生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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一般信徒を惑わすマサノブ君擁護の「トキ掲示板」3氏の投稿について (4086) |
- 日時:2014年06月02日 (月) 18時34分
名前:画龍点睛
合掌ありがとうございます。 「トキ掲示板」を拝見しておりますと、「a hope」さんの「マサノブ教」に関する見解が述べられており、このままでは一般信徒の方々が『御教え』を曲解されるおそれが御座いますので意見を述べさせていただきます。
(「a hope」さんと同様の趣旨の見解が「復興G」さんと「訊け」さんから以前において述べられていましたので、併記させて頂きます)
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3971 :a hope:2014/05/31(土) 08:12:58 ID:cEpBaIdo 「神人一体なるがゆえに、自他一体なり」ですね。だから、他を批判するということは、自分を批判することになり、神をも批判することになってしまい、神性隠蔽の罪を犯すことになってしまうのですね。そんな罪を犯さなくても、「雅宣先生の教え」が間違っているのであれば、それに従わなければよいのであって、また「教団の方針」が自分の信念にそぐわないのであれば、自分が正しい信仰をしていけばいいのであって、そしてそれが本当の意味の、「虚説に和解しない」ということになるのだと思いました。
3943 :a hope:2014/05/27(火) 09:14:11 ID:cEpBaIdo 聖典「生命の實相」であっても、真面目に拝読して、その真理をちゃんと理解し実践していないから争いごとの火種となってしまっているのであって、「生長の家」人としてこれ以上の神性隠蔽の罪はないのではないかとわたしは感じてしまいます。本当に悲しい現実です。・・・わたしたち信徒の「実相」を開発してくださるどころか、争いごとに巻き込んで神性隠蔽の罪を犯し続けるのはもうそろそろやめて下さいませんか?聖典「生命の實相」はまだまだ余るほど世の中に出回っているのですから、著作権などどこが所有していても同じです。
2889 名前:a hope 投稿日: 2014/06/01(日) 07:53:44 ID:cEpBaIdo 生長の家の「心の法則」つまりは「唯心所現」の真理は、家族などの身近な人間だけではなくて、自分の周りのすべての人々にあてはまってしまうのが本当の生長の家の教えのようですね。
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2914 :復興G:2013/09/25(水) 22:29:25 ID:AB6RqYXc 「君民同治の神示」―― 「天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客である。」 これは、生長の家において、 「総裁の神聖性は信徒自身の神聖性より反映するのである。されば信徒が主であり、総裁は客である。」 と置き換えることもできるでしょう。
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「訊け」氏の“和解の倫理”についての考え方
“和解”とは、相手の考えが間違っている(虚説)と考えているところのその自分と和解する事を云う (注:原投稿文を探しましたが見つかりませんでしたので、私の記憶に従って記しました。)
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以上の三人の方々のご見解は、「三界唯心所現」――「立ち向かう人の姿は吾が身なり、己が姿を映してや見ん」――昔から別の言葉「合わせ鏡」の原理(真理)に従ってマサノブ君とマサノブ教を如何に見るかと云うことであります。
先ず、『生命の實相』第十四巻、倫理篇下<和解の倫理>を掲げます。
<< (文章を箇条書きに書き換えますと・・・)
@ われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、虚説に対して和解してはならないのであります。
A 虚説に和解したら実相をくらますことになります。
B 実相をくらませば、みずから迷うことになるのであります。
