。 マキナが一気に弧を描きながら上空10メートル付近まで跳躍し白夜の騎士の真上へ到達。 -ファイア 瞬時にエネルギーを銃身に圧縮、球体状の弾丸を精製し最大火力を叩きこむ。 データに従うかのように白夜の騎士の反応が遅れ盾の縁で弾丸を防ぐ。上空からの圧力に耐えかねたのか白夜の騎士が初めて膝を着いた、弾丸の勢いも更に加速しより一層の重圧が騎士を襲う。だが、銃弾が盾を貫く事はなかった。 -回避 マキナが着地した瞬間を狙い撃ち、騎士は盾を滑らせ弾丸を投げ返した、白夜の騎士はデータにない新たな戦法により自身の窮地を好転させたのである。 右方向へのステップにより回避成功、体制を立て直す。 -ミドルシフト、刀剣形成 銃身周囲にエネルギーが拡散、収束し刀身を形成する。 -対象の進化を確認、成長速度を考慮し行動パターンを再演算。 進化と言う表現に誤りはない。外見的変化は現れなくとも、白夜の騎士はマキナに合わせ思考を成長させている。このままでは時間の経過と共に進化を続け、やがてマキナは完全に封殺されるのは一目瞭然である。 -戦闘をミドル、クロスレンジに移行、短期決戦開始 白夜の騎士に盾によるカウンターが有る限りロングレンジによる射撃は通用しない。刀身を用いるミドル、徒手によるクロスを組み合わせ手数で防御を突破する。 刀身を腰だめに構え突きの姿勢をとり、足元を踏み締めマキナは疾風と疾走。息つく間もなく白夜が眼前に迫った、正に今。 歌が聖域を満たした。 -これは マキナの疾走が鈍り、やがて静止した。 空間を包むのは聖歌だ。鈴の音を洗礼させた透明感、オーケストラにも勝る存在力、幾百の祝福が折り重なり紡がれる人の言葉(ことのは)ならぬ神秘の旋律、福音。 だが、神秘が祝福を与えるのは人ではない。神に愛でられ、歌を与えられたのは人に仇なす獣達だった。 -身体脱力 眼前の白夜の騎士、ヴァイスと対峙する深淵の騎士を中心に全ての獣が神秘を奏でている、天を仰ぎその身を祝福に浸している。 しかし、それは祝福から溢れた人間にとっては猛毒でしかない。僅かでも耳にすれば常人であれば発狂し、幼い子供ならば即■は免れない呪詛。かつて人類を、エーリュシオンを絶望へと追いやった力だ。 「けは、けは、けは……」 「うぐぬぁぁぁぁぁ!」 呪詛が人を■に向かって祝福する。 「いやだぁ、いやだぁ、■にたくないぃ!」 「誰かぁ! 誰かぁ!」 「け、もの、ごときがぁ!」 福音を浴び精神が錯乱、次々と倒れながら戦士達は■の恐怖を前に戦意が消失していく。アンドロイド部隊も統制者を失った影響によってセーフティが起動し行動を停止した。さしものマキナも福音により四肢から膂力が抜けていき地に伏すしかない。 -状況確認 マキナから見て右方向へ約10メートル、ヴァイスは大剣を支えに辛うじて立ち尽くしているものの長くは持ちそうにない。 左へ約20メートル、クトウを中心とする部隊も次々と戦士が崩れ落ち陣形は崩壊していき、クトウも気を失わずとも膝を着き頭を垂れている。 -対処 激痛を強引に払い、襲い来る複数熱の刃をこちらも刃で弾き、続きざまの強襲、上空の爆撃は躱し、側方からの銃弾にMW9の銃身から刃を射出し纏めて叩き落とす。 -排除 容赦無くマキナは弾丸を放つ、総数にして24発は全てが対象を射抜き絶命させた。 絶命したのは獣ではなく、人間。福音の効力により錯乱に堕ちた兵士達。混乱は陣営をほぼ完全に飲み込んでしまった、同士討ちから一方的な残虐まで阿鼻叫喚は段々と強大となっていく。こうなれば福音の致■に併せ大規模な自壊までが起こり全滅は免れない。 そんな中、ただ一人立ち尽くしている者が居た。 -ラッツ・セシル、不確定要素 マキナを含む数5万1の戦士の中、唯一スキル不明である少年。彼のみが阿鼻叫喚の最中平然と佇んでいる。 「みんな! どうすれば……どうすれば!」 現状に混乱したらしく、ラッツは狼狽えまともに仲間の救助を行えていない。 -不確定要素よりシュミレート、完了、問題点同時浮上、シュミレート結果に影響の可能性大、考慮上からプラン決行決定、ラッツ・セシル福音への抗体有りと判断、現状挽回開始 「……ラッツ戦闘を許可する!福音消失までクトウを■守しろ!」 「は、はい!」 ラッツはサバイバルジャケットからナイフを抜き構える。刃渡り狭く刀身も短い心許ない刃、それに映るのは怯える少年だ。 -問題点滴中 ラッツを初めて見た時から予測出来ていた事項。少年は異獣との戦闘経験が皆無なのだ。異獣とエンカウントした際から少年の呼吸数上昇を確認している、極度の緊張による身体症状の出現だ。 福音は特徴として発動から約5分程で消失、使用後の異獣は一定時間弱体化するとデータに記載されている、現状では陣形の要であるクトウを■守、体勢を立て直し反撃を狙う以外打開策はない。少年の活躍に、持ち堪えるか否かに部隊の生■はのし掛かる、僅かに百秒間、少年にとっては途方もない空隙だ。 踏み出してきたのは炎の獅子だ。少年を噛み殺すには獅子一体で十分だというのだろう。 「こ、ここ、来いよ赤猫野郎、クトウさんはや、やらせないぞ!」 震える唇、伝わる焦り、虚勢を張っているのは傍目からでも認識出来る。 獅子が襲いくる。その爪が、牙が、瞳が少年食い殺そうと駆け出してくる。 「うわぁぁぁぁぁ!」 ナイフを両手で握り締め、ラッツは右の爪を受け止める。辛うじて弾き返すも続けての左爪を右肩に喰らい鮮血が飛び散る。更に畳み掛ける猛攻は止むまず少年を裂いていく。 「あがぁひぐっ!」 右肩の肉の隙間から砕けた骨が飛び出し撒き散り、勢いによりバランスを崩しラッツは仰向けに倒れた。 獅子がラッツに馬乗りに重なり、凶悪な牙が並ぶ喉奥に明かりがちらつき始める。口腔を充たした炎が吐き出されラッツを焼きつくしていく。だが、高熱が漂う最中聞こえる筈の断末魔は響かない。肉が焼け焦げる異臭もなく、代わりに届いたのは獅子の咆哮。 普く轟く悲鳴と共に獅子が消滅し、そして福音の発動からきっかり五分が経過、呪詛が鎮まり静寂が辺りを包む。しかし妙な事に砕けた右肩以外ラッツに外傷は見当たらない。肌に火傷はなく、焼け爛れているのも衣服のみだ。 ラッツの左手に握られているナイフに獅子の体毛が付着している、恐らく辛うじて一撃を入れたのだろうが、何故あの脆弱な刃が異獣を倒し得たのか如何せん不明である。 「た、いちょう、やりました、クトウ、さん、を護りまし、た……」 マキナの身体に膂力が戻りだし、生き残った戦士も再び立ち上がっていく。皆相当に消耗したらしく戦闘続行は困難だとマキナは判断した。 -現状の打開を最優先とし、戦闘終了後ラッツ(不確定要素)を言及 「よくも、よくも……まぁ……ここまで虚仮にしてくれました……ねぇ……」 跪いたまま、福音にも劣らない呪詛を込めクトウが怒りを口にする。 「それで、も一つだけ良い誤算がありました、お陰さまでこ、の術式も完成しました、しねぇ……」 オリハルコン同様の無色がクトウを中点としながら空間を染め上げていく、浄化とも見て取れる光景。 「失せなさい……畜生めが!」 無色が染め上げた空間からオーラが噴き出し触れた獣が虚空へと却っていく。叫ぶことなくその身を光に委ねてながら。 守護結界オリハルコンと対をなす猛追結界エクセリオン。オリハルコンの波動を広範囲に散布することによって異獣をも消し去る第二の究極結界である。オリハルコンに比べ広範囲を対象にする高威力を発揮する反面発動に時間を要する不勝手から使いどころを選ぶ術式であり、故にマキナはクトウに指示を出さなかったのだ。 だがクトウは福音を逆に利用し詠唱時間を確保していた。福音の発動中異獣は行動が不可となるだけでなく、発動後は福音の反動により弱体化した異獣に対しエクセリオンは通常以上の威力を発揮している。どこまでもしたたかに、指揮者は敵の奥の手すらも利用し自らの演奏を完了させたのだ。 瞬く間に獅子、大鮫、大蛇、翼竜が消滅。 「人間を舐めた報いですよ」 クトウによる裁きにより、残るは結界から炙れた黒と白のみ。
「……これが福音、初めて喰らったが危うかったぞ。黒いの貴様、剣で語り合うのではなかったのか、私の思い違いと言うならば私もまだまだということだな、同じ剣士として敬意を表しているのかと思いきや、所詮は獣に過ぎなかったか」 福音による激しい激痛に耐えながら、偉丈夫は地に突き刺していた大剣を後方へと振り被る。 眼に怒りを、胸には相手の力量を測り損ねた己の未熟さを携え、決闘を終結させる為に。 黒の騎士も切り札である福音使用により動くことすら儘ならないのか、手から長剣を落とし立ち尽くしている。もはやヴァイスの渾身をかわすのは望めないだろう。 「……我が怒りに身を焼くが良い、剣の獣よ」 怒りの形相を露にヴァイスは大地を蹴った。すれすれの低空疾走、蒼氷の刃から迸る光流があふれ出し偉丈夫は更に加速する。 それに合わせ大剣の刀身に浮び上がる氷雪を連想させる術式、これこそがイリオス最強者にのみ与えられる氷精の加護。神に反逆せずとも神力解放を可能にする奇跡の一つ。 「極!」 横薙ぎの一閃、動かず大木とある黒の獣の胴体を二つに斬り裂いた瞬間、光流は勢いを増大させ、その熱量をもって黒の獣を蒸発させていく。 抗うことなく偉丈夫の怒りそのものに滅された獣は黒の光へと還っていき、後には偉丈夫の後悔のみ残り、漂う。 「大剣セルシウス、周囲の光を溜め込み解放することで全てを滅する氷の剣。かつてイリオスから光を奪った氷の精霊セルシウスが産み出したとされる霊剣である。悪戯好きの氷の精霊は人々を困らせるために自らの操る氷と雪にイリオスの光源全てを隠し、人々を暗闇へと沈めてしまった。氷の精霊は人間の苦しむ様を見ては腹を抱え、自らの行いに罪の意識を感じる事すらなったという」 もはや消えてしまった獣に向かい、偉丈夫は己が戦いの信念を語り始めた。あれほど激しく燃え上がっていた筈の怒りは何処かに置いてきたのか治まっているようだ。 「しかし、その姿に怒りを覚え一騎討ちを挑んだ一人の剣士により打ち倒されることで、己の愚行に気付き、心を痛めたセルシウスは自らを砕き鍛え一つの剣となり、人々を護る事で罪を償う道を選んだ。セルシウスを打ち倒した剣士により建国されたのが光都イルド、我が祖国であり私の誇りの都だ」 黒の獣の立っていた箇所、ヴァイスはセルシウスを突き立てた。蒼の大剣を墓標に見立てヴァイスは続ける。 「私は、私の誇りを護るためこの戦いに参じた。その中私と同じ、仲間を護るため戦う貴様を眼にして、嬉しかったのだ、獣の中にも誇りを持つ者が居るのだとな。だからこそ悔しかろう、貴様もあの様な物は使いたくはなかったのだろう」 剣を交えたからこそヴァイスには理解出来る。福音発動の瞬間、黒の騎士は自らを獣へと堕とした。ヴァイスとの決着という騎士としての誇りを、敬意を捨て仲間の勝利のために望まぬ旋律を奏でたのだ。 だからこそヴァイスは彼を獣として葬った、自らの醜態を恥じる者を騎士として斬るのは侮辱以外の何物でもない。 「貴様がもし人であったなら……どれ程の好敵手と成り得ただろうか……私は怒ろう、貴様の武人としての誇りを貶めた世界の理を……」 誇り高い騎士であった光を蒼氷が吸い上げる。刃の中で他の光と混じりあい、やがて一つになった。 「いつかまた、剣を交わそうぞ、剣の騎士よ」 セルシウスを誇りと共に背負い、偉丈夫の戦いは決着を見た。
-ミドルシフト、アクション 再起動した機械の針穴を通す精密動作が騎士の大盾、躯体をを削り、盾の騎士は声にならない悲鳴を上げた。騎士の完璧とも言えた防力は見る影失い、もはや頼れるのは己の躯体が有する硬度のみ、勝敗は明らかにマキナに微笑んでいる。 欠片の慈悲も宿さない鋭利な刃が走り対象を切り刻む。少しずつ、しかし確実に絶命へと近づく恐怖に駆られたのか、白夜の騎士は更なる進化を見せつけてきた。 「ーーーー!」 騎士の無音の叫びに混じり硝子の破砕に似た音が鳴り、マキナの刃が静止する。 白刃取り。盾を失いなす術無い騎士が新たに見出した防力、刹那を見極め初めて掴む護りの極意を会得したのだ。 続けて白夜の躯体が輝きを放ち初める。熱量として肌を炙るそれはマキナの警報を刺激した。 -対象の自爆を予測、緊急離脱 しかし騎士は驚くべき膂力により刃を掴み離さない。全身全霊を掛け責めてものマキナを道ずれにする思惑だろう。 刻一刻と迫る最後の瞬間。だがそう安安と付き合うマキナではない、このような戦闘は過去にいく幾度も経験している。 -刀剣キャンセル 騎士の両手が宙を掴んだ。なんの事はない、振り切れないのであればこちらから刀剣を消滅させればマキナはフリーとなり回避も容易である。 だが、機械がとった行動は回避ではなく攻撃であった。MW9から流れ込む神力エネルギーにより自身の神力を高速刺激、爆発的に強大した神力を右腕に集約し手刀として白夜の胸中に叩き込んだ。自爆の効果範囲が不明である以上、阻止行動をとるのが最善であるからだ。 背部まで貫いかれ騎士は完全に意識を落とし、その躯体は粛々と白光へと還っていく。後には塵すら残らず静寂のみが鎮座した。 -対象撃破、状況確認 マキナは思考を切り替え戦況を観察する。黒の異獣はヴァイスが撃退に成功したらしく姿はない。他の個体はクトウのエクセリオンに掃討され、少なくとも視認は出来ない。 ー戦闘終了、所要時間47分58秒、被害確認 マキナはうつ伏せに倒れこむクトウに歩み寄り、肩を貸し起き上がらせる。 「よくやった、お前がいなければ勝ちの見込みもなかっただろう」 機械の称賛に憔悴した指揮者はいつもの皮肉で返す。 「……なんですか、このような惨事ですらマニュアルに従ったものいいですか、まったく」 マキナは懐のデバイスに命令する。 「被害を報告しろ、陣形を立て直す」 【被害報告、前衛23800人、後衛が13563人、残36563数人、要応処置。アンドロイドの被害は102体、残存個体7798体シャットダウン、要復旧時間35分26秒】 「クトウ迅速に治療に当たれ、一端帰還する」 「よろしいので? 作戦開始から一時間も経たずにそんな判断をしてしまって、そんなことをすればあなたの主君の顔が立たないのでは?」 「被害が当初の予定を大幅に超過してしいる、続行は不可能と判断した」 「まぁ、いいでしょう、実にあなたらしいとしか私には言えませんがねぇ」 クトウは少し離れた位置に集まっている生き残った戦士達に一人で近寄り、既に底をついた気力を絞り詠唱を唱え始める。治癒系統、とりわけ強力なものになれば詠唱は不雑化し時間も要する。その間、マキナは仰向けに横たわる不確定要素へと近づく。 「意識はあるか」 片腕を失い朦朧とする意識の中、ラッツ少年は返答をした。 「は、い、たい、ちょ……」 -意識レベル困難、重症と判断、治療を最優先 「よくやった、お前がいなければ勝ちの見込みもなかっただろう、今は休め、ただし帰還後何故お前が福音を無効化出来たのか言及させてもらう、記憶しておけ」 「は……ぃ」 クトウの時と同じくマニュアルに沿った対応を行い、マキナも休息に入るべくラッツの右隣に腰を下ろす。丁度のタイミングでクトウの回復神術が発動、暖かな微風が吹き抜け傷を癒やし消耗した体力を回復していく。性格に問題は有るものの、やはりクトウが優秀な術者である事には変わりなく、瞬く間に全てに浸透していく微風。ラッツの顔にも血の気が戻り出血も止まったが、流石に失った右肩は再生されず無残なまま、ラッツは気を失った。生き残った戦士達も一命は取り留めたらしく帰還には問題はなさそうだ。 つかの間の休息、皆の緊張が緩み始め、そして次の瞬間、豪鳴が轟き、眼前のクトウ達が、叩き潰された。 脚だ。紫紺の体毛に覆われた巨木を優に超える巨大な脚が墜ち、下に居たものを踏み潰した。 「なんなのだ、あれは…………」 いつの間に合流したのか、マキナも背後に立つヴァイスもが天を見上げている。その先に映る全身が紫紺の存在。腕の一振りで山一つ消し飛ばすのも容易である隆々とした筋繊維に頭部まで目視すら儘ならない巨体。プルートオーガ、現在確認されている異獣の中で最大体躯を誇る破壊者。 そう、深淵と白夜の騎士は王ではなく、自身の縄張りを荒らす愚か者を駆逐するため鬼が放った傀儡に過ぎなかった。真の支配者たる紫紺の鬼は傀儡の後始末なのか、憤怒に身を任せ現われたのである。 機能停止しているアンドロイドを踏み砕きながらオーガがマキナへと歩を進める度地が歪み、空気が振えあがる。歩みという移動手段ですら空間を支配する存在圧、正に支配者を名乗るに相応しい。 「マキナ殿少年を連れて逃げろ、この怪物は私が食い止める早く!」 「何故だヴァイス」 「あれは我らの戦いを見ていたのだろう狙いは恐らく貴公だ、獣ながら貴公がいる限り幾度も攻め込まれるのを理解している、だからこそこの場に出てきたのだろうよ、だからこそ早く逃げるのだ、貴公が■ねば各国の士気は折れ二度と立ち上がれん!」 返答を待たずにヴァイスは再びセルシウスを解き放ち、地を蹴り天高く跳躍した。 「セルシウス! 今一度力を放て!」 降り下ろされる渾身の一太刀、そこからだ、岩すら苦もなく砕き割る武人の猛攻は止まることなく続く。 「うぬぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」 雨などと表するのは最早滑稽、嵐だ。 嵐が咆哮を上げている。鬼の腕に、胸に、脚に偉丈夫は地を蹴り跳躍しすれ違う刹那、必撃とも言える嵐を浴びせ鬼を抑え込む。 しかし、傷はつかない。嵐は鬼の体毛を撒き散らすだけ、金剛石をも凌ぐ鬼の体表は偉丈夫をただただ嘲笑うかのよう、微動だにしない。 遂に鬼が自ら動いた、跳躍中のヴァイスを右手に軽々捕らえ握り締める。周りをうろつく小蝿をはらう動作と何ら変わりない一挙動。最たる武人も所詮は人、鬼には抗えきれない。 「マキナァァァ早く! 貴公が終われば全てがぁ!」 鬼は偉丈夫を弄ぶんでいる。一思いに殺らず手掌に強弱をつけて武人の苦しむ姿に幸悦している。マキナと同じ、他を逸脱した存在。違いがあるとすれば其処に感情が有るか無いかだ。 鬼は怒りながら楽しんでいる。縄張りを荒らした害虫を間引き、潰し、庭を掃除する快楽で怒りを洗っている。 そして、その感情こそが隙を生む。 -ヴァイス意識混濁、■亡後、逃走開始 エーリュシオンに撤退するには、侵攻時に使用した転移門を利用する必要がある。門の位置は鬼の後方約100メートルにある神力で描かれた水銀色の円陣。飛び込みさえすれば瞬く間もなくエーリュシオンに辿り着ける。 そして、あの手の異獣は殺戮を恭とする傾向が強い事が多い。獲物を焦らしに焦らして嬲り殺すことで最高の絶頂に身心を浸すのだ。それこそがマキナにとって最大の好機。流石の機械と言えどラッツを抱えての疾走となればどうしても通常に比べ失速してしまう。ロスタイムを補うにはこれ以外方法はない。 -撤退開始予想37秒 意識を、神経を、身体の全ての五感を鬼の一挙一動に這わせ、その先に見えた予測された未来。それは機械と少年、二人の生への切り口であり、同時に偉丈夫の■の瞬間だ。 -カウント10、9…… 時が迫る。 -6、5…… 鼓動が静から動へたぎり出す。 -2、1…… ヴァイスが一際呻き声を上げ、それも消えた。 -零 同時に機械の脊髄がスパークし、体幹から絞り出した膂力を下肢に送り込み、全身をバネとして疾駆する。ラッツを落とさぬように抱き抱え、最短ルートである鬼の股下を通過し、後はエーリュシオンまで一直線のみだ。 虚を突かれた鬼はあからさまに、マキナを追いきれていない。 上半身を捻りマキナとラッツに襲い掛かるが明らかに機械の方が速い。 見る見る脱出口に近づき、正しくあと一歩。だが、鬼の狙いは二人ではなかった。 鬼は覆い被さるように倒れてくる。狙いは脱出口である転移門、体勢などお構い無しに重力で加速した巨体が落下してくるのだ。このままでは二人も巻き込まれる、否、それも鬼の思う壺なのだろう。 異獣の王たるプルートオーガ。流石に只の木偶の坊ではなかった。 -緊急回避、左方向へ跳躍 脳からのインパルスが伝える方向へ身を投げ出し、ギリギリの境で躱しきる。巨大故に鬼は立ち上がるのに時間が掛かると予測され、数分は安全圏だが、退路を断たれた。転移門は破壊され生き残るには鬼を倒し異界の門を突破する以外にあり得ない。 -マキナ単体による正面突破成功率低、他の打開策無し しかし、機械の頭脳は優秀であるが為に自ら可能性を潰してしまう。 絶体絶命。 人の中で最高の強者を集めた集団を、こうも容易く獣は引きちぎる。何故ここまで獣が人という種に憎悪を抱くか、それは誰も明らかにしてはいない。だが確かなのは獣の憎悪は底が知れないと言うことだ。 機械と少年は逃げ切れない。 いや、逃げられない。 何処に隠れようが聖域に居る限り鬼は二人を見つけ出し、確実に仕留めるだろう。 巨体が身を起こし始めた。地に掌を突き、山をも持ち上げるであろう腕力が地に亀裂を入れる。 その時である。マキナの胸元から声が聞こえた。 「…………たいちょう……ご、ぶじ、ですか……」 弱々しく掠れた、しかし意思の籠った声はラッツ少年だ。 「気が付いたか」 「はい……げんじょ、う、は……」 「深刻だ、場合によればお前を置いていく、覚悟しておけ」 機械は冷徹に現実を突き付けた。別段マキナが生を欲しているのではない、ラッツを連れていようがいまいが生存率は低いまま大きな変動は無い、それだけの事だ。 仮にラッツに可能性があるならば、マキナは少年に全てを託し、逃がす事に全力を注いだだろう。 だが、機械が未来予測の要因から度外視していたこの不確定要素(少年)に、最後の希望は宿っていた。 「…………お、れが」 気を失いながらも、片時も手離さなかったナイフ。少年は心許ない武器を手に、マキナの胸からよろよろと立ち上がる。 「おれ、が、や、ります……隊長は、護ります……」 「不可能だ、お前は俺に比べ弱い、大人しくしていろ」 「……隊長、この、作戦、バ、イ、コンの意味、それを、お見、せ、します」 -作戦名の意義 双角の鉄槌(バイコーン)、人類全ての憎しみの根源たる裏切りの神徒(アヴェスター)を、渾身の二撃により葬りさる事を信念とする作戦名。 残された片腕に力を込めて、少年は残った精気を瞳にたぎらせる。手に握られるナイフ。赤の獅子を奪命した少年が持つ唯一の牙だ。 「二撃の内の、一撃……」 とぼとぼとラッツは鬼に近づいていく。その足取りは今にも挫けてもおかしくはない。右右へ、左へ、不規則な道筋を歩みながら、一歩、また一歩と鬼に迫っていく。 鬼の左足、唯一地に着いている鬼の体。少年は、そこに脆弱な牙を突き立てた。深々と根本まで肉に埋まったナイフ。ヴァイスの大剣すら凌いだ身体に傷を負わせたのは進歩である、しかし鬼からすればそんなものは痒みにすら感じないだろう。 だが、双角の最初の一撃はそこから始まる。 少年の全身の皮膚から鋭角な刻印が浮かび上がり、そこから気が立ち込めた。赤、青、黄、緑、白、黒。全ての色を内包する神の力。 神力の解放。しかもその膨大さは他と比べようもない程に強大であり、瞬時に鬼を飲み込み喰らい始める。 鬼がもがき苦しみ、のたうち回る度に大地が戦慄き悲鳴をあげる。オーラは確実に鬼の命を蝕んでいる。証拠に紫紺の体は崩壊を始め、このままならば鬼を打ち倒す事が出来る。 しかし、マキナは気付いていた。 -ラッツの放出神力、及び身体耐久力を比較、プルートオーガ撃破率百%、ラッツ生存率零と予測 そう、少年の身体はあのままではもたない。傍目から見て明らかに、彼が放出している神力は全盛期のクロノスに匹敵している。 ラッツの体表に現れた刻印は全身を隈無く走り、小さな身体に秘められた微弱な神力を何十倍、何百倍に跳ね上げているのだろう。そのような過負荷に脆弱な人の体が耐えられる筈もない。 これこそがゴドウィンがラッツの能力を秘匿した理由。 ゴドウィンは異界の門における戦闘により、マキナ以外の戦士は生き残れないと踏んでいたのだろう。いかなる化物に遭遇するとも不明な戦場、そこで生存するには感情を超えた合理性が必要となる。5万の中に純粋な殺し合いでマキナを上回る者はいない。ならば雑兵を周りに駆逐させ、親玉を仕留める為の槍を一振り用意しさえすれば、マキナを門の先に送り出せる。 マキナを真《まこと》の戦場に送り出す、それこそが双角の第一撃目であるのだ。 マキナは、コートの内ポケットに忍ばせた先達からの贈り物であるデバイスを握り締めた。恐らく秘められた機能が搭載され、マキナ単体であろうと天域を落とせる威力を秘めた兵器だとするならば、第二撃目は兵器を用いるマキナ自身なのだろう。 何もかもが、先達の手の平で踊っている。49999の戦士、一人の少年《一振りの槍)》、全てが機械を生かす為の手段に過ぎなかったのだから。 ゴドウィンの思惑を理解した上で、マキナは今後の方針を変更した。 -エーリュシオンへの撤退不可能、プルートオーガの撃破可能と予測、よってマキナ単体により作戦を続行するものとする 機械は目的達成の為のパーツに過ぎない。あらかじめ定められたレールが有るのならば、そこから外れないように走るだけだ。 やがて、鬼だけでなく少年の身体も崩れ始めた。皮膚からだんだんと内側へ向かって粒子となっていく幼い少年、激痛を感じるどころか、最早彼に意識はないだろう。自分の願い、獣へ復讐するために彼は命を差し出した。ゴドウィンに利用されているのも承知の上だろう。気概に足りない実力を命で補った一人の戦士に、機械は上辺だけの賞賛を送る。 「よくやった」 繰り返される。 「よくやった、お前が居たから、俺は先に進める」 対人コミュニケーションマニュアルに従い、限りの無い賛辞を戦士に。 「ラッツ・セシル、俺は、お前を忘れない」 塵も遺さず、鬼は消え去った。ラッツも共に逝った。戦闘開始から五十六分十七秒、一体の機械を残して、第一撃は見事に終わりを迎えた。 休む事なく、機械は歩み出す。 疲労で重みを増した両足を無理やり動かし、前進する。今は異獣の巣窟から脱け出すのが先決であり、回復は後回しだ。 機械はどこまでも冷徹だ。たった今の決戦をすでに過去の記録とし、次の行動に移っている。 感情は要らない、有るのは任務の達成、主に捧げる勝利。歩と共に、向かっていく。 光の聖域を抜けた先、真の戦場《いくさば》を目指し。 聖域の終わりが見えてきた。地に渦巻く、朝焼け色のエネルギー。そこへ飛び込めばもう引き戻せない。 否、引き戻すなど許されない。 -周囲に敵成体反応無し、侵攻開始 右足を踏み出し、渦へ飛び込む、正にその時、後頭部を熱と衝撃が貫いた。脳が揺さぶられ、意識が遠退いてく。 「かっ……」 謎の襲撃に襲われ意識を飛ばしたまま、機械の身体は朝焼けに呑まれ、聖域には光だけが漂い続けていた。
第二章 偽りのマキナ
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暖かく包まれていると、自分のいる空間をマキナは認識していた。 瞼を閉じていても分かる、自分を包み込むのは日の光だ。暑すぎず、涼しすぎず、心と体を癒す優しさだと通常の人間ならば考えるだろう。僅かに瞼を透過してくる橙色の温度がそう告げている。 しかし悲しい事に、機械にしてみればそんなものは周囲の状況把握の要素《ファクター》に過ぎない。肌で感知する微かな空気の対流から陸地である事、ふわりと漂う花の香り、気温からして平地に近しい高度であると自分の位置するポイントの環境を予測し、マキナはゆっくりと瞼を開いていく。 涙液でボヤける視界が一段と橙色に染まり、次第と鮮明に映していく。 だが、何かが不自然だ、太陽光にしてはその橙色は鮮明過ぎる。それだけではない、それはマキナの顔を擽るこそばゆさがある、触れる事も出来る。 「よかったぁ」 耳に届いたのは少女の声だ。柔和に弾んだ快活なソプラノトーンが聞く者の耳に心地好い。 まず最初、視界に飛び込んできたのはより鮮烈な橙色をした綺麗な髪、ふわふわと緩くカールしたロングヘアーが頬を撫でてくる。 自分の状況を仰向けにベッドに寝かされているのだと確認すると、こちらへ背を向けてベッド脇に腰掛けている橙色が振り向いた。 「気がついたんだ。お〜い、聞こえてる? それ以前に言葉は分かる? 分かるなら名前言ってみようか?」 少女の相貌を言葉で表するなら、可愛らしい、そう表現するのに欠片も抵抗は有りはしないだろう。 パチリと開かれた翡翠色の瞳にアクセントの長い睫毛、肌も健康的な色をしており、何より橙色の髪に負けない程に、暖かな笑みをしている。 年の頃は二十歳に成るか成らないか、肩から膝下までを包むゆったりとしたクリーム色のワンピースが良く栄えている。 -後頭部に疼痛有り、外傷と判断、他の損傷部位確認開…… 「ちょっと〜」 少女の右手が伸びて、マキナの鼻をフニッと摘まんだ。 「名前、どうなの?ファッツユアネーム?」 「あっ」 迂闊だった、らしくもなく先の戦闘結果を考慮し身体の確認を優先してしまった。 「……トーマ」 「んっ?」 少女がゆっくり顔を近づけながら、聞いてくる。 「トーマ……それが君の名前?」 「うん……トーマ・カッツェル……僕の名前だよ」 室内の装飾。土で塗り固められた壁に板貼りの床、壁際には簡易な木製の机と小さな本棚が置かれている事から、民家と予測される。 ならば、この少女は民間人であると思われ、マキナは情報を聞き出すのに最適な人格パターンをマニュアルから選択した。当然トーマ・カッツェルというのも偽名の一つだ。 「……ここは、何処なの? 僕に何があったの?」 「あれれ、もしかして何も覚えていないとか、そんな感じ?」 少女はトーマ、即ちマキナの記憶が混乱している思った様だ、好都合である。 「うん、そうみたいだ……僕はどうしてここにいるの? アナタは知ってる?」 少女は立ち上がりトーマに向き直ると、右手人差し指で自分の頬をつつきながら、困った顔をする。 「う〜ん、それは君がここにいるのは私が見つけたからだよ、森の中に倒れてたから運んできたの……でも分かるのはそれだけかな、君が何処の誰だかは流石に分かりませんね」 「そっか……」 トーマはうつ向き、表情を曇らせる。当然演技である。 -異界の門突破成功と予測、現在位置把握の為、更なる情報が必要と判断 「ここは何て場所なの? 良ければ教えてくれないかい?」 「ああっと、待った待った!」 ビシッと、少女が両手を突き出し待ったを掛けた。 「そんなに焦んないの、せっかく朝ごはん時に目が覚めたんだから、食べながら話そ、オッケー?」 確かに強い空腹感はある、体力回復だけでなく、食事をしながらの会話と言うものは普段よりも人を饒舌にさせるものだ、ここは誘いに乗るべきだろう。 「うん、そういえば僕もお腹空いてるみたいだ、焦ってごめん」 「もう、男の子が簡単に謝らないの、ほら立てる?」 「うん」 トーマはゆっくりと体を起こし、ベッド下に置かれたサンダルに足を通す。服は上半身は脱がされ、傷口に包帯が巻かれている。彼女が介抱したのだろうか、結び目が適当だ。 「あっとそうだ」 ドアノブに手を掛けた少女が、思い出した様に振り向いた。 「二つ言い忘れてたよ、まず一つ目」 少女は左手でノブを握ったまま、右手の人差し指を立てる。 「君を手当てしたの私じゃないから、その結び目で私が不器用だなんて勘違いされたら嫌だからさ、お医者さんが来る前に勝手に巻いちゃったヤツだから気にしないで、そんなに大きな怪我じゃないみたいだし」 少女は少し呆れ気味に首を振りつつ、右手の中指も立てた。二つ目という意味だ。 「そしてもっと大事な事、自己紹介し忘れてたよ。私の名前はエリティア・エーヴェルバイン、よろしくね」 にっこりと華やかな笑顔を浮かべ、エリティアは片目をつむった。
