生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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本部講師への昇格試験を目指して勉強中の、インターネット講師、岡田 慎太郎 (本部講師補)殿へご質問・・・ (2616)
日時:2013年12月04日 (水) 22時30分
名前:公平なる観察者




本部公式サイトの「インターネットポータルサイト」において、一番真面目に記事更新を重ねておられる岡田本部講師補殿に無名の一末端信徒から質問させて頂きます。


@ 御貴殿の最近の投稿文は下記の如きものでありますが、インターネット講師の最大の目的である「生長の家真理の普及」に大幅にずれていると思うのですが、如何ですか? 御貴殿のご投稿文章の内容は単なる“私生活日記”<たまらなく楽しい今日この頃>に過ぎず、どこを探しても未だ「生長の家」の『御教え』に触れておられない世の中の大勢の人への“真理普及”が為されていないと思いますが・・・


A 御貴殿は、新国際本部「森のオフィス」への移住の素晴らしさを心の真底から喜んでおられますが、「宗教家」として、世の中の病悩苦に喘ぐ人達への救済の第一使命を全く忘れられてしまった観の印象を受ける投稿文ばかりです。「生長の家」発祥当時と現代とでは、物質生活面は豊かになりましたが社会の底辺層の生活苦に喘ぐ人達への真理普及による抜苦与楽の必要性はいささかなりとも減じてはおりませぬ。年間3万人を超す自殺者、生活保護家庭の大幅増加、母子家庭の大幅増加、人工中絶問題、家庭内暴力、独居老人の増加と孤独死、若者の就職難と将来不安、痛ましい殺人事件等々の現代社会に対して「宗教家」として何をなすべきかとお考えですか?


B 今、日本は共産中国による侵略の危機にあり、特に尖閣諸島周辺では、24時間体制で海上保安庁や自衛隊の警戒が為されており、何時、有事の事態が起らないとも限りません。そういうときに、「生長の家」の本部講師がたとえ“補”であるとはいえ、憂国の一文もなく、八ヶ岳の自然を愛でてその素晴らしさだけを平然と書いておられる気持が私には理解できないのであります。御貴殿は、開祖・谷口雅春先生の国家論・愛国論・憂国論・憲法論など一切捨ててしまわれたのでしょうか? なぜ、一般の多くの日本人でも感じている愛国論・憂国論を一行も何故ゆえに書かれないのか、この疑問点にお答えください!


C 来年1月の“受験”に備えて猛勉強、と書かれていますが、おそらく“補”から「本部講師」への昇格試験だと思います。然らば、次の3問題について、マサノブ君出題の「本部講師昇格試験」だと思って御貴殿の回答を示してください。



<第一問>
 
宗教の嗣法者(その宗教の継承者)は、宗祖(開祖)の教えを「一杯の盃の水を一滴も零さず、残さず、次の盃に移し替えること」、これは生長の家長老・本部講師・道元禅の大家であられた田中忠雄先生の言葉ですが、この定義によりますと、マサノブ現総裁は、「生長の家」の正しい継承者ではないことになります。開祖・谷口雅春先生の『御教え』を<時代即応>という言葉を使って、巧妙に換骨奪胎し、似て非なる「今の教え」という「マサノブ教」にすり替えたことになると、「正統・生長の家」復活推進側の信徒から言われています。これに対する貴殿のお考えを述べてください。



<第二問>

次の御文章は、開祖・谷口雅春先生の書かれた『生長の家』出現の精神 (昭和五年三月一日発行『生長の家』創刊号)であります。

<< 自分はいま生長の火をかざして人類の前に起つ。起たざるを得なくなったのである。友よ助けよ。同志よ吾に投ぜよ。人類は今危機に頻している。生活苦が色々の形で押し寄せて人類は将に波にさらわれて覆没しようとしている小船の如き観はないか。自分は幾度も躊躇した。起つことを躊躇した。自分は中心者として増上慢のそしりを受けることを恐れていたのだった。一求道者としていつまでも謙遜でいたかった。併し今は謙遜でありたいと言うことが自分にとっては安易を貪る一つの誘惑と感じられる。自分は此の誘惑に打ち克って人類を救わねばならない。自分の有っている限りの火で人類を救わねばならない。自分の火は小さくとも人類の行くべき道を照らさずにはおかないだろう。此の火は天上から天降った生長の火である。火だ!自分に触れよ。自分は必ず触れる者に火を点ずる。生長の火を彼に移す。自分は今覚悟して起ち上がった。見よ!自分の身体が燃え尽くすまで、蠟燭のようにみづからを焼きつつ人類の行くべき道を照射する。自分のかざす火は人類の福音の火、生長の火である。自分は此の火によって人類が如何にせば幸福になり得るかを示そうとするのだ。如何にせば境遇の桎梏から抜け出し得るか、如何にせば運命を支配し得るか、如何にせば一切の病気を征服し得るか、また、如何にせば貧困の真因を絶滅し得るか、如何にせば家庭苦の悩みより脱し得るか・・・等々。 今人類の悩みは多い。人類は阿鼻地獄のように苦しみ踠がきあせっている。あらゆる苦難を癒す救いと薬を求めている。しかし彼らは悩みに眼がくらんでいはしないか。方向を過っていはしないか。探しても見出されない方向に救いを求めていはしないか。自分は今彼らの行手を照す火を有って立つ。>>