C 異端・盲説・妄念・妄想は、<本来無い説>―虚説―でありますから、その実相をみれば「本来ない」ことが判るわけでありますから、本来ないもの「虚説」に和解することは絶対に出来ないのであります。
D 光は闇と和解することは出来ない。光が近ずけば闇は消えるほかはない。 それと同じく、真説は虚説に近ずけば虚説を消す働きをする。
E 虚説を許さないことをもって、和解と寛容の徳が無いように思うのは間違いであります。 また、虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
F 虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、 それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。
G 「天地一切のものと和解せよ」との生長の家の第一最大の誡命(いましめ)は、「天地一切のものの実相と和解せよ」ということであって、仮想や虚説にたいしては「サタンよ去れ!」と排撃すべきなのであります。
H 釈迦もキリストも同じような態度で虚説を駁撃せられたのであります。
I 虚説に対してはあくまでも戦い、人に対してはどこまでも実相を見て許す。
J どうか皆さんも虚説に対しては和解することなく、どこまでも「サタンよ去れ!」の態度で進んでいただきたく
K 人間に対してはその表面の<包み>(罪)をみないで、その罪なき完全な実相を見てその罪を赦す(その罪を見て<無い>と見て捨てる)ことにしたいのであります。>>
■ 開祖・谷口雅春先生の上記「和解の論理」の御文章を正しく理会するためには、先ず「真説」とは何か、「虚説」とは何かを正しく把握しておかなければならないのであります。「生長の家」の信徒にとっての「真説」とは、開祖・谷口雅春先生がお悟りを開かれ、生長の家の大神様から啓示を受けられた神示としての『御教え』、これが「真説」であります。この「真説」としての本来の『御教え』を、時代即応とか真理の目玉焼き理論という理屈をつけて、人間知によって換骨奪胎して左翼的唯物価値観に基づく「今の教え」に改竄した「マサノブ教」ともいうべき三代目・マサノブ(自称)総裁の説く内容を「虚説」というのであります。
■ このように肉体頭脳知を搾り出して説かれた「マサノブ教」ともいうべき左翼的唯物価値観の「今の教え」は、開祖・谷口雅春先生の本来の『御教え』から見れば本来ない「虚説」であり、異端・盲説・妄念・妄想 であります。だから、本来ないもの「虚説」に和解することは絶対に出来ないのであります。
■ マサノブ君の「今の教え」は本来ない「虚説」でありますが、現在の生長の家教団に於いては、マサノブ君の神性隠蔽によってニセモノがのさばり占拠してホンモノである「真説」――本来の『御教え』が天の岩戸の中に封じ込められている状態であります。<光は闇と和解することは出来ない。光が近ずけば闇は消えるほかはない。 それと同じく、真説は虚説に近ずけば虚説を消す働きをする>。 これが、現在進行中の“本流復活運動であるのであります。
■ 次に、特に言葉の使い方に注意しなければならない事は、殆んどの信徒の皆様が,“本流復活運動”である<真説は虚説に近ずけば虚説を消す働きをする>活動をマサノブ(自称)総裁の説くところを“批判”していると受け止めているのであります。然し、“批判”という言葉は間違いであります。『生命の實相』の<和解の倫理>の御文章には“批判”という言葉は使われてはいないのであります。“批判”ではなく“摧破”であり“駁撃”であります。われわれ本流信徒は「今の教え」を批判しているのではなく、「今の教え」なるものを虚説として摧破しているのであります。「今の教え」を虚説として本来の無に還帰して消滅せしめる為、「真説」に基づいて駁撃しているのであります。光の進軍そのものであります。
■ と同時に重要なる事柄は、<虚説に対してはあくまでも戦い、人に対してはどこまでも実相を見て許す。>と云うことであります。具体的に申しますと、マサノブ君の左翼唯物論である「今の教え」と言う“虚説”に対してはあくまでも戦い、如何に神性隠蔽の度合いの厚いマサノブ君と雖も、その實相は完全円満なる神の子でありますから、「神の子人間」マサノブ君に対してはどこまでも實相を観て許すのであります。ここのところをシッカリと区別しておかねばならないのであります。これが本流復活運動を進めている吾々の根本的態度であります。ここのところが理解できると、<虚説を許さないことをもって、和解と寛容の徳が無いように思うのは間違いであります。 また、虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。>ということも判ってくるのであります。マサノブ君擁護派の信徒さんは、「本流復活を進めている人たちは、批判ばかりしていて、和解しようとする気持がない」と言われますが、その見方は当っていないのであります。
