生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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マサノブ君の「生長の家」解体証明――「身分いやしきもの」君の所論から考える<第2弾> (3026)
日時:2014年01月25日 (土) 20時14分
名前:怒れる信徒代表



マサノブ君の「生長の家」解体証明――「身分いやしきもの」君の所論から考える<第2弾>



[U] マサノブ君は、理屈だけは達者であるが、「理屈」では人は救えぬ! <その1>



4895 :身分いやしきもの:2013/12/17(火) 10:15:09 ID:tDxKbxFM
悟りとは、単純なようであっても、その実際のありようは膨大な数の相互作用の解析を瞬時にやってのけることで個々の現象の意味を取り出せる能力でもあると考えます。

<一言コメント>
この様な文章を「独善的独りよがり」の“意識的難解文章”という。先ず、「身分いやしきもの」君が、“悟りとは?”について全然分かっていない証拠である。



4899 :身分いやしきもの:2013/12/17(火) 12:37:55 ID:tDxKbxFM
自由はあるが迷わない、という状態が想像できますでしょうか。自由とは、いってみれば、プロクグラムを変更したり、追加できるということ。プログラムを変更したり追加したりするにあたってぜんぜん迷わないということがありうるでしょうか。選択に迷うにきまっています。もしも迷わないとすれば、変更すべきプログラム、追加すべきプログラムがあらかじめ決められている場合です。いうまでもなくこれを自由と呼ぶわけにはまいりません。いまいちどうかがいます。

<一言コメント>
この様な文章を読むと、“迷い”が更に深くなる。「迷妄」と「思案」と「選択」をごちゃまぜにして考えているに過ぎないからである。「身分いやしきもの」君の霊的未熟さの逆証明である。



4970 :身分いやしきもの:2013/12/19(木) 23:17:04 ID:tDxKbxFM
問題は、意味が先か言葉が先かとということです。意味が先にあってそれを言葉で言い当てることができないように、真理が先にあってそれを言葉で言い当てることはできないとわたしは考えます。わたしたちは、言葉という牢獄に閉じ込められた存在であって、牢獄の外の様子をけっして知ることができない。「言葉には意味がない」とはつまりこういうことです。

<一言コメント>
「身分いやしきもの」君は、大閑人なのでコトバの弄び遊戯を楽しんでいるに過ぎない。君は、宗教・信仰の世界には不必要な人間だ。象牙の塔の中で議論しなさい!



5109 :身分いやしきもの:2013/12/23(月) 10:53:37 ID:tDxKbxFM
「実相の世界」と実相世界はちがいます。「実相の世界」は主客未分離の根元的世界です、実相世界は、第一創造として神がみずからを主観と客観とに分離させた世界です。もはや一元的世界とはいえない世界です。まず実相世界からもっとも遠いところに、個人の幻想によって織りなされる欲望的世界である想像界があります。やや近いところに、世間という象徴界があります。象徴界は言葉でできております。そこから実存的世界をへて実相世界に近づいたところにあるのが現実界です。ここでは心の法則はほとんど働いておらないはずです。なぜなら、現実界は主観と客観の分離があるとはいえ、それはまだまだ不完全であるからです。したがって、現実界は物質の世界というよりは流体の世界に近いと考えるべきかと存じます。

<一言コメント>
この文章は、本来の『御教え』から見れば、「身分いやしきもの」流の不完全かつ不可解な見解である。象牙の塔へ“ヒキコ森”して勝手に議論しなさい。この様な見解では、病悩苦の人々は救えぬ。



5114 :身分いやしきもの:2013/12/23(月) 12:09:56 ID:tDxKbxFM
言葉に意味がないというのは、意味を厳密につきつめていけば、意味は消滅するということです。ふつうに生きるかぎり、わたしたちは言葉の牢獄に閉じ込められたままの存在で
す。抜け出すのは困難です。それでも抜け出す道はかならずあると考えます。ソフィアの叡智。これをわたしは追い求めたいとおもいます。

<一言コメント>
勝手に追い求めればいいでしょう。私たち「生長の家」信徒は素直な心で『生命の實相』をひたすら読み続け、「神想観」を為し、病悩苦の人たちに『御教え』をそのままお伝えするのみです。



3580 :身分いやしきもの:2013/12/29(日) 10:39:02 ID:wg729R3g
生長の家の方々は、「言葉には意味がある」とただこのひと言を述べられるだけで、根拠はいっさい示そうとはなされません。根拠を示せないのは、「意味はある」とする考えが間違いだからです。「物質はない」とする根拠は示せるのにたいして、「物質はある」とする根拠はいっさい示せないのとおなじ道理です。「物質はある」とするのがたんなる思い込みであるように、「意味がある」とするのもたんなる思い込みなのです。だから根拠を示せないのです。反証不可能な超越項をもちいずしてはなにも語れない。

<一言コメント>
真の「生長の家」信徒は、理屈の世界で信仰しているのではない。開祖・谷口雅春先生の『御教え』に絶対的“信”を置いて生活に実践し、幸福生活の果実を示している。「身分いやしきもの」君の様な理屈をどれだけ精緻に追求しても、人類救済の実を示すことは出来ない。無の関門を超えた悟りの世界(超越項)を忌避する宗教家は、人を救う力は持とうと思っても持てないのである。



5168 :身分いやしきもの:2013/12/29(日) 19:55:34 ID:iei0MD3c
言葉に意味があるかないかを論ずるのにどんな意味があるのかですって!言葉に意味がないというのは、認識が不可能であるということです。認識が不可能であるというのは、人間は言葉の牢獄に閉じ込められた存在であるということです。言葉の牢獄に閉じ込められているというのは、牢獄のなかで真理を滔々と語っているということであり、「現象なしがわからないものは迷いだ」といっているということであり、「奇跡がおこった、これは真理だ」といっているということなのです。

