生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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マサノブ君の横車押之助論理は自己破綻している! またもや、馬を曳いてクビを出す・・・ (3807) |
- 日時:2014年04月20日 (日) 00時07分
名前:公平なる観察者
下記の投稿文は自己破綻しているのであります。信徒の皆様にはくれぐれも洗脳されないよう、そして、「曳馬野」君をして本音を語るマサノブ君の狡知なる人間知には常に要注意であります。
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<「トキ掲示板」本流対策室>
6769 名前:曳馬野 投稿日: 2014/04/19(土) 09:49:50 ID:I/wU8psA
今当地で練成会が開かれています。妻に聴きましたところ、和田カツさんの後白鳩会長をし、清超先生の時代に本部の白鳩会に入り暫く前に県に戻って来た堅田先生が講話に来ておられるとのことでした。そろそろ80でしょう。そうなんです、本流派の方々と同時代に、県の第一線で活動され、現場も知り、本部も知っている人が講話をされているんです。版権が法律上教団にないと法律談義を言うのであれば、れっきとして生長の家は法律上の宗教団体として存在しているのであるから、その総裁を、マサノブ爺などと揶揄したり、八ヶ岳教団なんて呼んだりカルト呼ばわりすることは、余りにも情けないことです。本流派を引っ張っている人はそんな情けない旧組織人間でしょう。昭和60年から20年に亘り宗教人として生きて来られなかったのでしょう。組織が何を云おうと、現場は真理を生き、伝えていけばいいのですから、左遷されたと愚図云う暇に、その場で生きていけばいいのです。それが出来ないから新しい集まりを造ったと云うことでしょうから、50-60年代以上の規模には決してならないでしょう。
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<講評>
先ず以て申し上げておかねばならぬことは、私は、本流派を引っ張っているものではありません。開祖・谷口雅春先生の『御教え』を全人類の至宝として復活されることを望んでいる無名の一末端信徒であります。
@ 上記投稿文の < 版権が法律上教団にないと法律談義を言うのであれば、れっきとして生長の家は法律上の宗教団体として存在している > についての論理破綻は明白であります。
イ、 「生長の家」はれっきとした法律上の宗教法人であります。だから、マサノブ君は「生長の家」の<教規>をしっかりと護らねばならないのであります。「教規・第五条」には、「本教の教義の大要は・・・教えの創始者谷口雅春の唯神實相の神学・・・教義の根本は『生命の實相』巻頭の『七つの燈台の点灯者の神示』なり・・・」と書かれているのであります。であるにも拘わらず、教団トップのマサノブ総裁は、< 創始者谷口雅春の唯神實相の神学 >が説かれている『生命の實相』を信徒が学べないようにし、講習会や誌友会ではテキストとして使用しないように仕向けたのであります。のみならず更に、< 創始者谷口雅春の唯神實相の神学 >が詳しく説かれている御著書の多くを再販保留(実質上の絶版)処分にしたのであります。更に、開祖・谷口雅春先生の書かれて残っている御原稿類の新規出版計画も、「開祖の思想は国家主義・民族主義・国粋主義と誤解される」との屁理屈をつけ、総裁権限でその出版を全面的に実施しないように日本教文社の出版方針で決めてしまったのであります。
ロ、 「教規・第六条」には、< この宗教の本尊は生長の家の大神と仮に称すれども・・・あらゆる宗教の本尊の奥にある「實相」(唯一の真理)を礼拝の対象とするため「實相」の書を掲げる >と書かれているのであります。にも拘わらず現在では「上からのお達しにより『實相』礼拝が為されておりません。本部が「森のオフィス」に移ってからは『實相』の額(書)は式典途中で正面舞台から巻き上げられて姿を消したり、半透明のカーテンで覆われ隠蔽され、礼拝対象は『實相』から“雑木林”という『自然』に暗黙裡に変更され既成事実となったことは大勢の信徒の皆さんの知る所であります。
以上(イ)・(ロ)の二点において、現教団は名前は「宗教法人・生長の家」でありますが、創始者の教義の全相が説かれなくなっており、本尊も実質的に変更されてしまっているのであります。つまり看板は宗教法人・「生長の家」でありながら、実質的には非・生長の家である所の「マサノブ教」とでも言う中身に代わってしまっているのであります。このことは「宗教法人法」と言う法律に違反しているのであって、包装と中味が異なる“虚偽表示”であります。マサノブ君はかつて「日本建国の精神はウソを言わぬこと」と信徒を指導しましたがこれでは総裁と言う最高責任者自らが言行不一致を曝け出しており、総裁としての資格を失っており、総裁の資質をすら疑わしめているのであります。
更に「教義の根本は『生命の實相』巻頭の『七つの燈台の点灯者の神示』なり・・・」と書かれているにも拘わらず、開祖・谷口雅春先生の『御教え』を忠実に説こうとする義兄実弟の方々を追放したこと、さらに、実母の恵美子先生を自由に面会させないで本部職員による軟禁状態にされていること、電話の送受も監視下におかれていることも教規違反の最たるものの一つであります。