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ドアの先にあったのは香ばしい匂いだった。 それほど広くはない、目に付く物は暖炉と真ん中に置かれた四人掛けのテーブル位である質素な、リビングとも呼べない部屋。注目が飛ぶのはテーブルの上、そこから朝時に寝惚けた胃袋も目を覚ます、カリッと焼けたトーストの匂いが鼻に飛び込んでくる。 それだけではない、トーストの盛られた大皿の隣には土製の鍋があり、蓋の隙間から柔らかくクリーミーな物も漂ってくる、多少スパイシーなので菓子類と言うよりは食事、クリームシチューだろう。 更に隣のボールには色鮮やかなサラダが盛り付けられ、早く席に付けと急かしてくる。なんとも贅沢な朝食だ。 「うんうん、我ながら惚れ惚れする出来ね。ほら、突っ立ってないで座りなよ」 「うん」 満足そうに腰に手を当てるエリティアに促され、トーマが席に着く。 エリティアも向かいの席に立ち、鍋掴みの代わりに厚手のタオルを使い鍋を開けた。 「じゃ〜ん、エーヴェルバイン家特製シチューだよ、これを食べられば疲れなかんか吹っ飛んじゃうんだから」 言いながらシチューをトーマの皿には並々と、自分の分は適量に二人分よそうと、エリティアも席に座った。 「うわぁ」 -内容物確認、接種可能な栄養素に不足無し、疲労回復に最適と判断 トーマとしての彼は空きっ腹を刺するぶつ切りの鶏肉やジャガイモ、ニンジンやタマネギに、思わずよだれを垂らしてしまう。知らず知らず木のスプーンを握っている程だ。 だが当然、それは仮の人格。マキナとしての彼は嗅覚、視覚をフルに使い対象を観察し、害がないか調べている。 -危険性無し、摂取可能と判断 「サラダは好きに取ってね、それじゃあいただきまぁ〜す」 「いただきます」 エリティアは元気よく、トーマは丁寧に食べ物に感謝し、食べ始めた。 トーマは小皿にボールからサラダを取り分け、先ずは新鮮な野菜で目を覚ます事にする。少々のドレッシングで味付けされているだけだが、新鮮な味を更に引き立て食欲をそそってくる。次に熱々の鶏肉を口一杯に頬張る、中からジューシーな肉汁が飛び出し、続けてそこへトーストを突っ込むと何とも言えない旨味が喉を通して身体に染みていく。 「うんまい、みんな全部美味いよ!」 一口水を飲み、熱くなった口を冷ますと、またサラダ、シチュー、トーストの順番で口に詰め込んでいく。そしてまた、サラダ、シチュー、トースト。どうやら終わりそうにない。 「あはは、そんなに食欲があるなら大丈夫そうだね」 にっこり笑みを浮かべながら、エリティアもスプーンを動かしている。女性らしくあまり量は取らないのか、一口一口を細かく切り分けながら口に運んでいく。何とも美味しそうな表情だ。 マキナの選択は正しかった。トーマ・カッツェルという少年は純真無垢であり、何事にも素直に感情を表すという設定である。出会い頭からフレンドリーに接してくるエリティアには相性が良いと判断したが、その通りだった様だ。 気がつけば鍋一杯のシチューも、山盛りのサラダとトーストも無くなっていた。二人はエリティアが出してくれた食後のお茶で一息吐く事にした。 「ふぅ〜」 お腹を擦りながら、エリティアがゆっくり息を吐く。 「おいしかったぁ、やっぱり誰かと食べるのは楽しいね、お腹も喜んでるよ」 「いつも誰かと食べてるの?」 「うん、まあね、小さい癖によく食べるからこっちも大変だよ」 「ふぅん、今日はいないんだね」 「う〜ん、そんなことはないんだけど」 「どういうこと?」 「う〜ん、てっ、それより今は君の事だよ、先にそっちの話をしよ」 うっかり忘れるとこだったと、エリティアは本題に触れる事にする。 「私が君を見つけたのは昨日の夜、この家の裏手にある森の奥だよ。あの森の真ん中に花畑があってね、私よくそこでお月見してるんだ、それで昨日もそのつもりで行ったんだけどそしたら君が頭から血を流して倒れてたからさあ大変、人呼んできて家まで運んでもらったの」 一旦お茶で唇を湿らせて、エリティアは話を続ける。 「お医者さんに診てもらったら頭の傷は出血のわりには大した事ないからって言われてね、他もほとんどかすり傷だったし、ホントにほっとしたよ、それでとりあえず一晩ウチに泊めてあげたってわけね、こんなとこかな」 「そっか……」 異界の門から天域へ踏み込む瞬間後頭部を襲った激痛、正体は不明だが大事には至らなかったらしい。 「ありがとう、お陰で僕は助かったんだね、本当にありがとう。えっと……」 ホンノリ頬を染め、トーマはもじもじとし始める。 それを見たエリティアもほんの少し首を右に傾けた。 「どうかした?」 「その、ね……あなたの事、何て呼んだら良いか分からなくて…………エーヴェルバインさんで良いかな?」 「……ぷっ」 エリティアは小さく吹いてしまった。 「ひどっ、こっちは真剣なのに!」 「ごめんごめん、エーヴェルバインさんなんて呼ばれたの久しぶりだから、なんか笑えちゃって。私の事はティアで良いよ、皆そう呼んでるし、君の事もトーマって呼ぶから」 「むぅ、じゃあティアさんで」 「よろしい、それでトーマは何か覚えてる事はないの? 住んでた場所とか、家族の名前とか?そもそもなんであんな所に倒れてたの?」 「……わからない」 トーマは力なく、フルフルと首を振った。 「どうして僕は森にいたのかな、家族はいるのかな、ダメだ、名前しか憶えてないや……」 「う〜ん、そうか」 エリティアは腕を組みうんうん唸り、トーマはしょげてしまった。 「それじゃあ、そうなるとこの先どうするかだね、君が目を覚ましたら町長に伝える事になってるから、その時に相談してみようか」 「そうなの?」 「そうなの、だいたい君をここまで運んだのも、お医者さんの代わりに服脱がせて包帯巻いたのも町長だし」 「そうなの!」 「だ・か・ら、そうなの」 ー事態好転 町長であるならば周辺地域の地理や情勢に精通している筈だ。情報収集には打ってつけである。 「そうだったのか、だったら僕もお礼を言いたいな、是非お会いしたいよ」 「じゃあ早速行こうか、今から行けばあの人も暇してるだろうし」 しかし、エリティアは立ち上がらず、テーブルに頬杖を突き、イタズラな顔で空になった食器を指差した。 「記憶喪失でも、一宿一飯の恩義くらいなら分かるかな?」 「えっと……洗わさせて頂きます」 「よろしい、外に井戸があるからそこでお願いね」 トーマは食器を重ねて持ち上げると、エリティアが次に指しているドアに向かって歩いていく。思いの外重みがあるので落とさない様に慎重にだ。 「ねぇ」 ドア前で、首だけでトーマは振り返り。 「怪我人にだけ仕事させるのはどうかと……」 「お医者さんにお墨付き貰ったから大丈夫、安心して良いよ〜」 「はは、わかりました」 苦笑いを浮かべながら、手が使えないので体でドアを押し込み外へ出る。 家の周りは質素な生け垣に囲まれ、トーマの立っている玄関の右脇には若い芝が茂ったそこそこ広い庭が見える、その端に家と同じ煉瓦造りの井戸があった。 井戸の横に洗い場があるので食器に泥が付く心配もない。洗い場に食器を置き、水汲み桶を放り込んで次にロープで引っ張り上げた。 並々と水の入った桶で、皿やスプーンといった小物から洗っていく事にする。傍目から見れば彼はただの少年、だが思考は別物に摩り替わっていた。 -情報整理、第一情報提供者の情報を仮定とし、マキナ自身の判断も含め身体に異常はなし、任務続行可能と判断、後に精密に検査し確定とする。現在地の名称、地理、生活レベル不明。後に接触予定の第二情報提供者から更なる引き出しが必要となる マキナの脳内で今後のプランはほぼ組み上がり後は行動するのみ、情報整理は淀みなく進む。しかし、たった一つの不可解があった。 -異界の門脱出時の後頭部への衝撃、原因不明。当事周辺における異獣の反応はなく、他の生命反応も皆無であったとデバイスに記録有り、原因不明 大物の鍋を洗い終わり、その中へ小物を入れたまま、まとめて持ち上げるとそのまま部屋へ戻る。 -原因の特定及び排除を最優先、後に任務を再開する 「ティアさん、終わったよ〜」 返事はなかった。 「すぅすぅ」 かわりに小さな寝息が出迎えてくれる。昨晩からトーマを看ていたせいか、疲れていたのだろう。机に伏せてエリティアが可愛らしい寝顔を浮かべている。 「もう、風邪ひくよ」 トーマは自分が寝かされていた寝室から毛布を取ってくると、エリティアにかけてやる。 お日様色の少女はどこかむず痒そうに寝顔をはにかませ、すぅすぅと寝続ける。 もう一度自分の席に座ると、トーマも机に突っ伏し、瞼を閉じた。 「おやすみ」 -エリティア《報提供者》睡眠の為に今後のプランを修正。体力回復の為仮眠開始 静かな部屋に、二つの寝息が深々と、凪がれていた。
3
「うわぁ寝ちゃった!」 透き通るソプラノボイスには勿体ない頓狂な声に刺激され、トーマは目を覚ました。目を擦りヤニを落としながら、あたふたとしているエリティアに起床の挨拶だ。 「おふぁよティアさん」 -摂取物消化良好、身体の活動向上の為、適度な柔軟を推奨 トーマは椅子から立ち上がる。 先ずは前屈、後屈、そして右と左に側屈をして体幹をほぐすとパキパキと身体が鳴り、締めに屈伸で膝と股関節を伸ばしてやれば、釣られて頭も冴えてくる。 「うん、おはよ……なんて言ってる暇ないよ! 早く行かないと時間なくなっちゃう!」 慌てていても椅子を倒すことはなく、しかし素早くエリティアは立ち上がり、表へ出ていった。 黒のコートを羽織るとトーマも後を追って外へ出る。 「ええと、今の時間だと……えと……うわぁもう時間ないよ!」 「ごめん起こせばよかったね、疲れてるのかと思って」 「……ううん、トーマが謝ることないよ、ただどうしよう、今の時間だとそろそろあの人が出かける頃だよ、間に合わない」 こめかみに右の人差し指を当て、眉根を寄せて、うぬぬと小さく唸っていたエリティアだが、やがて諦めた様に目を開けた。 「はぁ、しょうがない、諦めよう」 「そっか、そうだよね、わかったよ町長さんには明日にでも会いに行こ……」 「違うよ、町長には会えるから大丈夫、行き方を変えるだけだから」 「行き方を変えるって、どういうこと?」 「簡単だよ、天獣を喚ぶの」 「天獣……なんなのそれ?」 「それも忘れちゃったのか、わかった、教えてあげる。言葉より見せた方が早いし」 庭に向かって歩いていくエリティアにトーマは付いていく。 庭の丁度真ん中に立つと、エリティアはワンピースの胸元に手を入れ、中からペンダントを取り出した。当然最初からかけていたのだろうが、彼女の長髪に隠れて気付けなかったらしい。 ペンダントは変哲のない宝石だ。 八角にカットされているが、細工としては特に目立つものはないありふれている。 その代わりに、色は印象的であった。 真紅。 美しく、気高く、何より慈愛に溢れた母なる色。 クトウの深紅が持つ毒々しさは欠片も有らず、ただただ、見る者を抱く色合い。 エリティアは、真紅をそっと唇に近づけ、軽く触れる。 「……起きて」 囁き、真紅を真上に、空へと放った。すると、それは宙に留まり、内に秘めた輝きが溢れだし、やがて石を包み込んだ球状、卵となる。 「うわぁ」 トーマからは、感嘆のため息。 -類似点多数、危険性有りと判断 マキナからは、察知した危険性に対する警戒。 同じ身体で、各々の思考を巡らせている。 真紅から溢れ舞い降りてくる輝き。頬に触れるたそろからは暖かさ、いや、熱さが伝わってきた。 「熱! これって火の粉?」 -思考パターンを準戦闘体制に移行 そう、輝きの正体、それは生命の誕生を象徴する優しき熱、炎であった。 「行こう……母なる貴方(フェニックス)」 両手を拡げ、エリティアは真紅を仰いだ。瞬間、共鳴した真紅の卵に亀裂が走り、弾けとび、彼女は姿を現す。 羽毛の代わりに辺りを照らす優しい熱炎を、見る者を魅了する不滅の紅を纏った母なる存在。広げられた両翼、鋭利なくちばし、そして黄金(こがね)の瞳をした巨鳥は産まれ落ち。 くちばしから鮮やかな高温を発しながら、巨鳥はエリティアの傍らに舞い降り、寄り添った。 「久しぶり、ごめんね最近は喚んであげられなくて」 そっとエリティアに抱き締められた母なる貴方(フェニックス)。甘えてるのか、顔をエリティアに擦り寄せくぅくぅ鳴いている。 「う、うわわ、な、なんなのそれ!」 -予測的中、異獣出現を確認、身体を準戦闘体制に移行 トーマは驚き、思わず後ずさってしまった。当然だろう、いきなり目の前に怪物が現れて平然としていられる肝っ玉を生憎とこの少年は持ち合わせていない。 そしてマキナは襲撃に備え身構える。あくまで自然にトーマの動作に隠し、悟られない様にだ。 「うん? 大丈夫だよ、この子が私の天獣、母なる貴方(フェニックス)、けっこう大きいけどこう見えて甘えんぼだから、ね、母なる貴方(フェニックス)」 今度はくるると鳴き、巨鳥はよりエリティアにじゃれついた。その仕草は鳥と言うよりは、どちらかと言えば仔犬に近いかもしれない。 「もう、久しぶりだけど甘えすぎだよ。ほらトーマも、撫でてあげて」 「……熱くない?」 「熱くない熱くない。この子が許した人なら大丈夫だから」 「じゃあ、もし許してなかったら?」 「う〜ん、真っ黒焦げかな?」 「やだよそんなの!」 「あはは、ホントに大丈夫だから、だいたいこの子に乗っていくんだから、そんなんじゃ町長に会えないよ?」 「うぇぇぇ! マジで!」 今度は低めに巨鳥は唸った。怒っているのか。 「こ〜ら、そんな事も言わないの、この子が可哀想じゃない!」 「ご、ごめんなさい」 巨鳥も少女になだめられて落ち着いたのか、頭を軽く下げて、早く来い、と言うことか。 右手で触れると、熱くはなかった。ホカホカと暖かい羽毛の様な炎の肌触りに、トーマは内心息を吐いた。 「ほらほら、早く乗って乗って」 先に巨鳥の背に飛び乗ったエリティアに手を引かれ、トーマも隣に乗る。 すると、巨鳥は両翼を勢いよく羽ばたかせ始め、ゆっくり宙に浮かび出す。 「うわ、うわ!」 振り落とされそうになり、トーマは巨鳥に必■にしがみつく。横目でエリティアを見ると、彼女は慣れているのか、 軽々と身を起こし空を見上げていた。 「行っけぇ!」 主の掛け声。 真紅の巨鳥は瞬く間に天へ駆け上がっていく。 風に乗り、重力など無視した華麗な滑空。 空が迫る。 決して人の力ではたどり着けない遥かな世界に辿り着いた瞬間、少年の胸の内には恐怖ではなく、純粋な興奮による高鳴りが弾けていた。 「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」 つい、吠えてしまった。 「うおぉぉおおぉおぉおお!」 上空の冷たい空気に晒され、喉がキリキリと痛む。しかしそんなものは無視だ。 この壮大な解放感の前に、そんなんなものは無視してしまえば良い。 初めての感動を、興奮を、余すことなく身体に刻み込まなければなんだと言うのだ。 -フェニックス(接触物)に危険性無しと判断。準戦闘体制を解除、目的地到着までトーマ・カッツェルとしての行動を最優先と設定 マキナも選択行動を変更する。ズボンポケットに忍ばせたデバイスからシグナルを自身に投射、暗示から洗脳へとフェーズを進める。 -僕はトーマ、トーマ・カッツェル。記憶喪失で、行き倒れていた所をティアさんに拾われた人間。 思考の99%をマキナと切り離す。潜入に際しての人格変更に隙は要らない。仮に有るとすれば、緊急時に覚醒する、1%の殺戮機械《マキナ》である。 「うぉぉおおおぉおぉおお!」 更に叫ぶ、快感に酔いしれる。 もはや機械は眠りについた。来るべき時が来るまで。 「ほら、見えてきた!」 エリティアが眼下を指差し、その先を追うと、街が見えてきた。 周囲を円形の城壁に囲まれており、中央から十字に延びる大通りの周りに幾つもの建物が建ち並び、その隙間を埋める形で他の建造物が犇めいているのが観てとれた。 「母なる貴方(フェニックス)、彼処へお願い」 ピャアと一鳴きし、巨鳥は主の示した場所へと降下していく。 街の中央、そこに聳える教会前の広場に見事着地を決めた。 エリティアとトーマが背から降りる。見かけ通りの華麗な滑空のお陰か妙なふらつきは無いが、代わりに叫び過ぎた喉が先ほどよりも痛んでいる。 「けほっ、み゛す、けほ」 「トーマは叫び過ぎ、気持ち良かったのは分かるけどね。ありがとう母なる貴方(フェニックス)、貴方のお陰で間に合ったよ」 優しく撫でられる巨鳥は気持ち良さそうに鳴いていたが、エリティアが手を離した瞬間に表情《かお》を曇らせた。 「ごめんね、今の私だとこれ以上貴方を喚んでおくのはちょっと苦しいんだ。またちゃんと喚ぶから、その時はいっぱいお散歩しよ、ね?」 渋々ながらも納得したのか、巨鳥はエリティアから離れる、すると真紅の巨鳥は現れた時と同様に輝き出した、羽が風に流され火の粉へと変わり、やがて全てが炎へと還っていく。 炎の中から真紅の宝石が現れ、エリティアの手に収まると、炎は消え去っていた。地面に焼け焦げた形跡はなく、熱だけが残っている。 「こほ、何だったの今の鳥?」 少しはマシになった喉を右手で擦りながら、トーマはエリティアに聞いてみた。 「今のが天獣、神様がくれた、大切な人間の友達だよ」 「神様がくれた、友達……」 トーマは確かにあの巨鳥から明確な敵意は感じなかった。仮に異獣であったならば出現した瞬間にトーマは襲われ、反応したマキナによって八つ裂きにされていた筈だろう。 「うん、私の大切な友達だよ。そういう事も町長が詳しいから、行こう」 エリティアは迷い無く教会の門に向かって歩き始めた。 「ティアさん、町長さんに会いに行くんじゃないの?」 扉に手を掛けた彼女が振り返る。 「そうだよ、町長はこの教会の神父さんなんだよ」 「へぇ、神父さん」 先に中へ入っていく少女を小走りで追いかけて、トーマも教会内に踏み入る。 外見から相当な規模であることは分っていたが、内装を目にすると尚更見上げてしまう。 まず最初に一際目を惹くのは、祭壇上の天井に施されたステンドグラスだ。七階分は有るだろう天井の高さに、日の光を浴びた女神と天使が描かれた美しい芸術は誰もが見惚れる物だろう。 そして、部屋の面積も広い。千人は同時に祈りを捧げる事も容易い広さに長椅子が並べられている。 「こっちだよトーマ」 勝手知ったるエリティアは教壇脇の扉の前でトーマを手招いて待っている。 トーマはもう一度小走りで少女の側に寄る、すると少女は人差し自分の唇前に立て、しぃとした。 「この先に神父さんがいるんだけど、驚かないでね、ちょっと凄い光景だから」 「えっ?」 「約束、出来る?」 「よく分からないけど、うん」 「よし、じゃあ開けるよ」 エリティアが扉を手前に引いていく。 明かりが室内に入った瞬間、それは明かりと共に飛び込んできた。 「美しき筋肉は! 美しき筋肉に宿るぅぅぅぅぅぅ!」 「「「「「「「「「セイ! セイ! セイ! セイ! セイ! セイ! セイ! セイ! セイ! セイ! セイ! セイ! セイ! セイ! セイ! セイ! セイ! セイ!」」」」」」」」」 誰が想像出来ようか。2百人近い上半身の胴着を脱ぎ捨てた男達が一心不乱に正拳突きに励んでる光景が、教会の裏庭に拡がっていると。全く持って、暑苦しい事この上ない。 「…………何なの……これ」 半分放心していたトーマが隣の少女に問う。 「この暑苦しい人達みんな、神父さんのお弟子さんなの。なんて言うか、これもあの人の仕事なんだよ、うん」 「……どんな神父さんなの?」 「それはね、あんな人、オーイ!」 二人から少し離れた、二百人の門下生の前で激を飛ばす男が振り向くと、こちらに近寄ってきた。 ズンズンとした足取りの男は外見は五十半ほど、艶のある銀髪はぼうぼうに逆立っており、同じ銀の口髭が口元を覆っている。 脱いだ胴着を腰に巻き、筋骨隆々の肢体を露にしているその外見はどう見ても神父服と聖書よりも毛皮と棍棒がよく似合うだろう。 「ティアか! どうした突然! 何の用だ!」 見かけと同様、声もそうとう厳つい。 「もう、昨日の子が目を覚ましたら連絡しろって言ったのお父さんだよ?」 「むっ? そうだったか?」 「そうだよまったく、頭まで筋肉なんだから」 「なにおう! ティアお前親に向かってなんて口を……」 「そんな事言うなら子供達に言いつけるよ、神父さんが私をいじめたって」 「うぬ! 小癪な」 喧嘩する程に仲が良いとはこの事か。中々に言い争っているが、少女と神父の間に険悪な空気はない様だ。 「あ、あの〜」 そこへトーマが切り込んでいく、色々聞きたいことはあるが、先ず最初は。 「お父さん……なの?」 神父を指差し、エリティアに質問。 「そうだよ、さっき美しいきんにく〜、とか叫んでたこの人がこの教会の神父で、ここにいる人のお師匠さんで、私のお父さん、名前は……」 「ゼーゼマン・エーヴェルバインだ!」 豪快に腕を組みながら、筋肉神父は名乗った。
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窓から注ぐ光が照らすのは整然と壁に並べられた書籍の数々、そして窓際に置かれた花瓶の花。 光沢すら浮かぶアンティークデスクには湯気の立つ陶器のティーカップが三つとティーポット、砂糖とミルクの陶器が置かれ和やかな時に包まれた教会の一室。 しかし、そこに響いたのは似つかわしくない豪快だった。 「トーマと言うのかお前は! 生き倒れていたくせして一日で目を覚ますとは! 軟弱な成りをしているが根性のあるヤツ!」 「はは、は、どうも……」 ガシッと掴み、ブンブンと腕を振る熱い握手を交わしてくる筋肉神父は、厳つい顔にこれまた厳つい笑顔を浮かべてご満悦である。 つい今しがた稽古は終了し、今は暑苦しい胴着から黒のキャソックへと装いを変えてトーマを圧倒しているわけだ。そのキャソックも少々だぼついているのは、この男が自慢の筋肉に力を動かす際に、直ぐ脱げる様にとの工夫らしい。 「うん? なんだぁその軟弱な返事は! シャキッとせんかい!」 「はっはい!」 「うむ! それで良い!」 またブンブンと腕を振り回され、トーマは腕ごと体もガクガクと揺さぶられてしまっている。 見た目通りの筋力だ。 「はいはい。暑苦しい、むさ苦しい、汗臭いの漢祭り三点セットはそれくらいにして二人とも座れば? 話が進まないから」 「むぅ、そうか、久々に骨のあるヤツに出会えて我が美しき筋肉が高ぶってしまった様だ、うむ」 ゼーゼマンはトーマを解放するとエリティアの対面に座ると、自分の分のカップの中身をグビグビと一息に飲み干した。 「うはぁ、ティアおかわりだ」 「はいはい、コレ入れたてだから普通なら火傷しちゃうのに、お父さんよく平気だね」 「なんの、この程度我が美しき咽頭筋の前では屁でもないわ!」 ゼーゼマンは愛娘が注いでくれた紅茶をまた飲み干そうとカップを傾ける。 「トーマも座りなよ、一息ついて話しよ」 エリティアは自分の隣の椅子を引いてトーマを促すと、ニコリと笑んだ。 「うん、ありがとうティアさん、お茶頂くね」 「どういたしまして、お砂糖とミルクは?」 「それじゃあ砂糖を一つかな」 「はいどうぞ」 ポチャンと角砂糖を一つ、エリティアは紅茶に入れてくれた。ゆっくりかき混ぜてから口へ運ぶと、時間が経って冷めたお陰で程好くなった温度が花の香りと共に心地よく喉を通っていった。 すると、自然と気持ちも落ち着いてきた。ゼーゼマンに対して苦手意識が有るわけではないが、どうしても豪快な物腰には多少怖じ気付いてしまっていたのも嘘ではない。 ようやくこれで話を聞くことが出来る。 「ふむぅ、もう名前で呼びあっているとは、なかなか進展が早いのだな小僧?」 「ふぇ、そ、そんなことは! たださっきお互い名前で呼び合おうってティアさんと約束したからで……」 「ふはは、かまわんかまわん。、おおかたティアから言い出したんだろ? そんなことはわかっている。ただなんだ、記憶が無いにしてはやけに明るいからな、体だけでなく心も肝が座っているな、気に入った」 ニカリと、ゼーゼマンも笑った。顔つきはともかくとして、やはり親子だけあって何処と無くエリティアと似ているのだと今更ながら気がつくと、何故か親しみやすく映るのも不思議である。 そんな親しみやすい神父はカップを置くと、本題に入っていった。 「それで小僧、お前は何を知りたいんだ?」 「……この世界の事、全てです」 「全てだと?」 「はい」 トーマは、一息置いた。 「……何も分からないんです。ここが何て場所なのか、文化の事とか、ううん、そんな難しい事よりも、自分が誰なのかが一番分からなくて一番知りたい。その為に色んな話を聞いて思い出したいんです、僕は誰だっだんだろうって」 「ふむぅ」 ゼーゼマンが口髭に右手を添えて低く唸る。 「残念ながら小僧が何者なのか、それはワシにもティアにも、いや、恐らくこの町の住人に覚えの有る者はいないだろう。そこそこ広いとはいえ皆交流は盛んなのでな、知っているならば既に騒ぎになっている筈だ」 「……そうですか」 「だが!」 グッと立てられた親指がグイッとトーマに伸びてきた。 「こうして出会ったのも何かの縁《えにし》! このゼーゼマン・エーヴェルバイン、我が愛娘そして我が美しき筋肉に誓って力になろうぞ!」 「本当ですか!」 「うむ! 迷える子羊を導くのも神父の務めなり!」 「ありがとうございます! 神父さん!」 ガッツリと、今度はトーマの方から突き出されていた神父の手に熱い握手を交わしてしまった、それも両手で。 「おうよ! しかし神父と呼ぶでない!ゼーゼマンと呼べぇ!」 「はいゼーゼマンさん!」 「よいしょっと、二人とももうすんだ?」 「はっ!」 トーマはエリティアの声で我に還った。神父の熱さに当てられすっかり燃え上がってしまっていたのだ。 (筋肉恐るべし) 「男の子って単純だね。みんなお父さんに会うと変なテンションになっちゃうんだから」 「娘よ、それが漢というものぞ」 「残念、私は可愛い女の子でした。ほら、使えそうな本持ってきたから」 「おおう助かるぞ、では……」 ゼーゼマンはエリティアが運んできた三冊のハードカバーの中から一冊を開き、語り始めた。 「まず手始めにこの世界の歴史を話すとしよう、これを見てみろ」 ゼーゼマンが示したページには、一つの絵が描かれていた。 竜の吐く焔で燃え盛る大地に縛り付けられ絶叫を上げる無数の人々。その中から一部の人々が天からの光に導かれ救われている、惨劇と救済の画。 トーマはそれを食い入る様に見る。 「これがこの世界の始まりを意味している。かつて我らの先祖様は大地の神の怒りに触れてしまったのだ、神から与えられた奇跡により、人間同士であまりにも多くの戦を繰り返した挙句、他の種族にさえ影響を及ぼし美しい大地を破壊した為にな」 ゼーゼマンが竜を指差した。 「そしてこの竜が大地の神の怒りが具現したもの。我らの先祖様はこれを地獣と呼んだ」 「地獣……」 恐らくこれはマキナの世界で言うところの異獣を指すのだろう。話を聞く限りまず間違いないと思われる。 「そうだ、地獣は多様な姿で現れては人を喰らい、毒を撒き散らして世界を浸食し人間は絶滅の手前まで追いやられたのだ」 次に神父は人々を導く光を指した。 「そんな人間に救いを差し伸べたのが天の神だった。天の神から加護を受ける事の出来る神性を持つ人間に自らの力を与え救済を試みたのだ。だが時は既に遅かった、大地の神と天の神は拮抗した力を有している。地の神の領域である地上には、如何な天の神と言えど干渉するには限界があったのだ。だからこそ彼の神は選定を行うしかなかった」 ゼーゼマンが隣のページ、雲の上に巨木が聳えている画を指す。 「天の神は自らの領域である天上に新たな世界を創造し、そこへ選ばれし人間達を救い上げる道を選んだ、そしてその際人々を天上へ運んだ者が天の神の意思の具現、天獣だ」 「天獣……それってさっきティアさんが呼んでた」 「うん、そうだよ」 エリティアが胸元から真紅を取り出した。 真紅の宝石。 「この中に私の天獣が、母なる貴方(フェニックス)が眠ってるの」 「眠ってるって、どういうこと?」 「天獣はね、私たちのご先祖様をここへ連れてきた時に沢山消えちゃったの、天の神様が地獣を封じるのに力を使っちゃったから。生き残った天獣達も宝石《いし》に変わって眠ったの」 エリティアが雲上の大樹の画、それの下部を見るよう促した。其処に有ったのは、雲に縛り付けられた竜の姿。 「ほら、さっきの竜が捕まっているでしょ。ご先祖様は自分達だけ助かるのは嫌だったんだよ、だから天の神様にお願いして皆が助かる道を探したの。そして見つけたのが神様に地獣を封印してもらって、その間に自分たちが強くなって地獣を倒す道なんだ。いつか地上に帰る約束をして、だから私たちは大地の世界の事を約束の大地、エルサレムって呼んでるの」 「そして我らの天上の世界の名は最果ての約束、アヴァロン、永き苦しみの最果てにある幸福の約束をいつか果たすという誓いを込めそう呼ばれている」 大きい、大きすぎる。この世界アヴァロンの人間は、かつての同胞を助けるべく生きているというのか。 対して、救われる筈の世界は救い主を滅ぼし奪おうとしている。 互いが求める物は重なりながら、けして交わる事のない為に産まれる不協和音。 「約束を……果たすため……それがアヴァロン……」 トーマは、膝上で拳を固めた。自分の事で手一杯の少年には途方も無い事象だからだ。 「話はこれで一通りだが、どうだ少しは何か思い出したか?」 「……すみません」 トーマは首をゆるゆると左右に振った。 「何も、出できませんでした。あははダメですね、こんなに色々話してもらったのに全然ダメだ」 苦笑いしてトーマは俯いたが、直ぐに起き上がった。 今度は笑顔を浮かべて。 「でも、まだ全部じゃないから。知らない事も沢山あるし諦めません、必ず思い出してみせます、僕が何者なのか」 「うんその意気だよ!」 「うむその意気だ!」 親子が揃って意気込んだ。 「トーマは運が良いね、こんなにカワイイお姉さんが付いてるんだから大丈夫安心なさい、絶対に力になるんだから!」 「ワシも忘れるでない! 貴様の筋肉には見所がある! 美しき筋肉を持つ者にこのゼーゼマン協力は惜しまぬ!」 「……うん!」 力強く少年は頷き、ゆっくりと目を閉じた。 「ありがとう、見ず知らずの僕の為にここまでしてくれて」 「神父として当然の事よ。しかし悪いがタダ飯を食わすほどお人好しでもないぞ、少しばかりは働いてはもらうがな」 「ちょっとお父さん何させる気よ?」 「そうさな……」 口髭を弄りながら神父は黙考する。 「ワシは仕事柄なかなか家に帰れなくてな、その間はティアの事が心配で心配で仕方がない……」 神父は一瞬溜めて。 「なのでワシがいない間はティアの近くで見ていてやってくれ、頼む!」 「そんなことでいいんですか?」 「そうだよお父さん、昨日はともかくとしてもいきなり一緒に暮らすなんてトーマも流石に困るし、先ずは教会の空き部屋を使ってもらうとか……」 「じゃあかしいバカ娘が! お前もいい加減に自分一人の体ではないことを自覚せい!」 「それはそうなんだけどさ、流石に私もそこまでは考えてなかったから驚いたっていうかさ、本気なの!」 「ちょっと待って!」 テーブル越しに詰め寄る二人の間に二人のトーマが割り込んでいった。 「二人とも落ち着いて下さい! そもそもなんで仕事がティアさんと暮らす事なんですか? 僕は平気だけど、ティアさん一緒に住んでる人がいるんじゃないですか?」 「私、お父さんと二人暮らしだよ」 ティアがぶぅ垂れながら言った。 「えっ? でも朝ご飯の時に一緒に食べてる人がいるって、ゼーゼマンさんかと思ったけど小さい人とか言ってたから違う人の事だよね、大丈夫なの勝手に決めて?」 「それは平気だよ。この子まだ喋れないし、難しいのは分からないと思うから」 「この子?」 妙だ、この子という表現はこの場にいない人間を指すには相応しくない。正しく直すならばあの子が適切だろう。 「なんだお前、まだ話しとらんかったのか、大事な事だろうに」 「しょうがないじゃない、急いでたんだから……まぁ隠すことでもないし、大事な事だよね」 少女は、服越しでゆっくりと自分の腹部を撫でた。 「ほらトーマ、ここにいるのがその子だよ」 「……もしかして」 「うん。私の赤ちゃんがいるんだ」
