生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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「神想観」を“開発”???なぜ、谷口雅宣総裁はこんな言い方をしたのか? (3443)
日時:2014年03月09日 (日) 18時01分
名前:サーチャー


<光明掲示板>
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「神想観」を“開発”???なぜ、谷口雅宣総裁はこんな言い方をしたのか、その背景を
考える… (6328)
日時:2014年03月09日 (日) 09時08分
名前:破邪顕正

今、谷口雅宣総裁のこの表現が物議を醸しています。

>カバト=ジン博士が開発した瞑想法よりも、さらに50年も前に、谷口雅春先生はこの
瞑想法を開発され、私たちはそれを実践してきたのです。<

「神想観」は谷口雅春先生が“開発”されたものではありません、神様から授けられた
“神授”なのであります。

それでは、谷口雅宣総裁は“神授”ということを知らなかったのでしょうか?

私は知っていたと思うのです。

知っていて、敢えて“開発”という表現を用いたのだと思っています。

そう、谷口雅宣総裁は“確信犯”だからです。

「カバト=ジン博士が開発した瞑想法」との対比で「神想観」を捉えたところに、谷口雅
宣総裁の悪辣な意図を私は見ます。

つまり、「神想観」を“神授”にしてはならない事情がそこにはあるからです。

もし、“神授”と位置づけたならば、それに手を加えることは絶対に許されません。

ご存知のように、谷口雅宣総裁は、「四無量心を行ずる神想観」のニューバージョンとい
うのを作りました。

なぜ、作れたのでしょうか?

「神想観」もまた谷口雅春先生が“開発”したものであり、そうであれば、“法燈”継承
者たる、生長の家総裁の自分が、自らニューバージョンを“開発”しても何ら構わないで
はないか…谷口雅宣総裁なりの、そこには自己主張があったのだと私は見ます。

ともかく、谷口雅宣総裁という人は、「神」とか「聖」という言葉が嫌いなのです。

それが証拠に、谷口雅宣総裁は過去において、どんなことを言い、やってきましたか?

『神誌』を『普及誌』という名称に替えました。

自分の書いたものを『聖典』とは呼ばせない、『聖典』と呼ぶのであれば、副総裁(当時)
をやめるのも辞さないとまでいい、それで致し方なく、運動方針では“『聖典』等”に文
言が変更させられました。

生長の家本部にあった「神癒祈願部」という部署名を“神癒”を外して、単なる「祈願指
導課」に替えました。

「聖経」があるのに、新しい「経本」を作りました。

生長の家総本山を「“聖地”とは呼ばせない」と言いました。

こういう経緯から、今回のことも、意図して、谷口雅宣総裁は“神授”の「神想観」とい
う世界を消したかったのだと私は見ています。
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