生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 (26〜31 ) (2431)
日時:2013年11月08日 (金) 11時52分
名前:信徒連合

『生命の實相』第34巻・道場篇  < はしがき >


「辨道聴き書(べんどうききがき)」は、親鸞聖人の日常の語録を唯円坊が聴き書きして編纂した「歎異抄」に似ている。それは東京赤坂に私の道場があったときに側近者が書きとめて置いてくれたものである。その頃、赤坂の道場には花嫁学校が兼営されていて、私は毎日そこへ講義に行って花嫁学校の生徒への講義を公開していたから、信者も一般の人たちもそれを一緒に傍聴し、講義が終わったあとで、病気のある人や、質問のある人は前へ出て質問したり、相談したりするのに答えていたものである。其の頃には録音器がなかったので、速記者がついていたが、速記のままでは、まとまった文章にならないので、速記を資料として側近にいた人がその当時の道場の様子なども書き込んで、私が、道場で実際に指導している光景を髣髴(ほうふつ)させてくれたのが“道場篇”である。

だからこれを読んで下さるならば、その当時の私の指導ぶりがよく解るのである。その頃は他流試合みたいに問答をしかけてくるひともあったので活気があった。宗教や哲学に関する深い思索についての問答もあるし、病気や家庭の悩みの相談もあった。だから、その光景や問題を描き写した本編は、色々の人生の悩みの解決や病気の解消にも、如何なる心の持ち方で臨めばよいかの参考になると思う。昭和34年4月1日 著者識(しるす)




辨道聴き書(べんどうききがき)<第26回>



<膿胸・脚気・腸出血全治>


 十二月二十四日谷口先生の御指導の夜のこと、真っ先に対って、満腔の感謝を述べられた田中武人氏のお話の大要はこうである。

「私は若い時から宗教方面に非常に興味を持ち、いろいろな学説を漁り、多くの霊術をも研究してみました。あの浜口熊嶽師には大変かわいがられたものでした。化膿性胸膜炎という悪性の病気で大変苦しみまして、二回は手術を受け治しましたが、今年の春三回目には大変悪化しまして、そのために私の母はわざわざ旅順から京都まで、看護のために来てくださったのでした。

その時私への見舞いの品として『生命の實相』一冊を持って来てくれたのですが、その母自身が船中でそれを読んで来たら、いつも悩まされる船酔いを少しも感ぜず、安楽に旅行することができたと申しました。

 それで読みなさいと勧められたのですが、私にはどうもすぐに読む気がしないのでありました。しかし母は京都へ着くと十日間、一睡もせずに熱心に私のそばで『生命の實相』を読んで聞かせてくれたり光明思念をしてくれたりしました。

私はこの母の深い愛に次第に動かされてきたのです。ちょうど十日目の午前十時ごろでした。今までの経験では手術によってでなければ排泄されなかった膿が背中に自然に小孔があいておびただしく排泄されまして大変気持ちがよくなりましたので、私もいよいよ真剣に『生命の實相』を読みだしました。

間もなく、膿の孔も自然にふさがり十数日で私は難病を忘れてしまいました。そこで、この『生命の實相』こそ人類の闇を消す灯火だ、生長の家の思想こそ、あらゆる人生苦を解消し、家庭に平和をもたらし、社会を光明化するものだ、これを一日も早く世間に宣伝せねばならぬと気づきました。

五月十五日には京都支部をお訪ねして、小木博士の御指導を受けて、いっそう朗らかな心境に入ることができて旅順に帰ったのでした。まず父に『生命の實相』を説きますと父が言うのに、『お前はこれまでいろんなものを研究して、ものになった例(ためし)がないじゃないか。その生長の家だってろくなものじゃなかろう。正しいかどうか、わしがまず読んで検閲してから良かったらおまえ読め、良くなかったらやめよ』といったふうで、読みかけましたが、その父は読書家で二日ほどで『生命の實相』一冊を読み終わるとともに持病の脚気が治ってしまいました。

そして大変共鳴して、ここに私の家庭の光明化が実現し、次いで父は部下の人たちに『生命の實相』を勧める。私は弘く皆様にこの聖典を普及させていただくというありさまで、旅順に支部が出来てから、四ヶ月の間に三百名の誌友を獲得しました。