5
深夜。騒々しく凪いでいた風も、きらきらと微笑んでいた花や活発な動物達も今は寝静まり、張り詰めた静寂が漂うのはエリティアの家だ。 ベットに腰掛けたトーマは静寂に合わせ思い返していく。街からの帰り道、エリティアと交わした会話を。
ゼーゼマンとの話が終わり、トーマとエリティアは夕暮れの街道を揃って家路に付いていた。 「けっこう遅くなっちゃったねぇ、冷えない内に早く帰ろうか」 後ろに手を組み、鼻歌を歌いながら少女は街道を歩んでいく。 その後を、トーマも付いていく。 一面を黄昏が空も雲も、草原の遥か彼方の地平線すら染め上げる夕暮れ。 一日の中で一番切なくて、明日への希望の見える時間とは誰の言葉だったか。それは、目の前の少女がつい先に言ったものだ。 「フンフンフ〜ン、フフン、フ〜ン」 少しだけ外れ気味のリズムを、それでも楽しそうに少女は口ずさんでいる。 「……ねぇ!」 「フフン? どしたのトーマ」 トーマの声にエリティアが振り向いた。 お互い足を止める。 「本当に…………僕で良かったの」 「何が?」 「何がってだってティアさんその……子供がいるんだし」 少年の声は最後の方は小さくなってしまった。 「うん、だからホントは助かってるんだ、これから色々不便になってくるだろうから」 「そうじゃくなくて!」 少年が震えていた。 「僕じゃなくて、一緒に暮らすならその子のお父さんの方が絶対に良いに決まってるよ!」 「う〜ん、今頃何処にいるのかなぁアイツ、いつもフラフラしてるヤツだったからさ」 「だったら僕が探す、他の街に行ってみれば僕の記憶の手掛かりも見つかるかもしれないし、あちこち回っていればいつか会える……」 「トーマ」 少女の人指し指が少年の鼻先に優しく触れた。 「いいんだよ、もう、いなくなった人の事よりも今は君とこれからどう暮らしていくかの方が大事だよ」 「…………ティアさんは」 「うん?」 少女が少年を覗き込む。視線が交差し、黄昏のせいか頬が薄紅に染まった少女の笑みは、綺麗だ。 「その人の事は…………どう思ってるの?」 「好きだよ」 手を離して、少女は一歩後ろに下がった。 「今でも大好き、そりゃいきなりいなくなった時は悲しかったけど、やっぱりかって気もしたし、多分心のどこかで覚悟してたんだと思う、だから後悔はしてないんだ、幸せだから」 くるり、その場でターンして少女は背を向ける。 「だって……私の子どもが産まれてくるんだよ、初めて血の繋がった家族なんだから、嬉しいじゃない」 「初めてって、ゼーゼマンさんは」 「私さ、拾われっ子なんだ。物心ついた時には一人でね、エリティアって名前しか知らなくて、生きるためにけっこうヤンチャしてた頃にお父さんに捕まって子どもされちゃって……十年くらい前かな、それからずっと大切にしてもらってきたんだ」 ゆっくり、夕日に向かって少女は歩き出し、少年も続く。 「丁度街が出来た頃でね、露店が並んで賑やかなムードだっから盗るのも簡単だったよ、焼きたてのパンを一つ盗んだの、お腹が減って仕方なかったから、そしたらさ、いきなり猫みたいに首根っこ捕まれて耳元で怒鳴られたの、こらぁ何をやっとるか! てね」 悲しい過去の出来事。しかし少年には、語る少女の口調は誇らしげに聴こえる。 「怖かったな、あんなゴツい人だから何されるんだろうって考えたら体が動かなくなって、そしたら私を捕まえた人は代わりにお金を払ってくれて、しかもご飯も食べさせてくれたの、ほら今朝私が作ったシチュー、あれってお父さん仕込みなんだよ、美味しかったでしょ?」 エリティアは首だけ振り返り。 「うん……美味しかったし、暖かった」 トーマも頷いた。 少女はもう一度前を向き、歩いていく。 「そう、暖かったんだ。その後私の話を聞いてくれて、三日後に私は初めてファミリーネームを……エーヴェルバインって名前を貰ってあの人の子どもになったの。それからはあの人が作った教会のお手伝いして、街の皆とも仲良くなってね、その中でも一番仲良しになったのが私がパン盗った店の人達だったから私も驚いちゃった」 「そうなんだ、もしかして朝のパンも?」 「そうだよ、あれも美味しかったでしょ?」 「そうだなぁ、当分他のパンは食べられないかな」 「だよね!」 嬉しそうに、少女は胸を張った。 「他にも、いつも沢山獲物を捕ってくる猟師のおばさんとか、ふらふら遊んでるくせして街一番の詩人のお兄さんや、普段は別の仕事をしてるのにお祭りだとピエロになって皆を楽しませてくれる双子の兄弟……本当に沢山の人達と友達になって、神父さんのお弟子さんも増えてきて余計に賑やかになって……そうそう教会に通うようになってから初めて同い年の子と話したんだ、緊張したんだよ〜自己紹介なんて知らなかったしさ、そんでそれからは皆といつも一緒なんだ」 嬉しそうに、誇らしげに、ころころ変わる表情《かお》を魅せてくれるエリティア。そんな彼女が次に覗かせたのは、少しばかり落ち込み気味のトーンだった。 「……でもね……いつまで経ってもあの人を、神父さんを呼べなかったんだ」 「なんて、呼べなかったんだい?」 「お父さん、そう呼べなかったの」 少女が苦笑した。 「ずっと分からなかったの、何で私なんかを引き取ってくれたのか」 「放っておけなかったんじゃないのかな?」 「でも人の物を盗っちゃう子どもだよ? 普通なら引き取ろうなんて思わないじゃない。だから不安だったんだよね、いつか捨てられるんじゃないかって、あの頃の私凄く心配性だったから。それである日ねちょっとした事件が起きたんだ」 「事件?」 「まぁ、そこまで大袈裟な事じゃないんだけど。あの日はね二人で暮らし始めて丁度一年目で、あの人が仕事で帰るのが遅くなるって言われてね、私が一人は嫌だって駄々こねたら教会で待ってろって言われて、今日の部屋で待ってたの。夜になっても帰って来なくて寂しくて、その時にね神父さん疲れて帰って来るのかななんて思ったからお茶を用意しとこうとしたの、慣れてなかったからおっかなびっくりしながら準備して、でも間違って棚上にあったガラスの箱を落としちゃった、それで丁度良いタイミングで神父さんも帰ってきて、そりゃもう初めて会った時より凄い顔で、熊だって逃げ出すくらい、それでね、私が真っ先に考えたのはついに捨てられるんだって事」 少女は胸元から真紅を取り出し、優しく握り締めた。 「でもズカズカ近づいてきたあの人が言ったのは、怪我はないか、だったの。私に傷がないか心配して、ないって分かったらギュって抱き締めてくれた……私は困惑しちゃって思わず聞いちゃった……どうして私を引き取ってくれたんですか……そしたらあの人きょとんとしてからこう言ったの」 エリティアは体一杯に息を吸うと。 「理由なんてない! お前みたいなヤンチャもんは見ていて気持ちが良い! 直感で気に入ったからだ! 心配するな俺の美しき筋肉に誓ってずっとお前と一緒にいてやる、だから安心してここにいろエリティア!」 大きく、気持ち良く、晴れ晴れと彼女は空に向かって叫んだ。 「もうむちゃくちゃ! なによ気に入ったとか筋肉とか、ホントにワケわかんない、だけど嬉しかった、だから初めて素直に呼んでみたんだ、お父さんって! そしたらお父さんも泣いちゃったんだ、そりゃ一年も神父さんって呼んでたから喜んでくれてみたいで、だから記念に私が壊しちゃった箱に入ってた宝石をくれたの それがこれなんだ」 「そうだったんだね、もしかして母なる貴方(フェニックス)もその時に会ったの?」 「うん、私はお父さんから大切な家族と友達をもらったの、だからお父さんが大好きなんだ……赤ちゃんが出来た時は最初に拳骨貰ったんだけど、今の痛みをその子に味あわせるな必ず幸せになれって応援してくれた、ホントに大好きだよ」 話しているうちに二人は家に着いていた。 辺りも日が落ちて透き通る涼しさが二人を包んでくれて心地好い。 「ありがと話に付き合ってくれて、長かったよね?」 「そんなことないよ、素敵なお話だったし僕も仕事を頑張るやる気も出た」 トーマが右手を差し出した、友好の証として。 「これからよろしくお願いします、ティアさんは僕が守るよ」 「大袈裟だなぁ、こちらこそよろしくお願いします、子ども産むなんて初体験だからこれでも恐いんだ、だから支えてね」 エリティアも右手で友好の証を受け取る。 「さて、それじゃあさっそく助けてもらおうかな、先ずは暖炉に火を入れるの手伝って」 「まかせて!」 二人で家に入り、まずは暖炉に巻をくべ火を灯す。ふわふわの羽毛みたいな暖かさは何処と無く、母なる貴方(フェニックス)に似ているとトーマは考えていた。
「……ティアさん、ありがとう」 エリティアに、ゼーゼマンに、感謝の思いで一杯だ。 あの二人を、そしてこれから産まれてくる彼女の子を精一杯助ける。 それが当面の自分の役目だと、改めて少年は感じながら目を閉じた。 少年の意識が落ちていく最中、身体の内から浮上する別の意識があった。 -情報整理及び疑似人格との同期開始、明日《みょうにち》以降の行動プランを修正開始、最適化 機械が起動した。 所詮トーマ・カッツェルは機械の一部、機械が目的完遂の為に行った暗示により作られた数多有る人格の一つに過ぎない。 今は一時的な起動であろうと、少年の行動の根底は機械が管理していることに代わりはない。 何者も映さない虚ろな瞳が思考するのは双角の鉄槌(バイコーン)成功プラン。 そこに、少女と神父に対する感謝の念など欠片も有りはしない。 機械にとって二人は、パズルのピースに過ぎないのだから。
第三章 瞳に映るマキナ
1
夜明け前の部屋は静かが佇んでいた。板張りの床と土で固められた壁が音を全て吸い込むせいだ。 灯りも射し込む事がない一日の始まる前、皆が寝息を立てベットで毛布に包まれる時間。この部屋で眠る少年もまたその一人である。 まだ幼さの残る目鼻の整った顔立ち、夜に溶け込む深い黒髪、少女と言われても通じるきめ細かな肌。男でありながら二枚目、可憐、美しい、どう転ぶかはわからない未来に祝福された彼。ゆっくりと胸を上下させ眠りを漂う。 そして部屋に彼とは別にもう一人、少年の寝顔を覗き込む影がいた。ジーと顔を凝視してから、少年の右頬をツンツンと突《つつ》き始める。 最初は気付かず、次にむずり、終わりに擽ったさに耐え兼ねた少年は緩やかに瞳を開くのだった。 「…………………………ティアさん」 視界に映った同居人の顔をたっぷり五秒かけてから認識し、彼女の名を呟く。 「おはよトーマ」 彼女、エリティアは翡翠色の瞳で見つめながらソプラノで話しかけてくる。スラリと細めな顔立ちの印象を表すならば可愛らしいが妥当だろう。健康的な肌色、ふわふわと緩くカールした橙色のロングヘアーが引き立て、身体を包むのはクリーム色のワンピースが上手く容姿を纏めてくれている。 「ほらほら早く起きて、もう朝だよ」 「朝って……夜明け前だよ」 「大丈夫、もうすぐに太陽が上るから。どうしても君に見せたいものがあるんだ」 「今じゃないとふぁめ?」 トーマは欠伸を噛みながら身を起こす。 「うん、今じゃないとだめ。だからほら早く早く」 エリティアに急かされベットから降りる。夜明け前から元気に満ちた同居人に手を引かれながら寝間着姿のままトーマは庭に出た。 夏場の終わりとは言え温まり切っていない大気は身に沁みるもので、ぶるりと肌が泡立つのだ。 「……………もう少し、もう少しだから……きた!」 東の空をエリティアが指差した丁度の時、夜の闇一色のキャンバスに一筋の光が差した。瞬く間にキャンバスは萌える橙に染め上げられ世界が夜明けを迎える瞬間。 「…………………………」 たっぷり五秒、トーマは魅入ってしまう。 「どう?」 少しだけ得意げな表情《かお》のエリティア。 「すごく綺麗だ……」 少しだけ溜息を吐きながらトーマ。 「うん、すごく綺麗だよ。雲が全く無い日だけ見られるんだ、滅多にチャンスにならないから起こしちゃったんだけど……怒った?」 「全然……起こされない方が怒ったかも」 「そっか」 嬉しそうに頬を小さく吊り上げ、彼女は微笑んだ。 「ありがと、綺麗って思ってくれて。この朝陽はね、私の好きな色なんだ」 エリティアは胸一杯に息を吸い込んで。 「一番好きな朝の色」
「うんうん、似合ってるね」 少女の視線の先に写るのは昨日とは違う装いのトーマ。 灰色掛かった絹糸を使ったシャツに焦げ茶色をした皮のジャンパーと麻のズボン、動きやすくかつ丈夫な軽装だ。 「そうかな、でも良いの服まで貰って? 絹って高いんだよね」 「気にしないでよ、絹は街の名産でそれも少しほつれがあるから売り物にならないし、君の着てた厳ついコートだと動きにくいでしょ」 「厳つい……けっこうカッコイイと思うけどな、あれ」 「それはそれこれはこれ、ほら時間だから行こう」 「あ、待ってよティアさん」 さっさと家を出ていくエリティアの少しだけ後ろを小さな鞄を引っ提げたトーマが付いていく。出会ってから僅か数日の二人だが、この位置関係はお馴染みになりつつあるのは気のせいではないだろう。 「今日は確かお医者さんのところだよね」 「そうだよ、定期検診ってヤツだね」 「僕を診てくれたのもその人なんでしょ? お礼を言いたいな。なんて名前の人?」 「クリステラ・ロフトさん。凄く綺麗な人だよ、君もメロメロになちゃうかも」 「クリステラ先生、女の人か……なんか緊張してきた」 「君っていつも緊張してるね?」 「しょうがないでしょ、記憶ないんだから」 少年の、右手人差し指をピンと立てる仕草は何処か幼く見える。 街までの街道には文字通り何も無く、平原が拡がるだけなので恥ずかしくもないのだろう。 「うわぁ開き直ったよ」 「開き直りますともさ、自分を見つめないと先に進まないからね」 「おおっとしかも前向きだ、いいね」 晴れやかな道を二人で進む。 一歩、また一歩。散歩と言うには少し早く、走ると言うには少し遅い。 何となく、ここ数日で二人の距離が近づいていった歩幅に似てないか。 そんなことを考えながら、少年は後ろに手を組み鼻歌を口ずさむ少女についていく。 家から街までは僅かに離れている、行きと帰りを共に歩くその間は二人にとってこれからの一日を、そして一日の出来事を語り合う大切な時間でもあった。 「今日は診療所の後はどうするの?」 「そうだなぁ、トーマは教会で調べ物するんでしょ?」 「うん。ゼーゼマンさんが今日も書庫を貸してくれるらしいから使わせてもらうつもり」 「だったら夕方に教会で待ち合わせだね、そう言えば借りた本は読んでみた?」 「読み終わって今日お返しするつもりです」 初めて教会を訪れた時にエリティアが用意した三冊の内から二つをトーマは借り受けていた。文字そのものが読めるか不安はあったものの、幸運にも難無く読破出来た訳だ。 「ほほうやるね、どうだったお姉さんが選んだ本は役に立ったかな?」 「うん、この辺りの地理や文化の事が纏まってたから凄く助かった」 トーマはオホンッと咳払いを一つ。 「例えば街の中は教会を中心に四つのエリアに分けられていて、入り口の南側は商店で賑わう商業区、北は学校が並ぶ学生区、東は完全な住民区になるけど西は色んな職人が集まる工業区でそこに住んでる人も居るみたいで、街一つである程度自給自足出来るように設計されていて機能的だね。工業区で生産される絹の他にも街周辺で栽培されている多種にわたる果物が各地に出荷され、それをふんだんに使ったスイーツが観光客の舌を楽しませるのに一役買っている、王都からも馬車で一日の距離だから行楽シーズンになればひっきりなしに人がやって来るからね、大事な収入源になってる」 「おお〜得意気だね」 「合ってるでしょ?」 「全部正解、よくそこまで覚えてるね、もう街の事で知らないことはないかな?」 「う〜ん、でもこれだけだと知識だけだから自分で見てみたいとこはまだまだあるよ」 「そっか、ガンバレーこの子が産まれたら先生になってあげられるくらいにね」 エリティアは自分の下腹部をそっと撫でなでる。 よく目を凝らすと分かる少しだけ膨れた少女の下腹部。別段彼女が肥満している訳でなく、着膨れがあるのでもない、そこには新しい命が宿っているからだ。 五ヶ月目らしいエリティアはそれでも元気に日々を暮らしいている。 朝は一番に目を覚ましテキパキと家事を始めるエリティアに負けないようトーマも日々この世界の事情を学んでいるのは、いずれ彼女をサポートする為の下準備でもあるのだ。 生活の知恵として街には何が有り盛んであるか、地理の仕組みはどうであるかは当たり前として社会的な面では季節の移り変わりから生活の様式、年号の数えや現在までの歴史を学ぶが、細かな部分までもうらするにはまだまだ時間は掛かるだろう。 二人で街に歩む朝も大切なひと時、一昨日は天気昨日は季節、そして今日は街について、他愛のない会話をしながら時間を潰し学んでいくと気がついたら街に着いているのが好例で今日もそうだった様だ、街の正門が見えてきた。 「着いたね、それじゃあトーマ」 少女が右手を挙げ。 「うん、また夕方に」 少年も右手を挙げる。 そして二つの手が重なって。 「「教会で!」」 パンッと爽快な音を立て、門の前で二人は別れた。 今日も希望の産まれる街での一日が始まる。
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「…………ふぅ」 手にしている本を閉じてトーマは一息ついた。 (なるほどな、どうやらここ8百年はエルサレムから昇ってきた人間はいない可能性が高いな、少なくとも記録には残って無さそうだ) 椅子から立ち、本を棚に戻す。次に対面の棚から次の一冊を取り出しページを捲り読みふける。 棚の数だけで20冊は有り、その中には1つにつき二百冊、つまりは計4千冊の書物が並べられた書庫において少年はただ一人読書に明け暮れていた。 エルサレム、ひいてはハーメルンに辿り着いて早9日目、少年は既にこの部屋にある書物の内百冊は読破していた。 未だ知らぬ知識に心が浮き立つせいかそれでも彼のペースは驚嘆であり内容も多岐に渡る。 (やっぱり神術が根付いて発達した文化が中心の世界みたいだね、日常の生活だけじゃなくて医療や軍事にも神術が使われてる。天獣も街中に平気で歩いてたりするし、人間にとって大事な隣人なんだろうな……) 一度本を閉じ目頭を揉み疲れをとる、スッキリした。 「……平和な世界だな、人と天獣が一緒に暮らして……神様から貰った不思議な力が生きる支えになってるんだ…………」 ほぅ、とつかれた溜め息が部屋に溶けてから少年は項垂れた。 「ティアさんには大丈夫なんて言って見せたけど……なんだかなぁ……本当に自分探しのために勉強してるのか分からなくなるんだよな…………はは、まだ始めたばっかだし……でもどうしてだろう、頭の中で引っかかりがある、冷たい感触の引っかかり……」 少年の心理の奥に微かに潜むもの。彼に自覚はないがそれは紛れもない破壊の思考、深くに眠る存在によるものだ。 僅かな期間で収集された知識に加えより精密な情報が入手出来たなら、後は機械が完全起動さえすればこの世界におけるトップの首を取るのも苦ではない。 だが、それでは足りない。一人トップを消したところでまた別の誰かが、その者を消そうとまた次が現れるだろう。延々と続くいたちごっこに意味はない。 多少の時間は掛かろうともたった一機のみで更に効率的に全てを破壊し尽くす、プランが固まるまで少年は無意識の内に必要とされる全てを収集し続けるだろう。 書庫に篭ってから回転していた頭を休めるべくトーマは沈黙し続ける。 そんな中窓の外から鐘の音が響いてきた、重く拡がる午後を告げる合図である。 「もうそんな時間か、行かないと」 立ち上がり、本を元の位置に返してから書庫を出て裏庭へ足を向ける。うっかりと忘れそうになったタオルを机から引ったくると今度こそ裏庭へ、礼拝堂の扉を抜けてその先へと踏み込むとそこにはいつも通りの光景があった。 「美しき筋肉はぁあぁはぁははぁぁっあぁあっ!」 「「「美しき筋肉に宿るぅぅぅ!」」」 もはや見慣れた、暑苦しく活気に満ちた漢逹がそこにいた。熱気を纏う拳を一心不乱に突き出し続ける熱き血潮が見る者にさえ飛ばされてくる。 何故か、清々しい。 「最後の一突きぃ! 気合い入れろぉ!」 「「「「「「「「「「押忍!」」」」」」」」」」 全ての血潮が、型を決め動きを止めた。 脚を肩幅に開き、拳は右を後方に引き絞り左は前方に突き出した形だ。 「締めぇぇぇぇぇ!」 「「「「「「「「「「波ッ!」」」」」」」」」」 一斉に振り抜かれた渾身の正拳が大気を震わせ場が静まり返り、そして。 「今日は終いだ!」 「「「「「「「「「「「有り難う御座いました!」」」」」」」」」」」 ビシリと礼。 師範、そして門下生全員が互いに礼を尽くした。 師範は腕を組み。 「うむ、この後(のち)はいつもの場所へ向かう、各々準備を怠るな!散(さん)!」 「「「「「「「「「「押忍!」」」」」」」」」」 門下生が一斉に散り始め、師範も振り返り屋内へと向かう。 そこへ少年は声を掛けた。 「ゼーゼマンさんお疲れ様でした!」 「うん? 小僧か」 ゼーゼマンはトーマからタオルを受け取り、湯気立つ身体を拭き上げる。 「今日も書庫を使わせてくれてありがとうございました」 「少しは何か手掛かりは見つかったか?」 「それがまだ、何も。でもまだ始めたばかりですから、へこたれずにやりますよ」 少年は少しだけ胸を張り。 「うむ、その意気だ!」 ドスッと、そこへ師範は拳を入れニカリと笑む。 「これから直ぐにいつもの場所へ向かう、今日も頼むぞ」 「任せてください」 トーマもニカリだ。 「うぉし! いざ行かん!」 「子羊を導きに!」 ガッと二人は腕を突き上げ、気合を入れ直す。 (導かれなきゃいけないのは僕の方なんだけど) 密かに少年がそんなことを考えていたのは秘密であったが。