<一言コメント>
この文章には、明るさ・希望の光が感じられない。マサノブ君の好きな暗い“穴倉”のなかでローソクを一本立てて議論を重ねている閑人たちである。理屈だけの議論では人は救えぬ。



5181 :身分いやしきもの:2013/12/30(月) 09:03:10 ID:iei0MD3c
形而上学はすでに解体された、と考えるのがふつうでしょう。形而上学はながらく西洋思想の主流を占める思想習慣であったとおもいますが、それがすでに解体されたといえるのは、形而上学が「言葉には意味がある」との立場、つまりは、「言葉には意味がない」ということがただの一度としてうたがわれたことはなく、「意味はある」とのうかつな思い込みの上に打ち立てられた思想習慣であるということがわかってしまったからです。『生命の實相』が言葉には意味があるとの立場から書かれたとするなら、救済ということでは大いに役立つものであるにしても、形而上学的な価値はないとみなされるということです。
『生命の實相』は、形而上学ではなく霊的真理を語ったものであるとの主張は可能です。ならばなぜ二項関係なのか、それを読んだ人がなぜ対立関係を生みだしつづけるのかが疑問としてでてまいります。

<一言コメント>
「身分いやしきもの」君よ! 君は、“理詰め”で考える人間であるが、理詰めの究極点に辿り着いても、今生では「百尺竿頭進一歩」出来ない人間であろう。君は、宗教・信仰の世界には向いていない。信徒が大迷惑している。森の中の象牙の塔が最適の場所じゃないのかね?



5252 名前:身分いやしきもの 投稿日: 2014/01/02(木) 14:27:57 ID:iei0MD3c
滔々と真理を語る人はソフィアの叡智とは無縁の人です。ロゴスにとりつかれた人です。恐怖や不安から逃れようと、安心をもたらしてくれる言葉をなりふりかまわず探し求めてきた人です。ソフィアの叡智は、沈黙と寡黙と「言いよどみながらの語り」のなかにしかあらわれないのです。いかに滔々と語られようとも、ソフィアの叡智はただのひと言も語られてはおりません。かくいうわたしはというと、ロゴスと戦うためにロゴスとおなじ土俵にあがっているだけ、ということにしておきましょう。

<一言コメント>
「身分いやしきもの」君よ! 一人相撲がそんなにしたければ土俵の上に上がっていたまえ! われわれ信徒は君の屁理屈と戦っても何の意義もないことがわかっているから、君とは四つに組んで勝負しようとは思っては居ない。「生命の實相哲学」は屁理屈哲学ではないのだ。人類救済の実力が既に証明されたところの現地球上での最高の救済哲学であり、最高の明朗型の生活実践哲学なのだ!



5267 :身分いやしきもの:2014/01/03(金) 10:29:34 ID:iei0MD3c はじめまして、
 ここでロゴスを定義しておきます。偏狭なる人間の頭脳が紡ぎだした戦略。 このロゴスに対するに、人類本来の使命とは如何に。ロゴスは言葉でもあります。「言葉には意味がある」との根拠なき信仰がロゴスに力をあたえます。「言葉には意味がある」とするロゴスへの信仰は、必然的に万物の起源たる唯一神へと向かっていきます(これがロゴス中心主義です)。人類最大の過ち、それは「言葉には意味がある」と思い込んでしまったことであります。唯一神の信仰は自然破壊を正当化します。アニミズム的世界観においては、万物に神がやどることになります。あらゆる自然に神がやどるとすれば、これを破壊するのは躊躇されます。いかなる自然物にも神がやどらない自然観を構築できれば、自然破壊は正当化されます。唯一神への信仰は自然破壊を正当化することに利用されました。人類がなすべきこと、それは「言葉には意味がない」と悟ることであります。悟ることによって、ロゴスへの信仰が根拠なき信仰であったと気づくことであると考えます。ソシュールを学び、それを反ロゴスの実践へとむすびつける必要があると考えます

<一言コメント>
また、ソシュールがでてきましたね、しかし、ソシュールはどれだけの人たちの現実の病悩苦を解決したのでしょうか? 「生長の家」での膨大な実例の「實相体験集成」という体験例に相当するソシュールの体験集があるのでしょうか? 宗教や信仰は、理論理屈や屁理屈応酬の世界ではない。議論理屈愛好者は「ヒキコ森」へ集合して百家争鳴すればよいのである。



5268 :身分いやしきもの:2014/01/03(金) 10:37:17 ID:iei0MD3c
もともと自然界には、人間にはあずかりしらぬ秩序というものがあった。人間は、そんな自然界にロゴスを持ち込みました。ロゴスが持ち込まれたことで、自然界にはそれまで存在しなかった過剰としてのコスモスがつくりだされたのです。人間は過剰なるコスモスそのものです。ロゴスの権化が、真理とされる言葉を滔々と語るときロゴスが跳躍します。跳躍するロゴスは独善的なコスモスを形づくります。それと同時に、残余としてのカオスが形づくられます。ロゴスの権化は、みずからがつくりだしたカオスを「虚説」と呼んでいたようです。

<一言コメント>
「身分いやしきもの」君は、われわれ信徒の日常生活とは縁遠い<ロゴス・カオス・コスモス>といったカタカナ外国語を多用し、生命の世界で真剣に求道する人を、難解な議論の世界へ引きずりこみ、人類救済の最高原理の書かれている「生命の實相哲学」の価値を意識的に貶めようとしているのである。この様な議論は何度でも言うように、象牙の塔の中でやっていただきたい。かえって、信仰者の“信”をぐらつかせる脇見運転を奨励しているのと同じなのだ。






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