生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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雅宣総裁はこの様に信徒を騙くらかしている (3352)
日時:2014年03月02日 (日) 23時45分
名前:神の子A

雅宣総裁はこの様に信徒を騙くらかしている


> このように、私たちの運動の仕方は変化しつつありますが、これは「教え」が変化しているのではないということを、私はずっと以前からいろいろな所で申し上げているところです。物事には、容れ物と中身があるのと同じように、宗教の教えにも形式と内容があります。それは、コメを食べるにもいろいろの方法があるのと同じです。日本ではそのままご飯として茶碗に入れて食べる。それも白飯で食べる時もあれば、玄米で食べたり、お茶漬けにしたり、おかゆにしたりします。また、寿司で食べたり、丼にしたり、お握りにしたりします。どれもコメを食べていることに変わりありません。ただ、食事をする時の状況に合わせて外観や容器を変えるのです。容器や形式は違っても、提供されるものは同じです。海外ではこれがさらに変化して、ドリアやピラフにしたり。パエリヤに使われたりします。

 宗教の外面的違いに左右されてはいけません。これは、私たち人間に「肉体」と「心」があるのと同じで、肉体的違いで人間を差別してはいけないのと同じです。このことは実に明白な事実なのですが、なぜかよく理解できずに、私たちの運動を批判する人がいるのは残念なことです。

小閑雑感 2014年3月 1日 (土) 「真理宣布に自信をもって邁進しよう」より

http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/2014/03/post-30cc.html



この説明はあくまで比喩でしかない。

このような言葉で雅宣氏は信徒を騙しているのだ。

雅春先生の「人類光明化運動」「衆生救済運動」「日本国実相顕現運動」を単なる「環境運動」にすり替えておいて、ぬけしゃーしゃとよくこんな事が言えたものだ。

また、雅宣氏の発言には「実相」と言う言葉が一切出てこない。

「実相」という言葉抜きに雅春先生の創り上げられた「生長の家」は語られない。

今回の法燈継承式典では、神前が土足で掻き汚された。

これは、雅宣氏には信仰心が全くない証拠である。



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