生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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「人のお役に立つ人生」を“つまらない生き方と”宣言したマサノブさん! (2912)
日時:2014年01月09日 (木) 15時01分
名前:怒れる白鳩S



またまた、マサノブさんは、宗教家否定の許せない発言をしました。


<< 5508 :身分いやしきもの(=マサノブ総裁):2014/01/09(木) 09:40:33 ID:iei0MD3c

「役に立つことの価値しか認めない」。こういう考え方ってつまらないじゃないですか。>>


よくも、ヌケヌケと本音をおっしゃいましたね、マサノブさん! もう、あなたは宗教家と称するのを止めなさい。総裁の椅子に居座っている資格は全くありませんね。

全く、あなたは自己中心主義、人のお役に立つ生き方をしていない、雅春先生が御造りになった偉大な「生長の家」を破壊し、信徒さんの浄財を貰えばこっちのものと決めて勝手に使い放題する。新潟中越地震の時も、被災した信徒さんのことよりもホテルの部屋に置いてあるパソコンが壊れたたかどうかを心配し、被災地からの脱出を第一に考え、東日本大震災の地震の時も、電車が止って帰宅できない職員のことよりも、御自分の自宅の安否確認を優先してスッ飛んで帰った過去の実績が極めて豊富です。まったく自己中心の生き方、「ひとのお役に立つ生き方」は“つまらない”ということを地でいっているのですね!

もう、あなたなんか総裁でもなければ宗教家でも無い。早く辞めてジュンコさんを連れて風光明媚な外国の湖畔の森の中で暮らしなさい!!


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<追記>

マサノブさん(=「身分いやしきもの」=「曳馬野」=「アンドロイド」=「あんふらまんすに触れるもの」さんへ


「生長の家 今昔物語」に本日次のようなお話が載っております。理屈ばかり言っていては本当の「真理」なんて自分のものと出来ないですよ。まだ理屈を捏ね続けるのであれば、即刻「生長の家」から出て行きなさい!
http://blog.zaq.ne.jp/sinseityounoierengou/category/32/

<< 断食決行!―― そんなにしても、どうしても現実の悩みを解決してくれるものは見つかりません。 とうとう切羽詰まった私は死ぬに死ねず、生きるに生きられず断食を決意したのです。何のために生きるのか、何のために食うのか、食の意義も解らず、習慣で食べることだけであることに耐えられなくなり、「せめて食べることの意義がわかるまで食べることを止(よ)そう」と決意し、断食をしたのです。 1週間から10日位の断食を前後3回やりました。 今思うと、私くらい親不孝者はありません。3度3度食膳を用意して運んで下さる母は、私が何か不満があって、ハンストでもしているかと思うらしく、「何が気に入らないのか、いけないことがあったら言ってくれ。改めるから……」「どうぞお願いだから一口でも食べておくれ、あなたが食べないと、私も御飯が喉(のど)を通らん。助けると思ってどうか食べてくれ」と泣いて頼まれるのですが、私もどうすることもならず、共に泣いているだけでした。
 そのようなことがあって、3回目の断食のときの、8日目か9日目の朝だったでしょうか、「人間はこの世に飯を食いに来たのでも、金を儲けに来たのでも、ただ生活するだけに来たのでもない。人類、社会に貢献し、奉仕するために生れたのだ」という天崍(てんらい)の声とも云うべき声を聴いたのです。
 その本来の目的を達成するための手段として生活がある。肉体の満足や、肉体に奉仕するために食事や仕事があるのではなく、すべてが人類の平和と幸福のために貢献し、奉仕するためにあった。それは理解したのではなく、実感として浮び上がって来たのです。これを観の転換というのでしょうか、私の心は一転し、大転換したのであります。
 目的と手段とが、完全に逆転したのですから、この時の感動と驚きは筆や言葉で表現することはとても出来ません。 命がけで取組んでいるときに与えられる解答は、まさに生命の世界から来るものだということを身をもって体験したのです。
 肉体生命が尊いのではなく、正しいこと、本当のことのために肉体生命を捧げることが本当の意義があり、本当のことを生きるための道具である肉体を殺すことは、そのこと自体最高に尊い意義があると悟ったのです。 その時、生も死もない、絶対の境地を発見することが出来たのです。生死一如ということはこのことを言うのでしょうか。生の価値と死の価値の一致を発見したのであります。>>(藤原敏之先生著「あなたは必ず救われる」より)

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 (2924)
日時:2014年01月11日 (土) 00時30分
名前:神の子A

>「役に立つことの価値しか認めない」。こういう考え方ってつまらないじゃないですか。



では反対に、誰の役にも立たない事に何の価値がありますか?
何らかの役に立って初めて価値が生じるのです。
この事は宗教以外でも、どの世界でも当てはまることです。



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