生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示 <第十話> (322) |
- 日時:2013年03月05日 (火) 09時14分
名前:信徒連合
生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇
第十話(通算第252話) 肉体の“死”の定義について(その二)
医学的“死”と心霊学的“死”について
現代医学は唯物肉体医学であります。分かりやすく云えば、細胞と言う物質で構成されている骨格と臓器である身体核部品の集合体が肉体そのものであり、その各部品の運用の総合司令塔の役割を持つものが“脳髄”で、各部品を活動させるエネルギーを供給するポンプとモーターが“心臓”というわけであります。
この総合的活動体そのものが“人間”そのものであり、その活動部品の一時的不調や故障が“怪我・病気”であります。不調・故障が回復不可能な状態に達し脳髄の活動が全面的に停止し、心臓の活動も完全停止した時を以って「人間の死」としているのであります。
現代医学に於ける「人間の死」とは「人間の肉体の死」さらに厳密に表現すれば「“人間”が地上活動のために所有(占有)して使用してきた“肉体”の死」であります。現代医学は<肉体=人間>であり、肉体以外の人間の存在などは考えないし、「霊魂」などは肉眼や測定機械によってハッキリとその姿が誰もが目で確認できないわけですから、心霊学でいう<霊魂=人間>を非科学的としてみとめないわけであります。
しかし、昔から、時として葬儀中に、或いは火葬直前に死んだ人が息を吹き返して棺桶から出て来たという実際の否定できない現実があるのであるから、脳死・心臓死が肉体の死であるとの“死の定義”は厳密には正しくはない訳であります。
ここにおいて、肉体は本当の人間の“持ち物”であり、その肉体の死、即ち何時の時点で肉体は死んだ。活動を完全に停止したと判定すべきか。この問題は、唯物論医学の領域を超えて、心霊学的観点でしか正しい解答は導き出せないのであります。
しからば、心霊学上に於ける「肉体の死」(註・本当の人間は死なず生き通し)とは、・・・
“霊線”というものについて
(『生命の實相』第10巻・霊界篇下巻P.171)
<<・・・生きていて睡眠している時・・・その時には霊魂の大部分が霊界に出遊して、霊界の或る営みに従事している。そしてその霊魂は肉体にはわずかに、この後頭部のところに霊線でつながっているだけなのであります。この霊線が切れたら肉体は死んでしまう。この霊線がつながっている間だけ肉体は生きているのです。・・・>>
(『霊界の妻は語る』P.100)
<<・・・睡眠状態と、いわゆる「死」の状態との相違は、吾々の肉体と、霊魂とをつないでいる霊線が切れていないか、切れてしまっているかの相異であり、睡眠状態ではこの霊線で霊魂が肉体に繋(つな)がっているから、覚醒状態に帰ろうとする刹那に霊魂が肉体に復帰し得るのである。・・・>>
(『人間死んでも死なぬ』P.61−62)
<<アンドレが死んで六ヶ月のち、アンドレの母――博士の妻は死の瞬間に極めてわずかな三つの吐息をこの世の名残として帰幽した。アンドレの死後とった写真の実験のことを想起していた博士は、自分の妻の寝床の側(そば)に予(かね)てから写真機を用意しておいた。そしてそれで死の瞬間に彼女の姿を撮影して、しばらく後に現像してみたのである。
感光版には三個の光耀(こうよう)を帯びたガスの塊のようなものが、死体の数インチ上のところに漂うていた。また、それには細い紐のような光の條線があちらこちらに放射されている様が撮れていた。
妻の死後十五分のちに博士は二回目の写真を撮った。それには、輝く霊線は前よりも延長してガス様の光球を一部分とりかこんでいた。
午後三時――即ち死後一時間に博士は更に三回目の写真を撮ったのだった。この写真によると、三個のガス状の光球は互いに凝集して一個のものになろうとし、博士夫人の頭部をもやもやと蔽(おお)いかくして、その左手の方へ伸びて行きつつあった。輝く霊線はSの字のようにねじれていたが、Sの字形の上の丸は完円をなしていたが、下の丸は屍体(したい)に近い方が開いていた。こうしてガス状光球が一方の方向へ延びて行っているに反して、輝く霊線はますます緊張して反対の方向へ引っ張っているような様子をあらわしているのである。
霊魂と肉体との分離が一層完全になると一つに凝集したガス状光球は屍骸のうえに輝く霊線に取り囲まれて霊線の支配を受けているような様子で浮いている。と、この瞬間、ガス状光球は屍骸から全くはなれて、霊線に案内されて博士の寝室へふわふわと浮いて行った。博士は熱心にガス球に向けて話しかけた。と、ガス球は彼に近づいた。このとき博士は、そのガス球から放出された氷のような冷たい風をもの周りに感じたのである。。やがてそのガス球は飄々として浮標し去った。
それからのち数日間、博士は家のあちこちで同じ様な輝くガス球をみたのである。職業霊媒ではない霊力者の「自動書記」の力をかりて、彼は遂にこの輝いているガス球と霊界通信を交える事ができるようになった。
「自動書記」の言う所によれば、この輝くガス球は博士夫人の霊魂の包被であって、夫人の霊魂はそのうちに生きて活動しているのであった!日数がたつに従って包被をとりまいている霊線は一つ一つ切断した。そして夫人の霊魂は肉体と生き写しの姿の幽体となった。言って於くが、博士の霊眼にはアンドレの霊魂はもう完全な幽体を備えているように見えていたのだった。夫人からの通信は、彼女もまたしばらくすると、もう永遠に死なぬ様式でアンドレの側へ行くのだと言った。それ故この叙述を確証する実験的証拠は、最早ないのである。・・・>>
(『人間死んでも死なぬ』P.96)
<<チリアクス博士は又次のように記述している。「多くの透視家の叙述を見るに、死に臨んでは魂すなわち心霊は頭脳から肉体と分離するものであるらしく思われる。この分離に従って忽ち死者の頭上には、ボンヤリした雲のようなものを認め、その雲のようなものは人間の形となって次第次第に凝結しつつ愈々(いよいよ)故人の容貌に類似して来ると彼ら透視家は述べている。このガス体的形態はそれが出来上がった後も死者の肉体と、わずかに心臓及び脳髄の間の一本の霊線によって連絡せられながら、しばらくは死骸の傍に停まっている。(セヴラユー著『心霊界の実証』より)>>
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