生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

トップページへ戻る

 

↓↓↓ 訪問者数 ↓↓↓

 

名前
メールアドレス
スレッド名
本文
写真

URL
削除キー 項目の保存


遂に、「本流」末端信徒さんの真理の理解力は、「マサノブ教団」の本部講師達の真理の理解力を凌駕した!! (3585)
日時:2014年03月22日 (土) 10時47分
名前:公平なる観察者




このたび、次ぎの様なスバラシイ投稿が、マサノブ擁護派の「トキ掲示板」に投稿されたのであります。

遂に、「本流」末端信徒さんの真理の理会力は、「マサノブ教団」の本部講師達の真理の理解力を凌駕した!といえるのであります。




http://jbbs.shitaraba.net/study/11346/
6501 名前:HONNE 投稿日: 2014/03/14(金) 23:29:18 ID:jtmmmlXY
>>6497

私の考えを述べたいと思います。語弊があるかもしれませんが、国粋主義的な部分を取り除けば、それは、生長の家ではなくなってしまうと思います。さらに言えば、『国粋主義的な』という言葉を使う自体、生長の家を解っていないことを物語っているのだと思います。雅春先生が、何故、『天皇国日本』を説いたのか。どれだけの人が、その真の意味を解っているのでしょうか?信徒が喜ぶとか、世間から受け入れられるとか、生長の家を、そのような観点から捉えるのは間違っていると思います。『学ぶ会』の理念にもありますが、雅春先生の御教えを忠実に学び継承するために、もっと愚直に取り組むことが必要であると思います。




上記投稿は<NO.6496>に対する反論であります。即ち、――
6497 :トキ:2014/03/14(金) 19:49:25 ID:iC1ZwruQ
>>6496

 個人的な感想では、谷口雅宣先生は、生長の家から国粋主義的な部分を取り除き、社会に合わせた内容にすれば、信徒も喜ぶし、世間からも受け入れられると考えていたと思うのです。おそらく主観的には生長の家の骨格は変えずに、周辺部分だけを変えるつもりだったと思います。また、総裁は勉強家ですから、彼は彼なりに生長の家の本も生長の家以外の本もたくさん読んで、「ここまでは変えても大丈夫」だという基準を自分なりに作っていたと思います。 その基準が、一般の信徒や古い幹部、講師から見て「とんでもない」ものだったとしても、総裁からしたら彼らこそ「古くさい形式主義者」という感想しかなかったと思います。 ただ、結果は大失敗。これは私も認めます。 最近は、教団内でも総裁援護派はどんどん減少し、今や絶滅危惧種。最近の「ご指導」の内容については、特に酷いと思います。以前はバーチャルで援護論を書いた事もありましたが、最近では、援護論を書こうと思って四苦八苦しても私の能力ではとても書けないです。ただ、彼も、生長の家を潰そうとか、私利私欲で何かをしようとした訳ではなくて、彼なりの理想があって始めた事は認めてもいいかと思います。(だからと言って、現在の惨状を正当化できる訳ではないですが。)



/////////////////////////////////////////////////



@ マサノブ君は、開祖・谷口雅春先生を<国粋主義者・国家主義者・民族主義者>だと思っているのであります。このことはマサノブ君の考えを文字にした「日本教文社・書籍新出版方針」に、――

<< 国際平和信仰運動の精神に鑑み、わが国及び「生長の家」の内外を問わず、国家主義や偏狭な民族主義・国粋主義に立つ執筆者、もしくはその傾向が認められる執筆者には、わが社および「生長の家」が、その執筆者の言動を支持していると看做される懼れがあるため、執筆を依頼しない。>>
そして、<<谷口雅春先生の新刊書は著者昇天後は引き続き発行しない>>と書いてあるのであります。



A マサノブ君は、「生長の家」は右翼団体と同一と見ており、開祖・谷口雅春先生を偏狭な国家主義者、民族主義者、国粋主義者と断じているのであります。だからこの様な「日本教文社・新出版方針」を強引に制定したのであります。



