生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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「森のオフィス」インターネット地方講師のブログ紹介H (2471)
日時:2013年11月13日 (水) 15時40分
名前:不思議庵の住人



東京から「森のオフィス」へ移住した本部講師の皆さんは、どのような「自然との共生」の生活を実践しておられるのでしょうか? 本部公式サイトのなかの「インターネット講師・ポータルサイト」から、記事を書き込んでおられる方のものを紹介させて頂きます。
http://www.jp.seicho-no-ie.org/lecturer/index.html



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インターネット地方講師:石田盛喜代氏

http://1181-42.cocolog-nifty.com/



<プロフィール>

 まじめ&ユーモラス&気さくです。私は石田盛喜代といいます。「生長の家」の地方講師(教務)です。
このウェブサイトは、「生長の家」の真理普及のために開設していますが、内容や発言は、すべて私本人の責任において書いています。従って、私は「生長の家」を代表する者でもありませんし、私の発言が「生長の家」の見解ではありませんので、ご了承下さい。ご不明の点があれば、何なりと私にお問い合わせください。1.「硬い」と見られていますが、本人の意識はそうでもありません。 2.論理的思考が好きですが、右脳開発意欲大で努力中。理屈先行で、行動努力中。 3.できていないことが多いので、生長の余地・可能性大なりと、前途に大いなる希望をもっています。 4. 国際平和信仰運動の進展に、少しでもお役に立てるように、恩返しさせていただきたいと思っています。




<最近のブログ記事>


@ 10月31日、谷口清超大聖師五年祭に思うこと
去る28日は谷口清超大聖師の五年祭が、島根教区においてもしめやかに執り行われました。いつものように島根県教化部をメイン会場として、隠岐会場、松江道場会場、益田会場をインターネットで結んで行われました。4会場で総勢70名程度の参加だったようです。私は教化部会場へ参加させていただきましたが、教化部会場参加の私たちは、5年祭の後、聖歌隊による清超先生作詞の“かみをたたえて”の斉唱があり、黒田教化部長のご挨拶の後、参加者は谷口清超大聖師の思い出を語り合い、ありし日を偲びました。話題に出たのが、大聖師は浜田市で“生命の實相”に触れられ、松江市で誌友会に参加され、生長の家との縁を不動のものとされて谷口雅春先生のもとに行かれたので、島根に非常に縁が深いということでした。そして講習会のときの思い出とか、本当に“きさくな思いやり”の気配りを感じたというような、目の前に姿が想像できるような懐かしい思い出話に花が咲きました。また、大聖師のご著書は体験談に対する理論が展開されており、非常にわかりやすいということでした。これは私たち地方講師にとって非常にありがたいテキストであるという声でした。私の大聖師に対する最大の思い出は、最大の感謝すべきことですが、何と言っても平成9年の2月?の団体参拝練成会で体験発表させていただいた時に、直接お言葉をかけていただいたことです。そして、その体験談を光の泉誌に取り上げ真理のご教示にお使いいただき、『ありがとうは素晴らしい』にも取り上げていただいていることです。この日には、総裁 谷口雅宣先生がブログに書いていらっしゃることから、今後の人生に対する考え方を改めなければと思わせていただくことがありました。

 私は、清超大聖師は“優しく穏やかな大聖師”というイメージでおりましたが、総裁先生のお言葉にあります「清超先生は、とても強烈な意志と情熱をもって生きられた方」ということです。私は、情熱は強く持っている方だと思いますが、一方、淡白な面も持っていると思っています。少しでも強い意志を持続できるように、生長の家の人類光明化運動・国際平和信仰運動をできるだけ長く元気にさせていただけるように、健康・体力の維持のベースと考えているウオーキングを継続することを強い意志をもって行おうということを強く思わせていただきました。神想観をはじめとする三正行は勿論ですよ。念のために申し添えておきます。

そして、もうひとつあります。それは総裁先生のお言葉にある「大聖師の信仰と情熱を“鏡”としつつ」、「新取の気性」を持って生きたいと思わせていただいたということでした。今日はここまでにさせていただきます。石田 盛喜代


