生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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あまりにもお粗末な雅宣氏の政治論 (2852) |
- 日時:2014年01月03日 (金) 03時05分
名前:神の子A
> 民主党の失政により政権を獲得した安倍晋三内閣と自民党は今、従来の経済優先、人間中心の政策を次々と復活させ、原子力発電所さえ順次再稼働していく意図を明らかにしている。一国の政治には、特に民主主義国家においては、その国の国民の大多数の意思が反映していることは否めない。しかし、「すべての国民」の意思が反映しているわけでもない。特に、大企業中心・都会中心の政治経済体制は長い間、“戦後日本”を支配してきたから、その大きな流れにもどることで「従来どおり」の生活が回復できるとの考えに傾く人々は多いだろう。ところが、日本の内外の客観情勢は、戦後日本とはあらゆる点で異なっているのである。少子・高齢化は戦後日本には存在しなかった。中国、韓国などの東アジア諸国の経済発展は、戦後日本の知らない周辺環境である。北朝鮮支配者の世代交替と核武装化も未経験の環境である。“冷戦”が消えたということは、「東側・西側」という戦後世界を支配していた考え方の枠組みが崩壊しているということで、世界各国はより柔軟な友好関係、同盟関係を構築できるということを意味している。だから、日本がどんなことをしても、アメリカとの間に戦後数十年間のような“蜜月関係”が維持されていくという保証はないのである。
そんな中で独断的に、安倍首相は二十数年ぶりに靖国神社を正式参拝した。中韓両国との関係がこれでさらに難しくなることは、明らかだ。アベノミクスに好意的だったアメリカでさえ、失望と不快感を表明した。しかし、同首相は「話せばわかる」という意味のことを言うだけである。また、「どんな国でも戦没者を尊敬し、礼節を尽くすのは当たり前だ」というのは分かるが、その「戦没者」の中に、戦争を起こし、植民地政策を遂行した張本人が含まれているということを無視し続けている。そんな施設に参拝して“礼節を尽くす”という行為が、海外から見れば戦争と植民地政策を正当化していることになるという簡単な外交的論理が、この首相にはまったく理解できないか、あるいは強引に無視することで国益が増進されるという奇妙な信念をもっているように見える。
日本の政治はこのように昏迷を続けているが、私たち生長の家は信仰の純粋性を守るために政治運動をやめ、政治的取引きの中に埋没しまいと決めてから久しい。政治の世界の時々の浮沈に一喜一憂することなく、「人間・神の子」真理を高く掲げ続けながら、人間社会と自然とが共存共栄する神の御国の実現に向かって、日時計主義の明るい信仰をさらに多くの人々に弘めていこうではありませんか。
唐松模様 本年を振り返って より http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/2013/12/post-b1f1.html
>中国、韓国などの東アジア諸国の経済発展は、戦後日本の知らない周辺環境である。
雅宣氏は日本の経済発展には否定的であるが、中国、韓国の経済発展には寛容なようである。
>北朝鮮支配者の世代交替と核武装化も未経験の環境である。“冷戦”が消えたということは、「東側・西側」という戦後世界を支配していた考え方の枠組みが崩壊しているということで、世界各国はより柔軟な友好関係、同盟関係を構築できるということを意味している
雅宣氏は北朝鮮や中国と同盟関係を結べと言いたいようである。
> そんな中で独断的に、安倍首相は二十数年ぶりに靖国神社を正式参拝した。中韓両国との関係がこれでさらに難しくなることは、明らかだ。アベノミクスに好意的だったアメリカでさえ、失望と不快感を表明した。しかし、同首相は「話せばわかる」という意味のことを言うだけである。また、「どんな国でも戦没者を尊敬し、礼節を尽くすのは当たり前だ」というのは分かるが、その「戦没者」の中に、戦争を起こし、植民地政策を遂行した張本人が含まれているということを無視し続けている。
雅宣氏の主張は雅春先生と正反対だ。 教祖を否定する人間に、あなたはそれでも「中心帰一」しますか?
> 日本の政治はこのように昏迷を続けているが、私たち生長の家は信仰の純粋性を守るために政治運動をやめ、政治的取引きの中に埋没しまいと決めてから久しい。政治の世界の時々の浮沈に一喜一憂することなく、「人間・神の子」真理を高く掲げ続けながら、人間社会と自然とが共存共栄する神の御国の実現に向かって、日時計主義の明るい信仰をさらに多くの人々に弘めていこうではありませんか。
雅宣氏は「政治的取引」と言い換えているが、副総裁に就任した当時は「政治には一切関与しない」と言っていたはずだ! この文面にある「政治的発言」は一体何だというのであろうか? また、いつも決まったパターンだが、最後には「自然との共存」の文字。これが前述の「政治問題」とどういう関係があるのか?この点に付いて一切説明はなされていない。 それどころか、「自然との共存」の美麗美句の名の元に、八ヶ岳山麓の自然破壊を行って来たのは、どこの誰であろうか? まあ、そのうち、歴史が示している、「独裁者の末路は悲惨」と言う言葉を雅宣氏自身、身を持って理会する時が来るであろう。 それが「魂の生長」というものだよ雅宣君。
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