生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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マサノブ爺さんは、「哲学」好みの「非宗教家」 (3667)
日時:2014年03月31日 (月) 00時20分
名前:サーチャー


<トキ掲示板(本流対策室/5)>

6615 :トンチンカン:2014/03/31(月) 00:05:48 ID:itK3HnHY

マサノブ爺さんは、「哲学」好みの「非宗教家」


<哲学と宗教の違い>
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 小阪修平の『はじめて読む現代思想』(芸文社)という本に、哲学と宗教の違いが次の
ように書かれている。 

 …哲学というのは、もともと「○○とは何か」という問いではじまった思考のシステム
のことです。「○○とは何か」というのを「なぜか」と言い換えてもいいんですが、「あ
るとは何か」(存在の意味ということですね)、「自分とは何か」とか、かんたんに答えら
れない問いを必然的にだしていきます。もっとちがう言葉で言えば、物事の根拠までもん
だいとしていくのが哲学です。…

 「○○とは何か」という問い、たとえば「自分とは何か」とか、あるいは「われわれは
どこから来て、そしてどこにいて、これからどこに行くのか」とか、そういう問いを哲学
と宗教は共通してもっています。

 哲学と宗教のちがいがどこにあるかというと、…一言で言うと、宗教というのは一番の
核心に啓示があるんです。啓示というのは、あるとき、神様か何か知りませんが、そうい
うものがぼくに働きかけるとか、あるときぼくが悟って世界の真理を見てしまうとかね。
ちなみに、世界の真理を分かった人のことを仏様と言います。分かったということが、説
明するより先に存在するわけです。そういうのを、誰でもが使える言葉で探求していこう
というのが哲学であると言えます。

http://koharu65.exblog.jp/9729094
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・「宗教というのは一番の核心に啓示があるんです」・・と書かれております。


・「人間智」のマサノブ爺さんは、神さまからの <啓示> を得ることが出来ないので
 す。


・だったら、神さまからの<啓示>を 神戸の「本住吉神社」にて得られて「生長の家」
 があるのですから、谷口雅春先生の説かれた<御教え>を 素直に 受け入れれば良い
 のです。


・嘘っぱちの<法燈継承>であっても、マサノブ爺さんが谷口雅春先生の説かれた<御教
 え>を素直に受け入れているのなら、誰も非難はしないだろうと思いますよ・・・


・まあ、ここまで来たら「後戻り」出来ませんよね?



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