生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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マサノブ君の「生長の家」解体証明――「身分いやしきもの」君の所論から考える<第7弾> (3055) |
- 日時:2014年01月28日 (火) 09時41分
名前:怒りの信徒代表
[V]マサノブ君の反・『御教え』、明らかな間違い解釈! <その4>
67 :身分いやしきもの:2014/01/13(月) 16:22:40 ID:iei0MD3c 「カウンセラーはなにもしないことに全力を尽くす」とはどういうことか説明いたします。悩める人と接する。これがカウンセラーの仕事です。悩める人の話を聞いていると、カウンセラーといえども同情したくもなれば心配したくもなる。「このようにすればその問題は解決しますよ」と気の利いたひと言でもいってみたくなる。しかし、そんな気持ちをぐっと抑えてなにもしない。ただただ聞き役に徹することに全力を尽くす。これがカウンセラーの仕事であるということです。なにもしないことに全力を尽くす」とは、もちろんなにもしないことでもなく、なにも考えないことでもありません。人を救済する考えにたつなら、実相有相論でいくしかありません。実相有相論は、完全な世界がすでに実現されているとする考え方でもあるわけですから、すでに救いは実現されていると説くことで人をも自分をも救済していくことができる考え方です。実相有相に立つ生き方は、人の本性が必然的に求める生き方でもあるのです。実相を無相とする生き方とは、実相を有相と信じさえすればすぐにでも実現される救いを求めない生き方です。完全な世界がすでにどこかにあることに救いを求めない生き方です。人生の価値をみいだすために、完全なる世界を立てたりはしない生き方です。つきまとう不安からのがれるために、完全なる世界を立てることもしない生き方です。実相を有相と信じさえすればすぐにでも救いが得られるというのにあえてそれをしない。これが、実相を無相とする人々の生き方とならざるをえないのです。カウンセラーがなにもしないことに全力を尽くすことで救いを実現しようとするように、実相を無相とする人々は、実相を有相と信じさえすればすぐにでも救いが得られるという誘惑に打ち勝って、いかなる救いも立てないことに全力を尽くすことで救いを実現しようとしている人々であるのかもしれません。
<一言コメント> 「身分いやしきもの」君は、< カウンセラーはなにもしないことに全力を尽くす>を引き合いに出して色々と自己主張を為していますが、彼は実のところ、マサノブ君の信徒の前ではおおっぴらに言えない「体験談無視」の考え方をこの様な形で賛成・擁護しているのである。しかし、彼の“カウンセラー論”も間違いである。カウンセラーは本当に何もしていないのではない。マサノブ君の如き冷徹無慈悲な心で相手を突き放しているのではない。四無量心でもって、先ず第一段階として相手の抑圧感情の思いを何も言わずに真剣に聴くことに徹し、然る後に相手を如何に助言して問題解決してあげるかを考えていくのである。従って、マサノブ君は、決して信徒の悩みの個人指導などは出来ないのである。
[W] マサノブ君の、本来の『御教え』と「本流」掲示板への挑戦! <第1回>
4884 :身分いやしきもの:2013/12/16(月) 15:22:39 ID:tDxKbxFM 本流は現総裁の排斥を意図しているのかいないのか、総裁批判でお茶をにごすのではなく、まずはそのことを明確化していただきたい。
<一言コメント> マサノブ君への要求はただ一つ、―― 総裁の椅子を辞職して、教団を退去する事である。(理由は、「本流」掲示板投稿者各氏が明白にしている)
4994 :身分いやしきもの:2013/12/20(金) 13:52:34 ID:tDxKbxFM ロゴス中心主義の典型的な手法のひとつは、「独在」とか「善のみ」とかというように、ものごとを極力単純化して考えようとする、ということです。そしてさらに典型的な手法は、言葉の二項対立をもちいて、片方を特権化し、片方を従属項としてあつかうということであります。実相を特権化し、現象を従属項としてあつかいます。いうまでもなくそれは「実相独在、現象はない」といった言い方になります。このあたり、あまりにも型にはまったロゴス中心主義の手法がもちいられておりますので、「実相独在」を真理として受け取ることはできないということです。さらにいいますと、「ある」ということを証明するのは比較的容易でありますが、「ない」ということを証明するのははなばだしく困難である、ということです。現象とはなんなのですか。答えられないでしょう。現象とはなにかさえ定義できないのですよ。つまりは決定不可能なのです。決定不可能なものがなぜ「ない」と言えるのですか。「実相独在、現象はない」。決定不可能であるにもかかわらず、人はわかった気になって反応するのです。
<一言コメント> 「身分いやしきもの」君は、遂に頭に血が昇って激昂している様子が手に取るように分かる。無の関門を超え得ずして、人間知でしか考えることの出来ない愚かさを完全暴露した文章である。此処に書かれている事は『生命の實相』から観れば完全な間違い。素直な求道者の目で読んでいないから、自分の間違いに気づかないだけである。頭を先ず冷やしなさい!