上記の<『生長の家』出現の精神>をマサノブ現・総裁は放棄して、地球環境改善を現代・「生長の家」の第一目標に掲げたことを、「正統・生長の家」復活推進側の信徒は、立教の精神に反しておりマチガイだという。これに対する貴殿の考えを述べてください。



<第三問>

次の文章は、インターネット本部講師の投稿文と、それにに対しての閲覧者の感想であります。この閲覧者の感想文に対する貴殿の考えを述べてください。


インターネット講師の投稿文――

< 薪のラックがいっぱいです。今日は薪が届きました。 薪は使用するまで一年乾燥させる必要があるため、 今年は業者から買っています。 ラックに積むまでの時間は約40分。 雨に濡れないために必死でした(笑)僕の上司が 「生きるために使う時間が増えた」 言っていましたが、 僕もその通りだなと感じています。>


閲覧者の感想文――

< 「生きるために使う時間が増えた」というのは、他人のために使う時間ではなく、公のために使う時間でもなく、「自分自身が、生きて行くために使う時間が増えた」ということですものね。「ご自分が、趣味と実用を兼ねた 贅沢な薪ストーブ暮らしに使う時間が増えた」信徒の浄財を使いたい放題に使う時間が、より増えたとも言えましょう。それで、給料は、一般信徒の平均収入より、数倍も多く得ているそうですね。それも、信徒の浄財から。しかし、道義的な問題には なりましても、法的に触れる問題には なりませんから、あのひとも、教団大幹部の皆様も、たとえ世界を敵に回してもこんな 世にも美味しい ご自分の思いのままの贅沢な生活は、辞められないのでしょう。>



■ 岡田慎太郎・本部講師補殿

御貴殿が、マサノブ君出題の上記三問に対して、マサノブ君の左翼唯物思考の「今の教え」に基づいて回答を書いたならば、目出度く「本部講師」に昇格されます。しかし、開祖・谷口雅春先生の『御教え』に基づいて回答を書いたならば、もちろん不合格となり昇格しません。それどころか、左遷人事によって退職へ追い込まれていくことになります。御貴殿が「本部講師」に昇格されたときには、名刺の肩書きは、「生長の家・本部講師」ではなく、「マサノブ教・本部講師」であります。何れの回答をなすか? これが今の御貴殿に与えられたご自身の霊的進化の岐路に於ける公案であります。無門関第31則「趙州勘婆」であります。

ご参考までに付記いたしますが、開祖・谷口雅春先生の御本は古書店では益々値打ちが高まり、「碧巌録解釈」上下巻セット(定価6700円)が5万円以上の値段が付いています。一方、マサノブ君の「小閑雑感」などは古書店では評価が1円とのこと。これだけ見ても「今の教え」のマサノブ君の社会的評価はほとんど0(ゼロ)だと考えてもいい訳であります。そんなマサノブ君の出題した昇格試験に合格したとしても、今の本部講師の真理理解度は極めて低いと言えるのであります。迷惑を蒙るのは、本当の実情を知らされていない大勢の信徒さん達であります。



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インターネット講師・岡田慎太郎氏(本部講師補)の公式サイト投稿文の実例
http://truthtaro.lomo.jp/


▼ 12月3日
「自転車通勤の帰り道は、時速75qで風になる―― 自転車通勤は続いています。最低気温がマイナスを記録するようになっても 冷涼で全てを引き締めるような空気を、 直に感じる気持ちよさには変えられません。寒いといっても、 急な坂を上りますので1分後には、 暖かくなります。行きは20分、帰りは3分(笑) いかに坂が急かがわかります。下りは、 「風になる」気持ちよさです。 先日、同僚の車と併走する機会がありましたが、 なんと時速75qも出ていたそうです。車と接触した鹿が、 道路に横たわっていたこともありますので、 十分注意したいと思います。」


