生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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余りにもヒドイ――11月14日の「唐松模様」は信徒を侮辱している! (2487)
日時:2013年11月16日 (土) 00時12分
名前:怒れる信徒代表



マサノブ君は、彼のブログ「唐松模様」を更新しました。この内容を読んで、私はやり場のない義憤を感ずるのであります。先ずはその要旨を掲げます。



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11/14「唐松模様」 = 自動化は好いことか? (3) =


<<  数日前から日本列島が急に冷え込んだおかげで、朝の仕事が増えた。それは、薪小屋からの薪運びと薪割りである。わが家の薪ストーブが大活躍しているため、・・・@朝、寝室で目が醒めると寒い。A着替えをすませて居間へいき、薪ストーブに薪を追加する。B夜中に燃えた分の薪を補充するため、薪小屋へ行く。C薪を5〜6本、丈夫な布袋に入れて家の南側デッキに運び、乾燥のために並べる。Dその作業を3袋分する。E4袋目の薪は、斧で細かく割る。  −−これが朝行うようになった新しい仕事だが、薪ストーブの準備はこれで終わらない。家に新しく運んできた薪を、適当な時刻にストーブの回りに並べて乾燥させることが必要だ。これを怠ると、湿気の残る薪をストーブに入れることになり、火が途中で消えてしまうことがある。また、当然のことながら、ストーブ内の薪の燃焼が進むにつれて薪をくべる作業もある。・・・大泉町の森の中では、私は毎日上に書いたような作業をしながら、赤や黄色の魅惑的な炎を揺らしているストーブを常に意識し、その暖かさに心の中で感謝することしきりなのである。また、薪のズッシリとした重さや、その表面の荒々しさ、斧の重さ、薪をスパッと割った時の快感、割れる音の響き、木の匂い、変化に富んだ燃焼室の色、煙突から上がる煙……などを五官で感じ、それらを常にはっきり意識している。そして、「暖をとる」ということは、これらすべての注意と作業の結果として得られる“ご褒美”だ、と感じているのである。だから、ストーブがありがたいことはもちろん、薪も、斧も、煙も、炎も……すべてありがたい存在だと感じる。この違いが起こる理由は、いったい何なのだろう?・・・薪ストーブの生活は、電気による暖房の生活に比べて、@自然により近づき、Aエネルギー使用量、CO2の排出量ともにゼロに近く、B人間関係もより緊密になると思われる。・・・霜柱が立つ寒い朝に、薪を取りに家の外へ出ていけば当然、自然の厳しさに触れる。毛穴は引き締まり、呼吸は深くなる。薪を下ろし、袋に入れて運び、家の中に配置する作業は、力仕事である。全身の筋肉を使い、体の内側から自然の力が喚びさまされる。筋肉や循環器系だけを使うのではなく、どの形のどの薪を何本袋に入れ、どこに運ぶかを考えるから、脳を使うことにもなる。自分の“外側の自然”と“内側の自然”とが、この作業を介して融合するのだ。運んだ薪を火にくべれば、優しい炎が、めらめらとストーブの闇の中から姿を現し、さまざまな色と形に変化するのが見える。この炎のダンスは、「ゴー」とか、「パチパチ」とか、「バリバリ」という音を伴う。大げさに聞こえるかもしれないが、私はこの光景を見つめ、静かに音を聞くとき、劇場で舞う踊り子の背後で、オペラのアリアを聴くように感じることもある。つまり、薪ストーブの炎は、私たちの美的感覚を刺激して、安らぎを与えてくれるのである。暖房を極限まで自動化した都会の生活と、原始的ともいえる森の薪ストーブの生活とは、どちらが「豊か」と言えるだろうか? ・・・どちらが「豊か」かは即断できない。「豊か」さを「自由時間が多くある」という意味にとらえれば、むしろ都会生活の方が豊かではないか? 読者はどうお考えか? >>谷口 雅宣