毎月の座談会には、いつも百五十名余の御出席があり、憲兵隊や警察の方たち、真言宗真宗の僧侶、『ひとのみち』の人たち、さては医師の方まで熱心に集まって見えます。

第一回の座談会には特に多数の名士の御臨席を得て、『満州日々』にその記事が掲載されたほどでした。祖父は八十一歳の老人ですが、腸出血でほとんど絶望の状態でしたが、家庭の光明化とともに快癒し、松下村塾に学んだ頑固一徹の性質だったのが、よく皆に調和するようになり、先日も関東州第二の高山たる老鉄山、これは往復三里あるのですが、それに上って平然と無事帰宅しました。

それから私の宅の満州人のボーイがしつこいトラホームで困っていたのが、矢張り生長の家のお蔭で全快し、叉よく真理がわかり壮健になって丸々肥えてきました。

以上、死から救われたお礼を申し述べて、私の感謝と法悦の万分の一をあらわさせていただきました。」




<罪業本来なし>


某子爵の親族だという方が先生に対(むか)って次のように尋ねた。

「私の父は十三年前に亡くなりましたが、年忌ごとにきっと何かしら家庭内に故障が起るのであります。本家の血統(ちすじ)は三百年前からの大名でありますので、因縁複雑とみえまして、諸方にある先祖や一族の墓所を買収したり整頓したりいたしまして、三百人からの多数の霊を弔っていますが、私の方の父の年忌ごとに故障がおこりますのは、亡父と私との心の関係によるのでしょうか、このような因縁を超越するにはどんなふうにすればよろしいのでしょうか。」

 先生は答えられる。

「年忌ごとにそういうことが起るのはあなたの予想が縁となり、過去に先祖の犯した罪と業とかが因となり、この因と縁とが結ばれておこるのです。業は実在の世界のものではないから本来無いものですが、業という側から見れば、それは<ある>。

ちょうどそれは暗(やみ)のようなものなのであります。暗の側からいえば暗はあるのだが、そこに火を点して見ようとすれば何も無い。それと同様に業の方から見ればそれはあっても、光明実相の方から見れば無いものなのです。

業は今までの因縁を説く教えの方から見たもので、その側から見れば確かにあるにちがいない。

が、本当の実在の世界には業無しと悟ることによって、宗教の救いは成就するのでありまして、本当の人間には、業、因縁無しと悟れば、この時因縁を超越して業の無い世界に入ることができるのですよ。

先祖の犯した罪というものはラジオの放送のようなもので、、それはちょうど適合する波長があって顕在になるのです。

顕在にまで誘発する『適合した波長』それが縁というものです。

その縁がこちらに無ければよい。

しかしそれだけでは因は残っているから、あなたに無くなっても他の家族に顕われることになるかもしれない。

だからその因を破壊しなければ本当ではない。

それではどうするかといえば、その本人の霊魂を悟らせて、『罪』本来無し、『業』本来無しという世界に出させればよいのです。」




辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 (27 ) (2478)
日時:2013年11月14日 (木) 10時33分
名前:信徒連合





辨道聴き書(べんどうききがき)<第27回>



<執愛と法愛>


 五十歳くらいの男「子供が肺を患っていて、最初『生命の實相』を読んでよくなったのですが、その後依然としてもう少しというところで治りきらないで困っています。子供が言うにはこの病気はお父さんの若い時代の道楽が原因していると申します。先生、過去の罪悪を消すにはどうしたらよろしいのでしょうか」と問うのだ。

谷口先生は、父の伴れている息子の方へ優しく振り向いておっしゃった。「親の罪を心にかける息子さんの心境はよくないね。息子さんが『生命の實相』を読んで健康を得たら、それを次に与えなければなりません。健康なる生命力を与える。与えるとは出して働かせることです。自分が与えないでおいて、お父さんに罪があると考え、それが自分の病気の原因と思っている。その心が病気です。心の下水を潔めることをしないでは病気は治りません。自分が八十パーセントの健康を得たら、八十パーセントの健康を働かせて、その得た功徳を出さなければならない。


 この話を聴いていた同席の一修行者が谷口先生に問うのだった。

「今の方はずいぶん子供さんを愛していられるように思われますが。」


すると先生は語をついでこうおっしゃった。

「愛には執愛と法愛とがあります。執愛は、子供さんをいかに大切にしているように見えても子供を生かせません。子供の迷いから病気を認めて、それをみずからの罪としていては子供さんを毒することになります。法愛は常に相手の実相を引き出し生かして行く愛であります。」