■■ 次に、現在「トキ掲示板」を読んで信徒の皆さんが戸惑いを感じている事柄について考えて見ます。それは、環境は心の影(反映)と言う「心の法則」でこの「三界唯心所現の原理」によって如何に現象処理を行うか、ということに関してであります。この点については、上記三人の方々は次のように書かれているのであります。
@ 「a hope」さんは、<生長の家の「心の法則」つまりは「唯心所現」の真理は、家族などの身近な人間だけではなくて、自分の周りのすべての人々にあてはまってしまうのが本当の生長の家の教え>
A 「復興G」さんは、<総裁の神聖性は信徒自身の神聖性より反映するのである。されば信徒が主であり、総裁は客である>、そして<2959世界中で起こる悉くが、自分の「合わせ鏡」であり、自分の心の映し(心の影)である。雅宣総裁の姿は信徒の心の反映である。>
B 「訊け」さんは、<悪しき現象と観る自分自身の想いによって悪しき現象が現れている>
■■ これら三人の方々の見解は簡単にいえば、此の世の現象はすべて自分の心の状態の「合わせ鏡」であると云う見解であります。「合わせ鏡」としての「三界唯心」現象顕現の一般法則としては正しいのであります。然し、上記三人の方々のように、世の中に起こるすべての事象が、その一個人の心の想いの反映と観ることは間違っているのであります。この一般法則が適用されるのは、その人の直接関係している人たちや事柄、すなわち父母・兄弟姉妹・子供たち・孫たち・近所の人たち・特定された会社の同僚・その人の直接かかわった事件や事故等々はその人の想念の反映であります。従ってその人の感謝の心と實相直視の祈りによって解決する事が出来るのであります。
■■ 然し、李承晩大統領が李承晩ラインを引いて「竹島」を韓国領にしてしまったこと、北朝鮮が日本人を拉致したこと、習近平が尖閣諸島を中国領土だと主張していること等までも一日本国民一人だけの心の影だから、相手を悪と観ないで神の子の實相顕現を祈れば解決できると考えることは完全に間違っている真理の解釈であります。同様に、マサノブ君の反・開祖、反・『御教え』、「生長の家」の解体現象も皆、信徒の心の影であるから、一切批判せず實相直視の祈りに徹すべきとの論もまた完全に間違った真理の解釈であります。因みに「訊け」さんの、自己の想念との和解は、嘗て九州の伊藤講師さんが近所の狂人に面した時の祈りの例によってその正しさが証明されておりますが、かといってそれをマサノブ君の場合にまで援用する事は間違いであります。
■■ それでは、「合わせ鏡」として世界や日本に起こるすべての事件に適用して考えることは間違いであると云うわけは、――
@ 世の中に起こる大きな事件は、すべて「三界唯心の理」に基ずくものではあるが、特定の一個人だけの想念の反映ではなくして、実に多くの人々の総合された想念の反映であるのであります。『生命の實相』の中には、開祖・谷口雅春先生を囲んでの座談会の様子が書かれているところもあって、ある信徒の人が「あの関東大震災を引き起こしたのは私の想いの結果で、私の責任であります。」と発言されたのに対して、開祖・谷口雅春先生は、「あのような大規模広範囲の現象が起きたのは、あなた一個人の想念の反映ではなく、実に多くの人々の総合された想念の反映であります。」とお答えになっているところがあります。『新講・甘露の法雨解釈』P.87にも「再軍備の必要性」についても書かれております。安保騒動の時にも「日の丸か赤旗か」を大量頒布され世論を導かれたこともあるのであります。だから、竹島や尖閣諸島問題についても現実的対応策が必要である事は正しい現実処理としてはしなければならないのであります。“大勢の錯綜した総合的想念の結果”ということを無視して、単なる「合わせ鏡」論を振りかざして「實相直視」の祈りを続ければ良いという考え方は真理の一知半解にしかすぎないのであります。