B 今日の一般的理解によれば、「国粋主義」とは、独り日本国だけが最高の価値ある国家であり、日本以外の国家は価値の低い国家であり、日本國だけが世界に君臨し、世界を支配し得るべき資格を備えている、という極端かつ排他的な日本国家独善主義を「国粋主義」とあやまって理解していると考えられ、それが現代の社会常識となっているのであります。マサノブ君もこのあやまてる「国粋主義」の意味を鵜呑みにしているのであります。マサノブ君はこの点においてもまことに不勉強そのものであります。



C では、本当の意味での「国粋主義」とはどのような内容を言うのであろうか? 本来の国粋主義とは、明治時代中期の政教社(機関誌「日本人」を発行)と日本新聞社(新聞「日本」を発行)らの主張を指すものであって、これは欧化主義への過度の傾倒を諫め、日本人が古来から培ってきた特質(これを国の精髄と見なして国粋Nationalityと呼んだ)を重んじるべしとした思想であります。この段階では、政教社の志賀重昂その人が「日本人」誌上で述べている内容からも明らかだが、排外主義的な色彩はほとんどもしくはまったく存在せず、どちらかというと「和魂洋才」の方に近いのであります。これが本来の意味での「国粋主義」なのであります。自称にしろ総裁たる者、もっと慎重に言葉の意味を調べていなければならないのですが、自衛隊を“人殺し集団”と言ってのけた左翼唯物論者のマサノブ君には求める方が無理というものでしょうね。



D 開祖・谷口雅春先生が説かれた「日本國實相顕現」の「日本國」とはどのような内容のものであったのでしょうか? 開祖・谷口雅春先生は次のように解かれているのであります。――

<< 私は「生命の実相」<神示を受けるまで>の最後の章に示すが如き過程に於いて、既に「無」の門関を越えて釈尊の指頭にある金波羅華が象徴する「実在」の荘厳無二組織完備の大日本国家を把握したのである。・・・>>(『無門関解釈』P.71−72)

<< “私は此の世界を直接見たのである。直接触れたのである。”絶対実在の是体認識である。その絶対実在の世界は決して無常の「空」なる世界ではなく、金剛不壊にして、「実」なる世界なのである。吾々は、第一義諦の世界と、因縁仮和合の世界とを混同してはならない。・・・蓮華蔵世界(それが日本国家である)は因縁仮和合の世界に非ずして第一義諦の世界であり、他に依って立つ世界ではなく、それ自身にして立つ世界であり、既に中心帰一せる久遠不滅の世界である。さればその悠久なること限りがない。(見よ日本国家の天壌無窮を)それは真理国家そのものにして、大日本真理国家の天降って来る事によって、現象界の本来「空」なる国家は本来の非実在を暴露して、蓮華荘厳の――スメラミコトを中心として円成せる荘厳極まりなき――国家が現象界に成就するのである。「天に成れる真理国家」は実在の金剛不壊の世界であるが故に、それが現象界に成就するとき、現象界が蓮華荘厳となるのである。・・・>>( 『「驀進日本の心と力」第三章・日本学的大乗仏教の確立』P。133−134)

<<「日本民族の心の中に描かれたる、日本の国の形態を、如何なる形にあらしむべきかの『非物質的構図』・・・つまり、宇宙に満ちている(宇宙と云う放送局から放送している)色々の番組のアイディアのうち、日本民族という人間の集団は、自己の精神的傾向によって実相界にあるところの「中心帰一アイディア」を受信し、それを現象面に具体化したのが日本国家であるわけである。つまり、バラの木がバラの花の形のアイディアを受信し、それを自己の生命の中に融合して、そのアイディアを、バラの花として具体化したのが天意であるのと同じである。ここには“天来(てんらい)”という“神の領域”と、それを受像する“人間の領域”との完全なる整合があるのであって、まことに日本国が天皇中心国家であると云う事は、人間の<はからい>によるのではなく、日本民族の生まれつきの性向が神意を受像して実現した国家形態であるからであって、まことに尊い極みであるというほかはないのである>>(「国のいのち 人のいのち」P.70)