A 11月5日、この世で本当に幸福になるためには…『新版 希望を叶える365章』より
「祈りがきかれるためには、神から既に受けた恵みに対して充分感謝の心を起さなければならない。その感謝は、物質的な供物をすることではなく、自分が受けた功徳(おかげ)を枡の下に置かず、あらわに発表して神の徳を讃えて、出来るだけ多くの人々を信仰に導くことである。イエスはこのことについて、「人は灯火(トモシビ)をともして枡の下に置かず、灯台(トウダイ)の上に置く。斯くて灯火は家にある凡ての物を照すなり。斯くのごとく汝らの光を人の前にかがやかせ。これ人の汝らが善き行為(オコナイ)を見て、天にいます汝らの父を崇めん為なり」と教えている。神はただあなた一人だけを幸福にして喜んでいられるのではないのである。」と。

祈りがきかれるためには、既に受けている神からの恵みに感謝しなければならないのですね。私たちは、全ての恵みが「神からの惠み」であるのに、「これは神からの恵みではない、誰もが受けているものだから“受けて当たり前のもの”で、「神からの惠み」ではない」とか、「これは私の努力によって勝ち取ったものだから、「神からの惠み」ではない」とか思うことがありはしないでしょうか。私が高校生のときに、素晴らしい信仰者である下級生T君がいました。彼は野球部で活躍していました。部活で時間がないのであんまり誌友会等で一緒する機会は少なかったのですが、家に行ったとき等に、彼に会うと、よいことは全て神様のお陰にしているのでした。私は、その頃、「良いものは全て神様」という考えが出来ていなかったのですが、そのT君のお陰で、謙虚さを学び、そう思うことができるようになったのを思い出しました。その頃から、あまり真理の勉強が進んでいないときでしたが、徐々に「全ての恵みは神の恵み」というようになってきました。時々、「自分の手柄」が顔をのぞかせることがありますが、「いやいや、そうではない」とあのT君の謙虚さを思い出して反省して軌道修正ができています。自分では、既に請けている神の恵みに感謝しているつもりでも、実感が伴っていないことをいつも反省しています。今月は、教区で申し合わせた「B型誌友会」の月です。神性表現の練習をさせていただきますが、島根教区の私たちにとって今月は特に“神の恵みに感謝する月”でもあります。

また、祈りは1回だけということはないのですね。功徳をいただいたら、それを隠さずに、独り占めしないで、“真理伝道の黄金の杖”としなければなせないのですね。独り占めすると、せっかくいただいた功徳が消えてしまうということもあるのですね。ここに、“報恩感謝の行”といものが伴わなければならないのではないでしょうか。そうしなければ、“無限供給の法則(原理)”から外れてしまうのではないでしょうか。すべての人間は神の子でありますから、神は「万人をして“神の子”なる実相を自覚せしめ幸福にならしめようと願っていられる」のですね。自他一体でありますから、「自分一人幸福になればよい」という考え方では、良いことも長続きしないのですね。今日はここまでにさせていただきます。石田 盛喜代



B 11月10日、生長の家インターネット講師のポータルサイト、生長の家島根県教化部
 東日本大震災でお亡くなりになられた方々並びにその他の災害でお亡くなりになられた全ての方々のご冥福をお祈り致します。そして、被災された方々の速やかなる復興が自然との大調和のうちに進められるよう祈念致します。また、復興に携わっておられる方々に心からなる尊敬の念と感謝の気持ちをお伝えさせていただきます。

 神々集う11月(旧暦10月)には、15日(金)〜17(日)まで、第455回神性開発出雲短期練成会が島根県教化部会館にて行われます。先月と同様なプログラムと時間割で行われます。初日午後に先祖供養祭、2日目午前中に流産児供養祭、夜には浄心行、そして最終日には祈り合いの神想観があります。

また、この練成会前後には、ありがたいことに出雲大社にて“神在祭”(11月12日〜11月19日神在祭 - 出雲大社「注」参照)が行われます。どうぞお誘い合わせのうえ、神々集う出雲の国の“神性開発出雲練成会”に参加され、伊勢神宮の式年遷宮と重なった、まことに目出度い60年に一度の遷宮の年、“神在祭”の行われる出雲大社に参拝されては如何でしょうか。スタッフ一同皆様のご参加を心からお待ちしております。