「おーいトーマ! お父さーん!」 「ティアさん?」 ゼーゼマンと二人で教会を出たところで見慣れた笑顔がやって来た、ふわりなお日様色の長い髪に翡翠の瞳をした彼女だ。 「「「「ティアさんお疲れ様です!」」」」 広場に集まっている漢逹全員が左右に別れ道を空け、頭を下げた。ゼーゼマン含め全員が修道服に着替えているとは言え暑苦しい事に変わりはないが。 「みんなもお疲れ様。今日ももう一仕事がんばろ!」 「「「「「はい!」」」」 彼女の眩しい笑顔に一層活を入れた返事を漢逹は返す。 漢逹の空けた道をティアはゆっくり歩き少年と父に近づいていく。 「いつ見ても凄い光景ですよね」 「ふははは流石我が愛娘よ、皆に愛される才があるわい」 「まぁ愛されてるのかもですけど」 少年は父すら感ずいていない秘密に気づいていた。 (みんな、顔真っ赤だ) ある者は頬のみ、大きい者では耳まで赤くなっている。 (ティアさんも罪な人だな、みんなの気持ちに気付かないなんて、鈍感なのかな) 皆、師の愛娘に敬意を払っている。それに偽りはないだろう。しかしそれ以上に彼等は別の感情を抱いているのだ。 偶然耳に挟んでしまった彼等の会話。それはエリティアへの恋慕や憧れだった。 ひた向きな姿に胸を打たれた、落ち込み塞ぎ込んでいた時に励まされた、彼女に憧れたのが弟子入りの理由、恩を返すために彼女を助けたい、彼女こそが聖母である。 等々と挙げれば切りがない程にエリティアは愛されている。それでも誰しも想いを伝えずにいるのは彼女を尊重しての事だった。 エリティアが認めた相手、身籠っている彼女が心を委ねた相手が現れるその時は二人を祝福しよう、漢逹はそう誓いを立てている。 あえて自ら志願する者がいないのは、彼女には既に今は居ない思い人が有るからだ。 自分達の聖母を捨てた彼の奴を叩きのめす衝動に駆られるも、彼女自信が奴を憎んでないならばそれを支える。これこそが総意であった。 そしてトーマの事も師が力になると決めた人間ならば支えようと気にかけてくれている訳だ。 エリティアがゼーゼマンとトーマにゆっくり近づいていく、尊敬に満ちた道を歩みながら。そして父と少年の前に着き。 「今日は私も行くよ、久しぶりにみんなと会いたいから」 「うむ、それは構わんが」 「検診は良いの?」 「うん凄く早く終わったから大丈夫、母子共に健康でした」 「そうか、ならば……」 一息を、だが身体から溢れるほどに吸い込み。 「いざ行かん希望の育つ家に!」 「うん!」 「はい!」 「「「「はい!」」」」 数人の弟子が懐から天獣石を取り出し神力を込め始め、純白の体毛と流麗な身体を持つ天馬《ペガサス》が五体喚びだされた。一体はエリティアを背なに乗せ、残りは荷台を牽引してくれる。 ゼーゼマンを先頭に2百人近い集団が行進を始めた。教会は街の丁度中心に位置し、そこから十字に大通りが延びている。その内北へ向かう道を前進している訳だ。 一糸乱れぬ行進の音は一種の演奏に聴こえなくもない、それほどに統一されている。 通りに面して商店は、書店、文具店、画材店、楽曲店、時折幾つかのカフェが軒を連ねる静かな通りだ。 街の北側の学業区は一歩大通りを外れると規模はそこそこでも多種に渡る学業機関が並べる為それに見合う店が集っている。 時折昼食時のせいかカフェに向かう多様な制服姿の学生とすれ違い、その殆どがゼーゼマン一行に挨拶し一行も笑顔で返している。 これだけを見ても彼等がどれだけ住民に信頼されているかが十分に伺えるだろう。 大通りを抜け一行が街の北端に着いた時、光景が一気に拓けた。 豊かな花壇が辺りを包み青々とした芝が敷き詰められた街中としては広大な庭、そしてそこに聳える建造物。 どことなくモダンな空気を醸し出す木造の建築物。煉瓦造りが大半を占める希望の産まれる街(ハーメルン)としては珍しく、トーマは初めて目にした際そこに一番興味を惹かれたのは記憶に新しい。 高さは五階建て、壁には幾つも窓が並び、際立った装飾は見当たら無いがそこは逆に暖かい印象がある。 一階には大きな玄関が口を開けている。 「「「「「うわぁぁぁぁぁぁ!」」」」」 「「「「「「かくごぉぉぉぉ!」」」」」」 その玄関から物騒ながらも元気に溢れた声が飛び出してきた。 沢山の子供逹、皆男の子だ。可愛らしい襲撃者逹は一直線に神父一行に突撃してくる。 「ほぉ面白い」 一歩、ゼーゼマンが前に出た。 「こい!」 腰を落とし襲撃を正面から受け止めるつもりだろう。 「「「「「やぁぁぁぁぁぁ!」」」」」 「「「「「とりゃゃゃゃ!」」」」」 神父の腹に腰に大腿に、ポカスカとパンチやらキックを浴びせる小さな襲撃者逹。神父は手を出さずそれを受け止めている。 「「「「「どうだ!どうだ!」」」」」 「「「「「まいったかこのやろー!」」」」」 「うぬ、なんの!」 「「「「「「「「うわぁ!」」」」」」」」 ゼーゼマンは手を出していない。一呼吸瞬間の筋肉の膨脹だけで子ども逹をあしらったのだ。 「ふはははどうしたわっぱ共、もう終わりか!」 ゼーゼマンが自分の神父服を掴み一気に脱ぎ去る。腰から下を胴着に包み美しき筋肉が姿を魅せた。 「その程度では我が美しき腹直筋、最長筋、腸肋筋、腰方形筋、大腿四頭筋、大腿二頭筋、半腱様筋、半膜様筋はビクともせんぞ!」 「ちくしょ〜」 「なんでなんだ」 「精進せい精進、うわははは」 悔しがる男の子を前にゼーゼマンは腰に手を当てながら豪快な高笑いを響かせる。 それが合図になったのか、入口から先ほどよりも沢山の子どもが駆けだしてきた。 「ティアおねぇちゃ〜ん」 「ひさしぶりー」 「あいたかったよー」 今度は女の子達がエリティアの下に。 「トーマさん今日も色々教えて下さい」 「昨日の続きが勉強したいです」 先の彼等に比べると大人しめの男の子達がトーマの下に。 それだけではない、次々と駆け出してくる笑顔達は一行の中から思い思いの人物を見つけては駆け寄っていく。中には天馬《ペガサス》にじゃれて行く子もいた。 「ひさしぶりだね〜、どう? 折り紙上手になった?」 「うん! お姉ちゃんに教えてもらったお星さま出来るようになったよ」 「あとで作ってあげるね」 「ホント、楽しみだなぁ。よかったね」 嬉しそうに話すお下げとリボンの子をエリティアは撫でてあげている。 二人とも気持ち良さそうだ。 「トーマ先生、昨日の方程式なんとか解けました」 「凄いな、昨日初めてやったんだよね?」 「抜け駆けすんなよ俺だって昨日の例文を完璧に暗記したんだからな、トーマ先生後で質問してもいいですか?」 「もちろん、僕が知ってる事なら答えるから」 勉学意欲に溢れる男の子二人は双子らしく、眼鏡を掛けているのが兄いないのが弟だったと覚えている。 ここは孤児院兼小等部である希望の育つ家。 施設の管理は住み込みの者が居るがそれでも人数が人数だけに手が回らない部分もあるらしく、町長でもあるゼーゼマンはほぼ毎日の様に門下生を引き連れて子どもたちの指導に当たっている。 トーマが初めてゼーゼマンと話しをした際にここへ来る時間を割いてもらった恩義を感じて自分も手伝いたい旨を伝えたところ、駆り出される形になった訳だ。 午後一杯はそれぞれが担当の教科を行うのが習わしである。 「早く早くお姉ちゃん!」 「トーマ先生急いで時間がありません!」 出てきた時よりも急ぎがちに子どもたちは一行を学舎へ引っ張っていく。 今日も賑やかな午後になりそうだ。
3
「それじゃあこの問題を……ルーファス君やってみて」 「はい先生」 トーマに呼ばれた焦げ茶で短めの髪に眼鏡を掛けた男の子、ルーファス・レンツが席から立ち上がり、教室の後ろから教卓の前まで出てくる。自信を称えた知的な表情は何処か大人びた印象だ。 黒板に備え付けられた白墨を手にすると、問いの数式に解答を記し、終わるとトーマに向き直った。 「先生出来ました」 「どれどれ……ルーファスくんお見事」 「やったあ!」 今度は満面の笑みをルーファスは浮かべる。やはり大人びていても年相応の反応だった。 そんな彼に突っかかる声が教室の後ろ、ルーファスの隣の席から飛んできた。 「ルー、トーマ先生にちょっと褒められたからっていい気になんなよ!」 ルーファスの双子の弟、ローレンス・レンツだ。外見は眼鏡を掛けていない以外は二人とも見分けがつかない程酷似しており。性格は似たり寄ったりの兄弟だ。しいて言うならばローレンスの方が若干熱くなり易く年相応に子供らしいかもしれないと、ここ数日でトーマは思っていた。 「ふん。悔しいなら次の問題をお前が解いてみればいいだろ?」 「うっ」 「どうしたよロー?」 「うっうるせえ! こうなったら今度の現代文の授業で勝負だ!」 数学では敵わないと踏んだのか、ローレンスは自分の得意な現代文に勝負内容を書き換えるつもりだ。 「遠慮するよ」 「てめ、ルー逃げんのか!」 「僕は勝ち目の薄い勝負はしない主義なんだ」 「二人とも少し落ち着こうか」 トーマは、二人がこれ以上ややこしいいことになる前に止めに入る事にした。 「いいじゃないかどっちが凄くても。ルーファス君は理系が得意でローレンス君は文系が得意、それでいいじゃないか。そうだよねみんな?」 わあわあとクラス中の手が一斉に上がる。 人数も17人と多くはなく、年齢も6歳から12歳とまばらであるが皆仲は良く楽しいクラスだ。ちなみにこのクラスでは12歳はルーファスとローレンスだけ、2人が最年長だ。 「そうだよ。僕この前ルー兄ちゃんが教えてくれた足し算でリンゴの数を数えたら神父さんにほめられたんだよ」 「私もローちゃんがしてくれたお話凄く面白かった、また聴きたいな」 次に次にと兄弟をよいしょする声があがっていく。 「それは……」 「そうだけどさ」 「大体いつから授業が勝負になったのかな?少しはしゃぎ過ぎだよ二人とも」 トーマに宥められ兄弟は言葉が詰まる。 まだ出会ってから十日経たないトーマと双子だが、この二人はトーマによく懐いていた。 記憶を失いながらも自分達では敵わない量の知識、中にはどこで知り得るのかすら分からないものまで持ち合わせるトーマに双子が尊敬の念を抱いたのも自然な流れとして可笑しくなかった。 「……すみませんでした」 「……すんませんでした」 だからこそ、素直になれるのだ。 「凄いね二人とも、ちゃんと素直になれるんだから偉いぞ。みんなもちゃんと見習うんだぞ」 「「「は〜い」」」 一件落着と同じくして、授業終了の鐘が鳴った。 この後は校庭に集合の予定し、レクリエーションの予定だ。 「よ〜し次は校庭で運動だ、行くよみん…」 「ローお先に」 「抜け駆けすんなよルー!」 言い終わる前に双子は教室を飛び出して行った。 この教室は五階にある為に、階段を駆け下りる足音は長く尾を引いて行く。 「仕方ないな、僕たちはゆっくり行こうか」 「うん、先生手ぇつなご」 「ずるいぃ私がつなぐのぉ」 「ちげえよ、先生は男としかつながないぞ」 「そうだそうだ」 子供たちが一斉にトーマの周りに集まり我先にと、トーマに手を伸ばす。 「あんたたちなまいき〜、先生は可愛い女の子としか手はつながないもん!」 「おめえらのどこが可愛いんだよ、バーカ!」 「はいはい、そこまでそこまで」 すっかり仲裁役が板についてしまったと、内心複雑な気分でトーマが提案する。 「それじゃあみんなで変わりばんこに手を繋いで行こうか。そうすればみんなが楽しいだろ? ただし危ないから階段は気をつけるように」 子供たちを見回すとまんざらでもなさそうだ。 「よしそれじゃ」 先生の右と左の手に、まずは二人ずつつかまった。 「出発だ」 わいわいと賑やかに教室を出て階段へ、窓からは明るい日が差し込んでいた。
五階の教室でレンツ兄弟が張り合っている最中、一階の自由室兼食堂ではエリティアの折り紙教室が開かれていた。 比較的低学年の生徒が椅子を並べて、思い思いの作品を折るために長机の上で緊張しながらも手を動かしている。 男の子はこの後の校庭で行うレクリエーションで遊ぶつもりだろう、飛行機やチャンバラの刀を折るのに夢中で、女の子はお星さまやお花といった形のペンダントを作っては友達同士おしゃれのつもりで首から下げてご満悦の様子だ。 そんな中に上手くいかないのかずっと机に向かっている女の子が二人。お互い席は向かい合う形だ。 一人は栗色のセミロングを細いおさげにした大人しめ印象のフィーネ・パーレット。 もう一人はオフゴールドのショートヘアーにワンポイントのリボンを結んだほわりとした雰囲気のミリー・クローベル。 二人とも七歳の仲良しさんである。 二人の脇には幾つもの折り紙の星が積まれている。色は取りどりで形も綺麗に整っている、他の子達が折っている物に比べてやや大きめに作られているのが違いといえば違いではある。 「だめ〜上手くできない」 「どれどれ?」 エリティアが栗毛の女の子の隣に座り覗き込む。 「綺麗に出来てるよ、大丈夫だよフィー」 「ううん、これじゃだめぇ」 「どうして?」 「だってこれ、お姉ちゃんにあげるんだもん」 「ホントに? うれしいな、ありがと。でもそれだったら今のやつでも全然素敵だよ」 「違うんです。お姉ちゃんだけじゃないいんです」 今度はミリーが応える。 「これはお姉ちゃんと赤ちゃんへのプレゼントなんです」 「私と?」 「その、ティアお姉ちゃんと赤ちゃんが二人とも元気でいますようにってお星さまにお願いするってフィーちゃんと約束して……」 「あーもうミリー、それは秘密だよぅ」 「ほわ、しまった」 うっかりと大事な秘密を漏らしてしまったミリーを、フィーネがジト目で睨んでいる。もっとも大人からすれば微笑ましい表情なのだが。 「フィー、ミリーありがと」 思わず潤んでしまった瞳を誤魔化すようにエリティアは笑顔を作る。良かれ悪しかれ不意打ちいう物は心に刺さるのだと改めて思った。 「二人の気持ち嬉しいよ、とっても」 「……えへへ」 「うん」 今睨んだカラスがもう笑った。 「でも、ホントにこのお星さまみんな素敵だよ」 「ホントに?」 フィーネがおずおずとエリティアを見上げる。 エリティアは自分の腹部(こども)にゆっくりと触れ。 「そうだよ。だって二人がこの子と私の為にガンバって作ってくれたんでしょ。そんなに素敵なお星さま見たことないよ、でもね……」 おさげちゃんとリボンちゃんを交互に眺めてから。 「二人の気持ちが一番嬉しいんだよ」 素直に、ありったけの気持ちを口にした。 「え〜と」 「その……」 しかし、等の二人は何やら困り気味のご様子である。 「お姉ちゃん、あのね……」 ミリーである。 「実は……私たちだけじゃないんだ」 「えっ?」 「「「「「お姉ちゃん!」」」」」 振り返ると教室の生徒全員が、自分の作品を手にエリティアの周りに集まっていた。 「あのね、実はみんなのお星さまもお姉ちゃんの為に作ったんだ。ミリーが言い出したの、お姉ちゃんを応援しようって、ガンバって綺麗なのをプレゼントしようって」 「ちょっとフィー、恥ずかしいよ」 「もういいじゃん、最初にバラしたのミリーなんだし」 「そうだけど、やっぱり恥ずかしいのぉ」 「ミリーてばそんなに赤くなんないでよぉ」 きゃっきゃっする仲良し二人につられて他の女の子達も恥ずかしくなったのかもじもじし始める。 そこへ今度は男の子達が声を張り上げた。 「ティア姉ちゃんは俺らが守る!」 「そうだそうだ!」 「武器もあるぞ!」 「このあとゼーゼマンさんに特訓してもらうんだ!」 紙製の剣やら、投げつけるつもりか先端の尖った飛行機やらを掲げて騒ぐのだから、場が一気に賑やかになってしまった。 それに反応して女の子達が男の子に対抗した。 「なによ! 男子はチャンバラしたいだけじゃない!守るのはゼーゼマンさんやトーマ先生なのに!」 「うっせぇ! 女子だってなんだよお星さまにお願いって!」 「良いんだもん、私たちのお願い絶対叶うもん!」 「なにおぅ!」 「なによぅ!」 バチバチと過熱する男子団対女子団。互いに大好きなお姉ちゃんを応援するという目的は一緒であるが、こう言った場面で競い合うのはやはり幼さ故なのだろう。もしどちらかが下がればその方のプライドに関わってしまうのだから。 流石にそんなことになる前に場を収めようと口を開きかけたエリティアだったが、生憎と出番はなった。 「やめなよみんな!」 ミリーである。 「そうだよ、お姉ちゃん困ってるよ!」 続いてフィーネだ。 「だって女子が……」 「だって男子が……」 「それはわかるけどお姉ちゃんが困ったら意味ないよ、ねっミリー」 「そうだよ、私たちみんながお姉ちゃんを好きなんだからそれでいいじゃない」 二人に押されて、先程とは裏腹に引いた方が賢い空気となっていた。 「ごめん」 「ごめんなさい」 謝ったのは同時だった。上手く場は収まった様だ。 (……二人とも、大きくなったな) フィーネとミリー。出会った時は自分の主張を通す様な活発さはなかった、それでも今はこうして胸を張っている。成長とはこういう事なのだろうか。 「みんな!」 エリティアは立ち上がり子供達を見回した。 「みんなの気持ち凄く嬉しいよ、とっても。私もこの子も元気だから、今日はみんなから沢山の優しい気持ちを貰ったから大丈夫だよ」 どこか照れ臭そうな可愛らしい笑みを子ども達が浮かべていく。 「だけどね、危ないことはしないでね。みんなが怪我でもしたら私もこの子も、お父さんも、沢山の人が悲しくなっちゃうから、みんなも元気でいるのが私達も嬉しいんだよ」 子ども達の笑顔の反省の色が微かに混ざって行く。しかし勘違いをした子はいなかったのだろう、直ぐにもとの笑顔に戻っていた。 丁度そのタイミングで授業終わりのチャイムが鳴る。この次はお楽しみのレクリエーションの時間だ。 「よーしみんな、お楽しみのレクリエーションだよ、せっかく色々作ったんだから思いっきり遊ぼ、校庭に出発!」 一斉に男の子はドアにダッシュし、女の子はエリティアと一緒に歩き始めた。 ホカホカ陽気の校庭でのお楽しみが待っているのだから。
「ふっはっはっはっ、来おったかわっぱ共」 上半身裸の胴着姿で腕を組んだ仁王立ち。お馴染みのポーズを決め校庭のど真ん中で待ち受けていたのは美しき筋肉の使徒、ゼーゼマン神父だ。 校舎からはぞろぞろと生徒たちが駆けて、それぞれのクラスを担当していた神父見習いが出てくる。 トーマとエリティアの受け持ち以外にも大小合わせて30クラスはあるのだ、その全員が集まれば騒々しさに溢れるのは当たり前だ。 ゼーゼマンの前に生徒たちは整列し、清となる。 「これからレクリエーションを行う! 各々担当の指示に従って精一杯取り組むように! だが!」 ゼーゼマンはいつものニヤリを顔一杯に貼り付けて。 「全力で楽しむように! そりゃもうワシや他の者《もん》にぶつかって行けぇい! 良いなぁぁぁぁぁ!」 「「「「「は〜い!」」」」」 「うむ! ではぁ始めいぃぃぃぃぃ!」 ゼーゼマンの掛け声を皮切りに子どもたちは校庭一面に散らばり、あるグループは球の蹴り合いに熱中し始め、別のグループは追いかけっこに夢中となり、他には花壇の近くで読書やお話の語り聞かせに興じる姿も見受けられる。 レクリエーションと言っても別段決まった事をするわけではない。 ただ季節柄天気の穏やかな日々が続くのに屋内に篭っているのはもったいない事この上ない。ならば季節を感じながらそれぞれの個性を伸ばすのが最高の教育という物はではないだろうか、と言うのがゼーゼマンの方針である。 トーマも自分のクラスのメンバーで花壇の花や昆虫の小話で盛り上がり、エリティアのクラスでは折り紙アクセサリーのファッションショーが開かれてる。 そして一番の人気が集まっているのは、ゼーゼマンのレクリエーションだった。 「てや、てや!」 「こんにゃろー!」 最初の襲撃のリベンジとばかりに、武器を手にした小さな勇者達がゼーゼマンに挑んで行く。だがその程度では神父の美しき筋肉はびくともせず、逆に反撃してきた。 「ちょこざいな! くらえぇぇい!」 次々と神父は勇者達を空高く宙に放り投げて行く。安安と大人5人分は上空へ一直線だ。 「うひゃーーー!」 「ほわーーー!」 「ひゃっほうーーーーー!」 実はこれこそ子ども達のお気に入りである。 普段は感じられない空の快感。ゼーゼマン曰く空中散歩だ。 だが、当然ながらいつまでも浮いていられる訳ではなく、今度は地面に向かって真っ逆さまになってしまう。 しかし神父に抜かりはない。 「神術! 岩山柔突《がんさんじゅうとつ》!」 ゼーゼマンが右の張り手で地面を殴りつけると周囲が盛り上がり、幾つもの塔が空へと伸びて行く。宙の子供達を受け止めたそれは非常に弾性に富み、再び宙へと送り出して行く。 更にそこへ次から次へとやんちゃ者が追加されていき、その度に塔も数を増やす。 落ちては跳ね、跳ねては落ち。その度に笑い声が起こっている。 そう、この笑顔が楽しみでここにいる全員が毎日希望の育つ家を訪れている。 いずれこの街を巣立ち、自らの足で歩み始める彼らの中に笑顔という希望が育つことを願って。 「トーマ先生もやりましょう!」 「そうだよ先生、今日はやろうぜ!」 気がつけばトーマ先生がルーファスとローレンスのレンツ兄弟に引っ張られながらこちらにやって来ていた。 「ちょっとちょっと待ってよ二人とも」 「なんだよ先生、やらねえの?」 「ローレンス君そうじゃなくて、幾らゼーゼマンさんでも僕は投げられないよ」 「ほう、ワシをなめてるな小僧」 「へっ?」 「このゼーゼマン、まだまだそこまで衰えとらんはわぁぁぁぁぁ!」 「うわぁぁぁぁぁぁ!」 問答無用で襟首を掴まれ、トーマは宙を舞った。それも大人5人分どころかそれ以上の高さでだ。 「ぐふっ!」 顔面から落下し視界が消える、幾ら柔軟に富んでいようと顔面では流石に痛む。 「先生大丈夫ですか?」 顔を上げるとルーファスがいた。ゼーゼマンに投げてもらったのだろう、危なくないよう眼鏡は外していた。 「あはは、大丈夫だよ。でもゼーゼマンさん凄いな、まさか僕まで放り投げるなんて」 「ええ、先生が来る前はお弟子さんを7人くらい纏めて投げてました。精神の鍛錬だとか言って」 「ははは、すごいや」 もはやトーマには苦笑しかない、全くもってあの神父は規格外だ。一体どのような人生を歩んだとしたら彼のようになれるのだろうか。 (想像できないや、もっとも自分の記憶がないんだけど) もう一度苦笑してる少年の背中にずしりと何かが覆い被さってきた。 「先生な〜に湿気た顔してんの? そんなんじゃ彼女できないぜ」 ローレンスだった。ルーファスが眼鏡を外してるせいで一瞬見分けがつかなかった。 「ロー、先生から降りろよ」 「へ〜んだ、先生はお前みたいな鈍臭いのとは遊ばねぇんだよ!」 「……今何だって?」 「聞こえなかったか? 鈍臭いつったんだよ」 「……今日という今日は、そこになおれローレンス!」 「やなこった!」 柔地を蹴りつけローレンスが別の塔に移っていくとルーファスもその後を追いかけ飛んで行く。 「……確かにな」 トーマはその場に立ち上がり辺りを見渡す。周りには小難しい物は何もなく、単純な物が一つだけ転がっていた。 「そうだよな、せっかくなんだ楽しまないと……」 トーマは勢いよくしゃがみ込み。 「こんな顔してちゃ彼女もできない!」 二人を追いかけるべく、飛び上がった。 「待て二人とも、誰が彼女もできないだって!」 「うは、来た!」 「先生それ言ったのローのやつですよ!」 「問答無用だ!」 その日は夕暮れまで遊び回ったのでとても料理は出来そうにないくらい疲れてしまい、今晩は夕飯は作ると約束をエリティアに申し訳ないことをしたとなる所だったが、レクリエーションに参加していなかった残りの神父見習い達が用意してくれていたバーベキューのお陰で腹一杯になることが出来た。 明日と明後日は休校日なので子供達とひとしきり騒いでから、今日のところはエリティアと二人で帰路に着いたのだった。
4
「はいどうぞ、熱いかもだから気をつけてね」 バスケットから取り出した携帯ポットの中身はいつもの紅茶だった。カップに注ぎ特製のジャムを一滴垂らしたそれを彼女から受け取る。この組み合わせで味わうのが一番だと知ってからはこれがお気に入りになったのも彼女のお陰だ。 すっかりと日も落ち、月光のみが照らす森の中でトーマとエリティアはくつろいでいた。 朽ちた大木に並んで腰掛け、身体が冷えないように厚手の上着を羽織っている。エリティアに至ってはお腹の子も寒くないよう毛布もお腹に掛けて温めている。 虫の音《ね》と、風が揺らす木々のざわめきが織りなす静寂の世界。そこでただ一つ視覚を惹きつけるのは目の前の花畑だった。 一面が橙の花片に埋め尽くされたその場所は月の光を反射し、より一層輝いて見える。 ここは二人の出会いの場所、少女が少年を見つけ出した場所だ。 最初にエリティアがこの場所に行きたいと言い出した時は、トーマは内心冷やりとしたものだった。何せあれだけ子供達と遊びまわった後だ、流石に疲れで動けないかと思っていたがそれは杞憂に過ぎないなかったらしい。 彼女によれば疲れているからこそ此処に来るのだと、此処に来てこの子とお話するのだと、大切な家族と素敵な光景を眺めながら時間を過ごす事が楽しみなんだと諭された。 身体にもう一人の命を抱えるエリティア。我が子との触れ合いが彼女を癒すのならばとトーマも付き合う事にしたのだ。 二人は一口紅茶を味わう、それだけで心の中にある不安や疲れが流される。 (なんだか魔法みたい) トーマが詩的な事を考えてしまうのも最近の読書習慣のせいなのだろう。 (大人ぶっているみたいかな) 「君は、ここには慣れた?」 少女が語り開けてくる。 「うん、おかげさまで」 「そっか。でも早く君の本当が知りたいな、君って一体誰なんだろうね」 「そうだな…………もしかして何処かの王子様だったりして」 「ぷっ、あんなに厳ついコート着た王子様いないよ」 「ひど、あれかっこいいと思うのに」 「さすがにアレを着た王子様はいないって」 ちょっとしたふざけ合いも今はすっかりお馴染みになっている。自分が何者なのかという疑問もこの瞬間には忘れる事が出来た。 「でもね、あの時はホントにビックリしたんだから。今日みたいに此処に来たら君があそこに倒れてたんだから」 エリティアが指す花畑の一角、そこには不自然に窪んだ箇所が見えた。 「なるほど、あそこに麗しい少年が倒れてたわけか」 トーマも感慨深げに見つめる。 「フツー自分でそんなこと言うかい君は?」 「ティアさんだって自分のこと、こんなに可愛いお姉さんとかいってるじゃん」 「……そうでした」 ぽりぽり頬を掻いて、彼女は照れている。そんな姿も絵になるのだから、彼女の容姿は本当に役得なのだろう。 「う〜ん、冗談でも改めて聞いてみると恥ずかしいな」 「そんなことないよ、ティアさん綺麗だと思う」 「それを言ったら君だって」 少年が自分の顔を指してみせた。 「僕が?」 「けっこう綺麗な顔してるよ」 「うう〜」 少年も、顔を赤らめた。こちらもそれなりに絵になっている。 「ほら、君も照れてる」 エリティアが今度はいじわるな笑いを含めて少年をからかう。 「もう勘弁してよティアさん」 「まぁ冗談はこれくらいにしといて、ねぇトーマちょっとお願いしても良いかな?」 「何?」 「少しこれ持っててくれる?」 彼女は自分のカップを渡してきた、少年は右と左に一つずつカップを持つ形になる。 エリティアは今度はバスケットから本を取り出した。 絵本だった。表紙には真っ白な服を着たお姫様と、真っ黒な鎧を着た騎士が描かれている。 「それ、絵本?」 「そうだよ……いつもここでこの子に聞かせてるの」 エリティアは本を開くと、今はまだ幼すぎる我が子に向かって読み始めた。その朗読は、この絵本を深く読み込んでいるのが聞いて取れるものだ。 「むかしむかし、いつも一人ぼっちのお姫様がいました」 エリティアは語り聞かせる、愛しい我が子に向かって。 「そのお姫様は国中の人達に愛されていました。綺麗で、優しくて、誰よりもみんなの事を大事にするお姫様です。 そんなお姫様を神様も気に入って不思議な力をあげました。お姫様は不思議な力でいろんなことが出来ました。空を飛んで国を見渡して、病気の人を治してあげて、大きな戦争を終わらせて世界を平和にしたのです。 だけどそのせいで誰もお姫様に近づこうとはしませんでした。なぜならお姫様は特別な存在になって、誰もお友達にはなれなかったからです」 エリティアがページをめくり、声が微かに低くなる。シーンが変わるのだろう。 「いつもお城に一人のお姫様は寂しくて、ついにやってはいけないことをしてしまいました。魔法で人形に心をあげて友達にしたのです。 人形は騎士の姿をしていました。人形は心をくれたお姫様を愛して、二人はいつも一緒でした。お出かけする時も、寝る時も、人形はお姫様をずっと守っていました。 そしてお姫様はずっと人形と生き続けるためにまた不思議な力を使いました、■ななくなる力です。 それに神様は怒りました。怒った神様はお姫様から不思議な力を奪い取りました。 そして世界中の人たちにお姫様の力を砕いて分け与えたのです そのせいでお姫様は不思議な力が解けて■んでしまいました。 お姫様は■んでしまう間際に人形に名前をあげました。 そして自由に生きて下さいと言いました。 名前をもらった人形は、お陰で人間になれました。 人間になった彼は最後までお姫様のお墓に寄り添いながら、ずっと一緒に居続けました。お姫様が寂しくないように」 絵本を閉じて、少女は何かを噛みしめる為か花畑を見つめていたが、やがて少年からカップを受け取ると中身をゆっくりと口にした。 「どうだった?」 彼女の顔がこちらを向き、訪ねてくる。話の内容をだ。 「なんだか、悲しいお話だった。最後まで二人きりなんて」 「そうなのかな、私はそうは思わないんだ」 「ティアさんはどう感じたの?」 「私はね、始めてこのお話を読んだとき何を伝えたいのか分からなかったんだ、特に最後の人形が人間になってからも何でお姫様と一緒にいたのかなって」 「好きだったからじゃなかな? 好きな人の近くにはずっと居たいものなんだと思う」 「もうお姫様はいないのに?」 「お姫様の近くにいる事が幸せだったんだよ、それだけ大好きだったんじゃないかな」 「だけどお姫様は騎士に自由に生きてって言ってるよ、それなのに彼はそれを拒んだ。だからね、もしかしたらこのお話はわがままも大事って言いたいのかなって、そう思ったんだ」 少女は絵本をバスケットにしまい、少年からカップを受け取ると立ち上がって、花畑へと歩んで行き始めた。 「人の気持ちを大事にするのも大切なこと、自分一人ばっかりだと何も上手くいかないし。でもね、もしホントに譲れない事にだったら、少しくらい独りよがりもいいのかもしれないって。だってお姫様も一人は嫌だっていう気持ちがあったから、魔法を使って友達を作って永遠に生きようとしたんだし、人形だった騎士も最後まで生きたいように生きていた。だからこのお話はもしかしたら凄く幸せなお話なのかなって気づいたの」 月の光が照らす橙の円環の中に立ち、少女が少年を振り向く。 「ねぇ、さっきも聞いたんだけど、ちょっと変わったこと質問するね」 少年は息が出来なかった。 彼女の髪が花片に似た色合いだったからか、今日の月明かりが特別麗しかったからか、それとも絵本の内容が頭から離れなかったからか、理由はなんだろうか。 ただ、何故かエリティアから目が離せなかった。 「あのね、……君って、誰なの?」 「えっ……」 質問の意味が分からなかった。 「それは……僕にも分からなくって、何も覚えてないんだし」 「ううん、そうじゃなくて」 あらためて、少女が問いかけてくる。 「なんだかね、君を見てるとホントの君が別にいるような気がしてさ、なんか聞いてみたくなっちゃって。まだ会ってから十日も経ってないけど、実は始めて話した時からなんかそんな気がしてたんだ」 エリティアはカップから右手を離しゆっくりと差し出してくれる。 「例えば誰かと話してる時は相手の事をそれとなく探ってる様な感じがするのはなんでだろう、本を読んでるのも自分を探しの為っていう雰囲気とはほんの少し違う感じだし、そういう時の君の目は曇ってるみたいに見えるんだ。本当になんでだろうおかしいよね、君は何も悪い事はしてないのに……」 今度は両手を広げて彼女は問い続ける。 「だけど凄く大事なことな気がしちゃったからちょっとだけ独りよがりになってみた。よかったらなにか教えてくれないかな、君のこと」 彼の鼓動が速まっていく。 「はは、なに言ってるのさ……」 掌が汗ばむ。 「知ってるも何も、僕は名前しか知らなくて……」 心理の奥底に響くアラートで機械が目覚める。 「だからそれを見つけるために色々調べて……」 心理の奥で、機械が警告を発する -緊急、対応パターン検索、照合、一致件数0 このようなパターンは未経験ではない筈だ、マキナの正体に感づいた者に遭遇した事例も複数有る。 しかし、あの少女の瞳は何だと言うのだ、まるでこちらを見透かしているかの如く澄んでいる。 この僅かな期間で彼女はマキナの正体ではなく、本質に迫っているというのか。 (なんで……) 少女が瞳で訴えてくる、君は誰なのかと。 (そんな目をするの……) -理解不能 (僕はトーマだよ……) -暗示レベル上昇を推奨、失敗 (僕はただの人間……) -思考混線 (俺は……) -思考維持不能 「……マキナ」 「な〜んちゃって」 少年の呟きは、少女の声に掻き消された。 「いやーゴメンゴメン何言ってんだろなぁ、やっぱり疲れてるのかな。今日はこの子にお話を聞かせてあげるだけのつもりで来たのに、どうしたんだろ」 戻ってきたエリティアがカップの中身をゆっくりと飲み干し、バスケットにしまう。トーマも緩くなったそれを流し込んでからしまった。 「帰ろっか」 「……うん」 言葉が出なかった、精神が疲労しているのだ。 トーマがバスケットを持ち、家に向かって二人で歩き始める。 エリティアの少し後ろをトーマがついていく、いつもの距離で。 「そうだトーマ」 エリティアが前を向いたまま話しかけてくる。 「さっきのお話ね、実は続きがあるの。その中でお姫様の名前と騎士になった人形の名前が出てくるの。もしよかったらこの子と一緒にまた続き聞いてくれると嬉しいかなって」 「うん」 トーマは完全に完全な生返事だった。エリティアも分かっていたのだろが、言葉は返ってこない。 この日は寝つきが悪くベットに入っても胸がざわめき落ち着かなかった。 明日になれば、消えてくれると信じて少年は瞼を閉じる。 -情報混線、修復に要時間不明 機械は何も出来ず、思考停止するしかなかった。
