生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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生長の家「今昔物語」・ 理性篇の再掲示 <第十話> (238) |
- 日時:2013年02月28日 (木) 09時49分
名前:信徒連合
生長の家「今昔物語」第六篇 理性篇
第十話(通算第336話) 光明思想家とマルキストとの対話(9)
社会主義か資本主義か生長の家か<その六>
(『解放への二つの道』P.143−147)
客:
ところが我々の考え方は違うのであって、今の資本主義の機構を壊さなかったならば、人類はどうしても資本家に搾取されて幸福にはなれないと考えるのです。資本家はあなたの考えているように善人ではない。個人個人としては善人であっても、ひとたび資本主義機構の中に入って経営者になると搾取を考えるようになる。だから、労働者を幸福にするためには、これを倒さなければならない。資本家は利潤の多きを考える。これは賃金の上昇とは両立しない。そこで資本家は我々を搾取するほかに道はなくなる。これは資本主義経済組織の必然なのです。
主:
だから資本家は敵だ、その敵に対して対抗運動をするためには、どうしても「憎む」という感情を湧き立たさなければならないと言うのでしょう。
客:
そうです。敵対感情を起した時に、人間に宿る力が猛烈に働いて来るのであるから「資本家は敵だ、敵を憎め、資本家を憎め、我々を餓死させたのは資本家だ。我々は復讐するのだ」と云うように指導して、資本家に対して、始終敵対感情を無理矢理に激発するように努めている訳なんです。これがマルキシズムの戦術なのです。
主:
それは運動戦術としてはなかなか上手なんですけれどもね。そうして煽られた人が実際に幸福であるか、というと幸福でない。この間も神戸で講習会がありました時に、共産党の何とかの委員長をしておった人が、生長の家に触れて転向して、体験談をいっておられましたが、自分が常に「資本家を憎め、憎め、憎め」とこう言っておった間は、その憎しみの感情がやっぱり家庭の中に帰ったからと云って、急には消えてなくならない。その「憎む」という心が自分のうちにありますと、「類を以って集まる」という法則で、感情が険しいものになる。家庭の何を見ても腹立たしい。直ぐ家族を叱りつける。本当に楽しい家庭というものを少しも味わったことがなかったと言うんです。
客:
そう云うことは実際に我々も経験しております。
主:
しかもですね。個人の、家庭の、そうした幸福を犠牲にして闘争して、何時人類が幸福になるかと云うと、真宗などの宗教家が「死んだら極楽浄土にいける」と云うが、そのように早いものではない。何十年先のことかわからない。
客:
中共は六、七年の間に理想世界をつくりましたよ。
主:
支那(シナ)大陸は毛澤東が社会主義国家をつくるまでは中国の人民は、軍閥や馬賊に搾取されていて、その財産を地下に埋めたり、壁に塗り込んだりして隠し廻っていなければならなかった。そう云う世界にくらべると現在の中華人民共和国は雲泥の相違がある立派な国になっている。しかし現在の中共が現在の日本の社会と比べてどちらに人間の自由が一層多くあり、どちらが自由に文化的生活が楽しめるかは問題だと思うのです。中共から帰った人の話をきいても、ひどい服装をしてあまり化粧もしていない。理想的世界を建設するためには今は個人の自由を犠牲にしなければならぬというような恰好に見られます。その萬人悉く自由な豊かな理想的な社会主義的世界というものが本当に出て来るのは、二十年や三十年じゃなかなか出て来ないらしい。
客:
しかし、中共には一家五人心中や、失業のために首をくくる人間などはいない。働く意欲さえあれば、職業がえられないなどと云うことはない。
主:
しかし、失業者救済などと云うことは社会政策を資本主義機構の中に政府が加味することに努力すれば、無血でそれを成就することが出来るのですよ。しかし、制度だけよくなっても、人間そのものが善くならねば、その人の人生は善くならないですよ。上野公園で露宿しているルンペンを社会救済設備につれて往ってやっても、そこから逃げ出して上野駅付近で寝ている者もある。社会主義的政策が労働党内閣以来行きとどいている英国にも、乞食はいる。制度をかえるだけでは貧乏は絶滅できない。人間の心を変える運動をひろげなければ駄目である。生長の家では、人間の心を変えることによって、今此処に極楽浄土を建設する。今、心を変えることによって今現実世界で人間を貧乏から解放する。
客:
そんなことが本当に出来ますか。ダマサレナイゾと云う気がするのです。
主:
たしかにそれが出来る。理論だけでなく実際に出来ている人々の実例を挙げて、こう云う心を持てば斯うなり得る、というところの証拠を生長の家は挙げている。その証拠が即ち「体験談」というものですよ。体験談というのは、科学的事実である。マルキシズム科学的社会主義とも言われておりますが、生長の家は精神科学的社会主義ですね。体験談をズラリと並べて、かくの如くして、今此処に極楽浄土を実現することが出来るのであると云うことを証明するのであります。生長の家は何十年闘争を続けて、多くの人々が血をながして暴力革命を起してから後でないと極楽浄土が出来ないというような、そんなまだるっこいマルキシズムでもなければ、「死んでから魂が救われる」と云うような死後を幻想するような幻想的宗教でもない。心を転ずれば、いち早く今此処に天国浄土が出来るのである、ということが実証できるのであります。
客:
それでは、どう云う風に心を転ずるのでありますか。
主:
その問題は、『生命の實相』の本に到る処に書かれておりますが、今度、中嶋逸平君がハードマン博士の『心で繁栄を実現するには』と云う本を訳して下さったので、それなども一つの参考になると思います。それを最後の章に加えましたから、それを読んで、あの心持を数ヶ月間実際にやって見て下さい。>>
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