A 更に申し上げれば、大きな社会的事件に対して特定の個人の「實相直視」の祈りが効を発しないのは、極めて大勢の人達の想念の中には、順念は少なく、逆念の方が圧倒的に多く大きいことを考えなければならないのであります。逆念が大きく強ければわずかばかりの順念は打ち消されてしまうのです。一部の信徒さん達のマサノブ君の「實相直視」の想念は、マサノブ擁護の逆念で以て打ち消され、更にマサノブ君の場合には霊界からの逆念が強力であって僅かばかりの信徒の順念だけでは太刀打ちできないのであります。これまでも色々な古参信徒の個別的な「マサノブ君の實相顕現の祈り」が為されてきたにもかかわらず、彼はますます「生長の家」解体に向けて暴走に暴走を重ねて行っているのであります。「再軍備問題」と同じく、「生長の家正常化運動」にも現実的対応策が必要で、これが現下の本流復活への具体的運動であります。
■■ 斯くの如く考えて参りますと、「a hope」さんの<「雅宣先生の教え」が間違っているのであれば、それに従わなければよいのであって、また「教団の方針」が自分の信念にそぐわないのであれば、自分が正しい信仰をしていけばいいのであって、そしてそれが本当の意味の、「虚説に和解しない」ということになる>というお考えは間違っていることが判るのであります。上記引用の『生命の實相』<和解の倫理>のなかの、< 虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、 それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。>に反しているのであります。マサノブ君の「今の教え」をそのままにして置きますと、看板は「生長の家」のままで内容は衆生救済を放棄した左翼唯物論「マサノブ教」と完全になってしまい、本来ならば救われる人も救われない結果になってしまうわけであります。「a hopu」さんは“それでも善し”とお考えなのでしょうか? さらに<3943 聖典の著作権をめぐる争いや、著作権などどこが所有していても同じです。>に至っては全くの暴論としか思えないのであります。<わたしたち信徒の「実相」を開発してくださるどころか、争いごとに巻き込んで神性隠蔽の罪を犯し続けるのはもうそろそろやめて下さいませんか?>も全く『生命の實相』を熟読したと自負している人の言とは思えないのであります。(「a hope」さんは、かつて“本流宣言掲示板”に投稿されており、其の投稿内容に偏りがある事が指摘されていたのを思い出します。今回のご投稿文を読ませて頂きますとその偏りが未だ是正されていないことがわかるのであります。)
■■■ 最後に上記三人のマサノブ君擁護論者に申し上げたいことは、『生命の實相』の読み方であります。開祖・谷口雅春先生は『生命の實相』の読み方について次のようにおっしゃっています。
@ 「生命の実相」を読むときの心構えは、「丁度、吸い取り紙が水やインクを素直にそのまま吸い取ってゆくような気持ちで読まねばなりません。」
A 信徒の中で時々「生命の実相研究会」なるものを作って研究している人たちがいます。しかし、生命の実相の中身は神示が書かれているものですから、そのまま素直に読みとって自分の毎日の生活に実践することが大切なんでありますよ。
B 仏典を論ずることと仏の教えを悟ることとは異なる。本当の悟りの世界へ飛び込もうと思うものは、語学や考証の世界を一躍して「久遠を流るるいのちとしての釈迦・キリスト」そのものの中へ飛び込まなければならないのです。 C 真理は霊的に理会することが必要です。頭で真理を理会するということは、真理の周囲を堂々巡りして真理の外的な姿を知るに過ぎません。霊的に真理を理会するということは、「生命の実相」そのものに全身全霊をもって貫き入り力の本源をつかむ事、黙読する・朗読する・目で読み・声で読み・声のリズムの中に自分を溶かし込んで読む、そして静かに端坐して「神想観」を行じ、行じ終わって動き出すとき神(愛)の生活を活きる。かくする時、知恵と愛との揃った生活が実現する。「生命の実相」の全身全霊による反復熟読と「神想観」の実修によって運命をも修正・開拓できるのであります。
注・徳久克己先生(元理事長・本部講師・長老)の『生命の實相』の読み方は、最初はどこかに間違っているところはないかと理屈で考えながら赤線を引いて「ココはマチガイ」と書きながら読み、二回目に読んだ時にはその「マチガイ」と思った個所の幾つかを取り消さざるを得なくなった。三回目を読んだ時には、更に残りの「マチガイ」箇所をまた取り消さざるを得なくなった。かくして、「マチカイ」と判断した箇所が全部なくなるまで何回も何回も読み続けた、と語っておられたのであります。マサノブ君は勿論のこと全信徒はこの徳久先生の『生命の實相』の読み方を常に肝に銘ずべきであります。 再合掌