第四章 目覚める時のマキナ
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「はい。それじゃあこれでお終い、あなたもお疲れさま、少し休憩室してちょうだい」 机に拡げていた聴診器やらカルテやら、仕事道具をカバンに仕舞うと女医は後ろでアップになっていた髪《プラチナブロンド》を下ろし、ベットで横になっているエリティアに微笑みかけた。 「うん。ありがとクリステラ先生」 クリステラと呼ばれた彼女のフルネームはクリステラ・ロフト。エリティアよりも二歳上という若さながら希望の産まれる街唯一の診療所を切り盛りする才女で、エリティアの主治医。容姿も白衣が似合うスラリとした長身に締まるトコは締まり、出るとこは出たボディラインは野郎からすれば堪らないプロポーションの美麗である。 「改めて聞くけど予定日までもう一月《ひとつき》ないし、気分はどう?」 「そうだなぁ。先生の言う通り運動も軽く歩いたりとかはしてるよ」 「そう、確かに顔色も良いしお腹の子も順調に育ってる、アタシの診てきた妊婦さんの中でも一番なくらいね。ただし油断は禁物よ、もし腰痛みたいに身体に負担が掛かるようなら無理して動かないこと。何かあればすぐに坊やに頼んでアタシを呼ぶこと。良いわね?」 「大丈夫、わかってるよ。クリステラさんも心配性だな」 「そうならざるを得ないのはティアがいけないんだからね?」 「私が?」 女医は自分を指差す少女のお日様色の髪をゆったりと撫でる。 「そう……あなたはいつも自分を二の次にする悪癖があるから」 女医は笑みを崩さない。 「むっ? そんなことないよ、失敬だな」 「可愛くほっぺ膨らませてもダメよ? 前みたいに無理して子供と遊んだりして、気持ちは分かるけどそれで皆を心配させちゃ本末て・ん・と・う……それにね……」 クリステラは毛布の上からエリティアの腹部に、新しい命の上に手を置いた、優しくだ。 「この子が一番心配するわよ、お母さん大丈夫かな? でしょ?」 「……そっか……」 エリティアも、クリステラの上から手を重ねる。 「そうだよね、この子もいるんだもんね」 「とっくに外の音も聴こえてるだろうし、お母さんの頑張り過ぎに冷や冷やしてるかも?」 「うん、ちょっと気をつけるよ。ごめんね心配させて」 彼女、エリティア・エーヴェルバインが少女から母に変わるまでもう一月《ひとつき》もない。元々親になるという自覚は有った彼女だが、ここ最近はそれが更に顕著に見えてきている。クリステラは無茶をすると忠告しているが、実際の所エリティアが希望の育つ家に赴いたのも二月前《ふたつきまえ》を最後にしている。家に訪ねて来るルーファスとローレンスのレンツ兄弟、フィーネとミリーの仲良し二人組と話をする程度だ。 「そうそう、ちゃんと安心させるんだよ。じゃあアタシは帰るわね、お大事に」 シルクのマフラーと純白のファーコートに身を包んだクリステラがドアノブを握る。 「お大事にするよー」 軽く手を振るクリステラにエリティアも手で返す。 手提げ鞄を引っ下げて、クリステラは玄関から外に出た。 バタンと扉が閉じて、そこへ背をもたれさせると自然と溜息が出た。一仕事終えた事はもとより今日も耐え切った自分を褒めてやりたい、何せ自分の情動を心の奥底に抑え込んだのだから。 「あ、先生。今終わったトコですか?」 「ひゃい!」 声が裏返ってしまった。丁度彼が買い物から帰ってきたタイミングだったらしい、両手で抱えた紙袋からは焼きたてのパンが顔を覗かせている。 夜を彷彿させる深い黒髪に幼さの残る顔つきをしたエリティアの同居人、トーマ・カッツェルだ。 「なんだ坊やか、あんまり驚かさないでよ」 「あはは、そう言われましても」 「何と言おうがレディには気を配りなさい、紳士を目指すなら尚更ね」 「別に紳士を目指してる訳じゃないんですけど?」 「坊やがどう思おうと目指さないといけないのよ。あんな筋肉の化身みたいのが父親だったらデリカシーも何もあったもんじゃないじゃない、エリティアの為にも周りがしっかりしないといけないの」 「はぁ、まぁ」 (みたいじゃなくて、筋肉の化身だと思うけどな) 少年からすれば分かったような、分からないようなだ。 「それもこれも……」 魅惑的な女医の瞳に光が宿った。それもどちらかと言えば危ない方向で。 「アタシがいつも近くに居られれば全部解決なのにぃ! なんで愛しいエリティアが苦しんでる時にアタシは仕事をしなくちゃいけないのよ、神様お願いだからアタシにあの子の力にならせて下さい!」 クリステラは胸の前で両手を組み祈りを捧げ始めた。内容は錯乱しているとしか思えない物だが。 (ティアさんは十分すぎるくらい感謝してるだろうけどな) 紙袋から覗くパン。そもそもの原因はこれにある。 過去にエリティアが空腹故に盗みを働いたパン屋の名は『ブレッドハウス美味しい屋根裏』。希望の産まれる街でも中々に盛況で有名な店であり、店名の由来は店主のファミリーネームからの駄洒落である。 即ち屋根裏《ロフト》。 目の前で錯乱しているクリステラ・ロフトは美味しい屋根裏の一人娘、そして街で一番最初にエリティアの友人になったのも彼女である。 最初は歳も近い事、何よりちゃんとエリティアが謝罪に来た事から始まった間柄だが、いつしかエリティアを妹の様に大事にし始め結局のところ現在の姉馬鹿になったのだとはゼーゼマンの弁だ。本人も自覚はしているらしく、エリティアの前ではけして表に出す事はなくとも、実際の所は常に葛藤しているらしい。 (悪い人じゃないから大丈夫だけどね) よくよく考えればトーマの治療を行ったのも彼女だ。何よりも街中の人間の健康を一手に引き受けている彼女が悪人の筈がない。 だが、それでも。 「ねえ坊や!」 トーマの両肩がガシリと掴まれた。 「ティアをアタシに頂戴、大事にするから!」 半分ばかり血走っている眼《まなこ》で訴えられるのにもいい加減に飽きた。 「…………先生」 そして飽きたのはこのやり取りもだ。 「ダメです」 混ざり毛のない純度100%の否定を込めた笑顔で、少年はクリステラの純情を引き裂いた。
純情を打ち砕かれ肩を落としながら帰路についたクリステラを見送った後、トーマは屋内に入った。暖炉からの熱で温められた空気に触れた瞬間肌が泡立ち、あっという間に芯まで熱が伝って行くと、同居人からの挨拶に迎えられる。 「お帰りなさい、外は寒くなかった?」 「ただいま。街道は少し冷えたけど街はそうでもなかったよ、でも冬物を出す店が出始めてたし、街の人もこれから一気に寒くなるって言ってた」 「は〜あ、やっぱりか。嫌だなぁ寒いの嫌いなのに」 「でもほらここなら暖炉があるからあったかいから。そのためにベットも移動したんだし」 エリティアの寝ているベット。これは元々彼女の部屋に置かれていた物だが、冬が近づいてきたこと、そして彼女と子供に何かあった場合トーマが直様気が付くよう動かしたのはつい最近の出来事だ。更には冷えないように厚手の毛布も何枚か重ねてあるのでそう簡単には冷え性には悩まされないだろう。 「だって冬になると水が冷たいから洗濯や洗い物したくないし、雪が降ったら雪掻きしなきゃなんだよ」 「そのかわり冬の果物は春の物より甘くなるし、年越しも近くなるから街もお祭りムードになって楽しくなるってゼーゼマンさんが言ってたよ。それに洗濯も洗い物も僕の担当だからいいじゃない、いざとなれば神術使って水を温めれば平気でしょ?」 トーマは手荷物をテーブルに降ろし、首に巻いていたマフラーを椅子に掛けてから暖炉で手を温間せるべくかざしてやる。 「残念ながら身籠ってる女性は神術は使わない方が良いの。天獣を呼ぶのも一苦労だし、身体の神力バランスが上手く取れないから暴走しちゃうこともあるんだから。神術使えなくても博識な君なら知ってるだろ?」 エリティアのぶぅ垂れる口調は小さな御機嫌斜めのサイン、トーマはそれを彼女との生活で理解していた。 「そうだった、ごめんなさい、うっかりしてた」 「そうだよ、もう。罰として一ついうこと聞くこと」 「それはもう何なりと」 トーマは十分に暖を取った手で、冗談に恭しく会釈してみせる。 「よろしい、なら今日はいつもの続きをするから付き合ってね」 「いつものって、絵本の読み聞かせだろ、いいのそんなことで?」 「私はそれが良いの、それとも君は私のお話に不満があるのかな?」 「では、心して聞かせて頂きます」 トーマは椅子のマフラーを手にして、自分の部屋へ向かう。 「ちょっと待ってて、一休みしたら直ぐに家事やっちゃうから」 「ちなみに今日の私の気分はフレンチトーストかな?」 「承りました、すぐに準備いたします」 いつの間にか要求を二つに増やしているエリティアに向かってクスリとしてから自室に入る。 そして直ぐ、少年は壁に寄り掛かるのだ。 「はぁはぁはぁ」 少年の意識が遠のいて行く。視界がぼやけ、光が消え、気を失う。瞬時に回復するが、彼の身体を支配する存在は別の物に置き換わっていた。 -原因不明による洗脳強制解除、デバイスより洗脳を再施工開始、完了予定時間十分ジャスト 機械《マキナ》の強制作動。アヴァロンにおける活動開始より約四ヶ月が経過し徐々に現れ始めた症状、原因は完全に不明、過去の潜入ミッションに至ってもこの様なケースは見受けられない。 ただ高確率で関与していると予測可能なファクターがあるとすればエリティア・エーヴェルバインが挙げられる。 -エリティア・エーヴェルバイン接触による暗示への影響をシュミレート、四ヶ月以前のマキナのデータに照合、結果有害と判断、対象を考察、失敗 何十回、何百回考察を重ねただろうか。しかしいずれも結論は全て統一されている。 失敗だ。 彼女に接触するだけで暗示に異常が現れる。異常発生までのタイムは不均等であり、僅か五分以内のパターンも見られれば数時間後に訪れる記録も存在する。だが確実にその間隔は狭まって来ているのは揺るがない。 単純かつ明解な対策としてエリティアと距離を置くのがベストだ。しかしマキナは実行には移さなかった。 -対策、エリティア・エーヴェルバイン接触回避の実行、削除 これも原因不明だ、彼女との接触回避を実行しようとすれば思考がそれを拒絶する。非効率以外の要素など含まない判断である筈であるに関わらず。 何がそうさせるのか、機械《マキナ》の思考ではなく、擬似人格である少年《トーマ》の意思が働く余地もない。ならば非効率を要求する理由は、否定しきれない根拠は何処にある。 -双角の鉄槌(バイコーン)早期完遂を目的とする情報収集完了、実行に障害無し。 既に策は整った。あらゆる媒体を用いて情報を集め整理し、時には記憶の手掛かりを探すと銘打っては現地に赴き下調べも完了している。 先ずは王都に噂を流す。国王や教会に対しエルサレム救済を拒む勢力が現れ始めたと誤報を広め、十分に行き渡ったタイミングで賺さず飲み水の原水に毒を流し込み民衆の不安を煽り立てれば、平和ボケした人間は疑心暗鬼に陥る。そこでこの世界のトップたる人物を纏めて殺害する、それも出来うる限り派手に人目につけて。そこまで追い詰めさえ出来れば、後は自壊を待つばかり。更にそこへマキナが働きかけさえすれば炎は全てを焼き尽くすだろう。 噂の流れは作ってある、数回王都に赴いた際それとなく酒場などで蒔いておいた。現在は大した事はないだろうが火種さえあれば激しく燃え上がるだろう。 毒の精製に必要な材料の目星もついている。量もさほどではなくとも強力な物のをだ。 そして最重要である火種、重要人物の殺害。タイミングとしては王都で開催される年越しの記念祭の催しの一つ、王と教皇による演説を狙う。多くの人間が注目する最中で、新たな年を迎える祝時を絶望の幕開けに塗り替える。これ以上相応しい火種は存在しない。 そしてその為の切り札は、最初からマキナに与えられていた。 「……っ」 制御の効かない頭を振り払い、ズボンポケットから取り出された物、それは先達からの贈り物であった。 最新型デバイス。先日微細だがデバイスからは神力が漏れ出していると気が付き再観察したところ、直に触れている者を強化するシステムを搭載している事が判明した。微弱とはいえ密度だけで言えば非常に高密、実験としてデバイスを使用しスナイパーライフルNW9に弾丸及び刀剣形成を実行したが、通常時には比べられない強化が見受けられている。 それだけではない、腕力、回復力、思考速度といった身体能力も飛躍的に上昇し、最高時には10倍近い強化が見込める。 だがそれも連続使用は60分が限界。それ以上は身体の崩壊を招く恐れもある諸刃の剣なのも確かだ。 十分だ、それだけの性能が有りさえするのなら。 -プラン決行予定、25日6時間28分01秒後 それまでだ、この正体不明の胸のざわめきに付き合うのは。全てを終わらせれば解放されるのだから。 -エリティア・エーヴェルバインへの接触を可能な限り減数…… また、視界がぼやける、光が消え、気を失う。そして浮上したのは機械ではなく。 「…………あれ、えっとなにしてたんだっけ……そうだ早く家事やっちゃわないと、先ずは洗濯してそれから……」 これもトラブルの一環だ、マキナの予定した暗示の再完了までのタイムは10分ジャスト、実際には9分ジャスト。1分もの誤差が出てしまった。 仮に壊れ機械が壊れ始めているとすれば、双角の鉄槌(バイコーン)決行のチャンスは一度きり。外すことは許されない。 そんなことは露とも知らずに、トーマは仕事に向かった。
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「小僧はいるかぁ!」 爆発したかと間違う勢いでドアが開き、書庫内を大声が盛大に揺らした。傍目からすれば何事と慌てるだろうがトーマからすれば、敷いていうなら声の主の周囲の人間にとっては慣れ切った日常だ。 「ゼーゼマンさん、注意しないとドア壊れますよ」 今日は祭服に身を包んだ美しき筋肉の伝道師、ゼーゼマン・エーヴェルバインがそこにいた。 「なんの我が美しき上腕三頭筋によって起こる肘関節伸展によるドアの開閉動作に抜かりはない、見ろ!」 ゼーゼマンがドアの蝶番を指差した。 「こいつはワシの筋肉にも耐え得る強度を求めて職人に特注した逸品であり、幾度の試行錯誤の末完成した自信作だ、そうおめおめと壊れたりせんわい!」 「それってゼーゼマンさんの筋肉というより、その職人さんが凄いんじゃ?」 「うむ! ヤツは我が美しき筋肉を唸らせる猛者の一人よ、ちなみに我が家も同じ仕様だ!」 「あの……よければ要件の方をいいですか?」 贔屓にしている職人の自慢話に浸っていた神父がクワッと瞼を開いた。 「しまった、このような世間話をしに来たのではなかった!」 ゼーゼマンは盛大に床を踏み鳴らしてトーマに詰め寄る。顔が思いっきり近い。 「小僧、お前に頼みがある!」 「なんでしょうか?」 「ここ最近街の周囲で不審な人影が目撃されていてな、それも日増しで報告が来ている。もしかすればこの先我が家の周囲にも現れるやもしれん、そこでワシと弟子たちとで街周辺と我が家で夜の見回りをすることが決定したのだ」 「それは凄い、じゃあ僕も是非協力させて下さい」 「さすがはワシの見込んだ漢よ! なのでお前には我が家周辺の森の中を担当してもらいたいのだ。弟子も何人か向かわせるが誰も森の地形は把握しておらんのでな、小僧に指示を出してもらいたい」 「そんな、僕なんかが指示なんて……」 「ん? バカもんそう自分を卑下するでない!」 少年から顔を離し、いつもの腕を組んだポーズを決めたゼーゼマンは熱く語り出した。 「お前は良くやってくれている。ティアも小僧がいるからこそ安心して自分を見定められ、希望の育つ家の連中も信頼できる先生と懐いている。この街に着て早四月《よつき》、今やこの街で小僧を知らぬ者はいないと言えるだろうよ。シャンと胸を張っていろい!」 「…………」 だらしなくトーマは口を開いている。 「何を惚けている?」 「その……驚いちゃって」 「なにがだ?」 「その、ちゃんと自分が街の皆に受け入れて貰えてるんだって今更実感したみたいで」 今度は背中に衝撃が来た。ゼーゼマンが叩いたのだ。 「なにを今更なことを、もう一度言うぞ、シャンとせい!」 「……」 一息だけ息を落ち着かせ。 「任せてください、しっかりやってみせます」 今度は自分で胸をドンと叩いてやる気をみせた。 「よし、ではさっそく今日の夜から決行だ、弟子が家に出向くので合流しだい始めてくれ」 「任せてください」
「ふーん見回りねぇ」 特に興味もなさげにベットに腰掛けたエリティアは相槌を打つ。その間も橙色の絹糸を編み込んで行く編み棒は休ませないらしい。 「ふーんって、それだけ?」 「べっつにー、いつもの事だなって思っただけだから」 「そうかな。不審者が出たって言ってたしゼーゼマンさんが見回りするのとか珍しくないかな?」 「そんなことないよ。君が来る前も教会の皆を使ってしょっちゅうやってたし、今までの不審者も大きなうさぎやキツネだったし。多分何日かしたら終わるんじゃない」 なんとなくだがエリティアの声が少しばかりトゲトゲしいのは何故だ。 「……ティアさんさ」 「なに?」 「怒ってる?」 「うん、怒ってる」 即答だった。 「何でさ、ゼーゼマンさんは街の皆を心配して見回りをするんだよ」 「多分それだと半分正解」 「半分だけ? ならもう半分は何なのさ」 「私のためだよ」 エリティアは編み棒と絹糸を膝の上に置いた。 「昔からそうなの、お父さんは私を心配してくれてるんだよ。なにかあるとすぐに見回りをしたりして、皆も優しいから付き合っちゃって余計に止めづらいからたちが悪いよ」 「そんな言い方しなくてもいいだろ! いいじゃないか自分の家族が心配なのは誰でも当たり前だろ!」 こちらも珍しくトーマが声を荒げた。 「ううん怒るよ!」 負けじとエリティアも反論する。 「だってお父さん朝から晩まで毎日働き詰めでただでさえ大変なのに夜までこんなことしたら体壊しちゃうよ!」 「それは……」 思わぬ反論内容にトーマはたじろいでしまう。 「いざとなれば母なる貴方(フェニックス)だって喚べるし今は君だっている、なのにまだこんなことするなんて少しは自分を大事にすればいいのに、私だって子供じゃないんだから」 「ティアさん……」 エリティアの言い分を意外かと言えば、そうではない。結局のところ彼女は自身よりも他人を気に掛けているだけだ、いつもの通りに。 そして丁度、玄関がノックされた。迎えが来たのだろう。トーマはいつもの栗色のマフラーにお気に入りの、エリティア曰く厳つい黒のコートを羽織ると玄関へと穂先を向ける。 「…………あのさ」 振り返り、もう一度彼女を見据える。 「そんなにゼーゼマンさんが心配なら僕に任せて、今回の騒ぎが何かの間違いだって分かればそれで解決するんでしょ? だから証拠を見つけてただの誤解だって証明するから、ティアさんはそこで待っててよ」 少年は胸に手を当てる。 「ゼーゼマンさんにも言ったんだ、任せてくださいって。だからお願い、ティアさんも僕に預けてほしいよ、森の中はかなり把握してるつもりだし直ぐに真実を見つけて見せる。だから、ねっ?」 普段のエリティアの真似のつもりだろうか、トーマが右目をウインクして見せる。彼女を安心させたいが為の茶目っ気だ。 「……私のウインクはそんなにぎこちなくないよ」 お返しとばかりにパチリとしたウインクを決めたエリティアは、いつもの優しい笑みだった。 「ほら、こうやるの。こうなったら帰ってきてから練習だな。任せたからちゃっちゃと済ませてきてよね」 「お任せを、お嬢様」 いつもと同じに気取った会釈で応えてから、トーマは家を出た。 両肩に、二人分の期待を乗せて。
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清とした森中。草と蔦を踏み抜き、手近な木を支えにしながら、トーマを先頭にした一行は進んで行く。 人員の数はトーマを含め九人、トーマを除いた全員が胴着の上から革製のコートを羽織り足元は天獣飛獅子《グリフォン》の体毛を使った頑丈かつ動きを阻害しないようなブーツで守り、しかし全員が武器の類を手にしてはいなかった。 弟子達は例え何物が現れようと師と共に鍛え上げた全身に纏う筋力、そして熱き血潮の精神を持ってすれば打ち倒せると確信しているのである。 そしてトーマは単純に戦う術を知らない故に武器を持たない。緊急時には一番で危険を伝えるために街へ向かう役目を担っている訳だ。言ってしまえば、森内部の地図を完璧に記憶しているのがトーマだけというのも理由でもある。彼であれば迷わずに森を抜けられるからだ。 「それにしても深い森だな、蔦に足が絡まりそうだ。トーマ、ティアはいつもこんな道を歩いてるのか?」 トーマの丁度後ろをついて来ている男が訪ねてきた。歳は20代中頃、背は男性として平均的で顔立ちは爽やかだが、締まっている身体の影響で軟弱さは欠片もない。弟子の中では若手ながらゼーゼマンの信頼を得ている一人、スコット・イアンだ。 「ううん、いつもはもっと歩きやすい道を使うんだけど、今までそっちじゃ何もなかったからこっちにしたんだ」 「なーる、まあティアならこんな獣道でも楽々だろうけどな」 「オッケー、ティアさんに言っとくね」 「ちょ、待て早まるな!」 「あれ、言って欲しかったんじゃないの。皆もそう聞こえたよね?」 「その通り!」 「自分で地雷踏むなんてスコットさん、マゾっすね〜」 「おっお前ら、後で覚悟しろよ」 「「「ハハハハ」」」 トーマからの振りで皆に弄られるスコットを見て小さな笑いが起きる。だがそんな軽口を叩きながらも、誰一人として周囲に張り巡らせる神経が揺るぐことはない。街とエリティア、自分達が愛する者を護る為に彼等は動いているのだから。 森に入って一時間と少しが経つが手掛かりは見つかってはいない。数匹の小動物には遭遇したがとても騒ぎになりそうな個体はおらず、このままでは何も掴めないまま森中央の花畑に着いてしまう。皆が雑談を交わすのも不安の現れなのだ。それでも声量を絞り、周囲に影響を与えない配慮は怠っていないのは流石である。 一本の大樹の前で不意にトーマが足を止めた。 「どした」 合わせてスコットも声を更に引き締める。 トーマは近くの大木に右手で触れ、上を見上げた。 「今この上で何か動いた気がする」 「おかしいな、ここに猿なんていたか?」 「というより、この森で木の上で生活する大型生物は確認されてないよ。間違いなく何か居るね」 「よし、俺に任せろ」 スコットが前に出て大樹を掴むと右脚を窪みに掛けた。 「ちょっくら登って見てくる」 「大丈夫かい?」 「ガキの頃から木登りは得意なんだ、この程度なんでもねぇよ。ただな、分かってると思うが何かあればトーマは街へ走れよ。それがお前の役目なんだからな」 「うん、スコット気をつけてね」 「ああ」 言うが早く、スコットは木を登って行く。しなやかに枝から枝へ移って行く動きは見事であり、あっと言う間に姿は見えなくなった。 「大丈夫かな」 「ヘーキだって、スコットはゼーゼマンさんの次の次に腕が立つんだ。そう簡単に何かあるかよ」 「……そうだよね、うんそうだ」 トーマもスコットの強さはよく知っている。目立つ技能はないが基本を突き詰めた彼の武術は他の弟子十人を纏めて相手にしようと遅れを取らない腕前だと、ゼーゼマンは評価していた。そう簡単には倒れない男だ。 だからこそ、その音を聞いた時は信じられなかった。 ドサリと物が落ちた音。聞こえた場所には血塗れのスコットが倒れていた。 「スコット!」 近くに居た者が直ぐに近寄り抱き起こす。 「どうした、何があった!」 「……に……」 かろうじてスコットは口を開き、弱々しく喋る。 「に……げ………」 言い終わる前に、今度はスコットを抱えていた者が前屈みに倒れ込む。 想像を越えた事態に誰しも唾を呑み込み言葉を口に出来ない。 そして皆の視線は倒れた二人の先に集まっていく。 そこには人が一人立っていた。 背は高くはないが、全身を迷彩柄のフード付きコートで覆っている為外見は疎か性別すら判別出来ない。確かなのは両手に握られた刃渡り三十センチはあるナイフから滴る鮮血、それがスコット達のものであることだ。 「トーマ逃げろ!」 誰かが叫んだ。 「早くゼーゼマンさんに知らせて応援を呼ぶんだ!」 「ここは俺たちが食い止める!」 「だから早く!」 「二人も治療しないと危ない!」 口早に激励が飛び交いどれが誰の言葉か判断が付かない、一つ確かなのは自分がやるべき事だった。 「う、うん!」 トーマは走り出した、街へ向かって、助けを呼ぶために。 後ろ目に見えた光景は、敵を食い止めるべく立ち向かっていく仲間の姿。 歯がゆい、情けない、そして悔しい。 皆はあれ程にまで強く有るのに比べ、非力な自分は助けを呼ぶことしか出来ないのだから。 「だけど!」 それが仲間を救ける事に繋がるのならば、全力を尽くさなければならない。出来る事に全てを掛けるしないのだから。 「みんな待ってて!」 息が切れるのも構わずにトーマは駆ける。冷えきった酸素が喉を凍らし、恐怖で揺れる脳からの吐き気を押さえ込み、絡む蔦を踏みつけ枝を折りながら。 一刻も早く、街へ。ゼーゼマンとクリステラを呼びに駆けなくてはならない。 眼前に鈍い光が見えた瞬間、トーマは後ろに倒れソレを躱す。咄嗟の判断で刃物だと確信したからだ。 見たくない者が立っていた。全身迷彩柄の襲撃者。 「は、は、は、は!」 過呼吸手前の緊張の中、近場の木を支えに立ち上がるが、足が動かない。震えでガクついてしまっている。 襲撃者が近づき始める。踏み込む時の落ち葉を砕く音は■神の足音だ。 なす術がない、逃げられない、助からない。 「ひっ!」 恐怖から少年は瞼を力強く閉じ、硬く瞑った。 意識が遠退き、最後の瞬間を待つのみ。 襲撃者が少年の前に立ち、左のナイフを頭上に掲げた。月明かりを反射するそれが少年の首元を狙い振り下ろされ、しかし少年を貫く事はなかった。 彼は右腕で相手の手首を鷲掴みにし止めていた。 襲撃者の一撃はピクリとも動かず、場の空気が停滞する。 物が折れる音に続いて、襲撃者の左手からナイフが落ちる。彼が襲撃者の手首を捻り折った音だ。 悲鳴は上がらない、襲撃者は折れた手首を気にも留めず彼の手を強引に振り払うと距離を取り、左を庇う様に構える。 「……起動」 彼が喋った。 「殲滅対象確認、対近接戦闘を基本とし排除開始」 開かれた瞳、恐怖に怯える色はない。 感情と言う色の無い瞳を持つ彼。 殺戮機械《マキナ》が覚醒《きどう》した。