<失職した人>


 現在失職しているという青年が「『生命の實相』の中のどの本のどの部分を読んだらよろしいでしょうか」と訊ねた。

「いまを生かすことが一番大事です。月給を貰らわぬでも仕事はいくらでもあるものです。何でも人を生かす、人のためになる仕事をしていることが大切です。奉仕の心さえあれば、そのうち、きっと職は与えられます。そして『生命の實相』のどこでもよいから、しっかりお読みなさい。」




<家庭円満法>


 良人がなかなか生長の家に賛成してくれぬという婦人に、先生はこうお答えになった。

「みんな神の子なのですから、まず夫を拝もうという心持になれば円満になるのです。それをあなたが、『生長の家は、よい教えである、自分はそのよい教えに行くのに、夫はなかなか行こうとせぬ。悪い夫である』と云って夫を抑えるようにする。すると、かえって夫の方では『なんじゃ、あんな所』と云ってますます反対されるということになるのです。」




<なぜ意地悪されるか>


社会救済事業に婦人でありながら活動している某女史がある日の集まりで谷口先生にこういって質問した。

「こちらは向こう様のため、向こう様のためと思いながら一心に尽くしていますのに、かえって相手方から意地悪に出られることがありますが、どうしてそのように相手方から意地悪に出られるのでございましょう?」

「それはあなた自身に意地悪をせられる要素があるからでしょう。」

こう谷口先生は無条件にお答えになった。

 その翌々晩、某女史は谷口先生を訪れてこんな話をした。
「実は私一昨日先生から、あなたは意地悪をせられる要素があると聴かされまして、それ以来心がそれに引っかかってとても憂鬱になって何をしようとしても手につかず終日ぼんやりしていましたが、夜になってもオチオチ眠ることができませんでした。それがほかの人からそんな批評をされたのならなんとも思いませんが、谷口先生から言われたので神様から宣告されたように心が悲しみ痛むのでした。

すると暁方私は神様のみ声を聴きました。それは神様の声だとしかどうしても考えられません。その語調は厳粛であって同時に柔らかな、その和やかさはいっさいの悩みも悲しみも融かしてしまうような和やかさなのです。

『おまえは未熟であればこそ生長の家へ往っているのではないか。』

ただこれだけの神様のお言葉でございましたが、『そうだ、未熟であればこそ生長の家へ往って修行しているじぶんである。』こう思うと、私の悩み悲しみはいっさい解けてなくなりました。

実はあの時以来私は悩みになやんで、もう二度と生長の家へは来まいと決心したりその決心を取り消したり、生長の家へ来なくても『生命の實相』だけは読まなければ淋しくて堪えられないと思ったりして苦しんでいたのでございましたが、その神様の御一言で、すっかり悩みが消えたのでございます。それで今日あらためて先生にお礼に上がりましたのでございます。」

 偽の自分を善いと思って頑張っている間は人間は苦しむものである。




辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 (28) (2519)
日時:2013年11月20日 (水) 15時01分
名前:信徒連合




辨道聴き書(べんどうききがき)<第28回>




<損をして真理を知る>


 神戸大丸前の三沢兄弟商会の兄が、ある日、谷口先生に神様のみ声をきいた話をした。

三沢商会は最新流行の婦人装身具の販売店であったが、ある日、西洋人が店に来てハンドバッグとその他二、三の買い物をした。

兄の三沢さんが三十円也と勘定書を書いて西洋人に渡すと、西洋人は「オーライ」と云って三十円を支払って立ち去った。アトで気がついてみるとハンドバッグ一個だけでも三十円の品物であった。あとの二、三の品物は無代で売って十円ばかり損をしたということになっていた。

兄三沢氏は「シマッタ」と思った。もうその西洋人は界隈にいなかった。その時、弟の三沢氏が舌打ちした。「こんなことになるのは、兄貴手前がいつも落ち着いていないで、ソワソワしているからだ。」弟三沢氏の強い語調が兄三沢氏の心臓をかすめて飛んだ。

兄三沢氏は悲しかった。たださえ自分が「シマッタ!」と思って悲しい気持ちになっている時に、それを慰めてくれるどころかかえって追撃するように罵声を浴びせられたことが悲しかったのだ。

