生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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楠本 加美野先生 宇治研修所所長 就任の挨拶より (3912)
日時:2014年05月04日 (日) 02時48分
名前:百合の花

      
◇ 練成会指導の使命 ◇

生長の家長老・能力開発センター宇治研修所所長
   楠本 加美野


 この度、四月一日付けで総務・宮司の任を解かれて、練成指導の専属になりました。

私に変わって、堀端芳樹さんが総務・宮司になりました。宇治別格本山のより繁栄のため喜ぶべきことで

す。私としても、九十二才の高齢にも拘らず練成会指導の使命を与えられたことは、総裁谷口雅宣先生

、磯部理事長のご愛念によるものです。本山員皆さまのご協力によるものです。

私は道場生活六十二年になります。飛田給→宇治→河口湖→飛田給→宇治と、各練成道場で練成会を

担当してきました。最後の宇治は二十九年居ることになりますので、最も長いわけです。

 昭和三十年代、宇治で専ら山崩しをして、宇治の境内地が出来ました。伊勢神宮、橿原神宮に於ける

練成会も、宇治別格本山の練成担当者によって実施出来ました。又、飛田給での皇居清掃奉仕の練成

会も、宇治での体験によって実施出来ました。こうした六十二年の体験を生かして、初心忘るべからず

≠フコトバを心として、与えられた使命を果たしたいと念願しています。


 谷口雅春先生は、『生長の家』誌創刊号に次のようにお説き下さっています。

「自分のかざす火は人類の福音の火、生長の火である。自分は此の火によって人類が如何にせば幸福

になり得るかを示さうとするのだ。(中略)如何にせば貧困の眞因を絶滅し得るか、如何にせば家庭苦の

悩みより脱し得るか・・・・・等々」「今人類の悩みは多い。人類は阿鼻地獄のやうに苦しみ踠がきあせって

いる。あらゆる苦難を癒やす救いと薬を求めてゐる。しかし彼らは悩みに眼がくらんでゐはしないか。

方 向を過ってゐはしないか。探しても見出されない方向に救ひを求めてゐはしないか。自分は今彼らの

行手を照す火を有って立つ。」と。


 又『真理』第一巻には次のようにお説き下さっています。

「諸君の生命は神が生んだ。何のために? 地上で何か働きをさせる使命があるから、貴方の生命を地

上に生み付けたのだ。(中略)あなたは地上に仕事のある間、地上に生命が与えられているのだ」と。

今日も尚多くの人が救いを求めています。その人を救う使命があります。
                                                平成26年4月

楠本先生のご挨拶を拝読して、昭和30年代高校生練成で楠本先生の親孝行の話で涙流し、山崩しの献労で汗を流したことを思い出します。伊勢練成では愛国の情を教えて頂きました。

楠本先生の真逆の雅宣総裁の方向を何とお感じでしょうか。
宇治練成のプログラムを見ると『甘露の法雨』読誦がありますが、雅宣総裁は『甘露の法雨』を使わないと仰っているのですがどうした事でしょう。

下記写真は昭和30年代宝蔵神社建設中の献労風景 楠本先生がおられます。








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