生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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これは新たな状況証拠! 他人名義で自論を書くのが雅宣総裁の卑怯な流儀である (329) |
- 日時:2013年03月05日 (火) 20時47分
名前:四万十警部
私の部下の四万十分析官が「初心者=雅宣総裁」の思想的類似点の状況証拠分析をしてくれているが、以前の「本流宣言掲示板」を見ていて、下記の投稿文を見つけたのである。
なんと雅宣総裁は清超先生の名前で左翼的自論を巧みに展開し、この時から『御教え』の転換をスタートさせた。従って、
< 他人名義で自論を展開していくのが雅宣総裁の流儀>であるが、宗教家としてこれをなすことは卑怯なことであり、この前例から考えても、今回の「初心者」の投稿内容は、開祖・谷口雅春先生の『御教え』を批判否定する理屈ばかりが目立ちすぎ、雅宣総裁の“総裁”の立場としては言えない本心を「初心者」なる人物を仕立て上げて発言しているのである。
これも「初心者=雅宣総裁」の常套手段として立派な状況証拠だといえるのであります。雅宣総裁のこの性向は逃れ切れない確かな状況証拠であります。
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日時:2011年09月28日 (水) 10時31分 名前:元・相愛会連合会長
<卑怯なり! 雅宣総裁>
清超先生の名で、自論を展開
「新しい開国の時代」
当時の本部編集部長(現・雅宣総裁)の言、
<<『新しい開国の時代』という本は、私が広報・編集部長をしていたときに、清超先生と直接相談しながら作った本ですから、その頃の先生のお気持が私にはよく理解できるのです。>>(平成22年10月28日「小閑雑感」)
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< ついに「謎」が解けた! >
★ 「新しい開国の時代」が出版された時、それを読み、今までと違う大いなる違和感を感じた信徒は実に多いのです。
★ 昭和60年に雅春先生御昇天・昭和63年に輝子先生御昇天、平成元年に「新しい開国の時代」出版、ここから換骨奪胎の、「今の教え」がスタート、 この時系列!
★ 『新しい開国の時代』で清超先生の名の下に、雅宣君は主導権を握って自分の考えを書いて出版した。信徒の洗脳スタート!
★だから、多くの熱心な信徒が読み “違和感”を感じたのであります。
★実に巧妙なる戦略、卑怯なり雅宣総裁!
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