生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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不立文字を盾に原理主義と結び付ける雅宣 (246)
日時:2013年02月28日 (木) 22時51分
名前:不動明王

清超二代目総裁就任の挨拶で継承とは『つまりは教えの真髄の不立文字をお伝え頂き、それを継承する。ということであります』と仰った。

次に『今までと同じように一字一句をそのままにお伝えするものではありません』とも仰った。

 これを見たとき、私は今の生長の家の変化はここに原因があると感じた。谷口雅春先生は生命の実相は禅宗で言う『不立文字』ではなく文章力と表現力で真理そのものを表現する事が出来た、と生命の実相に書かれています。

その時、清超二代目総裁の不立文字を伝えると言うのは間違いであると私は感じたのだ。 
 
 しかしもう一度よくよく読ませて頂くと、『教えの真髄の不立文字をお伝え』と書かれているではないか、すなわち、それでも文章で書き表せない(不立文字)中の真理の神髄を形を変えてでもお伝えして行く、と仰っているのだ。

 それを雅宣氏は私と同じ間違いをして、(知ってそのように解釈)生長の家は禅宗の言う不立文字であり生命の実相の文字をそのままに考えるのは原理主義である、と排斥しだしたのです。
 
 谷口雅春先生は 禅宗の言う不立文字を乗り越えられたのであります。仏教のお経は素晴らしい功徳はありますが。その中の真理はお経を読誦するだけでは一般人には理解出来ません。

 これこそ不立文字であります。しかし甘露の法雨は読誦する者が、そのまま真理を理解する事が出来るのです。これこそ谷口雅春先生が不立文字を克服された証であると思います。

 現総裁もこの清超二代目就任の挨拶を誤解し、不立文字を盾に生命の実相の文字をそのまま実行するのは原理主義として谷口雅春先生の聖典を無きものにしょうとしていると思います。

ところで何やら讃歌は不立文字とも言えない真理がないのですから。


開祖の教えを忠実に後世に伝えるのが宗教の使命 (304)
日時:2013年03月04日 (月) 00時44分
名前:涅槃

開祖の教えを忠実に後世に伝えるのが宗教の使命


私の家は代々黒住教だが、もうすぐ立教200年を迎える。

その秘訣は何か?

開祖の教えを忠実に後世に伝える事だ。

現在は6代様の時代だが、

6代様は事あるごとに「初代様はこうおっしゃた」言っておられる。

これが宗教の本来あるべき姿ではないであろうか?

これを失ったら宗教は終わりである。



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