生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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反・『御教え』・・・雅宣総裁語録と講評 <第十二話> (271) |
- 日時:2013年03月02日 (土) 11時20分
名前:信徒連合
< 第十二話 >“迷い”は自由から来る!?
(『小閑雑感』・平成19年7月21−29日)
<<迷いは自由から来ている。自由の裏側に迷いがある。現実世界に善を実現するために自由が与えられている。迷いと云う経験を通して自由を行使する中で現象に善悪を実現する。そのために迷いがある。以上をまとめると、「迷いは欲望追求のために自由を行使しようするところから来る」。(大要)>>
(講評)
三代目・雅宣総裁は「確かに聖経・『甘露の法雨』には<無明(まよい)は、あらざるものをありと想像するが故に無明(まよい)なり>と書かれている。開祖・谷口雅春先生は『迷いは、何処からもきませんよ、本来、無いんだからね!』と説かれたが、そんな難しい悟りの話をしても現代人には解からない。だから、食堂のメニューの選択に思案する場面で説明して“迷いは選択の自由から来る”と説いた方が現代人には解かりやすい」という。
併し、三代目・雅宣総裁のこの学者的説明では誰も自分の持つ迷いからは救われないのであります。
開祖・谷口雅春先生の『無明(まよい)本来なし!』の実相直視の一喝で迷いが消え、病気が消え、境遇が良くなり、問題が解決した人々が実に多いのであります。教養と悟りとは比例しない。反比例のケースの場合の方が多いのであります。
三代目・雅宣の説法?は“学者と金持ちが先”で“無学者と貧乏人は後回し”(天理教組とは逆)であります。
故に、悟りの世界に於ける評価は完全に落第点!!
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