生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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禍根 (4010)
日時:2014年05月25日 (日) 08時59分
名前:中仙堂

もしクレオパトラの鼻がもっと低かったなら、
世界の歴史は変わっていただろう。
人間のむなしさを知ろうとするなら、
恋愛の原因と結果とをよく眺めるがよい。
パスカル

もしクレオパトラの鼻がもっと低かったなら、
有名なコトバです。
ネットで紐解くと
「歴史にifはない」という言葉がある。歴史家が歴史上の仮定を語るとき、
「歴史にifはないと申しますが……」と枕詞のように言い訳する言葉としてよく用いられるが、そもそも、なぜ歴史で仮定を語ることがいけないことであるかのように言われるのか。「歴史にifはない」と言い出したのは誰なのか、またそもそもどういう意味合いだったのか。
調べてみると、歴史学者E・H・カーの『歴史とは何か』(1961年の講演録)がその発端になっているようである。それは、近現代史において未練たらしく「こうだったらよかったのに」という思考を批判する趣旨での「might-have-been school(こうだったらよかったのに派、未練学派)」批判であった。
実際、クレオパトラの鼻が低くても、世の中そんなに変わらないと思える。クレオパトラには数多の手練手管があり、したたかだったと思う。
時代は過去を振り返って、未来を予測する事は出来ない。
だから、吾々は現実をしっかり見据えて、国の守りはしっかりしないと、将来子孫の時代に大きな禍根を残す事になる。



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