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対象の気配は有れど、姿は視認不能。 マキナの起動を異変と察知したのか、襲撃者は森の奥へ姿を隠した。音を殺した上で最小限のステップにより闇に消えた対象。故意に放たれているであろう気配は周囲一帯に立ち込める、それは逆に対象の位置把握を困難にさせている、いわば気配の結界。襲撃者は撤退を試みているのではない、マキナを仕留めるべく優位な立ち位置を確保しようとしている。 -隠蔽開始 後方へのバックステップによりマキナも森へと消える。不規則に立ち止まらず動き、木々の間をすり抜け移動し、一際高さのある大樹を垂直に駆け上がり頂点に達しようやく止まる。森全体を見渡せ、例え逆に発見されようと不意打ちも困難にさせるポジション。 -サーチ開始 眼球を凝らし、映る映像全てを視神経を通し大脳後頭葉の視覚野へ余すことなく送り込む。 聴覚を張り巡らせ、鼓膜からの振動を側頭葉聴覚中枢で聴き分ける。 肌で感じる空気の流れを頭頂葉の感覚野で識別する。 深夜の戦闘、特に今回のケースに代表される隠蔽戦では先に相手の位置を確認した側にアドバンテージはある。先手を打つことが最重要となるのだ。 -対象の位置確認 北に向かい、距離は247メートル。向かい風も無く、容易な狙撃が可能な位置に対象を確認した。相手がこちらに感づいた様子も見受けられない、絶好の好機だ。 -武装構築 懐のデバイスにコマンド入力、右手に粒子が収束しスナイパーライフルMW9を形成。マキナはそれを対象の胸部にターゲットした。頭部に比べ面積の広い部位ならば例え躱されようと他部に被弾する可能性が高い。仕留められなくとも確実な排除の為の布石となる。 スコープ越しに写る急所に向け、機械は躊躇せず引き金を引いた。実弾であれば秒速一kmを誇るライフル弾だが、マキナのエナジーバレットは秒速3キロメートルの速度で標的を貫く。常人であれば肉眼で捕捉出来たとして、躱すどころか防ぐのも間々ならない殺撃である。 そしてバレットは間違いなく対象に突き刺さった。寸分の狂いも無く心臓の位置をだ。 しかし、崩れ落ちる筈の対象は平喘と立ち尽くしている。更に驚くべきは次の瞬間の方だ。 -緊急回避 襲撃者が急接近を開始した。弾道からマキナの位置を割り出したのだろう。だが移動方法が想定外だ。走り迫るのではない、跳躍だ。ミサイルさながらマキナへ向かい一直線に飛び出したのだ。 僅か一秒後には、襲撃者のナイフはマキナの左首筋に当てられていた。 体勢を崩し回避するも木から落下し、地面に叩きつけられる前に枝を掴み別の木に跳び移る。 -安全距離確保を優先 枝から枝へ飛びながら襲撃者から距離を離していくマキナ。木々の隙間を抜ける複雑な軌道の妨げとなるMW9は粒子に分解する。 先程の跳躍で把握したのは、対象が完全な近接型だという事だ。強靭な脚力により自身のテリトリーを常に確保、有利な戦局を築き上げるテクニカルタイプ。 だが、マキナのスタイルは何者が相手だろうと揺ぎはしない。冷酷無比な観察眼、頭脳に詰め込まれた勝利の方程式から見出したウィークポイントは正に敵の武器にあった。 -対象の膂力レベルを弱と認識。エナジーバレット無効化に対応し、戦闘続行 襲撃者の特徴、正確な急所への狙いは戦闘における基本であるが、ヤツはあまりに正確過ぎる。恐らくは機動力確保の為軽量化を図り下肢以外の強度を削ったパワー不足。自身の膂力不足を補う為に備えた技術であり、その為に敵のナイフは長い刃渡りをしている。 距離をとれば詰められる。ならば相手の機動力を奪い、間合いの外から排除すればいい。 -後方に対象確認、誘導を続行 マキナと同じく、敵も枝を踏み台にしながら追跡してきていた。マキナの通ったルートを正確にトレースしながら、速度はマキナを僅かに上回り、徐々に距離を縮めて来るのだ。 それでいい、目的の箇所へ誘導さえ出来れば速度など意味を無くすのだから。 -着地 森が僅かに開けたエリアに着地した。対象も後方に下りる。そしてこれで、チェックメイトだ。 マキナが下りた地点は沼地、そこに点在する岩場の一つだった。規模としては小さな沼だが、足を取られれば全身の力を利用しなければ脱出は出来なくなる。ここならば敵の機動力を封じられる。 思惑のとおり、対象は動きを封じられもがいている。 マキナは再びスナイパーライフルを再構築し右腕のみで銃口を向けた。先に無効にされている原因の特定は終わっている。狙うは右の肩関節。 対象は苦し紛れの反撃で残りのナイフを投擲してきてきたが、マキナはそれを難無く撃ち落とす。続いての射撃により相手の右肩を吹き飛ばし、更に上腕の消えた肩口に弾丸を撃ち込んで行く。弾丸は体内で弾け内側から対象の身体を抉り、対象は頭から泥に倒れ込んだ。 マキナは岩を飛び移り接近、対象の残骸、首を掴むと泥から引き摺り出す、そして首も握りつぶし胴から切り離す。 戦闘の最中、対象は悲鳴はおろか呻きすらしなかった。余程の鍛錬を積んだ者だとも考えられたが、生身の人間であれば先の弾丸が胸部を貫いていた筈だ。だとすれば、別の見解が浮上する。 -予想的中 右手に掴んだ敵の残骸から漏れ出す粘液は血液ではない、オイルだ。 敵の正体、それは科学が産んだ人形、アンドロイド。先にエナジーバレットを弾いたのはボディに施された対神力装甲による作用だ。よってマキナは装甲の比較的薄い関節部を狙うことで装甲を突破し、開いた損傷部から直接内部を攻撃することで対処したのだ。 -対象をアンドロイドと確認、不明点発生、アヴァロンにおける技術レベルによりアンドロイド製造不可能、当個体は双角の鉄槌(バイコーン)参加個体の残数と予測、異界の門突破時における残数0と記録。当個体存在原因不明。情報収集の為ハッキングを試みる 辛うじて生き残っている人口知能にコートの懐から取り出したデバイスを接続しハッキングを開始する。流れ込んでくるデータの中を解析、整理を繰り返し、マキナは今後の行動を決定した。 -早急にハーメルンへ向け移動開始、問題を解決
街は燃えていた。炎が全てを包み込み、発せられる熱量が大気すらも焦がして行く。平時ならば人々の賑わう声に満たされているハーメルンが、今は逃げ惑う人々の悲鳴が木霊し、恐怖が渦巻く戦場へと変わっている。 そして彼方かしこで破砕音が爆ぜ、警報が鳴り響く戦場で漢達は戦っている。 「民に、街に! この様な狼藉ただで済むと思なよ糞ったれ共!」 ゼーゼマンの拳が襲撃者である男の顔面目掛け打ち込まれ、見事に相手をノックアウトするも頭上から二体の新手が現れ奇怪な光線を放ってくる。場所が教会前の広場というのが災いし盾になりそうなものもない。ゼーゼマンは右掌を地面に叩きつけ叫んだ。 「岩山柔突!」 地が盛り上がり壁を生み出し光線を防ぐ。壁は跡形もなく蒸発してしまい、否が応でも相手の危険性を知らしめられる。 新たに現れた二体は教会の屋根に着地し、倒れていた個体も起き上がるや否や屋根に跳躍した。既に2時間はこの繰り返しが街の彼方此方で起きている。 「ぐぅ、なんなのだこいつらは、ヘンテコな成りの癖して妙な術を使いよってからに。何度も起き上がる根性だけはかってやるながな」 敵の姿は構成が取れていない。男もいれば女もいる、子供もいれば老人もいる。屋根の上にいるのは女が二人に男が一人。全員が機械的なデザインの鎧を着込み、燃える剣、光る片手銃を使う謎の集団だ。そして一番の共通点として、誰一人として表情がない、まるで人形だ。 「ええい、まだ避難は終わらんのか。このままでは犠牲者が出てしまうぞ」 苛立った声音でゼーゼマンは呟く。 街の上空にはあらゆる天獣が飛翔していた。 最低でも天馬《ペガサス》、飛獅子《グリフォン》といった中型種を中心に、中には大型天獣である飛龍《スカイドラゴン》が住人を乗せて飛び立って行くのだ。それだけではない、地上を走って逃げるグループもあれば地下を進むグループもある。街のどこにまだ住人が残っているか不明であれば、強力な力を持つ天獣を戦闘に使役すれば巻き込んでしまう可能性がある。優先されるのは住民の安否だ。 相手は殴ろうが起き上がり、神術により拘束しようとしても術が無効化される不可解な能力を有している。触れれば何であろうと焼き切る剣は躱し、光で貫く銃も防ぐのが精一杯である現状。ジリジリとゼーゼマン達の気力と体力は奪われていき、長く持たないのは明白だった。 相手の三人が銃口を向けてきた。 「ふん、撃つならば撃て。我が逞しき神術がそう柔でないことを見せつけてくれるわ」 銃口から光が走った。ゼーゼマンは再度術を発動させたが、光は壁の横をすり抜けていく。 「ぬぅ!」 振り返ればそこには子どもが倒れていた。栗色の髪をした少女。 「フィーネ!」 希望の育つ家の生徒、フィーネ・パーレット。家屋の物陰隠れて気が付かなかったのだ。凶器の光は直線でフィーネに迫り、例え駆け出そうとゼーゼマンが間に合う距離ではない。 「フィーネェェェ!」 それでも神父は駆け出した。一縷の望みに掛けて自分の生徒を助けるために。しかし間に合わない。 無慈悲に彼女に迫る凶器が命を奪う寸の手前で、だがそれは防がれた。それどころか弾き返され、逆に三人の襲撃者の内の一人、男を貫き破壊する。 少女の前に現れた者。夜を彷彿させる深い黒髪、黒のロングコートを着こんだ全身黒づくめ。右手に下げている鈍色をしたスナイパーライフルの銃身には青紫のエナジーブレードが展開され一振りの刀剣となっている。 「フィーちゃん!」 「大丈夫かフィーネ!」 フィーネに駆け寄る二人の姿。フィーネのクラスメイト、ミリー・クローベルと先輩のローレンス・レンツだ。 「フィーちゃん! フィーちゃん!」 「フィーネ■んでないよな!」 「安心しろ、生きている」 答えたのは、全くの抑揚のない言葉だった。 「気絶しているだけだ、大通りを通って街の外へ運べ、そのためにお前達を連れて来た、途中の障害は排除してある、逃走ルートはルーファスに詳細を伝えておいた」 「でもトーマ先生はどうすんだよ、先生なんかおかしいぜ?」 「残存する対象を破壊する、お前達は邪魔だ、去れ」 「先生……」 ローレンスは気絶しているフィーネを背負うと、ミリーの手を引いた。 「行くぞ、ミリー」 「でも、先生とゼーゼマンさんが」 「俺たちがいると邪魔なんだってよ、大人しく逃げようぜ、ルーも待ってるしよ」 ローレンスは促す。何も出来ない悔しさの滲んだ声でミリーを諭し、走り出した。ミリーもその後に続いて行く。 「対象を補足」 マキナは振り返りすらしない。脚を前後に開き、右手のブレードを突きの構えで戦闘体制をスタンバイしている。 「殲滅開始」 地を蹴った時、風が走った。常人には目視すら不可能の高速機動で直線的に対象に迫るマキナ。 驚くべきは反撃してきた相手の方だ。マキナの動きを先読みし、両大腿目掛けて射撃し的確に命中。それでもマキナの機動は静止しない。 完全にマキナの間合いに捉えた対象に刃が突き出される。炎の刃とぶつかり合い剣尖がやや下方にずれ込んでしまい、そこへ左へ回り込んでいたもう一体の刃が振り下ろされる。 マキナはそれを左腕で防いだ。態勢を変えることなく、ブレードを脇越しに左の対象へ向け、引き金を絞る。 -ファイア ブレードが射出され、対象に貫通した。胴を割かれたにも関わらず今度は銃口を合わせてくる。更に体幹を屈ませ回避、外れた光線はもう一方の対象の頭部に命中、破壊し沈黙させる。 僅な瞬間。時間にして二秒ジャストの攻防が終わった。 「…………小僧、脚は無事なのか」 ゆっくりと近づいてくるゼーゼマンが、最初に攻撃を受けた大腿の状態を確認してきた。 「問題ない、損傷は皆無だ」 嘘ではない。実際マキナの身体に損傷箇所は一箇所として有りはしない。軽度の物すらだ。 マキナがコートの内に隠されたデバイスの神力ブースターを使用、体表にコーティングを施す事で生存率を上昇させていた成果だ。武器威力並びに起動力も強化していた為、対神力装甲も容易に突破してのけ、そもそもここまで短時間で辿り着いたのである。 「……そうか」 神父は一言口にすると。視線を襲撃者の残骸に向けた。 「敵とはいえ、殺生は褒められたものではないぞ。分かっているのか」 静かに迫力の在る声音は責めているわけではない。ただ、問うているだけだ。 「こいつらは人間ではない」 マキナはオイルに塗れた残骸を拾い神父に差し出す。そこで始めて、神父は表情に困惑を浮かべた。 「これは……」 「アンドロイド、人間に造られた動く人形だ。街を襲った目的は単純。街の破壊こそが目的そのもの」 「こんな物は見たことがない、動く人形だとは。だが、これならば容赦はいらないな。小僧、こいつらを止めるにはどうすればよい」 「破壊、アンドロイドは迅速に排除しなくては情報が共有され急速に成長して行く。頭部の人工知能、または胸部のバッテリーを破壊するのが効率的だ」 「ふむ、つまりは頭か胸を狙えばよいのだな?」 「その通りだ、だがヤツらに生半可な神術は通用しない。物理的な攻撃のみが有効だ」 「よし! ならば……」 神父は両の掌を合わせ、瞼を閉じた。 「神術、心伝」 時間にしてたっぷりと一分間微動だにせず、そして瞳を開いた時には全身を滝のような汗が流れていた。 「何をした」 「なに、街に、いる、弟子共に今の話を聞かせてやったまで、よ。うはぁあ、慣れん術は使うものではないな、無駄に気疲れするわい」 「消耗しているならばここにいろ、邪魔だ」 「ふん、言っていろ。相手が壊れんよう手加減していた我が美しき筋肉が疼いておるわい、狼藉を働いた連中を放っておくほどワシは人間が出来とらんぞ」 みるみる汗が蒸発し、ゼーゼマンを白い蒸気が包む。神父が本気になった証だ。 「勝手にしろ」 懐のデバイスで対象の位置と残数を確認。次は西クリアを目標とする。 マキナが駆け出し、ゼーゼマンも続く。燃え盛る家屋をすり抜け、落下してくる障害物を避け、時折エンカウントする少数の対象を排除しながらも二人は止まらない。 -殲滅完了予定、2時間17分44秒後
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街から破砕音は失せていた。至る箇所に残る傷痕は生に痛々しく、ある箇所は建築物が完全に炎上した焦げ臭さが漂い、所々が抉られた大通りには夥しいアンドロイドの残骸が散らばっている。街全体に血痕代わりのオイルが撒き散らされ、美しい景観は姿を失っていた。 しかし街と引き換えとなったのか、住人に大きな負傷者は皆無であり、医者から指導を受けながらならば処置は難しくはない。 ただしそれは一部の彼らを除いた場合の話だ。 「早く運んで、一刻を争うわよ!」 「クリステラ先生、二人とも助かりますか」 「そのために動きなさい、無駄口は要らないわよ! ここで処置を始めるわ、必要な物を集めなさい!」 クリステラの喝の効いた号令により怪我人が運ばれて行く。森でトーマを逃がすために囮となった弟子達だ。重傷者はスコット・イアンと彼に駆け寄った弟子の二名、他の面子は命の危険には及ばない損傷に留まっていた。マキナが森で応急処置を行い重傷者を運ぶよう指示を出していたのが功を成し、戦闘終了後迅速な処置が行える結果となった。 未だ緊張の糸が切れてままならない惨状の最中、しかしそれでも神父であり、希望の産まれる街町長であるゼーゼマン・エーヴェルバインは彼を問い詰めない訳にはいかなかった。 「どうにか■者は出さずに済んだか。街の被害は相当の痛手だが修復は問題無いだろう」 「…………」 「小僧、そろそろお前の話をしてもらおうか、何故あの様な人形の存在を知っている」 「…………」 「答える気は無しか、致し方ない。であるならお前が今回の一件に絡んでいると判断せざるを得ない結果となる」 向かい合ったゼーゼマンとマキナは微動だにしない。問答を投げられながらマキナは沈黙を保ち、騒然とした街の現状と対極のままだ。 「小僧、儂はお前の意思が知りたい……お前は何を考え行動している。何故、我らの前に現れた、何を目指しそこに居る」 「何も無い」 「なんだと」 「何も有りはしないと返答した。俺の目的に俺の自身の意思が働く余地は必要とされない。主の意思のみが優先される」 「それではお前の目的ではないではないか」 「俺の意思は主の意思だ」 「黙れわっぱ! それ以上舐めた口を開けばその中身の空虚な頭をカチ割ってくれるわいな!」 マキナの眼前にゼーゼマンの拳があった。寸の手前で意図的に止めたのは明白、拳風がマキナの前髪を揺らしていた。 「敵対するならば排除行動に移る」 「やってみろ、気味の悪い人形に比べて小僧一人の相手なぞ屁でもない」 密着状態でマキナのフックがゼーゼマンの鳩尾《みぞおち》に決まる。それでも神父に堪える様子はない。 「ふんっ」 「……」 鼻で笑う神父。 無言の機械。 次に動きがあればそれこそ本当のゴングになるだろう。両者の間合いに不穏な気が漂い始めた。 その時奇妙なサイレンがなった。耳を掻き毟られる異音に機械と神父を除く全員が蹲ってしまう。 「ええい今度はなんだ、この珍妙な騒音は!」 音源は街中に散らばるアンドロイドの残骸。完全に機能停止していた筈の屍達は地面を跳ね回り煉瓦の壁を砕き街路樹を薙ぎ倒し続け、全ての個体が脚力により空中10メートルまで飛翔。ノイズ混じりの機械音声が口を開いた。 「おろ、かですね……」 街中で唱和される不気味な言葉。 「あな、たが、おに……ぎょ、う……ねえ、ま、き……」 人形の残骸が光源の如く熱を発し始めた。 「ゼーゼマン神術でアレを包み込め、弟子達にも伝達しろ急げ!」 「くぅ!」 弟子への心伝を簡易で済ませた直後、ゼーゼマンは神術により弾性に富んだ土の塔が人形を縛り上げ瞬間内部で爆発音が轟いた。ハーメルン全体を揺るがした轟音、もし仮に間に合わなければ街はこの世から存在を失っていただろう。 ゼーゼマンの強力無比な神術、岩山柔突。熱線、斬撃への耐性以上に衝撃にはこの上ない防御を誇る。弟子達にも授けられた術式は最適な使用場面であった訳だ。 「どうしたと言うか……小僧、破壊した人形が動いて、しかも爆発しよったぞ」 「違う、外部からの遠隔操作だ。やり口から相手の検討はつけられる」 急に空が燃えた。上空から落ちてくる真夏を凌ぐ熱量は一瞬にしてその異常性を街いる者全員に知らしめる。熱源の方角はエリティアの家。強大な炎の塊が街の中心であるこの位置からでも視認出来た。 「あれは母なる貴方(フェニックス)の炎、それも全力での召喚ではないか…………エリティアどういうことだ、今のお前がそんなことをしてしまえばお前だけでなく腹の子までが……」 本来ならばあってはならない光景にゼーゼマンは呆然と立ち尽くしてしまう。 「緊急を要する。全てがこのために仕組まれていた、アンドロイドを街周囲及び森に潜伏、逢えて警戒を誘い襲撃することで街に注意を向けさせ、更に森における戦闘ではセーフティを施した個体を配置し俺がハッキングを行い街へ急行するよう差し向ける。狙いは街の破壊ではなく、エリティア・エーヴェルバイン。完全に注意を逸らされた」 「どうでもいい! ハミングだのセーファーだの分からんことはどうでもいい、何故だ、何故ティアが狙われた!」 「不明、だが行動は決まっている。家へ向かい残党を排除する、機動力が必要だ、天獣を一体借せ」 「儂も行こう」 「現状では住民に指示を出す人間が不可欠、お前は残るのが最適と判断する」 「くぅ……」 マキナの指摘は的確、反論の余地は隙間もない。 「俺が救出する。俺を言及したいのならば事態収束後に行え」 「…………お前を信じる以外に道は無い、そういうことか」 「だったらコレを使いなさい!」 治療を行いながらクリステラが天獣石《てんじゅうせき》を投げつけてきた。投げつけられた石をゼーゼマンは片手で受け止める。 「その子はこの街で一番速い子よ、振り落とされないで!」 「かたじけない」 ゼーゼマンが天獣石を取り出し神力を注いでいく。明滅し鼓動するそれを見つめながら、町長ではなく神父でもない一人の父親は瞳を閉じ、言葉を口にした。 「この時はお前を信じよう。形はどうあれ街を救ったのはお前だ、頼むエリティアを、儂の娘を救ってくれ」
本来ならば暗闇である夜の街道は母なる貴方(フェニックス)の炎に熱く照らされ昼間以上の明るさである。 そして街道を駆ける姿は皮肉なものだった。マキナを背に乗せ加速する純白の天獣の名は一角獣《ユニコーン》。マキナがこの世界に降り立った双角の鉄槌の由来となった双角獣《バイコーン》と対を成す聖なる存在だ。 世界を滅ぼす存在である筈のマキナが、たった一人の少女を救うべく行動を起こしている。これが如何に滑稽な光景であると笑う者がいない方が可笑しいくらいだ。 急ぐ必要がある、母なる貴方(フェニックス)の炎が完全に消失した。エリティアの安否に問題が生じた可能性がある。 エリティアの家が目に留まる。手綱を弾き一角獣《ユニコーン》を宥めると飛び降り家の中へ。しかしエリティアの姿はなかった。即ち彼女は森の中に居ると結論付け今度は森へ駆け込む。 思考を必要とせずいつもの道を駆け抜け、向かうは出会いの花畑だ。 マキナは正しかった。森が開けた所で静止し、花畑の中心を見つめる。其処に彼女は、エリティア・エーヴェルバインは六人の存在に囲まれ横たわっていた。 こちらに背を向けていた、彼女を囲む六人の内の一人が振り向く。。風に凪がれる琥珀色の長髪、細い輪郭の顔には皮肉な表情が張り付き、フレームレスグラスの奥に燃える焔を連想させる紅い瞳が佇む、身体に密着している血で染め抜いた様な深紅のタキシードが見る者には毒々しい。 「おやぁ、やはり生きていましたか。まぁあの程度で倒れてしまえばこの後の楽しみも台無しですからねぇ。ふふふ、嬉しい限り」 甘ったるい声だ。一言耳にする度喉元を舐められている錯覚を覚える粘ついた声。 「やはりお前だったか」 「お気付きでしたか」 「ここまで回りくどいプランはお前の思考パターンに合致する。異界の門突破時の奇襲も、お前による仕業か」 「そうですねぇ、もはや隠す必要もありませんか。その通り、私からの細やかなプレゼントお気に召して頂けましたようで嬉しい限りですよマキ……」 言い終わる前に放たれた一閃。射出されたエナジーブレードは明確な殺意として標的に向けられ、アンドロイドの一体が身代わりとなり防がれた。 「焦っていますか、らしくもない、後の先を取り相手を封殺するのが貴方のスタンダードでしょうに、なんともまぁ……」 ヤツはフレームレスグラスの淵を指でこずき、瞳を細める。 「醜いですねぇ」 「黙れ」 武器を下ろさず、機械は吐く。 「破壊される前に目的を言え、何故エリティア・エーヴェルバインを狙う」 「彼女が必要だからです」 「何故だ」 「さぁ、貴方こそこの娘に何があるというのでしょう。ここまで状況が悪化したならば関係者を含め全員を始末するのが最善、そんな当然の解答なぞ間違うマキナではない、今の自分の行動をいかがお考えで?」 「………………」 「くぅっはっはっは、まぁ、構いません。私は既に答は見えています」 唇の端にいやらしい嫌みを寄せて、深紅の指揮者クトウ・バッハは高らかに謡い始めた。 「あぁぁああぁあぁああぁ、この日をどれ程に待ち望んだことか……はぁ……貴方を……あれ程までに望んだマキナという存在に辱めを与えた上で壊し尽くす……あぁあぁあぁ……二人で甘美な一時《ひととき》を堪能しましょう、ねぇ……」 クトウが両腕を頭上へ振り上げる、開演を告げる指揮者の挙動。 「マキナ!」 腕が下ろされたと同時に四体のアンドロイドが迫って来る。前方に二体、左右に一体ずつの陣形。更には森の中から後方に迫る二体が現れた。全体が武装らしい物は装備しておらず、徒手空拳による戦闘を挑んできた。 マキナの両手が濃紫に淡く発光した。武装解除し、その場から動かず体を旋回させ手刀により六体同時攻撃を弾いたマキナは隙を逃さず再び武装を構築、右の一体に斬りかかり突破し距離を取り反転、突破した一体にターゲットしエナジーブレードを射出。アンドロイドの対神力装甲を物ともせず貫通破壊した。 「ほぉう、やはり以前に比べ強力になっていますね、でしたらこれで如何でしょう」 クトウの足元に複雑な紋様の円陣が出現した、色は黄金《こがね》。 「riposatamente《静かに》、pesantemente《重く》、sul ponticell《佇立なさい》、aigis《アイギス》」 クトウの体が黄金の光を放ち足元に同色の円陣が出現、残り五体のアンドロイドに付着、するとアンドロイドも同様の輝きに包まれた。 隙間を作ることすら許さぬ機械の連撃は続く。ブレードを構築、射出を繰り返す事五度。全ての刃は標的に命中するも、それらは砕け散りかすり傷にもならない。 aigis《アイギス》、魔除けの盾の名を冠する硬化付与術式。効果対象に降る如何なる災いを退ける神術。 -対象変更 振り向きざまに銃身をアンドロイドの群れから管制者であるクトウへ移し、引き金を絞る。 「brusquement 《荒々しく》、rapide 《速く》、au-dessus《高くその上に》、Sleipnir《スレイプニール》」 その寸前に聞こえたのは呪詛にも思える詠唱だった。 硬化に加え加速の強化を受けた拳に囲まれ、マキナは再度逃げ場を失う。 「Angabe 《私に従え》、extreme《イクストリーム》」 更に付与される破壊力の上昇。走攻守、全てにおいてアンドロイド群はマキナを抜いていた。完全に回避不能のまま全身に拳の嵐を浴びせられるマキナ。衝撃という衝撃に芯まで揺さぶられ、それでも彼は沈むことなく耐え抜き反撃した。 衝撃の嵐を無視し、正面の一体の顔面を鷲掴むと銃口を胸部に突き付ける。 -刀剣構築 より濃紫の刃が銃身を包んだ。 -バースト 完全至近距離から強引に胸部に捻じ込まれ、対象を切り裂き爆ぜる刃。爆炎に炙られた他のアンドロイドに同様の蓮撃を立て続けに浴びせ、周囲の景観は瞬く間に焔の戦場へと変貌する。 熱が意識を焼いていく。皮膚を超え、神経を通して脳髄を支配する業火の存在力は生を奪い尽くす怒りの象徴だ。 静かに機械は佇む。業火に身を任せ、虚ろな視線が捕らえるのは抹殺すべき標的クトウ・バッハだ。 「……答えろ」 冷ややかな声音が落ちる。 「エリティア・エーヴェルバインを必要する理由を吐け」 氷点下から燃え上がり始める。 「只の一般人だ、神力の総量に関しては高くはあるがそれも平均を僅かに超える程度。固執する理由には成り得ない」 「理由……ねぇ」 血色の指揮者はしゃがみ込み、足下の少女の胸元に手を伸ばした。 「貴様」 「待ちなさい、危害は加えません。そうですねぇ、確かにこの女に価値は有りませんよ、私が興味を持つのはコレです」 胸元から引き出したのは真紅のペンダント。エリティアの天獣であり無二の友母なる貴方(フェニックス)の眠る天獣石《いし》。 「コレについては美しいと褒められますよ。吸い込まれる静謐な輝きに酔いしれてしまいます。この石から産まれ落ちるあの不■鳥は是非に手中に収めたい。この少女が傷一つ負わずにいるのも不■鳥と契約している為でしょう、圧倒的な回復力、そして炎への耐性、実に素晴らしい。貴方を調査する過程でまさかこんな拾い物をするとはねぇ、しかし惜しいかな、こんな小娘と契約していては真の力の解放はありえない、であれば契約を解き私の、いえ私達の悲願の為にもここは手中に納めるべきと思いましてねぇ」 「母なる貴方(フェニックス)を狙っての襲撃だと」 「そうです。あぁぁ、一層のこと白状しましょうか。双角の鉄槌(バイコーン)、マキナ、つまり貴方を異界の門の先にある天域へと送り出す第一撃、そしてマキナが天域を滅ぼし尽くす第二撃をもって完遂される命運を掛けた決戦。この舞台にあって、マキナを除く全てが捨て石だと私の君主は最初から理解していました。ガレリア、エーリュシオン、イルドの三国が手を結ぼうと貴方一人を送り出すのが精々の戦力で何が叶うと言うのです。例え貴方がどれ程に強くあろうとそれは揺らぎもしない事象です。ですがね見つかったのですよ、新たな可能性が、即ち」 燃え盛る火焔を背景にクトウは立ち上がり、胸に手を当て誇らし気に宣言する。 「私、聖ガレリア帝国近衛騎士団副長クトウ・バッハこそが新たな希望と成ったのです」 「血迷ったか。支援型であるお前個人の戦闘力などラッツ・セシルと同列、可能性など程遠い」 「セシル? あの小僧ですか。彼も馬鹿ですねぇ、貴方を生かす為に■を選択するとは。いいですかマキナ、可能性とは単純な戦闘力で決りません、私の英智と神術そして獣を従えるみ御業《みわざ》を持ってすれば悲願は叶うのです」 「獣を従える……異獣をコントロールする術《すべ》 をお前が持つというのか、異界の門における戦闘までもが、貴様の支配下だったと」 「いえいえあの演目では問題が生じていました故にそうではありません。ですが貴方とヴァイス殿の活躍により障害は取り払われた、プルートオーガは私の支配下で動いてくれましたよ」 「幾度の研究結果から異獣の制御は不可能と証明されている」 「それは人の保有する神力の絶対量不足が招く結果に過ぎません、ですからこそ私にしか許されないのです」 クトウは自分の左手の甲を掴み、あろうことか躊躇無く皮膚を破り裂いた。そして現れたのは筋でもなければ骨の形も有りはしない、血液も流れず、そもそも血管が走っていない。無機質な部品で構成された左手。 「どうです、下卑た物だとは思いませんか。これだけではない、腕、脚のみならず内臓のほぼ全て、筋肉に骨格、髪の繊維一本一本に至るまで人工物に置き換わっている。無事なのは、こことここくらいですか」 クトウは頭部、次に胸部を順に小突き、薄笑いを浮かべた。 「脳と心臓だけは生身のままですよ……マキナ、私は貴方になりたかった。覇都の落日を覚えていますか……私達をはじめかの災厄により身寄りを無くした孤児は少なくはなかった、幸運にもあの惨状から這い上がるチャンスを得ましたが、それは私ではなく貴方の手に渡った、覇王の影として絶対の力を与えられるマキナの称号はね。幼いながらマキナの意味に力を感じた身としては、適正なしと判断されエーリュシオンからガレリアへと売り飛ばされてからそれはもう苦痛の日々でした、覇都の落日など安らぎに感じるほどに。ガレリアにおける私の役目は実験体、あらゆる投薬、身体部品の交換、いつ■んでもおかしくはない非道を受け続けたのです。貴方の受けた調整作業と違い命の保証など有りませんでしたから、中々に堪えましたよ、よくもまぁ生き残ったものだと今更に思います。ですがそれは無駄ではなかったのです、身体のほぼ全てを人工物に置換し神力バッテリーを搭載する事で常人を遥かに凌ぐ力を得たのですから、この眼球がそれにあたります」 左手を炎に差し出し、クトウは語りを続ける。 「元々神術の才覚はありましたからねぇ、騎士団副長にまで上り詰めた矢先に双角の鉄槌(バイコーン)の話が上がりました。他の二国を片退け私の力を持って達成すればガレリアは名実ともに世界一の強国として支配権を握れます、貴方を生かしておいたのも情報収集に利用出来ると、それだけの理由です。感謝してますよ、お陰様で後は手懐けた異獣を使い天域を奪い去るだけですから」 「させると思うか」 マキナが踏み出そう構えた瞬間、クトウも動いた。 「もう貴方は邪魔なんですよ」 そして、クトウの触れている焔が輝き始める。 「喰らいなさい、炎喰らいの牙(マンティコア)」 焔がマキナへと襲いくる。躱し、更に踏み出そうとした瞬間、完全に避けたはずのそれが噛み付いてきた。 -これは スナイパーライフルで防ごうにも触れた途端に溶解し、マキナの右腕を焦がしていく。 「言ったでしょう、獣を従えたと」 炎の中から現れてくるのは幾重にも並ぶ図太い牙、深々とマキナの右腕に食い込み燃やしていく。 「うおおおおおお!」 