E 開祖・谷口雅春先生は、斯くの如く「日本国家」と「日本民族」について解かれているのであります。この御文章のどこからマサノブ君のいうような、“偏狭な国家主義・民族主義・国粋主義”という言葉が出てくるのでありましょうか? マサノブ君の偏狭な思想――左翼唯物論思想からしか出てこないのであります。マサノブ君こそ“偏狭な左翼主義者”であります。開祖・谷口雅春先生の上記の如き日本国家観・日本民族観から出てくるもには、「生長の家」は中道實相であるということであります。「本来の生長の家」は決してマサノブ君の認識するような右翼団体ではないのであります。「日本国の国家理念」が「日本民族の民族理念」として展開して、大宇宙の高級神霊界の摂理と経綸によって、個生命としての各人の霊魂の心の深奥部に「日本民族の理念」を植え付けられた人々を高級神霊界の眼に見えぬ摂理の糸が日本の国土へと引き寄せ手繰り寄せて出来あがったのが現実の日本民族であります。このように考えてくるならば、上記HONNEさんの投稿文の内容は極めて妥当かつ適切かつ的を射たものである事が解るのであります。



F これに対してマサノブ君の考え方は、「日本」とか「日本人」と言う言葉を使うと、“右翼思想者”だとしてしまうのであります。全くサヨク主義者の思考路線と同じであります。例を挙げれば、――

世界平和と日本の発展――<<世界平和がなければ日本の発展はない。日本の発展だけを目指すのは間違いである。>>(「小閑雑感」平成21年8月15日)

日時計主義は国際問題を引き起こす、――<<「自分の国だけが特別に素晴らしい」という考え方は、「他国は劣っている」というメッセージに受け取られやすく、国際問題を引き起こす原因にもなる。>> (普及誌『理想世界』平成22年2月号)


このようにマサノブ君の思考の基準は欧米・共産中国・韓国・北朝鮮であり、「日本」を基準に考えることは“マチガイ”と考えているのであります。彼の歴史観は“自虐史観”であり、「日本精神」は“死語”であるから今日そのような言葉は使うべきではないと云うのであります。



G 開祖・谷口雅春先生は説き給う、――

<< 私は『生長の家』と云ふ大いなる団体を作って、その主宰者となり、自分の団体の勢力を拡大したいとは思っていない。唯私の心の中には国家あるのみであり、人類あるのみである。ここに私は『国家』と『人類』との二つを同格に平列せしめて語ったが、私にとっては『日本国家』と『人類』とは同格なのである。日本 国家が栄えることによってのみ、人類は栄えるのである。
 『生長の家』で説く『実相』は、既往の仏教者の大多数が誤って『実相即ち空なり』と説いたような 『空』ではない。『実相』とは空気のような、エ−テルのような空しき無常の存在ではない。実相とは無限荘厳の組織体である。だから実相が顕現するとは、無 限荘厳の組織体がこの世界に顕現しなければならない。
 そしてヘ−ゲルも云ったように『国家は最高の組織体である』が故に、完全なる国家の顕現が、実相の顕現であるのである。而して世界にありとあらゆる国家組織体のうち、日本国家のみが最高完全の組織体である(その理由はその中心(すめろぎ)が万古不易永遠 に続いているからである。外国の国家のように中心定まらず、時々交代するようでは最高完全の組織体とは云い難い)。それ故『日本国家』は神の理念の最高顕現であり、無限荘厳の実相の顕現であるのである。而して『日本国家』が拡がり行くことは実相の顕現がひろがり行くこととなる。『日本国家』のために尽くすことは『人類』のために尽くすことになる。人動(やや)もすれば『国家』的立場は一つの民族的執着の立場であり、人類的立場は一層高き普遍的平等的立場であると思いたがろうとするのであるが、日本国家に於てのみ、国家的立場は人類的立場と完全に一致するのである。国家的立場と、人類的立場と、家族的立場 と、個人的立場とは悉く『まこと』(実相)の一つに於て一致する、これが生長の家の光明思想である。>>(『明窓浄机』草創篇257頁−昭和12年5月号)                                                  
左翼主義者であるマサノブ君にしてみれば、この様な開祖・谷口雅春先生の御文章を見つけると、鬼の首でも取ったが如くに、「生長の家」の思想は偏狭な国家主義・民族主義・国粋主義だと断じてしまっているのであります。『御教え』の継承者ならば、『生命の實相』を始め、幾多の開祖・谷口雅春先生の御著書を読めば、世間一般の普通の人の云う偏狭な国家主義・民族主義・国粋主義ではなく、現象を超えた悟りの世界から観たものである事が理会できなければならないのであります。が、然しマサノブ君は現象の世界しか解らず、悟りの世界のことはチンプンカンプンの霊的音痴であるが故に、極単純に「生長の家」の『御教え』は、右翼思想と解釈して偏狭な国家主義・民族主義・国粋主義だと断じてしまっているのであります。