 兄三沢氏は心が憂鬱になってしかたがなかったので、気をまぎらすために盛り場の新開地の方へ出かけて行った。それでも心がなぐさまなかった。

その時ふと、耳の中で大声でどなった声があった。ハッと思った。それは外から聞こえてきた声ではなかった。耳のすぐ中で聞こえる厳かな声であった。

声は言った。「お前はそんな場合に他人に同情してやったことがあったか。」兄三沢氏は愕然とした。それは、神の声だとしか思えなかった。

今まで、店員などが失策したようなばあいには「なぜこんな馬鹿なことをしたんだ!」とその失策を追撃するかのような調子で罵ったものであった。ところが、今その追撃の罵声を自分で受けたとき、それでなくとも失策したと思っている矢先、また、「お前は失策したナ」と追撃する言葉がいかに相手の心を傷つけるものであるかを知ったのであった。

 厳かなうちに優しみのこもった声「お前はそんな場合に他人に同情してやったことがあったか。」――兄三沢氏はその言葉をこころのうちで繰り返した。

湧然と兄三沢氏のこころのうちに喜びの情が湧き起こって来た。兄三沢氏は商売で十円損をした代わりに神様の御声を聴くことができたのだと思った。もう損をしたなどの感じはスッカリ消えてしまって、氏の心は嬉しさでいっぱいであった。




<聴講中、数日来の風邪癒ゆ>


 四月十四日第二日曜日生長の家本部誌友会席上で荒木剛氏は立って次のような話をした。

「先日第四回人類光明化運動講演会のありましたとき、あまり不思議な事件がありましたのでちょっと皆様に紹介いたします。あの日私は早くまいりまして、この人と一緒に、会場の前席の椅子席に掛けていました。

佐藤先生の講演が終わり、それから谷口先生の講演のころになりますと、この桑尾さんがうつむいて首を左右に振りながら聴いているのです。話が退屈なので眠いのでうつむいて目を覚ますために、あんなにくびを左右に振っているのであろうと思っていました。

それで帰り途に僕はこの方に、『あなたはあの講演を聴いていて眠かったのでしょう。スッカリうつむいていらっしゃいましたですねぇ。しかし真理の話は現在意識は眠っていても、潜在意識はきいているのですから、眠っていてもよいのですよ』と慰めるように申しますと、この方は

『いいえ、わたしは決して眠っていませんでした。実は谷口先生の御講演を聴いていますと、谷口先生のお身体から激しい光が射してまぶしくてとうてい眼を開けていることができませんので、うつむいて首を振っていたのでございます』と申されました。


「実はあの日は、妙に寒い日で生長の家の講演会には珍しく雪が降りましたが、あれも神様の摂理であったのであろうと思われるのでございます。

実はこの方は数日前から風邪をひいていられたのですが、講演会の日が今日のようにポカポカと暖かいお天気の日でありましたら、その風邪が治りましても、これは時候が暖かいお蔭だろうなどと思うのでありましたが、あの日はあんなに特別な寒い日で大雪が降りました。

その日に出かけて往って谷口先生の御講演をきいた。谷口先生の御講演をきいているうちに先生のお身体からまぶしい光が射してきて、それとともに妙に身体中が熱くなってきまして、同時に数日前からの風邪がスッカリ治ってしまったのでありますから、これは時候のかげんだということはできない。神様が雪を降らせるのも皆めいめいの悟りのためであるとつくづく感じました。」

 その話が終わると谷口先生は「その方のお名前は何とおっしゃいますか」と確かめられた。

「桑尾さんとおっしゃいます。私がこの方の宅に下宿いたして居るのです」と荒木剛さんは説明した。桑尾さんは眩しそうに谷口先生を仰ぎ見ながらお礼を言った。




辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 (29)  (2571)
日時:2013年11月28日 (木) 10時23分
名前:信徒連合






辨道聴き書(べんどうききがき)<第29回>




<光明の断片語集>


「『生命の實相』の読誦によって、十九年間の脊髄癆がわずかな日数で治ってしまったのですが、喘息だけはどういうわけか未だに治りません」と恨みがましく言う老婆に――

「あなたは心の優しさと慈しみが足りないのです。誰が聞かれてもわかるようにずいぶんあなたの言葉には、きつい所がある。言葉が優しくないのは、つまり息が荒いことになるのですよ。」



