生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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マサノブ教教祖はこんな人、   転載しておきます (3073)
日時:2014年01月30日 (木) 21時37分
名前:P

組織 板

1923 :本流対策室2:2014/01/30(木) 15:54:20 ID:OWZlJfX.
9 :元職員:2012/03/13(火) 17:37:02 ID:???名無しの神の子さんへ

 貴殿がどの様な立場の人かは名無しなので不明ですが一応お答えします。

雅宣さんは本部に入って後継者にならなければならないという規則も制約もアリマセン。
事実、彼は日本教文社とサンケイ新聞社と言う会社に入ったのですから「自由が許されていた」のです。実際に彼はいつかの挨拶の中で
父は自由を許してくださった・・・と語っていました。彼がコロンビア大学で学んだのは、国際関係論だったかと思いますが、聞くところによると彼の志望は
「国連職員」であったとの事です。しかし、入れなかった。そしてサンケイ新聞に入社するわけです。サンケイが思想の自由が無い?ような書き方ですが、彼が自分で最終的に選んだわけです。
本社ではなく支所だったからか、記事をあまり書けなかったのかは知りませんが、サンケイを辞めて今度は普及協会に入るわけですね。もちろん無試験でしょう(笑)
さて、ココまでの経緯でどこか普通の人異常な大変なご苦労があったのでしょうか。

 そして、どういうわけか「嫌」だったはずの本部職員になられるわけですが・・広報編集部に入って特にお忙しいこともなさそうでしたね。

さて、私が「甘ったれるな!」と厳しい表現をした理由を述べます。

まず、副総裁になってからの給料です。これは理事長以上に高額なものだったと経理の関係者から聞いています。何故それが問題なのかというと、その時の総裁であられた清超先生は事実上「無給」であられたのです。
事実上とは、給料はお手伝いの職員の分を受け取られてそのまま、その職員にお給料として出されておられたようです。理由は何か社会保険の手続き簡素化のためと聞かされていました。でから事実上無給と同じと言うことです。

次に仕事面です。その時の総裁は一年59教区の講習会と6つの本部直轄練成道場ご指導をこなされてきましたが、谷口雅宣総裁は代行のときから講習会は年間半分(指導時間も短縮)練成指導なしになりました。
それでも、忙しいと人に面会することは本部職員でも極力避けておられました。(私の上司などは一時間も待たされたことが何回もあったそうです)
(最近になってご本人がパソコンの前に座ることが7時間以上との告白がありましたが・・・それで?と驚きましたが・・・)清超先生は、お原稿を書かれていても長くても10分も職員を待たせなかったと言うことは有名な話です。

 以上が私が興奮して「甘ったれるな!」と雅宣氏に対して口走った理由です。彼が幸せそうでないのは<嫌な仕事をしているからだと前からわたしは感じていました。辞めれば良いだけの事です。
ただし、雅宣さんの個人的な雑感などは、組織がなければ全く売れないはずですので、辞められないのでしょう。

10 :元職員:2012/03/13(火) 17:40:47 ID:???普通の人異常→普通の人以上  と間違えを訂正します



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