H 現教団に残っている「マサノブ教」の本部講師諸君は、大なり小なりマサノブ教祖と同じ考えを持っているが故に、マサノブ君にたいして極めて好意的な理解を示すのであります。――

<<  個人的な感想では、谷口雅宣先生は、生長の家から国粋主義的な部分を取り除き、社会に合わせた内容にすれば、信徒も喜ぶし、世間からも受け入れられると考えていたと思うのです。おそらく主観的には生長の家の骨格は変えずに、周辺部分だけを変えるつもりだったと思います。また、総裁は勉強家ですから、彼は彼なりに生長の家の本も生長の家以外の本もたくさん読んで、「ここまでは変えても大丈夫」だという基準を自分なりに作っていたと思います。 その基準が、一般の信徒や古い幹部、講師から見て「とんでもない」ものだったとしても、総裁からしたら彼らこそ「古くさい形式主義者」という感想しかなかったと思います。 >>

「総裁」たる者は、本の虫・理屈学者であってはならない、あくまでも常に求道者であるべきであります。「無の関門」を超えて實相世界を直接把握しなければならないのでありますが、単なる屁理屈屋にして開祖反逆思想を持つマサノブ君には真剣な求道心などないのであります。パソコンお宅・机上での肉体頭脳による思索・それを難解な文章で表現する“セレブぼんぼん”にしか過ぎないのであります。だから、彼に追従する本部講師ですら、――

<< ただ、結果は大失敗。これは私も認めます。 最近は、教団内でも総裁援護派はどんどん減少し、今や絶滅危惧種。最近の「ご指導」の内容については、特に酷いと思います。以前はバーチャルで援護論を書いた事もありましたが、最近では、援護論を書こうと思って四苦八苦しても私の能力ではとても書けないです。>>

と、云わざるを得ない状況下にあるのであります。

<< ただ、彼も、生長の家を潰そうとか、私利私欲で何かをしようとした訳ではなくて、彼なりの理想があって始めた事は認めてもいいかと思います。(だからと言って、現在の惨状を正当化できる訳ではないですが。)>>

と苦しい弁明を本部講師諸君はなすでありましょうが、この観察もまことに甘いものであります。マサノブ君の目指すところは、開祖・谷口雅春先生の『御教え』を地上から抹殺し、日本国民に与える思想的影響力を限りなくゼロにしてゆくこと、そして「生長の家」教団が愛国団体として絶対に復活しないように「生長の家」教団を解体し潰してしまうことにあるのであります。



I このようなことを考えるマサノブという人物は完全に異常性格者であり、我々の常識的判断力を超えた存在であります。彼の異常性格の依って来たるところはどこにあるのか? 心霊学的にしか判断できない。つまり、マサノブ君の背後には世界一極支配を目指す欧米エシュタブリッシュメント(横断的世界的権力者集団)の宗教部門一極支配を目指す「統一教会」があり、マサノブ君はその支配下に組み込まれ、彼の肉体頭脳は彼らをバックアップしている暗黒霊界層の巨大悪霊に憑依支配されているのであります。


マサノブ君の頭脳を占拠支配している巨大悪霊もマイナスの存在でありますから、われわれ「本流」信徒の光の進軍の前からはやがて消え去って行くものです。此処で、われわれ「本流」信徒は「マサノブ教」の実態を、現教団のすべての信徒の皆さんに知っていただくとともに、「マサノブ教」の虚説の実態を追求して行く手を緩めてはならないのであります。現「マサノブ教団」の本部講師の真理理解度は本稿で述べましたように極端に落ちてしまっているのですから何も恐れるところはないのであります。マサノブ君一流の現象学としての学者的屁理屈理論に誑(たぶら)されないように注意して正道を驀進して参りましょう!!








Number
Pass
SYSTEM BY せっかく掲示板