左手でコート内の小箱に触れ神力を回復するそばから体表のコーティングへと廻して行くがそれでも足りない、牙の火力が上回っている。 焔から徐々に具現するその姿は歪だ。全身を紅の体毛に包む獅子の体に蝙蝠の翼、尾は無数に別れた蠍の棘を備えた焔の魔獣。額には刻まれた紋様が浮かび、これこそが獣を操る術式なのだろう。 「ぐぉおおぉおぉおお」 魔獣の頭を掴み一気に一息に引き離す。右腕を犠牲に脱するが、奪われたのは腕だけでなく体力もだ。 焔の魔獣、炎喰らいの牙(マンティコア)は主であるクトウの側へと飛び移り、傅く。 「紹介しましょう、私の一番のしもべ、炎喰らいの牙(マンティコア)です。彼と契約を結んでいるからこそ小娘の異獣に対抗出来たのですよ」 「はぁはぁはぁ……くぅ!」 「おやぁ、疲労困憊ですね。素晴らしい、あれだけのアンドロイドを使い追い込んだ甲斐がありました。後は……存分に楽しんで差し上げましょうか……」 深紅の指揮者が近づいて来る、傍に魔獣を従えて。 「マキナ……貴方はお気付きでしょうか? そこの娘に関わり出したこの数ヶ月で貴方は弱くなった。まったく何を見たというのか、擬似人格を使いながら貴方は無意識の内に娘と関わりを持とうとしていました。瞬く間に内に錆崩れる姿を眺めるのは愉快でしたよ。そしてマキナに感情が芽生え始めたのは何より好都合、マキナの強さの根底は欠落した感情です。自ら力を捨て去るとは愚か過ぎて愛おしいくらい」 雨が降り出した。大粒が降り注ぎ炎を鎮めていく。 クトウはうつ伏せに倒れ込むマキナの頭部を踏み付け、声を高めた。 「あぁぁっぁあっぁぁっぁっぁっぁああ! これです、この快楽を私は求めていた! 何よりも甘美な絶頂にイってしまいそうですよ! ねぇマキナ、感じるでしょう! ねぇ!」 踏み付け、蹴り上げ、 踏み付け、蹴り上げ、踏み付け、蹴り上げまた踏み付ける。口から擬似唾液の泡を漏らしながら、泥に変わった地に頭を埋めるマキナを眺めクトウは絶頂に浸る。 「あはぁ! ぁぁマキナ! ねぇマキナ! ……肌が震えます……愛しいマキナ! 憎いマキナ! さぁどうして楽しめば喜んでいただけるでしょう…………そおぅだ手始めに瞼を切り取ってみましょう、眼球が乾く痛みは堪え難いものがありますからねぇ、さぞかし快感に違いない。そして次は耳を剥いで唇を削ぎ落とす、腕から指にかけて骨を一本ずつへし折って切り落とし大量の出血……顔面蒼白になる貴方はそれでも戦意を失わない……そんな姿に高揚する私は鮮血に濡れたマキナの頬に舌を沿わすでしょう…………あぁそれから……それから……楽しいですねぇ……震えますよ!」 間を置かず足蹴にされるマキナ。身体は僅かも動かせず、それでも機械の頭脳は止まらずにいる。 -………………俺は 自分は、何を思い描いていたのだろう。 -………………マキナ、意味 デバイスからの神力をオーバーユースし限界を超えた身体はいうことを聞かない。横たわったまま、彼は悟り始めた。 天域に辿り着き、エリティアに出会い、共に過ごした日々が自分を狂わせたのだろうか。彼女を通して出会った人々。熱く皆の前に立つゼーゼマン、自分に懐いてくれた希望の育つ家の生徒達、教会の面子や街の住民。 なによりも、エリティアがマキナの正体に迫ったあの夜こそが、最たるきっかけ。誰にも気づきすらされなかった自分を映してくれた彼女の瞳。マキナではなく、自分と言う存在を見つけてくれた彼女に焦がれたのだろう。 いつしかトーマ・カッツェルと言うフィルターを通してマキナ自身が彼女達との輪中に居ることを望んだ。だからこそ思考する事なく、無意識にマキナは街、なによりエリティアを救おうとした。護ろうとしてしまった。 -…………理解不能 思考を掻き乱す不可解な要素だ。 -思考混乱 効率など無視し、機械は動いていた。己を振り返りもせず、理性に反した行動ばかりをとっていた。クトウの言う通り全て破壊すればいい、本来の目的だ、しかし背いてしまった。 『お前は何を目指し、そこに居る』 ゼーゼマンの言葉が蘇る。マキナの目指すもの、即ち。 -…………俺の デバイスを握りしめる。 -…………望み (……ノ…………ゾ……ヵ…………) 脳裏に雑音が流れた。クトウでも、エリティアでもない、デバイスの電子音声が意識に直接響くいてくる。 -……なんだ 堕ちかける思考を振り絞る。過剰な消耗による幻聴だろうか。 (ノ……ゾ…………ム……) -望む 望みとは何だ。わからない。だが、もしもこの理由不明の思考が感情であり、滲み出る鼓動が望みであるならば、確かに有る。 -認める……べき……か 感情を。 -俺は…… 望みを。 -エリティアを、助けたい それだけは認めたい。 -力が、欲しい (……ノゾムノカ) -望む、エリティアを救える力を、俺に。叶うならば、惜しいものはない (……そウカ、ヨうヤく……たドりツケたか……) 靄が晴れ始めた。声がより鮮明に響き始める、聴き覚えのある電子音声は唐突に年若い男性の生声へと変化していく。 (君を待っていた、我と呼応し、共に力となれる君の意思を、さあ望みは示された、我が半身である君、知っているだろう、聴こえているだろう、名を呼べ、さすれば) -……望む 記憶に無い筈の名は、不思議と鮮明に理解出来た。 -俺は俺の意思で力を欲する 名を紡ぐ。 「騎士《デウス》……」 彼の名を形作る三つの欠片。一つ目。 「……仕掛け《エクス》……」 二つ目。 「機械《マキナ》」 機械仕掛けの騎士(デウス・エクス・マキナ)。 名が落ちた時、デバイスが砕け中身がマキナの手に収まる。それは八角に装飾された濃紺の宝石。獣を宿した、神秘の秘宝。 「これは!」 余裕を保っていたクトウの顔に初めて焦りが走った。足を離し、後ずさる。 「stravagante《幻想》、sonoramente《響け》、Citazione《現れなさい》、cantante《歌う様な拍子に合わせて》」 召喚陣が展開される、その数実に二百四十一。全ての陣から多様な異獣とアンドロイドが呼び出されていく。 「そうですか、これが貴方の力の源……殺りなさい! 生かしておくのは危険です」 クトウの判断は遅すぎた。 秘宝からより放たれるのは光ではなく、夜すらも染め上げる深淵の闇である彼。闇は立ち上がり、惨劇を繰り出した。縦横無尽の軌道を描き、次々と獣と人形を切り裂く闇は冷徹であり、鋭利な刄そのものである。燻る残り火を散らし、降りしきる雨の音を掻き消しながら。 「仕留めなさい早く! ええい何をしているのです!」 クトウの叫びも虚しく、炎喰らいの牙(マンティコア)を残し呼び出された者たちは殲滅されていた。 闇はマキナの眼前で佇むと、輪郭をより明確にしてくいく。 「お前は……」 その姿に、さしものマキナも言葉を失う以外ない。 顔も含む全身に身に付ける重厚な鎧、両手に下げた長剣、全てを影よりも更に暗い深淵に染めた者。 かつて、聖域において対峙した剣の騎士がそこにいた。
6
「お前は……」 地に伏せたまま、彼を見上げマキナは呟く。 深淵の騎士。彼はマキナに背を向けたまま微動だにせず佇立している。月明かりすら映さない騎士の色彩は目視することも難しく夜と同化していた。 『立て』 騎士がマキナを呼ぶ。 『君は我と契約を結んだ半身、いつまでも伏せ続けるのは許さん』 「言いたい事を言ってくれる」 動く左腕で体幹を支え、力尽くで立ち上がる。 『それで良い』 「お前は、一体何者だ」 『………………』 「黙認する気か」 『名を忘れたか』 「名だと」 『君は我の名を知っている筈だ』 「……機械仕掛けの騎士(デウス・エクス・マキナ)」 『そうだ、君と我を繋ぐ契約はそこにある、心せよ』 マキナは左足を引きずりながら、機械仕掛けの騎士(デウス・エクス・マキナ)の隣に並び肩を並べる。 そして前方から奇声が飛んできた。 「きぃぃいきぃいきおききいいおいいきおおきいぃぃいいっいぃぃ、てめぇは! ■んだんじゃねえのかよ! ああああああんんん! あの決闘馬鹿にぶっ殺されてよぉぉおおおおぉぉぉおおぉおおおおぉっぉおぉ!」 奇声の正体は瞳孔を限界まで開いたクトウ・バッハ。 『あの戦いで勇敢なる大剣使いに倒されたのは我ではない、あれは我の存在を模したのもの、我の幻影だ。気付きすらしていなかったか、貴様程度の存在で我を従えようなどと、思い上がりも腹立たしい』 「ぐきぅぅきいきぅいぅいぃいききききぃぅぅいきぃい!」 琥珀色の長髪を掻き毟りながらも、クトウは奇声を上げる。 「畜生! てめぇとあの白い盾野郎だけは何故か私の術式を拒絶しやがった! てめぇがいると何故か他の異獣どものコントロールが効かなくなる、だからわざわざあんな手の混んだ手段でぶっ殺したのによ、なめやがってぇえぇええぇえぇええぇぇぇ!」 『黙れ、我が同胞を従えたと思い上がる愚か者よ、愚かさに溺れ、消えるが良い』 右手に携えた長剣の切っ先をクトウに向け、騎士は静かに明確な怒りを放つ。 「…………ふぁ……ふ、ふ、ふははは……」 息を吐きクトウが小さく笑いを漏らした。先の混乱は収まっている。 「愚かですって、**ですって、笑わせてくれます。思い上がっているのはてめぇですよ、異界の門においての戦闘では天域進行に向けて私は力を温存する必要がありました、ですが今は違う、小娘から不■鳥を手にいれさえすれば失った戦力を遥かに凌駕する結果となる。つまり今度は手加減のない、真《まこと》の私が貴方たちのお相手を務めるのです、てめぇの妨害も役に立ちませんよ」 クトウが鉄の左手を頭上に振り上げ、呪詛を唱える。 「stravagante《幻想》、sonoramente《響け》、Citazione《現れなさい》、cantante《歌う様な拍子に合わせて》」 地に、宙に、天に。幾数もの円陣が再度出現し、新たなアンドロイドと獣が召喚される。その数は優に先の倍は有るだろう。 「2678体、少しは楽しめる数字でしょう。今の私から統率権を奪うことは出来ませんよ」 『2678体、舐められたものだな』 「言ってなさい」 騎士は怒りを、指揮者は殺意を巡らせ互いを牽制し、常に相手の喉元を狙い澄ます。 たった一人の騎士と千を超える人形と獣、戦力はどちらに分があるのか、それをマキナは静謐かつ激しい闘志渦巻く中、冷静に考察していた。 -クトウの戦力を予測、今後更なる召喚数の増大が可能性に上がる。機械仕掛けの騎士(デウス・エクス・マキナ)の戦力を考察、単体による戦闘力において敵陣を凌駕と判断 そうだ、マキナは深淵の剣《つるぎ》である機械仕掛けの騎士(デウス・エクス・マキナ)の力を既に目にしている。恐らくはマキナと同等の実力者である大剣使いヴァイス・ザフィアと互角の戦いを見せ、尚且つそれすらも機械仕掛けの騎士(デウス・エクス・マキナ)の影によるものだった。ならば隣に立つ本物の騎士は影を遥かに凌駕する存在、たかだか千、二千の軍勢が太刀打ち出来るものか。 むしろ戦力としての問題はマキナにある。大きく消耗した体力、武装ごと焼け落ちた右腕から滲み出る出血が更に気力を奪い続けてしまう。まともな戦闘は非常に困難だろう。 そして唯一の望みである機械仕掛けの騎士(デウス・エクス・マキナ)の召喚を維持するには契約者であるマキナが存命する事は必須である。ならば、マキナの行動はただ一つ。 -機械仕掛けの騎士(デウス・エクス・マキナ)召喚維持の為、マキナの生存を最優先とし、回避を基本とした存命行動に入る そうだ、出来る事は逃げまわるのみ。惨めに、滑稽に、それでも生き延びる以外に選択はない。しかし、唯一の選択を否定したのは他ならない深淵の剣だった。 『君が倒せ』 視線を前に向けたままに、騎士は告げる。 『あの愚か者は君の手で葬ってこそ意味が産まれる』 「不可能だ、俺の状況を理解しろ。武装は大破し、右腕も失った、現状のスペックではまともに戦闘は行えない」 『諦めの早い。今一度意識せよ、我を呼び招いたのは君の意思、あの少女を自らの手で救いたいと言う君の願いだ』 「だが……」 『周りの雑魚は掃除してやる、行くぞ』 「おい待て!」 声を掛けた時には遅い。深淵の騎士は獣と人形の群れに疾走し、次の瞬間には二百余りの個体が神速の剣閃に割かれ崩壊していた。 「stravagante《幻想》、sonoramente《響け》、Citazione《現れなさい》、cantante《歌う様な拍子に合わせて》」 クトウの呪詛に合わせ更なる円陣が展開、三度《みたび》獣と人形が現れる。その数3883体。 『笑止』 騎士の速度が跳ね上がる。一度(ひとたび)で崩壊する個体数が三百、四百と増え続けて行く。反撃の隙すらも与えない騎士の剣技は残酷に全てを否定する狂気を、何よりも怒りを宿していた。 「stravagante《幻想》、sonoramente《響け》、Citazione《現れなさい》、cantante《歌う様な拍子に合わせて》」 微かな焦りを孕んだクトウの詠唱が再び。現れる個体は4498体。そして再度騎士の剣閃は敵を襲い、崩壊させる。 幾度繰り返しただろうか。再現される光景はどれほど告示し、どれほど迄に逸脱しているだろう。深紅の指揮者が一度に呼び出す個体数は遂に万を超し、深淵の騎士が繰り出す剣の閃きは一振りで二千の敵を殲滅する。構成と崩壊により奏でられる戦慄《メロディートーン》は鎮まりを見せず、進行していた。 -これが…… 背筋が震え上がる感覚を覚えたのはいつ以来だろう。 -異界の門における戦闘時のデータと比較、騎士のパラメータ大幅増大と確認 圧倒的だ。獣で在りながら人の姿を成す異形の存在。数えるのが億劫に成る程、異獣を狩ってきたマキナですら騎士に匹敵する個体を認識した事は無い。ゴドウィンが用意した切り札、確かに天域全てを滅ぼし尽くすには申し分ない力だ。 闇すら埋める深淵。 異形を極め優美。 最強を越えて絶対。 正しく最上の誇り高き者。 -機械仕掛けの騎士(デウス・エクス・マキナ) 無意識に脳裏で呟かれた騎士の真名。奇しくも自らに重なる機械《マキナ》を名乗る彼の姿を、マキナはただただ仰ぐ他に術を持たない。今の自分が騎士の闘いに参じたとして動きを惑わせるしかない。それほどまでに騎士は強い。 「まったく、面倒な。こうまで相手の思う壺にハマればかえって分かり易い。マキナ、貴方も気が付いているでしょう」 クトウの疲労を乗せた台詞が耳を打つ。 「召喚累計109870体、我が戦力の全てを使い尽くし、私の残存神力も一割を切りました。強化《コンダクト》を施した上でこの状況が継続してしまえば口惜しい事に私に勝機はないでしょう、こうも簡単に私の全力を凌駕されるとはねぇ、ですが……」 十万を超す召喚とcoducto《コンダクト》附与に消耗したのか息が荒い、クトウは掌を空に向け左をゆっくりと差し出してきた。 「それはマキナ、貴方も同じです」 「………………」 クトウ指摘は的を射ている。 -マキナ残存神力及び肉体限界を確認、機械仕掛けの騎士(デウス・エクス・マキナ)維持可能リミット9分58秒。敵戦力殲滅終了予測9分54秒秒。当初予測されていた消耗速度を超過 そうだ、騎士を維持しようとすれば殲滅が終いになると同時にマキナの命が尽きる。 一方クトウは完全に戦力を崩壊させられてしまい、大量召喚の反動からショックにより脳髄が焼け付き絶命する。 完全に共倒れだ。そうなればエリティアを街まで運ぶ者がいなくなってしまう、だとすれば、互いに残された道は一筋。 -敵陣召喚者、クトウ・バッハを排除 「貴方を殺します」 機械仕掛けの騎士(デウス・エクス・マキナ)の召喚者であるマキナ。 異獣とアンドロイドの召喚者であるクトウ。 どちらかが先に相手を屠った者が生き残る。 機械仕掛けの騎士(デウス・エクス・マキナ)の目論見。異獣とアンドロイドの全てを騎士が引き受ける事で召喚者同士による一騎打ちの場を作り出す。マキナの意思を自らの手で叶えるために。 「………………」 「………………」 二人の間に、久方ぶりの沈黙が立ち込めた。 機械は残った左手を脱力させ、瞬間の加速に備える。狙うは、クトウの胸中、心臓。 指揮者は鉄の左手を傍の魔獣に添える。荒い毛並みを撫でつけ、残りの神力から強化の術式を刻み込む。 「炎喰らいの牙(マンティコア)頼みますよ、主に勝利をもたらしなさい」 魔獣が歩をマキナに向け、ゆったりと進み出した。主に楯突く鉄屑を焼き喰らうべく。 -イメージ イメージ。それは未来を具現するファクターの一つ。魔獣の牙を躱し、敵の心臓に手を届かす明確な映像が思考を埋め尽くす感覚に全てを委ねる。音が消え、視界から魔獣とクトウ以外の光景も失せて行き空間に溶け込んでしまう。 魔獣が飛んだ。四肢で地を蹴りつけ、背の羽で一瞬に空中滞空しマキナ目掛けて墜落してくる。マキナは身体を傾け爪を躱し、牙の一撃を左腕に込めた神力で弾く。魔獣に隙が生まれた、地に着いた衝撃により動きが止まったのだ。 今度はマキナが駆けた、クトウの心臓目掛けて。 「supplichevolmente《哀願するように》、Inferno《インフェルノ》」 クトウの周囲に現れた無数の炎の槍、あるものは直線に、あるものは円環を描く軌道で襲いくる。 -突破 今は回避すら惜しい、急所を狙う槍にのみ対処し、外れるものは受け切り心臓に迫り。 -破壊 左手《さつげき》がクトウの心臓届く寸前。 「チェックメイトです」 笑みを浮かべたのはクトウの方だ。 「なっ!」 背部から脇腹を貫かれた。槍は対処し魔獣は体勢を立て直している最中の筈。 -これは 貫いてきた紛れもない魔獣の一部だ、しかしそれは予想外の部位。 -尾 炎喰らいの牙(マンティコア)は獅子の身体に蝙蝠の羽、そして蠍の棘からなる尾を持つ魔獣である。そう、蠍の棘にマキナは貫かれたのだ。 「驚きましたか、生憎と炎喰らいの牙(マンティコア)の身体に飾りは有りませんよ。全てを燃やし喰らう牙、飛翔し天に座す羽、伸縮し毒により仕留める尾、全てが凶器であるのですから」 炎喰らいの牙(マンティコア)にとって尾とは複雑に動く様に進化した部位ではない、距離も十分に開いていたにも関わらずこうも仕掛けてくるとは予想外だ。 -毒 不吉であるクトウの言葉が染みていく。神経を伝い全身に痺れ渡る激痛と麻痺してく筋、紛れもない毒の症状が現れていく。 -まだだ 辛うじて筋力を動かせる神経を左腕にのみ集中させるも、クトウの鉄の腕に掴まれ阻まれた。 「惜しかった、そう言って差し上げますよマキナ。諦めらなさい、今の攻撃に神力を使った事で貴方の残存神力も減少しました、こうなればあの騎士も私のしもべ達を倒し切る前に消えることでしょう」 「くっ」 「おや、これはこれはなんとまぁ、マキナが顔を顰めています、へぇぇ、やはり感情を取り戻してきているのですか……くふ……あはぁあぁぁ笑えます、あの騎士のせいで少しばかり冷やりとさせられましたがまぁ良いでしょう、このまま放置するだけで私の勝利は確定しましたから。ありがとうございます、貴方が感情に任せて馬鹿をしてくれたお陰様で決着は私の勝利となりました。ですが念には念を込めて、あの世への手向けを添えましょうか」 掴んでいた左腕ごとマキナは放り捨てられ泥にまみれる。 皮肉な笑みのままクトウは魔獣に最後の指示を出した。 「炎喰らいの牙(マンティコア)、お前は私の為の旋律を奏でなさい、福音を!」 瞳孔、口角が割けるほど開ききり興奮に染めた声音で宣言された命に、忠実な魔獣は応えた。 戦場を覆い尽くすのは聖歌だ。鈴の音を洗礼させた透明感、オーケストラにも勝る存在力、幾万の祝福が折り重なり紡がれる人の言葉《ことのは》ならぬ神秘の旋律、福音。祝福から溢れた人にとっては猛毒でしかない。僅かでも耳にすれば常人であれば発狂し、幼い子供ならば即■は免れない呪詛。 「すばらしいいぃぃいいいぃぃぃいいいぃい! 残数は34700体、しかしそれでも貴方を葬るには十分をどころか不相応! 歓喜なさいマキナ、ここまで手を尽くして仕留めるのは貴方への敬意の証、受け取りなさい!」 音が重圧として降り注ぐ、全ての異獣が奏でる神秘の呪詛は炎喰らいの牙(マンティコア)の契約者であるクトウ以外、触れる命を呪い尽くしていく筈だ、しかし効力はマキナには及びはしなかった。 -福音が無効だと 以前の様な精神の錯乱、細胞へのダメージどころか何も起きはしない。 よく耳を澄ましてみる。これは紛れもなく福音に違いない、人を■に追いやる神秘の旋律のはずだ。だが幾万の旋律が折り重なる中、一つだけ外れている旋律《そんざい》があった。 -あいつが 外れ者の正体は機械仕掛けの騎士(デウス・エクス・マキナ)、彼が奏でるただ一つだけの旋律だった。それはまるで優しい夜の如く、揺り籠に揺られる安らぎがある。彼が護ってくれている、呪詛から退け、マキナを生かしてくれている。かつて異獣をクトウの術式から護った歌が包んでくれるのだ。 そしてマキナは感じることになる、もう一つの異変を。 福音 第一楽章 獣の歌 『わたしたちはあなたをゆめみて』
なぜ貴方は、触れてくれないのですか なぜ貴方は、気が付いてくれないのですか 私は貴方を望んでいます たとえ涙《こころ》が枯れようと、愛しく、優しく、誰よりも貴方を求める私の手を受け取って下さい たとえ憎しみで貴方《こころ》が満たされようと、誰よりも貴方を見ている私を忘れないで下さい 貴方が一人で迷うなら、私が貴方を導きます 貴方が孤独で悲しむなら、私が貴方を包みます さあ、目を開けてください、立ってください たった一夜の出会いでも、それが二人の始まりなのです 私の心《なまえ》は貴方の心《なか》に、いつも二人はより添っていたのですから 共に行きましょう、夜の先にある始まりの朝へ 私と貴方が望んでいます
福音の意味が理解出来た、ただの獣の旋律ではなく意味ある言葉として。 -違う、意味はあった、受けとれていなかっただけ そうだ、意味はあった、獣達は憎しみで人間に牙を向いたのではない。かつて地の神を悲観させたのは人が神の声に心を傾けなくった為だ、神に与えられた祝福の奇跡で争いを起こし、美しい大地を汚染していった人間の業。人類は誤っていた、人間に悲観した神の意思の具現、それこそが。 -獣 騎士と契約したからこそ理解できる。人に裏切られて尚、獣は手を差し伸べてくれていた、ただ人が受け入れなかっただけ、だからこそ祝福は呪いとなり人を包んでしまった。 -ただ手をとる、どうすれば どうすれば、手を伸ばせる 届かせることができるのだろう。 -歌 口遊む -言葉を、歌に、手をとる 伸ばすべき手は決まっていた、獣が歌で語りかてくるのならば、人間も歌で応えれば良い。機械仕掛けの騎士(デウス・エクス・マキナ)の名の時と同じ。脳裏に浮かんで来るフレーズを口遊む。それは純なる獣へ贈る奇跡。
福音 第一楽章 人の唄 『ぼくたちはきみをのぞんで』
なぜ君は、僕を遠ざけるのですか なぜ君は、気が付いてくれないのですか 僕は君を受け入れよう たとえ涙《こころ》が溢れようと、熱く、激しく、誰よりも君を望む僕の手に気が付いて下さい たとえ悲しみで君《こころ》が満たされようと、誰よりも君を見つめている僕を思い出して下さい 君が一人で迷うなら、僕が君を見つけます 君が孤独に苦しむなら、僕が君に寄り添います さあ、僕の声を聴いてください、応えて下さい たった一朝の出会いでも、それが二人を祝うのです 僕の心《なまえ》は君の心《なか》に、いつも二人は共にある存在だから 共に行こう、朝を越えて終わりの夜へ 君と僕が願っています
マキナは歌い上げた。忘れ去られた、人から獣に贈る本当の言葉。■が時を別つまで、共に生きようと純粋に願う人間の意思。 これは騎士と契約したから理解したのではない、人から獣へ贈るもう一つの福音を思い出せる出来ると確信されたからこそ騎士はマキナを望んだのだ。 身体が火照り出した。内側から溢れる熱さは全身の細胞を叩き起こし、震えがらせる。 -熱い 熱がマキナを優しく目覚めさせて行く、本当の彼を、呼び招く。 「これだけ福音を浴びてまだ■なないのですか、見た目と違ってしぶといですね。しかたありません、炎喰らいの牙(マンティコア)」 主に命ぜられ、魔獣がマキナに近づいて行く。 「頭を踏み砕きなさい、なぶる必要はありませんよ」 魔獣が右脚を上げ、マキナの頭の上に構える。落ちれば、即■だ。 「ふぅー、せめて福音で葬ろうかと思いましたが残念ながら無理なようですね。これでお別れです、さようなら私の憧れ、せめて彼方からこれからの世界を傍観してなさい」 落ちる右脚、動かない頭部。 そして魔獣の右脚は頭を踏み砕くことなく、切り裂かれていた。 「……■ぬ気は無い……俺は生きる!」 切り裂いたのは、マキナだ。残された左手に握られた刃によって魔獣の脚を真っ二つに。 痛みから咆哮を轟かせ、魔獣は地に横たわる。四つ脚で体幹を支えるヤツはこれでもう立ち上がれない。 逆にマキナは立ち上がった、その手には騎士の物と同じ深淵の長刀が握られている。 「貴方、腹を貫き通いた上で毒に侵された筈じゃ、それにその剣は……」 「機械仕掛けの騎士(デウス・エクス・マキナ)と共鳴したことで異獣の毒は分解された、これはあいつが目覚めさせた俺の力だ」 「共鳴……目覚めさせた! まさか貴方は獣と同調したと言いたいのですか!」 驚愕を露わにクトウは一歩後ずさる。 「違う、あいつが俺に答えを教えてくれただけだ。クトウ、お前には聞こえなかったのか、お前に寄り添う炎喰らいの牙(マンティコア)の声が」 「声ですって、そんなもの聞こえる筈がありませんよ! 獣に人の言葉が理解できると貴方はとおっしゃるか!」 「愚かだな、お前に寄り添う獣がそこにいるというのにお前はそいつの歌に気が付いていない。お前は異獣を操ったのではない、お前に寄り添おうとした獣が側に立っただけの事、お前には福音が効かなかった、それはお前が獣にとって愛しい存在だからだ」 「何を馬鹿な! 異獣が私を愛したと!」 「そうだ、だからお前に付き従った」 「黙れ鉄屑、無駄口に付き合う気はありません、焼け■になさい! 炎喰らいの牙(マンティコア)!」 炎喰らいの牙(マンティコア)が起き上がっていく、脚ではなく背の羽による飛翔力でだ。 「殺しなさい!」 左の爪が襲い来る、だがマキナに躱す動作はない。 マキナの手から長刀が消失した、刃を構成するタイムリミットが来ていたのだ。それでもマキナは揺るがない、力を手にした瞬間に能力の構造は把握していた。一つの武器を構築、維持出来るのは最大で五秒、それを過ぎれば強制的に解除され神力は空気中に霧散する。最初の一振りは初めての能力発動による暴発として、長く維持出来ていたに過ぎない。 消失したなら、再構成すればいい。 刃が夜を走った、炎喰らいの牙(マンティコア)の左脚を切り落とす。そして今度はマキナの意思で刃を消し、腕を振り切った動作の中で三本目を構成、そのまま胴を袈裟斬りに斬りつける。そして消失、構成、逆袈裟で再び胴に一撃を浴びせる。 これがマキナの力。神力を消費し、次々と新たな武装を精製する事で相手に反撃の隙を与えず、こちらのパターン予想を困難にさせる、幻の刃。一刀でありながら、二刀にも三刀にさえ映る剣閃。 現に袈裟斬りから逆袈裟に移る際に長刀を瞬時に再構成し、その段階で本来ならば相手より外を向いている刃を相手に向けて構築することで刃を返すロスを埋めている。 光速ならぬ、闇速の刃だ。 マキナの連撃は尚も走る。肩、背、後脚、尾と斬りつける度に刃を構成し、全てを刻んで行く。 しかし獣も黙ってはいない。執拗に牙を突き出し幾度となく躱されてしまうが闘志に陰りは映らない。映るのは主《クトウ》への愛情のみ。 -お前は、クトウを望んだのか 刃を振りかざしながらも、マキナは思考する。 -自分の適格者をただひたすらに守り抜きたいと、願いを叶えてやりたいと、それだけを心にクトウを望んだ、そうなんだな 《…………そうだ》 まただ、声が響いた、嗄れたそれは炎喰らいの牙(マンティコア)のものだ。 《天域に突如クトウが現れ出会い、俺は惹かれた。俺だけではない、多くの獣がクトウの生きようとする野心に惹かれ、頭を垂れた。アイツの世界に向けての憎悪は俺達と同調し、アイツは主となった。剣と盾はそんな俺達を解放しようと影を使い奮闘していたが、余計な世話だ、憎悪とはいえ、獣に寄り添える存在に出会えた事こそが至福だったからな。だがもう、終わりにしよう、契約は間違いだったらしい、歌は届かなかった》 魔獣の顔に安らかな悲しみが浮かんだのをマキナは確かに見た。猛攻も鎮まりを見せ始める。 -終わりにするのか 《何を悲観している、気にするな、我らは■なぬ存在だ。例え身体が朽ち様と神がいる限り蘇る、暫しの眠りにつくだけだ。剣も俺達を解き放つ為に戦っている。天域の戦いで適格者である貴様を殺してでも我らを救おうとした騎士……今なら彼の思いに従うのも悪くはない、仲間思いの騎士だ、貴様の様な適格者に出会えたのも羨ましい》 -さらばだ、炎の獣よ 《ああ、俺の主も眠らせてやってくれ、あんな鉄の身体で生きた屍として動き続けるのは不憫でならん》 -安心しろ……お前は先に眠れ 刃が魔獣の胴を串刺しにし、やがて魔獣は光になり還っていく。紅の光は雨に触れようと輝きは陰らず、宙に溶け、消えた。 「……炎喰らいの牙(マンティコア)が、負けた」 呆然とし、足元をフラつかせるクトウ。 「私の獣が貴方などに、嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ……」 錯乱するクトウの足元に紅《くれない》の円陣が現れる。 「うそだああああぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁああああ!」 Inferno《インフェルノ》がマキナ目掛け乱れ打ちに放たれるが、尽く刃に阻まれていく。 「うそだ」 マキナはクトウに一歩近ずく。 「うそだ」 槍を弾いて、また一歩。 