 生長の家で説く「物質無」がどうも腑に落ちぬと言う人に、先生は次のごとくお答えになった。

「あなたのように『物質は――』と前提をおいてから、『物質無』と言い切ろうとすれば、心に物質を認めているのですから、いきおい捉われやすいのです。物質がアルとかナイとか考えずに、何を見ても、みんな仏さま神さまという気持ちにおなりなさい。あれも仏様のめぐみの現われである、これも神様のいのちの現われである、こう思いなさい。すると生活の上にすべてよいものが現われてくる。

『物質無』とは虚無主義に堕することではない。妙有を把むことです。『無い』どころか、物質みたいなつまらないものがと思っていたのが、すべて『ある、ある、ある---------』仏の顕現が<ある>、神の顕現が<ある>、その時すべてが妙有に化する。そうしたら自然と『物質なし』になるのですよ。」



 先祖からの病弱な血統のために、自分もまた心悸亢進に悩むという人に、先生は、

「<あなた>の病気はね、あなた自身の病気ではないようですね。祖先の霊魂の病念が波となってあなたに感じられるのですよ。動悸は心配することはないから、仏前で『甘露の法雨』をしっかり読んで、祖先の迷っている霊を悟らせてあげなさい」とおっしゃった。しかしこれはこの人の場合である。



 死の恐怖におびえるといって、怖々その不安な気持ちを述べる、見るからに病人らしい青年に、先生は厳としておっしゃった。

「死が恐ろしい? そう。人間は肉体ではないんですから、宇宙とともに永劫に存在するのですよ。この消えたり亡くなったりする肉体は人間ではない。人間の産物ですよ。人間は久遠の昔から生き通しているところの生命そのものなのです。あの星雲状態の高熱時も生き通して生物を発現させてきた、その生命が人間の生命だ。人間はそういう生命だから死ぬことはないのですよ。」



 医者の診断が不服で、病気が永びいた経験を語る人に、先生はおっしゃった。

「医者と喧嘩するから病気が長びいたのですよ。健康は円満完全な大調和の雰囲気の中に現われるのですから、医者を一概に敵視してはいけません。」先生は医者の味方だ。



 咳が出る、夜ねられぬ、若い者のすることが不服でいらいらするという老婆に、先生はおっしゃった。

「焦る気持を捨てなさい。あなたのその焦る気持が病気を作る因(もと)なんですよ。あなたは若い者のすることを批判しすぎる。いちいちそれが気に食わない。自分の我でもって『こうありたい』という尺度を握りすぎている。その把みを一日も早く放しなさい。みんな人間は神の子だから、若い者のやることはまちがいはない。若い者のやることを、ああありがたいと思って感謝する気持におなりなさい。」



 海水浴や日光浴をしたらそれ以来熱が出て肺患がひどくなったとこぼす人に、先生は次のごとくおっしゃった。

「日光浴をしたら健康によいとか、海水浴をしたら健康によいとかいう考えがすでに素人考えに捉われているのですよ。素人の健康法は生兵法大怪我のもとです。物質的健康法に頼るならむしろ医者の科学的な指導によってやった方がいい。素人考えは我の考えです。人間の体というものは、自然がよく知っている。その自然に従うのが一等よい。寒気がする時には温め、体がだるい時には寝るというふうにです。だから体に熱がある時には熱を放散させぬために、自然と毛孔がふさがって悪寒戦慄が起るのです。悪寒戦慄は病気ではない。黴菌と闘うために、身体の熱を上昇させる必要上、毛孔を強く引き緊める健康の働きだ。ですから、人間心でどうしたらいい、こうしたらいいなどということよりも、自然に素直になることですよ。いろいろと批評しないで、もっと素直におなりなさい。なんでもそのまま無条件に受け容れないで小理屈で斬り裁いてゆく心が胸の病気です。」



 『生命の實相』を読んでいるが、病める友達はいくら説き聞かしてもいっこう心服してくれず、私は立場に窮して困っているという人に対して、先生は答えられた。――

「我で治すのでは駄目ですよ。心が治った時に病気が無くなるのです。本来病気は無いんだけれども、心の迷いがそんなふうに現われている。いくらこっちが説教したって、心が反抗していつまでも我を突き通すようでは、なかなか治るものではないのです。」また――