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画龍点睛様、「訊け」が吠えています。 (4180) |
- 日時:2014年06月10日 (火) 09時58分
名前:本流ファン
「トキ掲示板」で「訊け」が画龍点睛様の投稿に対して吠えています。
ガツン!と懲らしめてやってください。
7959 :「訊」:2014/06/10(火) 09:18:19 ID:??? >>画龍点睛さん
さて、私宛のご投稿をありがとうございます。なお貴投稿の中で「a hope」さん「復興G」さんと並んでの、三悪人℃w定(?)、誠にありがとうございます。もう、たいへん感激しております。そして当方ですが「堂々の反論の準備」が、ございます。どうぞコチラ「トキ掲示板」へお越しくださいませ。
試合形式にするのは、当方は、「一方的な言いまくりを潔しとシナイため」でございます。貴殿宛てに「一方的な言いまくり文」ですが、投稿するのはカンタンです。ですがそれでは、ヒステリー女と変わんないわけですね。貴殿の言い分を確認し、こちらも反論致します。
ちなみに現段階での印象談です。・・・・・・貴殿の読解力ですが、正に、「画龍、点睛を欠く」ものでございます。一方的な試合展開となるかもしれませんが、ぜひ、底力をお見せください。最近の訊商業は、連戦連勝で驕り高ぶっております・・・・・・倒すチャンスでございますよ(笑)。
一方的な言いまくりを避け、堂々のやり取りをしようではありませんか。どうぞ、宜しくお願い致します。
拜
追伸
返答に窮されても、支援者が現れます・・・・・たとえば、こんな風な・・・・・・・(笑)。
○返答に窮された場合の救済措置 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1311691486/3691
・・・・・貴殿が傷つくことはナイものと思われます。安心のシステムですんで、どうぞコチラへ。
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思い出します、「本流宣言掲示版」初期の頃を・・・あのときの「訊け管理人」さんの姿を・・・ (4190) |
- 日時:2014年06月10日 (火) 18時21分
名前:画龍点睛
拝復、合掌ありがとう御座います。 確か「本流宣言掲示板」が発足して暫く時間が経ってからだと思いますが、「訊け管理人」氏が投稿を始められました。そのころ、私は投稿はせずもっぱら読む側に居りました。今でも覚えておりますことは、「訊け」さんが投稿する時には必ず自分のブログ「谷口雅春に訊け」のhttpを一番下に帰して、閲覧誘導をしておられました。そしてそのブログを拝見致しますと、入信当時の記述があり、『生命の實相』を確か7回くらい一気に通読し、すばらしい心境を獲得されたことが書かれてありました。いわゆる頓得の悟りを得られていることが解りました。その後彼は、『生命の實相』のWEB誌友会を企画実現されましたが、その運営は第一巻を重要点を抜かして一回で一巻を終了するというスピード振りであったのでした。結果的には不評で一回だけでWEB誌友会は終わりとなってしまったのでした。
彼の個人ブログ「谷口雅春に訊け」も、真っ黒な画面に白抜きの文字、挿入写真もきれいな芸術的風景写真もあれば、地獄の底を思わせる薄気味悪い写真も載せられていたことを思い出します。また、自宅の重厚な雰囲気のある書斎で、ダンディーな服装をして豪華な椅子に坐った男前の容貌の写真も掲示板で発表されていました。総合しての私の感想では、頓徳の悟りの生命的体験を得ながらも、その後の「トキ掲示板」への書き込みを読んでいくにつれ、彼の自己顕示欲の強さ、求道に対する独善的態度の強さが目立ち、その頓徳の悟りに酔い、その頓得の悟りから漸得の悟りへの磨きを怠られて悟りの道から逆行された方向へ進んで行かれていることが感じられ、まことに惜しい御仁であると思っている次第であります。そして最近では議論と理屈で霊的真理を理解しようとして本当の求道の道からますます離れていかれていると感じます。そして、現在の「訊け」さんの投稿内容を見る限り、本流復活を望むというよりは実質的には“マサノブ君擁護派”に分類できる御仁と思われます。残念なことであります。再合掌
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