5024 :身分いやしきもの:2013/12/21(土) 08:19:49 ID:tDxKbxFM わたしは哲学を論じているつもりはありません。本流を批判しようとしているのですよ。
<一言コメント> 「身分いやしきもの」君よ! 我々は、君と違って素直な気持で『生命の實相』の熟読をかさね、『御教え』の奥堂へ入っていこうとしている。「本流」を批判する、と言ってはいるが、君の目的は開祖・谷口雅春先生の説かれた『御教え』批判だ。『御教え』を消滅させようとしているのだ。
7 :身分いやしきもの:2013/12/21(土) 10:05:24 ID:tDxKbxFM 「唯神実相哲学」は、神とわたしたちが住む4次元時空連続体との関係からはじまったと考えます。4次元時空連続体の悲惨なありさまを雅春先生がご覧になられて「ない」と看破され、「実相だけがある」と語られたのであります。論理の進みゆきとしては、神と4次元時空連続体との関係において、4次元時空連続体が非在であるがゆえに「神のみあり」との結論がくだされたのであります。たしかにこうした2項間の関係において、一方が非在であれば、他の一方のみが「ある」ということになります。しかしこれは、2項間の関係にしぼれば、の話であります。第3の項があるのではないか。こうした疑問はとうぜんのごとく出てまいります。第3の項については、いかがでありましょう。雅春先生が「実相だけがある」と悟られたときの論理の進みゆきからは、第3の項の非在を決定することはできません。第3の項の非在の決定はどのようにしてなされたのでありましょうか。
<一言コメント> 「身分いやしきもの」君! 君は自分勝手な難解な言葉を作り出して、――4次元時空連続体――『御教え』を批判し否定する。さらに、<2項間の関係、第3の項>とか言えば言うほど、君の霊的理解力の乏しさを暴露しているのが分からないのか。君は自分のブログを作って、そこで思い切り書けばよいのだ。君は書く場所を間違えている!
15 :身分いやしきもの:2013/12/21(土) 14:03:45 ID:tDxKbxFM 問題は、「現象なし」から実相独在への飛躍があったのか、「現象なし」を根拠に実相独在を悟られたのかということです。雅春先生のご文章を拝読するかぎり、飛躍があったと考えられますが、雅春先生は、4次元時空連続体と霊界での体験はおありでありましたでしょうけども、それ以外の世界についてはいっさい体験しておられたはずがありません。なのに、そういう未体験の世界の存在をいっさい考慮にいれられることもなく「実相のみがある」とされたのであれば、いかにそれが天啓であろうとも、説得力には欠けるのではないかということをもうしあげております。第一原因がひとつだけというのは、なぜいえるのでしょう。第一原因が複数ということもありえますね。第一原因が100個あれば、100個の実相が存在することになります。その100個の実相はそれぞれに性質のちがったものであるやもしれず、そうであれば、「実相世界とはこういうものだ」といってのけることは、ますますできなくなってしまいます。「実相独在」という言い方もおかしなものに感じられてまいります。無限の数の宇宙が存在するかもしれないとされる現代にあっても、計画者はただひとりであるとお考えなのでしょうか。
<一言コメント> 「身分いやしきもの」君よ! 君はどこまで思いあがっているのか? 普通の信徒ならば、君のような疑問を感じたならば、公表せず、自分の未熟さゆえの疑問だと思い、解るまで徹底して開祖・谷口雅春先生の御著書のすべてを読んででも解ろうとする。これが信徒としての当然のあり方だ。謙虚な求道者ならば誰でもそのようにする。だけど君は違う。開祖・谷口雅春先生の“お悟り”を批判し、公表して追及する。自分の未熟さを棚に上げて・・・。こんなことをするのは、マサノブ君のみである!