「反抗する人には勧めないがよい。まだ機縁が熟さない、ギリギリの所まで行かないと花は開かぬ。勧めて争うくらいならば勧めぬがよい。」

「生長の家は仲良くする所です。病気というのは仲良くしないという不調和から起こるのですよ。病気を治してやろうと思って喧嘩をしているのでは、光を得ようとして暗を向いて走るようなものだ。」どこまでも生長の家は大調和の生活だということをおっしゃるのだ。



『生命の實相』を三日ほど読んだが、どうも心機一転という具合に病気が治らないという人に、

「よほど、心の素直な人で『生命の實相』を少し読んだきりで、一辺に病気の治った人もあります。(鞄の中より、その治験例として山口県の誌友からの感謝状を朗読せらる。)こういうふうに本人がギリギリの所まで行っておって、ふっとした心の転換によって、<クラリ>と心が更(あらた)まり、いっぺんに病気の治る人も多いのですが、しかし徐々に治ってゆく人もある。それはまたそれでいいので、やはりそれぞれの行き方というものがあるのです。」

「私が話すとぴったりとくる人もあるし、私がどんなに話しても駄目な人もある。三日ほど読んで『心機一転』するなどと考えないで、みっちりと徐々におやりなさい」ともおっしゃった。





辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 (30) (2628)
日時:2013年12月06日 (金) 11時47分
名前:信徒連合




辨道聴き書(べんどうききがき)<第30回>




<講演中白髯の老翁を見る>


 昭和十年四月九日、谷口先生が関西地方の講演旅行を終えて、東京の自邸へお帰りになった日、例の砂糖研究家の才木信治氏が、こんな話をした。


「一月九日の軍人会館の講演の日に私は片方の歯がしきりに痛んでおったのです。先生の御講演を半ばまで聴いていますと、先生の額のところから、光芒が――あの野蛮人の酋長の頭飾りのように光芒が射してくるのが見えました。

あまりにもありがたい感じがしましたので、思わず合掌しまして神想観と同じように瞑目していました。そのうちにピタリと歯痛が止まってしまいましたのです。

眼をひらいて御講演の声のしてくる演壇のほうを見ますと、不思議なことには先生のお姿が全然見えないで、白髪のとても大きな姿の老翁が演壇に立っていられるのです。まっ白い長い眉がとてもふさふさとして蔽いかぶさるように生え、その口髭も真っ白で眉と同じくふさふさしている。

白髯が腹のところまで下がっていて、実に柔らかな温か味のある中に威厳のあるお姿でした。そのお姿から受ける感じは支那の古代の医術の神様神農伏羲氏というような感じでありました。

その大きな白髪の老翁の顔をよく見ていますと、先生のお顔が老翁の顔の真中に小さく見えました。このお姿を私は一時間あまりも連続して眺めていました。

三月二十日の軍人会館での第二回目の御講演の際にも私は参りましたが、その時は私の精神統一が悪かったせいか、その神様のお姿をチラチラと幾度も短時間ずつ眺めただけで、前回のように一時間も連続して見つづけていることはできませんでした。もっとも前回は私は合掌瞑目して神想観同様のことをした後でしたから精神がよく統一していたのでありましょう。」


 なお谷口先生が昭和十年四月八日大阪国民会館で御講演中に顎髯の生えた神様のお姿を拝んだといって、本山村字田中井上喜久磨氏と尼崎市外小田村の原義一氏が先生をお見送りに来たときに言った。原義一氏は谷口先生の前額の冠にような形が見えたようにも見えたが、それは明らかではなかったそうである。




<講演中荘厳なる神姿を拝す>


 辻村楠造翁に紹介されて生長の家誌友になった建築家斎藤氏は三月第一日曜日の服部氏邸における誌友会で数名の生長の家誌友が二月九日の講演席上で谷口先生がながい顎髯を生やしていたのを目撃したと精華女学校の先生はじめ数名が証言したので、不思議なこともあるものだと半信半疑でいたのだった。

そして軍人会館での第二回目の講演会に出席して谷口先生の御講演を聴いていた。ところがご講演の途中で谷口先生に顎髯が生えたのが見えてきた服部氏邸での集まりで顎髯が生えて見える話を以前に聞いていたので、そんなことは実際はないのに、ただ幻覚でそう見えるのではなかろうかと斎藤氏は自分の眼を疑って、眼を幾度もこすっては注視したが、やはり顎鬚があるように見えるのである。