「うそなんだ」 クトウの眼前に辿り着いたマキナ。 「うそにきまって……」 「黙れ」 マキナの腕がクトウの胸に捻じ込まれ、錯乱するヤツを黙らせる。 「お前ももう眠れ、炎喰らいの牙(マンティコア)もそう望んでいた」 「……どうして……こう、なりますかねぇ」 クトウはまだ絶命していない。マキナは心臓を鷲掴みにしたままクトウに語りかけていたからだ。 「まったく、心を取り戻し始めた矢先かと思えばもうそんな表情を浮かべるとは、ご自分がどんな顔をしているか想像出来ます?」 「………………」 「ふふ、残念ですが秘密にしておきましょうか。ああ、これで終わりですか……よろしければ最後に少しだけ独り言に付き合って下さい」 マキナの応えを待つことなくクトウはポツポツと語り出す。 「今回の戦い、私にとってとても楽しい時間だった。ねぇマキナ、天域を貴方が突破する直前に何故あなたを狙撃したと思います? それはね面白そうだったから……エーリュシオンの企みを調査することは名ぜられていましたから貴方だけは生かす予定でした、それでも見て見たかったんですよ、狙撃で倒れこむ貴方を。何故まわりくどく街を襲撃者したと思います? 私の戦力の一部でさえ制圧出来た筈なのに、何故貴方を引っ掻き回し繰り返して誘導したのか、直ぐに殺さず弄んだのか……それはね……」 クトウは鼻から息を一杯に吸い込んで天を仰ぐ。 「楽しいから、愉悦、愉楽、快感、悦喜、歓喜……挙げれば限りない人間の喜びという感情に任せて動いていたから…………マキナ、貴方は今とても不安定な場所にいます、人と言うには冷徹で、機械と表すには血が通っている、生きた人形ですよ、鉄の身体を持つ私から見ても間違いない。あの少女を救うべくここまで変わるとは、気味が悪い。ねぇマキナ、貴方は人間ですか、機械ですか、冥土の土産にそれだけは応えてくだいよ、さぁ」 粘ついた問い掛けにマキナは黙り込む。 「くふぁ、分かりませんか、なら貴方はこの世で最も浅ましい存在でしょう。自分というものすら理解し得ない愚か者、貴方がそうですよ、ねぇ……」 とびきりの粘ついた嫌味を乗せて。 「マキ、ナ……」 彼の名を呼ぶと同時に、クトウは命を散らせていた。 「黙れ」 戦闘時間7分01秒。リミットには間に合った。 胸部から腕を引き抜き拳を開くと握り潰された心臓の残骸がぼたぼたと落ちる。汚らわしいそれらはクトウの身体が消滅するにつれて、共に消滅していく。必要以上の神力を身体に捻じ込んだ代償だ、クトウの身体がこの世に残す痕跡は皆無である。 それだけではない、召喚された異獣とアンドロイドの残骸も元いた場所へ再送間されていく、血の一滴残さずに。 -俺は……機械だろうな 今はまだ自分を機械としか認識は出来ないかもしれない。願いを宿した、壊れた機械だと。 それでもようやく終わったのだ。弊害は全て取り除かれ、街には安堵が訪れるだろう。 だが確かに、まだ自分にはその感覚は理解しきれていない。戦闘の余韻はあっても、休まる気は更々ないらしい。 『少しは喜んだらどうだ』 空から騎士が降りてきた。激しく撃ち合って筈が、傷らしい傷は確認出来ない。 『君の願いは叶ったのだ、護れたのだから』 「そういうものなのか」 『ああ、そうだ。あの少女を連れて帰るといい、君の役目だ』 「そうだな」 彼は安堵の息を漏らしていた。 『さて、我は眠りにつくとするか』 「おい」 『どうかしたか?』 「……こういう時は礼を言うのか」 『……そういうものだな、だが我には不要なものだ』 騎士の身体が闇の粒えと還っていく。一時の別れ。 『我は君の半身、自分に礼を言われるのは気味がよくはない。礼を言うくらいならば我の名を忘れぬ事だ』 どこか悪戯目いた騎士の声。 「機械仕掛けの騎士(デウス・エクス・マキナ)、間違いないな」 『ああ、君の剣の名だ……忘れないでくれ』 闇に溶け、 天獣石《いし》に戻り、手に収まったそれをコートの内側にしまうと、マキナは彼女に歩み寄っていく。 エリティア・エーヴェルバイン、助けたいと願った少女。 雨は上がっているが、身体は冷え切ってしまっているだろう。早く暖かい暖炉で温めせてやりたい。 マキナの腹の傷も完治しているわけではない、エリティアを運ぶのは少しばかり骨が折れそうだ。それでもこれで役目は終わる、そのはずだった。 「エリティア!」 エリティアの状態を確認しマキナは焦る。 「は、は、は、は……」 浅い呼吸を繰り返し、顔色は蒼白、脈を見てみれば触れるのが難しい程に減弱している。 神力の過剰消費から身体バランスが崩れている。何故そこまで思考が回らなかった、天獣の召喚という妊婦にとって禁忌ともいえる行為を行い、回復を司る母なる貴方(フェニックス)の天獣石から供給される神力により辛うじて命を繋ぎとめていたのだ、このままではエリティアの命が危険、早急の対処が必要となる。 「……」 もし仮に、手段があるとすればそれは、彼女にとって最悪の結果を招くだろう。 -胎児を取り出す 彼女に必要な処置は神力の調整。その為には弊害となっている胎児を母体から切り離す必要がある。だがそれは、結果として胎児の■を示唆していた。 もし、胎児の命を優先して処置を行えば出血多量でエリティアが■亡してしまう。エリティアの安全を最優先し母なる貴方(フェニックス)の力で傷口を塞げばエリティアは助かるだろう。 生憎と二人を同時に助ける程の医療技術をマキナは持ち得ない。人体構造は完璧に理解しているが、だからこその決断だった。エリティアに怨まれようと彼女が生きてさえいてくれるのなら。 -……エリティア しゃがみ込み、彼女の下腹部に手を延ばす。 -今、助ける 「…………………ねぇ」 「エリティア!」 彼女が気が付いたのだ。 「なにを……するの…………」 「それは」 彼は言葉に詰まってしまう。 「もしかして、この子をお腹から出そうとしてた」 「……………………」 「やっぱりか。何となくだけど当たっちゃうんだね、でもそれは賛成かな……そうしないと助からないもんね」 何処か諦めを噛み締めて、彼女は腹の子を撫でる。 「……分かっているのか」 「うん……お願い。君が助けて」 「そうか」 覚悟を受け取った彼は再度手を延ばし、触れた瞬間にエリティアは言った。 「この子を、助けてあげて」 気丈な声で。 「……なっ」 「だから、この子を助けてあげて、私の感だと君は私を助ける為にこの子をお腹か出そうとしてた、だけどそれはこの子の命を無視ししてだよね」 「それは……」 「それじゃダメだよ、だってこの子はまだ何も知らないんだよ、楽しいことも苦しいことも、それなのに■んじゃうなんて耐えられない。私はこの子の親だから助けないといけないの、ううんこの子に生きて欲しいんだ、だからお願い助けてあげて、君なら、マキナなら出来るんでしょう」 「エリティア、お前」 エリティアは既に少女とは言えなくなっていた。 母である。エリティア・エーヴェルバインは我が子の為に自分を殺せと懇願しているのだ。 「全部聞いてたよ、トーマじゃなくてマキナっていうのが君の本当の名前なんだよね。それで、君が現れた理由は私達を殺すためで、私達の敵なんだよね」 「……そうだ」 「それでも、こんなにボロボロになってまで君は私達を助けようとしてくれた、そうだよね」 片腕を失い、腹に穴を開けられた彼の身体。 「………………」 「あはは、そこは答えてくれないんだね。でもね私は君のこと信じてるよ、だって助けてくれたから……だからお願い、この子も助けてあげて」 「……そうなれば……お前が■んでしまうんだぞ」 「それでもだよ」 息が絶え絶えであろうと、気丈さに笑顔を添えてエリティアはマキナの手を握った。 「大丈夫、私がいなくなっても君がいてくれる。そうだよね」 「何を言ってるんだ!」 マキナも叫んでいた。エリティアの真意を悟ってしまったからだ。 「俺はお前達を滅ぼしに現れて、敵で、今回の一件も俺が原因、エリティアの代わりなんてできるはずが……」 「バカ」 ポカリと優しい拳骨に頭を叩かれた。 「何度も言うよ、君は私達を助けてくれた、そんな君だからお願いするよ、この子の家族になってあげて、いつも一緒にいて見守ってあげて」 「……俺は、機械だ」 「機械は泣けないよ」 エリティアが指先でマキナの頬をすくう。 「ほら、涙」 「あ、あ、あ」 頬を伝ったのは彼の心の証。 「君は人間だよ。不器用で、おっちょこちょいなとこもあるけど、お父さんを支えてくれて、子供たちと遊んでくれて、私と一緒にこの子を守ってくれてた誰よりも優しい立派な人間、それでも君が自分を人間だって思えないなら」 エリティアの両手がマキナの頬を包み、彼女の顔に向けられる。 「私が、きっかけをあげる」
終章 そして彼は
神は賜われり、汝が魂に安らかなる休息を約束すると。 その体に宿る生を果たし、子らに多くの希望を託せし汝は我らが父母の眠る空に向かう道を登るのです。 されど、そこは仮の楽園、真に辿り着くは嘗ての大地。 いつしか我ら同胞が約束の地に降り立つ時まで、暫しの休息を添えるが良い。 約束の地に降り立つ時こそ、汝は目覚め、新たなる生を歩み始める。 汝を包む■は仮初めの眠りである。 墓標に刻むは汝の名。 エリティア・エーヴェルバイン。 共に降り立つその日まで、暫しの別れに悲嘆しよう。
「愛しき汝は我らの中に居続ける」 眼前の柩《キャスケット》を見つめながら送りの詩を唱えていた神父が頭を垂れたのを皮切りに、この場に溢れていたすすり泣きは、大声を上げての悲嘆の連呼に移り変わる。 「エリティアー!」「なんで! なんであなたが■ななければいけないの」「ティアさんいなくならないで」「えええええん! ええええええええんん!」「僕たちはこれからどうればいいんだ」「うわああああああああああああああああ!」「ティアの為に新しい服を作ってたのよ。赤ちゃんとお揃いの刺繍もしてあるのよ」「おれもう遅刻しないよ、先生の言うこと聞くから、ティアさん■なないでよ!」「ロー、もうティアさんは……」「お前は辛くないのかよルー!」「辛いに決まってるだろ!」「……ごめん」「大嫌いだったけど、だからあんたが大好きだったのに……」「ティア、またうちのパンを美味しそうに食べてほしかったよ」「ティアの嘘つき、また皆でお茶しようって約束してたのに……」「せめて安らかに、安らかに眠っておくれティア」「あなたは私たちの大切な人だというのに、なんと惨い」「お姉ちゃん、お星様作れたよ、綺麗に出来たよ、だから見てよミリーと二人でお姉ちゃんの為にお祈りしたよ」「フィーちゃんと二人でお姉ちゃんにプレゼントしたいの、お姉ちゃんお願い」 ここは街外れのとある民家に付随した庭であり、この場ではある女性の葬儀が行われている。 彼女が街の住人にとってかけがいのない人間である事は、状況を横目に見ようと想像は容易だろう。 常に暖かく大らかに、出会う人々に笑顔を振りまいていた彼女。自分の喜びを皆に分け与える優しさを携え、他人の悲しみを共に背負う強さに満ちた聖母の生き写しとまで皆は讃える。 半分以上の規模が瓦礫の山と化した街の惨状で尚、ここには住民のほぼ全員が集っている。庭に入りきらない者は家の周辺で人海となり、皆瓦礫から見つけ出せる少しでも形の整った服を探し出し身なりを整え、僅かでも恥のないよう彼女を見送ろうとしていた。 柩《キャスケット》で眠る彼女。翡翠の瞳は閉じた瞼に隠れ、健康を宿していた肌も時が経てばくすんでしまうだろう。お日様にも間違える橙の髪は褪せてはいないが、何よりもそれに負けない笑顔はもう見れはしない。 彼女の名前はエリティア・エーヴェルバイン。希望の産まれる街において、誰もに愛されていた女性だ。 「皆々様、そろそろお別れのお時間です」 神父ゼーゼマン・エーヴェルバインが別れの時を告げた。 「彼女はこの先、神の膝元で約束の時を待つ眠りにつきます。私達が再び約束の大地に降り立つ時、彼女の魂は新たな生に吹き込まれ私達と再会する事でしょう。今は、見送るのです。この悲しみを二度と噛み締める必要の無い世界を目指し約束を果たす為に」 神父が橙の花を一輪、彼女の胸元に添えた。 「さあ皆々様、送り花を彼女に」 神父の後ろに並んでいた人々が手元の花を彼女に着せて行く。 「あなたは誰よりもがんばったわ。ありがとう、私達と出会ってくれて」 瞳に涙を溜めてクリステラが微笑み、愛しい妹分に慈愛を渡す。 「ティアさん、僕とローはティアさんの分までみんなの力になります」 「フィーネもミリーもみんなみんな守ってみせます」 健気な強がりで胸を張るレンツ兄弟は、憧れの女性に決意を示す。 「「私たちはお姉ちゃんの分までみんなに優しくします! だからお姉ちゃんは安心してお休みして下さい!」」 泣きじゃくりながらフィーネとミリーの仲良し二人は大きく成長の言葉をエリティアに贈り、最後は涙を堪えてみせた。 一輪ずつ添えられていく花により、彼女は眩しい日光にくるまれている様だ。皆から贈られた光に包まれ、エリティア・エーヴェルバインは眠りにつくのである。 「神父、この子も」 神父はスコットから毛布にくるまれた小さな命を受け取り、胸に抱いた。 「あなたも、良く覚えておきなさい」 神父は赤子をエリティアの顔に近づけてやり、母の顔が良く見えるよう頭にかかる毛布をめくってやる。 「この世界で最高にあなたを愛し、命を懸けて守り抜いたあなたの母親……エリティア・エーヴェルバインの顔を」 一人の神父として男は赤子に言い聞かせている。未来を母と共に歩むことのない、幼い命に母の愛情を忘れさせぬよう 「最後の御別れです。エリティア・エーヴェルバインを地に」 柩《キャスケット》に蓋がされスコットともう一人の弟子が穴へ丁寧に置くと、上から土をかけていく。固められたそこに大理石の墓標を設置し、彼女は深い眠りについた。 「私たちは、あなたを忘れはしません」 神父が、そして全員が手を組み祈りを捧げる。 エリティアに、精一杯の感謝を込めて。
扉の開く音がした。頑強な造りのそれも月日の経過からか多少なり軋んでおり、吹き込む風は前髪を揺らしたが彼は気にも留めず、礼拝堂の床に座り込み壁に寄り掛かっている。 精気は彼から感じられない。心臓は鼓動し、肺は酸素を取り込むのを止めず、瞳は月明かりに照らされたステンドグラスから注ぐ鮮やかな光を感知しているにも拘らず、屍も同然にそこに居る。 「葬儀は終わったぞ、ティアは我が家に眠っている。皆もこのような惨状でありながら参列してくれた。ここまで愛され我が娘はどれほどに幸福なのだろか、皆には頭が上がりはせん。だがな、そんな中にありながら参列しなかった不届きものがおる、誰だかは察せるな」 「………………」 神父からの問いに、彼は沈黙で応えた。 「お前だ小僧、誰よりも参列しなければならないお前が責任を放棄してどうする、ティアを見送らず無様に不貞腐れるのはなんとも頂けはせんな」 神父の言葉に怒気はない、子どもを諭す大人の声音で彼に接っしている。 「………………」 「小僧、お前はどうする、ティアから逃げるのか、それとも思いを受け取るのか」 「………………名……が……」 彼が唇を動かした、数日ぶりの事だ。 「…………名が……ある」 「ふん」 彼の言葉を神父は小さく嘲笑う。 「小僧ではなく名で呼べと、生きる気力の失せた者に名前など持ち腐れであるわい」 神父が紙袋を放った。彼の横壁に当たり床に落ち、中身が拡がる。水の入った小瓶に清潔なタオル、着替えの灰色をしたセーターに紺の麻ズボンだ。 「着替えろ」 短く、神父は責め始める。 「あの日から着替えていないだろう。顔を拭き、身なりを整えろ、そして立ち上がれ」 彼は服を拾おうとはしない。 「とことん気力のないやつだな。小僧、もはや事は終わったのだ、悲しみに打ちしがれ横たわるのも時には必要、しかしそれでもだ、生きている以上前に進まねばならん、お前が救ったティアの為にも……」 「ふざ……る……」 彼が明確な反応を露わにし始めた、気力の失せた身体が立ち上がっていく。 「ふざけ……な……」 立ち上がりはした、だがそれは生きる気力からではない、ふつふつと湧き上がるドロついた情動に任せてだ。 「ふざけるな!」 遂に弾け飛び、彼はゼーゼマンの胸ぐらを掴み上げていた。 「ふざけるな、俺はエリティアを救ってなどいない! 巻き込んで、瀕■の身体を裂いて、傷つけて、俺はエリティアを殺したんだ!」 「そうだ、そしてお前はティアの子を救い、ティアの心を救った」 胸ぐらを掴まれたまま、ゼーゼマンも彼を睨み返す。 「もし子の命を犠牲に生き残ってみろ、ティアは自分を責め続けいずれは自ら命を絶っていただろうよ、お前はティアの身体を殺しはしたがティアの心、そして子の命は救ったのだ!」 「詭弁だ! エリティアがもういない事が変わりはしない!」 「詭弁であろうと事実だ、いい加減に認めろお前は二人の人間を、いや街の住民全員を救った、お前を非難する者もいよう、貶す者も罵倒する者も現れてくるだろう! だがな事実だけは揺るがんのだ! さもなくば……」 ゼーゼマンは彼の胸ぐらを掴み返し、顔を詰める。 「ワシは……お前を殺してしまいたい衝動を抑えられない……娘の仇討ちに走ってしまうだろうよ」 神父の手に力が篭るのが、服を通して分かる。 「構わない、誰もお前を咎めない、権利はあるだろ」 「殺りはせん、何があろうとな。ティアの心を裏切ってしまえば、ワシは二度とティアの親だと胸を張れん、それだけは絶対だ! ……だから頼む、認めてくれ、お前の成した事を、ティアの意思を受け止め前に進んでくれ。もう誰にも苦しんで欲しくはない、ティアならばこう言う筈だ」 震えながらゼーゼマンは瞳に涙を浮かべた、愛娘の訃報を耳にした時すら流さなかった悲しみが溢れ出している。葬儀の最中は神父として振る舞い、住民の前では町長として責務を果たしていたが、今のゼーゼマンは一人の父親である。 「…………エリティアの、意思……」 「そうだ、ティアの意思だ」 「………………エリティア」 彼は項を垂れる、瞳からは流し尽くした筈の涙が滲み、記憶は最後の夜に帰っていた。
産声が上がった。産まれたばかりだとはにわかに驚く強い息吹を子は宿している。小さすぎる手を懸命に伸ばし母親の温もりを求めるのだ。 血に塗れている赤子を彼はコートをの裾で拭ってやり母《エリティア》の腕に抱かせる。 彼女は我が子を優しく包むと、唇にキスを落とした。 「はじめまして、だね」 エリティアに苦しみを堪えている素振りはない、我が子を抱けた喜びが苦しみに勝っているのだ。 「変な感じだね、ずっと同じ体にいたからかな、私はあなたをずっと前から知っていたよ。あなたは私を知ってるかな?」 母にしがみつきながら子は泣いている、求めているのだ。 「あはは、分からないかな。でもね良いんだ、凄く元気に産まれてくれたから、もう十分だよ」 エリティアは、一層我が子を抱きしめた。 「私はあなたとお別れしちゃうみたいなんだ、本当はもっと沢山一緒にいたかった、朝起きたらお散歩して、ご飯を食べたら街に行って皆と遊んで、疲れたら家に帰って、私が絵本を読み聞かせながら休んでいたらあなたは寝ちゃうんだよ。お父さんはきっと孫バカになるだろうし、クリステラさんもうんと可愛がってくれる、きっとそんな毎日が待ってるんだりうな……だけどごめんね、わたしは一緒にいられないみたい。でもね大丈夫、あなたには家族がいるから、ねっ?」 最後の問いかけは子だけでなく、彼にも向けられていた。 「だから安心して大きくなって、私の……」 エリティアは子の耳元で大切な言葉を呟いていた。親から子への最初の贈り物、子の名を伝えたのだ。 「…………お願いね、君がこの子を守ってあげて、家族になってあげて、ずっと見守ってあげて」 「俺に、資格は無い」 彼が振り絞る。 「エリティアを傷つけた俺に、そんな資格は……」 エリティアの身体は裂かれていた。腹部から多大な出血が溢れ生きていることが不思議、子宮まで届く損傷は彼女が望み、彼が刻んだものだ。 「違うよ、君にしか頼めないんだ」 「俺には! その子を抱きしめる腕がない」 戦いで失った、無残な右の片腕。 「エリティアみたいに、両腕で抱きしめてやれないんだ」 「それも大丈夫、ちゃんと治るよ」 エリティアは胸元の真紅の石に触れ、名を呼んだ。 「行こう、母なる貴方(フェニックス)」 石から熱が溢れ出す、炎の卵が割れ、真紅の不■鳥が現れる。 「やめろそれ以上の無茶をしちゃいけない!」 彼の制止を無視して、エリティアは親友に願う。 「母なる貴方(フェニックス)、お願い」 不■鳥は素直に頷きはしない。友の願いを叶えるべきか否か困惑を浮かべている。 「お願い、分かって」 エリティアが母なる貴方(フェニックス)を撫で、諭してく。友の希望を汲み取ったのか不■鳥は翼を拡げ、より強い熱を世界に撒き散つ。 するとどうした、完全に焼き尽くされた草が、木が、土が、無残に成り果てた花畑すら元の姿に還っていき季節を無視し花が咲き乱れていく、熱に合わせて命が拡がる、■した筈の鼓動を呼び戻す、神秘の奇跡を目の当たりにしているのだ。 「これが、母なる貴方(フェニックス)の本当の力だよ、世界に命を灯してくれるかかり火、命を象徴する天獣、それが私のとも、だち」 「だったらお前の為に使え! そうすれば助かる……」 「だめ、だよ。これは、わ、たし、のいの、ち、をつかって、いるから」 「早くやめろ! 使うなら俺の命を使えばいいだろ!」 彼はエリティアの肩を揺さぶりながら叫ぶが彼女に止める気配はない。 「わたしは、たすからないから……だか、ら……ね、へ……いき……」 腕の欠けた右肩が、抉られた腹部の穴が熱い。熱と共に痛みが癒され傷口が光り、失った身体が再生を始めた。 「あり、が……と、う……このこ、をおね…………が……い…………」 「エリティア!」 再生した両腕で、エリティアと子を纏めて抱きしめる。彼女がどこにもいかないように、消えないように。 「俺はまだ、お前に何もしてやれてない!」 「だきすき、だよ……マ……ティ……」 もう一度、母は子にキスを落とす。 「ばいばい、ナ……ハ……」 エリティアもまた愛娘と彼を抱きしめて。 「……いつか……みんな、が……しあわ、せな、せかいが……みたい……な……」 母なる貴方(フェニックス)が炎と共に散り消えると同時、エリティアの身体が冷めて行く。 「うわぁあぁあぁあぁぁああああああぁぁぁぁあぁああぁああああ!」 もう、彼女はいなくなってしまった。 「うわああああぁぁああぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁああああぁああぁぁああぁぁぁああぁぁぁぁぁあぁああぁあぁあ!」 腕に収まる子と、たった今まで生きていたエリティアの身体を強く強く抱擁し、彼は叫びを響かせていた。世界に伝わるそれは誰も気が付く事もない、虚しく残響するのだった。
「エリティア」 呟く。 「エリティア……」 呟く度、涙が溢れる。 「お前はどうする」 互いに胸ぐら掴む手を離していた。 「エリティアの意思を遠ざけるのか」 ゼーゼマンは彼の両肩に手を置いて、解いていく。 「俺が……継いでいいのか」 「お前にしか、出来ないんだよ」 「……くっ」 彼はタオルを拾い、瓶の水で濡らすと顔を拭き始めた。垢が落ちた顔は覚悟を決めた精気が浮かび、ボロボロの服を脱ぎ、新しいセーターとズボンに体を通すと、ゼーゼマンに向き直る。 「あいつは何処だ」 「家で寝ているだろ、クリステラが付いてくれている」 「……ゼーゼマン、俺は……」 腹にドスンとゼーゼマンの拳が入った。 「早く行け、大遅刻だ」 「………………」 彼は深く息を吸い、そしてゆっくり吐き、気を落ち着けた。 「行ってくる」 扉を一息に開くと、走り出す。行きべき場所は決まっている。 「ふぅ……まったく、手間をかけさせおってからに……覚悟は既に決まっていたくせして閉じこもりおって」 彼の背が見えなくなるとゼーゼマンは祭壇前に足を運び、片膝を着いて手を組み祈り始めた。 「神よ、どうかあの二人に祝福をお与え下さい。彼等は十分に苦しみを受け入れました、子は人生において母親を失い、少年は心を取り戻すきっかけとなった人を亡くした……これ以上の試練が必要とおっしゃるならばどうかこの老骨にお降らせ下さい。もう悲しみを背負うのは私だけで十分の筈です」 捧げられた祈りが聞き入れるか、それは神のみぞ知る未来である。 それでもゼーゼマンは祈る、世界は希望の欠片が満ちていると信じて。
クリステラはエリティアの家前にて空を眺めていた。傍らには疲れ果てて壁に寄り掛かるまま寝息をたてているルーファスとローレンスのレンツ兄弟、そしてミリーとフィーネの仲良し二人。大人は街の対処があるからと、深夜まで家の片付けを手伝ってくれいたせいで寝入ってしまったのだ。出来ることなら直ぐにでも街に送って行きたいところだが、クリステラは彼を待たなくてはならなかった。 家に向かい街道を駆けて来る彼の姿をクリステラは呆れながら一瞥し、唇を噛み締める。 「遅い、遅刻よ遅刻、大遅刻」 辿り着き、肩で息をする彼に冷ややかな視線を投げかけるクリステラ。 「ああもう、こんな時間まで待たせるなんてなに考えてるのよアンタ……この子達もすっかり疲れてるじゃない」 「はぁはぁ……」 彼はクリステラに怯まず、視線を合わせてきた。それは迷いながらも覚悟を決め進もうとする瞳。 「あいつは……どこ……」 「家の中よ」 クリステラが指したのは玄関。 「よく寝てるわ。異常もなくて健康そのもの、そこのとこもお母さん似ね。早く行きなさい、アンタを待ってるわよ」 クリステラは天獣石を取り出し神力を注いでいく。現れた一角獣《ユニコーン》に子供たちを乗せると事も無く街道に向かおうとした。そんな彼女に対して彼は不信感を抱かずにはいられなかい。 「言いたい事は……ないのか」 彼の横を過ぎようとしたクリステラが立ち止まる。 「なにかあるかしら」 「俺を恨んでいないのか」 「そんなの、恨んでるわよ。でも、私のティアがアンタを認めてるんなら仕方ないじゃない、応援してあげるわ。だけどあの子に何かあってみなさい、その時は絶対許さないから、そうならないように精々頑張ることね」 出て行ったクリステラは普段の通りだった。エリティアの事になれば我を失う彼女がエリティアが亡くなった状況で平静を保っている、それはあからさまな問題である。怒りを隠すには、平静を装うのは確かに効率的だ。それでも彼女は彼を叱咤してくれた。 -もう間違えない……絶対に……護ってみせる…… 今日で何度目の深呼吸を行い、覚悟を再度括り、ノブに手をかける。 暖炉の炎に照らされた薄暗いリビングに赤子用の寝台が置かれている。円錐の形状をした木製の寝台は、エリティアが吟味した代物である。 一歩、また一歩と彼は寝台に歩み寄って行く。中を覗くと、橙絹の掛け物にくるまれた小さな赤子がすやすやと眠っているところだった。 「ちゃんと、作れたんだな」 赤子の掛け物はエリティアお手製である。毎日少しずつでも、エリティアは冬の季節に産まれる我が子の為に編み続けていた。 彼は赤子に手を伸ばし優しく抱き上げると、親指で左の頬を撫でてやる。 「母親似なんだな、お前は」 まだ薄く斑な橙の髪と翡翠色をした瞳は間違いなく母親譲り、赤い肌もやがて白くきめ細やかとなり将来はとびきりの美人に成長するだろう。 うっすらと赤子の瞳が開いた。まだぼやけている視線で彼を見つけたら小さい両手で彼の頬に手を伸ばし、触れた。 「はじめまして、でいいのか」 産まれた時は、互いに顔を見合わせはしなかった。今が本当のはじめまして。 「はじめまして、俺がお前と暮らす事になるんだ。……そうか、先ずは自己紹介なのか、俺の名前は……」 きっかけをあげる。 最後の夜、赤子と同じように彼の頬を包みながらエリティアがくれたもの。 君は人間だから、機械のマキナじゃなくて人間としての名前がいるよね、私が付けてあげる。 「俺の名前は……」 君の透き通る黒い瞳を見た時から綺麗だなって思ってた、いつも近くでこの子を見守る君、まるで静かで優しい夜みたいだね。だからね、君の名前は…… 「ナハト」 ナハト・エーヴェルバイン。 「ナハト・エーヴェルバインだ」 抱いたまま、右手で頭を撫でてやるとこそばそうに笑った。 「はじめましてマティア」 ナハトの口角が上がる。笑みという慈しみの感情を表現し、彼はマティアの額に自分の額を重ねる。 「俺の名前に誓ってずっと一緒にいてやる。お前が寂しくないように、安心して眠って朝を迎えられるように」 マティアと名付けられた、まだ幼い子にエリティアの思いを伝える。 エリティアが読み聞かせていた絵本がある。寄り添い合う独りの姫と守る人形が成す、独りよがりな物語。 エリティアは決めていたのだ、子が男ならば人形の、女ならば姫の名を贈ると。例え世界に否定されたとしても、大切な思い人に寄り添いけして離れる悲しみの無い人生を過ごし、苦難を乗り越えられる強さと優しさが芽生える事を願って。 始まりを告げる姫の名は、朝《マティア》。 終わりを象徴した人形の名は、夜《ナハト》。 「だから、俺が君の家族だ」 部屋により強い明かりが差し込んでくる。窓の外は夜明けを迎えていた。 「……行こう」 二人で庭に出て萌える朝陽を眺める、かつてエリティアと二人でそうしたように。 「…………一番好きな朝の色……」 エリティアの色だ。 「……ごめん」 彼は地に両膝を着いてしまう。震える脚が保たなかった。 「最後だから……もう絶対泣かないから…………ごめん、今だけは……赦して……」 嗚咽混じりの泣き声を漏らしながらナハトは頬を濡らしていく。 マティアは彼の頬に触れ続け、じっと見つめているのだけだった。
第一部 『そして彼は人となる。マキナ、機械と呼ばれし彼は生きるきっかけに出会いたり』
完
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