5052 :身分いやしきもの:2013/12/22(日) 09:36:39 ID:tDxKbxFM 雅春先生は、現象世界の映像はただの一者によってつくられている、といっておられたようです。たしかなことはいえないにしても、このことにかんしてもしかしたら、雅春先生は重大なまちがいをおかされたのかもしれません。こうしたまちがいによって、実相世界の理解がはなはだしく困難なものになっているということをわたしは感じています。現象世界の認識の形式が一者によってあたえられたとするなら、一者には現象世界の映像をつくりだすあきらかな意図があったということになります。実相世界というものがありながら、一者はなぜ迷いの産物とされる現象世界をつくりだそうと意図したのでしょうか。このことが大変に大きな問題となってしまう気がいたします。本流をはじめとする人々は、はたして真理にかんするご自分の考えを述べてこられたでしょうか。雅春先生の言葉を自分の考えとして語っているだけでしょう。批判されるのが怖くてこうしたことをやっておられるのでしょうけども、こうした人々だからこそ、自分の考えを述べる人物をたたき、雅春先生の言葉を述べる人物を賞賛するしかないのです。
<一言コメント> われわれ信徒は、自己流の「生長の家」を作ってはならないのである。「開祖・谷口雅春先生はこのように仰られております。私はそれが正しいと信じており生活と人生に実践して間違いないことを証明しております。」このように言うのが「生長の家」信徒の正しいあり方である。「身分いやしきもの」君よ! この意味からすれば、君は「生長の家」の信徒ではない。攪乱者だ! 信徒を辞め、自分のブログを作って「生長の家」批判を続けるが良い。ただし、殆んど見向きもされないであろう。
「身分いやしきもの」くんよ! 君の『御教え』理解の不徹底さを次に掲げる。
5070 :復興G:2013/12/22(日) 11:23:07 ID:AB6RqYXc 雅春先生は、現象世界の映像はただの一者によってつくられている、とは言っておられない。実相世界の映像はただ一者=本源の神によってつくられているけれども、現象界の映像はひとりひとりがつくりだしている、影のまぼろしのようなもので、「重複創造」 がなされている、と説かれている(『神 真理を告げ給う』 p.48)
5085 :身分いやしきもの:2013/12/22(日) 19:34:04 ID:tDxKbxFM 自分たちだけが絶対的に正しいと信じる宗教とはおそろしいものですよ。正しいがゆえになにをやってもよいと考えますからね。生長の家でさえみてのとおりのありさまです。これが神を信じる者のやることかというよりも、これが神を信じる者がやることだと考えるのがふつうでありましょう。
<一言コメント> 「身分いやしきもの」君のこの文章がそっくりそのままあてはまるのがマサノブ君だと云う事くらいわかりきっていることではないか! セレブ族のための「森のオフィス」の建設強行、原宿本部の解体の強行、焚書坑儒の徹底、御神像の撤去と隔離、鎮護国家から左翼的平和 への強制変更、「生長の家」完全解体への布石・聖地否定、恵美子先生の強制的軟禁隔離・・・いづれもマサノブ君に当てはまることばかりではないか?!
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