斎藤氏は幻覚に捉われまいとして、眼を瞑ってしばらくしてから眼を開いた。顎鬚は半白のようで、時々その寸法が長く見えたり短く見えたりした。顎鬚が顎の先から生えているように見えたり、咽喉のところを這うように見えたりするのだ。

これは光線の具合で陰影のさせる幻覚ではないか。斎藤氏はまた眼を瞑った。そして再びそれを見定めるために眼を開いた。やはり顎鬚が見えるのだ。顎髯のある誰かの姿と谷口先生のお姿とが重なり合っているようにも見えるのだ。その誰かの姿は笏(しゃく)をもっているようにも見えた。幻覚か何だろう。斎藤氏は再び眼を瞑った。

 もう谷口先生の御講演は終わりに近づいていた。斉藤氏が再び眼を開いたとき、谷口先生のお姿はかき消すように消えてしまっていてただ講演の声だけが聞こえてきていた。

そして谷口先生のお姿のかわりに、そこに、普通人よりもよほど大きく見える白髯の老翁の姿が立っていた。

ニス塗りの演壇の机の色が真っ黒に変わり、後方に垂れた幔幕の演壇の高さと同じあたりから下方は、一面に白色の台(うてな)のように変わって、その台の上のところには老翁の姿の左右に、御簾が浮き出してきて、その御簾には鏤(ちりば)めたように星がチラチラ輝いているのだ。

これがはたして幻覚だろうか。斎藤氏は呆然と眺めていた。眼は現実にハッキリと見開いているのだ。

谷口先生は、茶色の羽織を着ていられたのにその白髯の神様は緑色の、縦に縞のような光のある着物を着てい、講演がまさに終わろうとする挨拶の言葉が始まった瞬間、その白髯の神様の姿は消えて、もとの谷口先生のお姿に帰った。

斎藤氏はその時の白髯の神様の姿がいつでも想い出せるほどハッキリと心に印象づけられた。そしてその神様の姿を写生した絵を辻村楠造翁に見せた。

谷口先生もそれをおもしろがってごらんになった。また、そのほかにも、この霊姿を見たものはたくさんあった。






辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 (31) (2773)
日時:2013年12月24日 (火) 08時17分
名前:信徒連合




辨道聴き書(べんどうききがき)<第31回>




<真理の説かれる所、神は顕われる>


 明石の某寺の戸川貞子さんが「生長の家」の真理で数年来の病気が癒えて、自分自身が人々の病気を癒す力を授かったとき、某寺の随身が病気になった。

随身と称する、その「おつき」の人はなかなか「生長の家」の真理を信じなかった。

戸川貞子さんは少しく激してきていた。「わたしは真理をあなたにお話するのです。真理は神様の言葉です。あなたはわたしが話をすると思っていますが、これは神様がお話をするのです。」貞子さんは覚えず自分の唇からこういう厳かな強い語調がほとばしり出るのを聞いた。

その瞬間貞子さんの後方に輝く洗面器大の光が見えた。パーッとその光が随身の方向へ射していっていた。戸川さんはみずから驚いて振り向いたほどであった。

 谷口先生はおっしゃった。「生長の家の神様の神示に『誰にてもあれ、生命の實相を説く所に吾れは姿を顕わさん。吾れは生命の實相であるから』とあります。それは肉体から後光が射したとお思いになってはいけません。『生命の實相』の真理が神なのですから、生命の実相を説く時、誰からでも光が出るのです。

生命の実相を説きながら戸川貞子さんも自身の後から出る光に驚いた。わたしが講演中、わたしから後光が射すのを見た人があるのも、私の肉体から後光が射したのだと思ってはなりません。私が話すとき、それが生命の実相の言葉なら光を発するのです。生命の実相の言葉から発するということがわかれば、『生命の實相』の本を読んだり読み聞かせたりして、それで病気が治るという理由もわかる。

話す人は誰であっても『生命の實相』の言葉を発すれば、<実相の言葉は神>であるからそこには治す生命波動を発し、霊視力の発現した人には光を発したように見えるのです。これは個人の徳ではなく、光明化運動に与えられた特権です。」




<神秘の手>


 木藤房子さんは四、五ヵ月前から左の手の神経痛で自分で髪を結ったり、自分で帯を結んだりするのに不便を感じていた。なかなか治らないのは四十肩、五十肩という歳の加減ででもあるように思っていた。