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< 雅宣(自称)総裁への抗議 >


@ 貴殿は、この文章を書くときに、信徒の皆さんがどのような読後感を持つかを思いめぐらして書いただろうか、と思わざるを得ない。この文章を読んで大抵の信徒の人達は、私を含めて言いようのない怒りの感情が沸々と湧き上がってくるのを押えることが出来ないのであります。


A 貴殿には、その訳が解らないであろう、と思う。貴殿は得意げになって、都会の電化生活と薪ストーブを燃やして暖を取る田舎の生活のどちらが、より“豊かな”生活だろうか? と読者に問うているが、チョット待っていただきたい。


B 貴殿の言う原始的ともいえる森の薪ストーブの生活とは、田舎に住む庶民の生活ではない。新・総裁邸に住む貴殿の“森の薪ストーブの生活”とは、豪華ログハウス造りの、そして100万円はするであろう“豪華薪ストーブ”を、これまた高価な“薪”を購入して、一晩中燃やしてリビングルームの温度が冷えないようにして薪の燃える「ゴー・パチパチ・バリバリ」の音と“炎のダンス”をオペラを聴くように眺め、美的感覚に浸っている――選ばれたセレブの別荘生活そのものではないのですか?


C 貴殿は、< 大泉町の森の中では、私は毎日上に書いたような作業をしながら、赤や黄色の魅惑的な炎を揺らしているストーブを常に意識し、その暖かさに心の中で感謝することしきり、ストーブがありがたいことはもちろん、薪も、斧も、煙も、炎も……すべてありがたい存在だと感じる。 > と至って満足げに書いているが、信徒への感謝の気持など感じていないことがハッキリと分かります。


D 貴殿が、特別注文して建てた「新・総裁邸」や16万円もする山岳用の自転車、400万円のドライブと買い物用の電気自動車、100万円の豪華薪ストーブ、一ヶ月数万円のストーブ用のマキ代・・・すべてその源をたどれば信徒の「聖使命会費」等の浄財であるのです。このことを貴殿はキレイ・サッパリと忘れてしまっているのです。


E 貴殿は、自分の力で稼がないで、信徒の浄財に頼った宗教貴族の生活、それも自然の中で超優雅な自由気ままな独裁君主型の道楽生活を送りたかった、それが遂に実現したのだと満足感に浸っていることが、今回のブログの文章を読んでハッキリと判ったのであります。


F 貴殿は結局のところ、「自然との共生」という時流に乗った言葉と信徒の浄財を上手に使って、個人的人生目標を達成したかっただけなのです。衆生救済を捨て去り、独裁者気分を満喫し、私有財産を別途に溜め込む、終身総裁の「生長の家・教規」の保障のもとに、自分一代で“破壊と蕩尽”に浸りきる満足感をタップリ味わいたかったのでしょう。常識から考えても極めて異常な性格です。


G 貴殿は最早、宗教家ではない。宗教貴族に過ぎない。今回の貴殿の文章を読んで、指マーク<いいね!>の常連狂信コメント信徒以外のその他大勢の一般信徒の気持は“怒り心頭”であります。この様な怒り心頭の義憤を感じない信徒は、本当の生長の家の信徒とは言えないと断言します。

傲慢な独裁者は必ず仆れます。貴殿もまた、チャウシェスク・雅宣君となる前に、総裁辞去・大政奉還・教団退去を奨めるものであります。




驚きですな (2492)
日時:2013年11月16日 (土) 18時07分
名前:ワラ

枯れ松模様は読んだことが無いが、、『朝の仕事が増えた。それは、薪小屋からの薪運びと薪割りである。わが家の薪ストーブが大活躍しているため・・・@〜Eまでを目が覚めてからするという。
マサノブという奴は生長の家(自称)総裁という立場にありながら
朝起きてストーブの世話をやっているのか。神想観はしないのか

総裁辞めろ



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