この世で本当に幸福になるためには…『新版 希望を叶える365章』より

「罪は単にそれを告白するだけでは消えるものではない。神の子に罪は本来無いから、それを“実相の光”によって照らし出すことによってのみ消える。“罪”の語源は“包み”又は“積み”である。“包み”をはぐって“実相”を直視することが“真の祈り”であるから、祈りの中に、くどくどと「私はこんなに悪うございました」とか「私はこんなに病気で苦しんでいますから救ってください」などと唱えることは、却って“真の祈り”を妨げることになる。“実相”の完全さを現すには、“罪”を破壊しなければならない。“罪”は非存在であり、妄想の産物であるから、これを破壊するには妄想を破壊すればよい。即ち、無いところの“不完全”をあるとおもい、有るところの“完全な実相”を無いと思う顛倒(さかさま)の夢から覚めなければならない。「一切の業障海は皆妄想より生ず、懺悔せんと欲せば端座して実相を念え。衆罪霜露の如し慧日能く消除す」と普賢経(フゲンギョウ)にあるとおり、実相を観ずることが罪を消す最高の方法である。」と。

罪は単にそれを告白するだけでは、暗闇の中で、闇をあると思っている中で、「告白したのですから、この闇を消してください。この罪を赦してください。」と言っているようなものでしょうか。唯心所現の世界ですから、「闇あり、罪あり」という意識の下では、罪は一時的に消えても、完全に消えることはないですね。「神の子に罪は本来無い」から、それを“実相の光”によって照らし出すことによってのみ消える。それは、「神の子人間」「罪本来無し」の世界に入らなければ“罪”は消えないのですね。“罪”の語源は“包み”又は“積み”であるから、“包み”をはぐって“実相”を直視することが“真の祈り”ですね。実相世界に超入するしかないのですね。やはり、神想観をはじめとする“三正行”の実践あるのみということでしょうか。『観世音菩薩讃歌』にありますように、“懇願”は「無を在りと認める欠乏と困窮の宣言、非実在の宣言」なのですね。“滅罪の懇願”は「罪あり」の想いから生じてくるのですね。「罪あり」との想いが潜在意識にある限り、唯心所現の世界ですから、罪は消えず、必然的に人類の贖罪意識により、不幸なことが消えることがないのではないでしようか。「一切の業障海は皆妄想より生ず、懺悔せんと欲せば端座して実相を念え。衆罪霜露の如し慧日能く消除す」…やはり実相への超入、神想観に帰結いたしますね。三正行の実践に励みたいものです。今日はここまでにさせていただきます。石田 盛喜代




<読後感を一言>


@ 石田盛喜代氏は、「教務」という肩書きを持つ地方講師の方であり、これまでマサノブ君のブログ「唐松(枯れ松)模様」にも、厳しい事前検閲に合格してコメントをたびたび投稿されている方です。そして、御自分のブログでは、いつも次の一文を必ず入れてマサノブ君への忠節振りを示しておられ、

<< 皆様、日々、総裁先生のブログhttp://www.masanobutaniguchi.com/、生長の家白鳩会総裁・谷口純子先生のブログhttp://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/を拝読いたしましょう。>> 、また国際平和信仰運動の進展に、少しでもお役に立てるように、恩返しさせていただきたいとも書かれています。


A しかし、小生の頭の隅にはずっと以前の石田講師のコメントの一文の印象が残っており、また、上記の如く開祖・谷口雅春先生の『新版 希望を叶える365章』を引用・解説して真理の宣布をされている、これらのことから考えて、石田講師はやはり心の中では開祖・谷口雅春先生の『御教え』復活を強く待ち望んでいる方だと勝手ながら推察しております。


B 地方講師の方は、経済的には教団とは独立しているのですから、もっともっと意志を強く持って相愛会や青年会の再興を目指して、開祖・谷口雅春先生の「生命的国家論」・「中道實相の愛国論」・「憲法論」を自分自身のブログ上で展開していただくことを希望します。

プロフィールでも書かれているように、< このウェブサイトは、「生長の家」の真理普及のために開設していますが、内容や発言は、すべて私本人の責任において書いています。従って、私は「生長の家」を代表する者でもありませんし、私の発言が「生長の家」の見解ではありませんので、ご了承下さい。> でありますから、マサノブ君には何の遠慮も要らないわけですよね。石田講師のお得意の“論理思考”からすればそう云うことになります。

マサノブ君が“物言い”や“圧力”を掛けてきても、何の恐るることあらんや! マサノブ君の屁理屈論法等、石田講師の優秀な“論理思考”の前では簡単に腰砕けになります。開祖・谷口雅春先生の唯神實相の「生命の實相哲学」には一点の隙もなく、マサノブ君の左翼唯物論「今の教え」は隙だらけですからね。






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