更に言えば、教団運営は民主的であるべきものでありますから、重要事項の決定に関しては、信徒代表も会議に参加するように宗教法人法において定められているとのことであります。現マサノブ体制下に於いては信徒代表とは各教区の信徒の代表ではなく、マサノブ君が任命した総裁イエスマンのプロの教化部長が信徒代表となっているのであります。だから、一般信徒の声は反映されず、すべて独裁権力を持つマサノブ(自称)総裁の一存で決まる全く非・民主的運営がなされていること、これはれっきとした意図的法律違反であります。マサノブ君の狡知極まる人間知のきわまるところであります。
A 次に、< マサノブ爺などと揶揄したり、八ヶ岳教団なんて呼んだりカルト呼ばわりすることは、余りにも情けない > という事に関してでありますが、現在のマサノブ君は、到底「三代目・谷口雅宣先生」などとは呼べないほどに自分で自分の人間的レベルを落してしまっているのであります。
イ、その理由の第一は二代目・清超先生がマサノブ君に正統的に嗣法(法燈継承)せしめておられない、清超先生による公式発表がないに拘わらず、マサノブ君は「法燈継承」劇を自作自演してニセの嗣法者(法燈継承者)に成りすまし、信徒を欺いているのであります。宗教家の風上にも置けないこの様な人物をどうして「三代目・谷口雅宣先生」などと敬称呼ばわりできましょうや? 「マサノブ爺さん」と揶揄されても仕方がありません。そして、@で説明いたしましたように、包装紙(看板)と中味が違うわけで、現教団は、開祖・谷口雅春先生の「生長の家」とは違うものでありますから、この辺のところを明確にして信徒の皆様に正しく認識して頂く為には、現教団の中味に見合った名称は「マサノブ教団」であり、「八ヶ岳教団」であります。この論理が判らぬ「曳馬野」=マサノブ(自称)総裁は、還暦を過ぎて老いたためか、正当な論理的判断力が弱まってきたものと考えられるのであります。
ロ、「マサノブ教団」のカルト化の証しを挙げるならば、その最たるものとしては、かの有名な大阪教化部の「講習会推進の祈り」<<壇上に生長の家総裁谷口雅宣先生・生長の家白鳩会総裁谷口純子先生お立ち遊ばされ、全身より黄金色燦然たる霊光を放ち給い、住吉の大神の御出御となり、その金口より真理の大獅子吼はじまる!>>があります。 亦、嘗ての全国白鳩会連合会長会議の決議事項「どんなことがあってもマサノブ先生、ジュンコ先生を(信徒の批判から)お守りいたしましょう」があります。そして、「聖使命会費を収めないとバチが当る」とか「生長の家を辞めると神様との縁が切れ不幸になる」といって必死に信徒のつなぎ止めをなしている教団幹部たち、いずれもカルト宗教化ではないのですか?
B 最後に < 組織が何を云おうと、現場は真理を生き、伝えていけばいい >に関してであります。 このように主張し行動している講師(主に地方講師の諸君)さんは多いのであります。
イ、 末端誌友会で、マサノブ君の指示に従わずに、開祖・谷口雅春先生の御著書をテキストにし、天皇国日本の實相や病悩苦からの救済をを熱心に説いていても、現態勢下では監視の目が厳しくいつまでその姿勢を貫くことが出来るかは疑問であります。亦、そのような講師さんが一生そのように本来の『御教え』を説き貫いたとしても、その人一代で終ってしまう公算が高く後継者は育たないのであります。
ロ、 そのような講師さんたちが現教団に所属している限り、「聖使命会費」を奉納し続け、講習会の受講券を何十枚となく購入しなければならない訳でありますから、結果的には「マサノブ教」の教団財政を支えていることになるのであります。マサノブ君を延命させていることになっているのであります。
ハ、「生長の家」は完成の宗教であります。即ち、「個人の救済」と「国家の救済」の二大目標が並立しているのであります。だから“完成の宗教”であります。そのためには、マサノブ(自称)総裁の更迭を計り、立教の使命と目的に立ち戻らねばならないのであります。組織内部に留まっているならば、末端誌友会の場で本来の『御教え』を説いて自己満足しているのではなく、内部から志を同じくする者が力を合わせて教化部長や教区五者、更に理事・参議に「マサノブ更迭」・「本来の『御教え』全相復活」を迫り実現していく勇気がなければ結果的には純真な末端信徒の皆様を騙していることになるのであります。これが出来ないのであれば、潔く現教団の講師を辞め、教団外での本来の『御教え』復活運動に身を投じるべきであります。
頭が代わればすべてが変る。勿論、多少の混乱の過程はありますが、開祖・谷口雅春先生の本来の『御教え』の全相を正統に継承される新総裁の下、本部講師・地方講師そして信徒のすべてが、己を捨てた無私の精神で本来の『御教え』の全相復活に進むことが出来ると私は信じているのであります。必要なのは、目標必達の熱願と『御教え』に対する微動だにせぬ“信”であり、“無私”の精神に基づく力の結集であります。現下の日本の社会情勢及び国際情勢を考えるとき、開祖・谷口雅春先生の本来の『御教え』は絶対に必要なものであるという事を片時たりとも忘れてはならないのであります。
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