生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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「初心者」はかくのごとく生長の家の『御教え』を否定する! <その7> (207)
日時:2013年02月26日 (火) 10時03分
名前:四万十分析官




「初心者」という人物は、「トキ掲示板」において下記の如く生長の家の『御教え』を否定しているのである。「トキ掲示版」規約には「基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教えを支持、共鳴する人のためのサイトです。生長の家と谷口雅春先生へのご批判をされる内容の投稿はご遠慮下さい。」と書いてあるが、一連の「初心者」と名乗る人物は、この投稿規約に反する投稿を続け、管理人氏も未だに一回も注意を与えていない。「初心者」と「トキ掲示板」との関係は主従の関係にあり、この様なところから「初心者=雅宣総裁」と言われているのである。そして、雅宣総裁としては、決して公の“総裁”としての立場では言いたくても言えない開祖・谷口雅春先生への反逆の「本音の思想」を「初心者」なる名前を使い、思う存分吐露し続けているとも考えられるのである。この意味からでも、彼のやり口は宗教家として非常に卑怯そのものであり、“総裁更迭”に十分に値するのであり、信徒はもっと声を大きくしなければならないのである。

以下、生長の家の『御教え』を否定する「初心者」なる人物の投稿を転載させていただき読者のみなさんの判断に供するものである。



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「トキ掲示版」より・・・


1722 :初心者:2012/06/30(土) 17:53:20 ID:TfQ0e6RA

そもそも救済とはなんなのでしょう。救済を欲する状態から抜け出すこと。これをわたしは救済の条件にいたしたいとおもいます。雅春先生の教えで、この条件は達せられるでありましょうか。雅春先生の教えは、実際に救済につながっているといえるのでしょうか。私が見るところでは、みなさま方は、雅春先生が書かれた文字に執着し、いつまでたっても、その書かれた文字に救いを見いだそうとしておられるように感じられます。


128 :初心者:2012/07/10(火) 12:54:55 ID:TfQ0e6RA

雅春先生の教えによって実現された救済は、人々を奴隷状態から解放してきたといえるでしょうか。むしろ実現された救済は、奴隷状態を居心地のよいものへと変えただけであるような気がいたします。・・・いかに快適な奴隷生活を実現するか。生長の家では、このことだけが考えられてきたとおもわざるを得ない、というのが経験的に得られた結論です。


357 :初心者:2012/08/17(金) 15:20:51 ID:TfQ0e6RA

「救済運動」の具体的なヴィジョンをお持ちなのでしょうか。わたしは、新興宗教は、成熟した宗教となるために、「病気治し」を第一とする時期をすでに脱したとも考えておりますが、いまだ新興宗教は「病気治し」を第一に取り組むべき時期にあるとお考えなのでしょうか。「雅春先生は教えの問題点と限界をご存じであったのか」との問いであります。教えの限界をまったく問題にすることなく、その完全無欠性や万能性を信じ込んでいるあいだは、みずからの立場を相対化し、客観的に評価することなどけっしてできるはずもありません。おのれの全能感に酔い知れ、大言壮語するのが関の山であり、これが教えの絶対化やイデオロギー化の温床となる可能性さえあります。役行者様は、教えの問題点や限界をひとりとして訴えるものがいないということを望まれますでしょうか。



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<問題点>

前回までは、多少の遠慮も交えて小職は「初心者」=「雅宣総裁?」と表記してきたが、「初心者」が執拗に開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判を傲岸無礼な態度で続ける故を以て、今回より明確に遠慮なく「初心者」=「雅宣総裁」(“影武者”を含む)と記述する事にする。


@ またまた、「初心者=雅宣総裁」の傲岸不遜な言であります。曰く、<雅春先生の教えは、実際に救済につながっているといえるのでしょうか>と。然らば「初心者」よ!汝は立教以来の何万ともいえる真理による奇蹟的治癒や環境からの奇蹟的脱出の体験記録を如何に観ずるや?


A 「初心者=雅宣総裁」よ、汝は、講習会場にて真理によって救われた人達(真理の証し人)の体験談を、<奴隷状態を居心地のよいものへと変えただけ>と、冷ややかな目で見ているだけなのか? この様な観方が御貴殿の深層心理であるから、講習会の講話や著書で体験記録を一切取り上げないのではないのか?


B 「初心者=雅宣総裁」よ、汝は <「病気治し」を第一とする時期をすでに脱した> と宣言しているが、医学益々発達して病気で苦しむ人たちが一向に減らぬどころか増え続けることの現実を如何に見るや? また医学では治らぬ病人の増加に対して最後の拠り所の役目を持つ宗教の世界は必要ではないと冷酷に断言するのか? また、「病気治し」すら出来ぬ宗教が果たして宗教と言えるのか? 答えは如何?「成熟した宗教」の内容とは“病気治しは病院の役割、成熟宗教は自然との共生・地球環境保護に専念”と云う事であるのか? 「初心者=雅宣総裁」よ! ためらわずに返答すべし!!


C とにもかくにも、「トキ掲示板」から今回転載させて頂いた「初心者=雅宣総裁」の言葉は、信徒なら激怒して当たり前の事ばかりである。<雅春先生の教えは、実際に救済につながっていない>・<実現された救済は、奴隷状態を居心地のよいものへと変えただけ>・<いかに快適な奴隷生活を実現するか。生長の家では、このことだけが考えられてきた>・<宗教は「病気治し」を第一に取り組むべきと考えていては、教えの絶対化やイデオロギー化の温床となる>・・・この様な“観念の遊戯”とでも言える言葉は、医界難治の病から救われ、人生の絶望の淵から救われた信徒としては決して聞き捨てできない、決して許されざることばである。「初心者=雅宣総裁」よ! 即刻に総裁を辞し、森の中に立ち去りなさい!!!







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