▼ 11月30日
宇治からやってきた友達とクヌギの子供たち――昨日、京都府宇治市に住む友人が、 八ヶ岳に来ました。
ドングリから育てた、クヌギの子供達を持って。来る何日か前に、 「いる~?」 と電話がかかってきたので、 二つ返事でもらうことにしたのです。僕が青春時代を過ごした生長の家宇治別格本山。 そこにある「精霊招魂神社」にそびえ立つクヌギの子供です。ドングリから立派な幼木になるまで、 よく育てたものだなあと感心します。 そんな縁ある木ですから、 場所を見つけ、植えたいと思います。僕が住んでいる場所は標高1200m。 聞いた話では、 宇治市とは気温も生育環境も違うので、 育てるのは難しいそうです。しかし、やってみます。 せっかくこちらに来たのですから。 とりあえずは暖かい部屋に入れて、春を待つことにしましょう。ところで友人は自然豊かなこの地を訪れ、 富士山を、八ヶ岳を、甲斐駒ヶ岳を、 澄んだ空を見ては、 冷涼で新鮮な空気を吸っては、 「すげ~すげ~」 とはしゃぎまくっていました。自然に感動する、、、 これぞ本来の人間の姿なのだと、 見ていて僕もうれしくなったのでした。


▼ 11月29日
「心の中に「自分の山」を持つ幸せ――甲斐駒ヶ岳です♪これも「カイコマ」♪ 昨日、通称「カイコマ」こと、 甲斐駒ヶ岳を見ました。 職場の同僚や後輩が続々と寮のある、 長坂町に引っ越していますが、 そこからよく見えるのが甲斐駒ヶ岳。 表情があって魅力的な山です。きっと、この山を毎日見ながら、 愛着を持って暮らしていくことになると思います。 そんなことを思いました。改めて言う必要もないと思いますが富士山です。 実は、僕の母家族は、 富士市に住んでいたことがあり、 毎日朝起きると、富士山を眺め、 拝み、美しさに心を打たれていたそうです。同じように、 鹿児島の人には桜島が、 熊本の人には阿蘇山が、 青森の人には岩木山が、 北海道知床の人には斜里岳が、 岐阜の白川に住む人には御岳が、「心の山」として存在していました。上記は僕の知人達の例なのですが、 一様にものすごく嬉しそうに、
「自分の山」のことを語っていました。もちろん、山だけではないでしょう。 海や一本の大木だったり、 その他の自然、文化であることもあるでしょう。また、現在居住している場所だけでなく、 故郷の場合もあるでしょうね。いずれにせよ、 そういう人は幸せだなあと思うのです。 心の拠り所になることさえありますから。僕ですか? 僕の「my mountain」は八ヶ岳です。落葉松(カラマツ)の葉もすっかり落ちて、 雪の帽子をかぶり始めました。 「もう冬の装いだね」 と友人や同僚と話す時間が、 たまらなく楽しい今日この頃です。」


▼ 11月28日
「1月初旬に試験を受けます。 合格するためには、 寸暇を惜しんで勉強する必要がありそうです。一昨日も図書館に行き、勉強しました。 家から最も近いのは、 国語辞典の編纂などで知られる、 金田一春彦氏が贈った、 蔵書・資料、直筆の原稿などが収められている 「金田一晴彦記念図書館」僕がついた席からは、 富士山と甲斐駒ヶ岳を見ることができます。…いや、勉強しにきたのでした(笑) この図書館を目当てに移住してくる人がいるほど、 ある方面では人気なようです。 とても集中できました。そういうわけで多少、 更新の頻度が鈍るこのブログですが、 よろしくお願いしますm(_ _)m 」


▼ 11月27日
「薪ストーブで作るピザがうますぎる部屋をぽかぽかと暖めてくれる薪ストーブ。 しかし、それだけではもったいない。 お湯を沸かすのはもちろんなんですが、、、こうやってピザを放り込めば、 ものの数分で極上のピザができます。 めちゃめちゃ簡単なんです。 この南部鉄器を使っています。気分もあるのかもしれませんが、 これまで食べた中でも最高クラスの味。 今日はシメジをいれたキノコピザでした。
家に来た人にはごちそうします♪ 」



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