生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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『ここから、あそこに移れ』と命じても「動く筈も無し!」と云うものでも無い事が解ります。 (4152)
日時:2014年06月07日 (土) 10時35分
名前:中仙堂

マタイによる福音書 17章14〜20節−
主イエスが多くの病人を癒しておられると聞いて、てんかんで苦しむ息子を連れた父親がやってきました。しかし、そのとき、ちょうど主イエスは山に行かれて留守で、弟子たちにすがりましたが、弟子たちには癒すことができませんでした。その後、主イエスが帰ってこられると、主イエスはただちにその子を癒されたのです。 
弟子たちがひそかに、なぜ自分たちには癒せなかったのですかと尋ねますと、主イエスは、「信仰が薄いからだ。……もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。」と言われました。


からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。」と言われました。

此の言葉について現代人は、ともすると「山が動くか…」と疑問を持つのが当たり前です。でも良く考えますと、現代人は、コンピューターを使い(言葉/データ入力)、コマツの土木作業車を使い、トラックや船、コンベア、鉄道を駆使して、多くの山を崩し、海や湖を埋め立てています。
つまり、『ここから、あそこに移れ』と命じても「動く筈も無し!」と云うものでも無い事が解ります。まして、三代目さんの行った体制位、けっして変わらない筈は無いのであります。
一見不可能の様に見える障害も神の子に不可能は無い。
神意に叶っている事に叶わない事は無いので有ります。
勇気と希望を持って明日の人類光明化の道を共に歩みましょう。



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