生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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「初心者」はかくのごとく生長の家の『御教え』を否定する! <その8> (228) |
- 日時:2013年02月27日 (水) 17時11分
名前:四万十分析官
「初心者」という人物は、「トキ掲示板」において下記の如く生長の家の『御教え』を否定しているのである。「トキ掲示版」規約には「基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教えを支持、共鳴する人のためのサイトです。生長の家と谷口雅春先生へのご批判をされる内容の投稿はご遠慮下さい。」と書いてあるが、一連の「初心者」と名乗る人物は、この投稿規約に反する投稿を続け、管理人氏も未だに一回も注意を与えていない。「初心者」と「トキ掲示板」との関係は主従の関係にあり、この様なところから「初心者=雅宣総裁」と言われているのである。そして、雅宣総裁としては、決して公の“総裁”としての立場では言いたくても言えない開祖・谷口雅春先生への反逆の「本音の思想」を「初心者」なる名前を使い、思う存分吐露し続けているとも考えられるのである。この意味からでも、彼のやり口は宗教家として非常に卑怯そのものであり、“総裁更迭”に十分に値するのであり、信徒はもっと声を大きくしなければならないのである。
以下、生長の家の『御教え』を否定する「初心者」なる人物の投稿を転載させていただき読者のみなさんの判断に供するものである。
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「トキ掲示板」より
103 :初心者:2012/07/09(月) 15:38:07 ID:TfQ0e6RA
異端とみなされるのは、つねに真の信者です。
1777 名前:初心者 投稿日: 2012/07/09(月) 15:14:06 ID:TfQ0e6RA
わたしは、人間嫌いであると同時に医者嫌いでもあります。自分の流儀は通します。
1784 :初心者:2012/07/01(日) 14:00:36 ID:TfQ0e6RA
雅春先生の教えが正しいにしても、つけ加えることはまだまだいくらでもある、ということは述べさせていただこうとおもいます。わたし自身の体験からすれば、雅春先生の教えにとどまっているかぎりは、これ以上さきへは進めないとする壁につねにさえぎられていたという気がいたします。・・・正直もうしますと、雅春先生の教えだけでは限界があるということを感じます。
54 :初心者:2012/07/08(日) 07:31:42 ID:TfQ0e6RA
信仰が、個人的立場を超えて集団的になることで問題が生じます。「絶対的真理」という言葉が登場します。「絶対的真理」とは、誰もがそれに服従しなければならないとされる真理です。これにより、信仰は争いの場となります。
83 :初心者:2012/07/09(月) 11:24:25 ID:TfQ0e6RA
科学は宗教よりもさらに先へと進んでいるのかもしれませんね。
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<問題点>
@ 「初心者=雅宣総裁」は開祖・谷口雅春先生の『御教え』に対して真正面から挑戦を仕掛けているといわざるを得ない。普通人の考えから言えば、生長の家の『御教え』が気に食わないのであれば、わざわざこの様な「生長の家掲示板」にまで出てきてまでこの様な挑戦論を展開する人はいない。一切関知しないで過ごすはずである。それをあえて為すのは或る意味において特殊な精神構造を持つ人物だといえる。なんとしてでも開祖・谷口雅春先生に対する心のウップンを晴らしたい強い一念のなさしめるところであろう。このように考えると結論は「初心者=雅宣総裁」という事になるのである。
A 雅宣総裁は、開祖・谷口雅春先生の『御教え』を自己の個人的思想「今の教え」に完全転換し、開祖・谷口雅春先生の御姿(印象)を信徒の心から消し去る事を強引に推し進めていると言われて久しい。彼のこの深層心理が図らずも此処に露呈されているのである。雅宣総裁は「初心者」をして次の如く言わしめている。曰く、<異端とみなされるのは、つねに真の信者>・<人間嫌いであると同時に自分の流儀は通す> ・<雅春先生の教えだけでは限界がある、つけ加えることはまだまだいくらでもある>、つまり開祖・谷口雅春先生の『御教え』は不完全で補強する必要がある、それを為すのが自分(雅宣総裁)の使命であると言ってのけているのである。だから、“雅宣教”とも云われる「今の教え」へ強引に転換して行っているのである。
B <異端とみなされるのは、つねに真の信者>この表現は、雅宣総裁の“驕慢さ”を表わす以外のなにものでもない。<人間嫌いであると同時に自分の流儀は通す>は、雅宣総裁には純子夫人以外の友人といえる人はいないことを言っている。一日9時間もパソコン相手に暮らしているとのウワサが彼の人間嫌いな性格を現している。雅宣総裁の人並み外れた強引な自説を通す性格は<自分の流儀は通す>という言葉に集約されているといえる。<雅春先生の教えだけでは限界がある、つけ加えることはまだまだいくらでもある>という表現も<雅春先生も間違ったことを言っている。それを正し、これまでのタブーに挑戦していく>と語った雅宣総裁の言と一致する。「森のオフィス」・「大自然讃歌経」・「観世音菩薩讃歌経」・新刊「生長の家ってどんな教え?」において開祖・谷口雅春先生を忌避・否定し、“雅宣流の生長の家”への変身が如実に証明されているのである。「初心者=雅宣総裁」である。
C 「初心者=雅宣総裁」は、「絶対的真理」が何たるかが判っていないのである。それは「初心者=雅宣総裁」の心的境涯がいまだ「無の関門」以前の位置にあり、「無の関門」を越えて絶対的真理を絶対認識された開祖・谷口雅春先生の御境涯が何もわからないからに他ならないのである。「盲目、蛇に怖じず」とはこのことである。だから、霊的真理よりも「科学」優先の考え方にならざるを得ないので或る。この様な唯物思想者たちは実にお気の毒な人であるが、霊的機縁の熟するのを待つほか仕方がないと云う事である。しかしそれは雅宣総裁の個人事情であり、公人としての雅宣総裁は“生長の家総裁”としてはその資質を完全に欠いている。総裁更迭は当然である。
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