ある人に教えられて木藤さんは『生命の實相』を得て火鉢に肩肘つきながら読んでいた。読んでいるうちに木藤さんは眠くなってきて、読んでいるのか眠っているのか自分にもわからなかった。

と誰か自分の腕を後方から押すものがあった。ハッと気がつくとその瞬間自分の神経痛は治ってしまっていた。後方から木藤さんを押した神秘の手ははたして何の手であるか誰にもわからなかった。




<神の言葉は理屈ではない>


 『生長の家』誌友のある人は、この一ヵ月ばかり前から身体を悪くしてどうしてもそれが治らなかった。何処に自分の心のまちがいがあるかも自覚していた。人を憎んではいけない、赦さなければならないと思っていてもどうしても赦せるような気持になれなかった。

生長の家は他の道徳行のように努力して赦すのではなく、自然に赦せるようになるのが本当だと思ったが、その自然に赦せるようになるのはどうしたらなれるか不明であった。

ある日の夕方某氏は『生命の實相』第一巻を披いてその巻頭の「汝ら天地一切のものと和解せよ」の神示を呼んでいた。その時、不思議に正坐合掌して読んでいた。

つづいて「生長の家の食事をとるときには、まず兄弟を赦し兄弟と仲直りして食事をとらなければならない」という意味の神示を読んでいた。それはすでにこれまで幾度も読んだところであった。

しかし今日は合掌して、それを真に神御自身の口ずから説き給う言葉として読んでいた。読んでいるうちに心がスーと軽くなってきたのを覚えた。

全ての人を今赦している自分を見出していた。肩が軽くなり、全身が軽くなり、身体の病が憑きものの落ちたかのように快くなったのを感じた。

同氏は初めて、聖典を読むときの心構えの大切なことを知った。今まで、同氏はそれに書いてあることを分析し、理解し、心に詰め込もうとのみ思ってよんでいた。

しかし、今はじめて『生命の実相』の言葉が真の神の言葉であって、それを合掌礼拝して読む時、それは理解するのではなく、記憶するのではなく、ただ読んでいるだけで、その言葉のリズムだけで自分の心が改まっていったものである事を体験した。

これは大きな発見であった。神の言葉は理屈でもなく、理解でもなく、ただ言葉であるからという理由だけで尊いのであった。

「神光あれと宣いければ光ありき。」なぜ神は光あれと宣うのであるか、なぜ光あれと宣うたら光が出現したのであるか、それは、理屈でも理論でもない。神さまの言葉であるが故に尊く、神さまの言葉であるが故に然るのである。

「汝ら天地一切のものと和解せよ」――なぜそうせねばならぬかな?とは理論の問題でない。合掌礼拝してその言葉を読んでいるとき、自然に天地一切のものと和解している自分を見出すのである。




<霊術では真に病気は治らぬ>


服部仁郎氏のお子さんを小学校で受け持っている栗原訓導は以前に一色春峰という人から離魂療法というのを伝授されて他人の病気を治してみるとかなり多くの人々の病気が治ったが、自分の家に病人が絶えず、不幸の絶え間がないのを妙に思っていたのであったが、その後一色春峰氏が死ぬ、良人の跡をついで病気治療をしていた一色夫人が死ぬ。これはいよいよ変なことであると思っていたときに、栗原訓導は「生長の家」に紹介されたのであった。

「どうしてこんなに一色さんや、われわれに不幸が起こるのでありましょうか」と栗原訓導は谷口先生にお尋ねした。

「霊術で病気を治すということは因果を撥無(はつむ)することになるから善くないのだ。病人は病気になるべき因がある。その因を滅尽する悟りに導かないでいてただ横合いから霊術という暴力によって治すということになると、因果の大法を破ることになるから、せっかくその病気を機縁として悟りに導かれようとしている人に妨げをすることになる。

だからその人は因果の大法を破った報いを自身に受けなければならないのだ。生長の家では病気を霊術で治すなどということはしない。心を悟りに導いて、心の悟りの投影として病気が自然に治るのだ」と谷口先生はおっしゃった。

 栗原訓導はその後家族中健康になり、病気の生徒などはただ一回その生徒に生長の家の真理の話をするだけで治るようになった。






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