生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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6・15「唐松模様」<自由と不自由D> マサノブ君の心は現在、奴隷状態(多重人格状態)にある極めて不自由窮まれるかわいそうな人ではある・・・  (4268)
日時:2014年06月20日 (金) 20時16分
名前:公平なる観察者




マサノブ君は“大閑人・大閑人”だといわれるものだから、出来るだけ「枯れ松模様」にならないようにこのところブログ記事も作るように努めている模様であります。しかし彼の基本思想は左翼唯物論でありますから、到る処にホコロビが出ているのであります。偉そうなことを言いながら、開祖・谷口雅春先生の御著書を引用するけれども、実際のマサノブ君の行動は“言行不一致”だからであります。今回もマサノブ君はそのことを露呈し、自らの思想的奴隷状態を明らかにしたのであります。



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6月15日 =自由と不自由 (5)= (要旨)

<< ・・・運動選手は目標達成の自由を実現するために、自らをわざわざ不自由の中に置くということだ。今、仮にこの状況を「A」と名づけよう。・・・ところが、その選手たちの一人が、実は自分の意思によらずに、所属する会社やコーチの意思によって無理矢理に練習させられていたとしたならば、どうだろう。これを今、「状況B」と呼ぼう。ここでは、自由と不自由の関係はたちまち逆転し、この選手は不自由きわまりない状況の中で生きてきた犠牲者として、人々の同情を招くことになる。この極端な違いは、なぜ起こるのだろう? 状況Aと状況Bの違いは、選手本人の“心の持ち方”だけである。(状況Aの選択は)尊敬される自由人。ところが、(状況Bならば)奴隷同然である。そして重要なのは、この極端な違いの原因となる「本人の意思の有無」は、外からは−−つまり、他人からは分からないということだ。・・・人間は、自分の本心を隠すことが得意である。また、自分の本心というものは、本人にも分からないことが少なくない。・・・
 次の雅春先生のご文章を読んでみよう−−「“自由”を、何か自分を縛る物を破壊することだ、と考える人があるが、本当の自由は、そのような対立観念、相対的な物の考え方では得られるものではないのである。本当の自由は“絶対者”となることによってのみ得られる。自分が神の自己顕現であり、“絶対者”の自己実現であるとの悟りによってのみ得られるのである」。(『新版 生活の智慧365章』、p.117)

 ここで先生は、自分が不自由な環境にあると考えて、その環境を打破して自由を得たいと願っている人に語っている−−「あなたが不自由だと考えているその環境とは、いったい誰がつくったものか?」「あなたを縛っている不自由な環境は、あなた自身の“心の影”ではないのか?」「そうであれば、不自由な環境は、“敵”として打破するような対立物ではなく、あなたの心の作品だから、あなたの心次第で自由に変えられるはずではないか?」
 では、どうやって変えるのか? これについても、雅春先生は明確な回答を与えてくださっている−−
「それ故に本当の自由は、神想観によってのみ得られる。何故なら吾々は神想観によって自己が神の一体であり、絶対者と一体であり、環境とか外物とか見えるものも“他物”ではなく自己の心の顕現であると悟ることができるからである。それだから神想観は真に最高の尊き神人合一の行事であると共に、何人(なんぴと)も“本当の自由”を求むる限り修しなければならない修行であって、生ま易しいものではないのである」。(同書、pp.117-118)  谷口 雅宣「唐松模様」 >>



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@ マサノブ君という人間の最大特徴は、我々一般人の常識を超越した彼自身のマイナス行動にあり、その非常識的行動を恬として恥じていないと云うことであります。我々一般常識人の思考では到底考えられないことを平気でやり遂げるのであります。自作自演の法燈継承劇、独裁権による開祖・谷口雅春先生の御著書の絶版(焚書)、諫言者の全員追放(坑儒)、『御教え』の換骨奪胎、「生長の家」の最終的解体、日本国家への反逆思想、国家意識や民族意識を悪とみなし世界市民意識による独裁型の世界統一政府樹立運動への加担・・・すべて常識ある日本人の思考範囲を超脱した暗黒思想による行動であります。



A そのほか「大調和の神示」を信徒に訓示しながら、本人は義兄・実弟の方々を一方的に追放し、実母・恵美子先生さえも長期の軟禁状態にしてその行動を監視する、このような異常心理思考は、医学的に見れば明らかに「心身症」(精神分裂病)であります。物質と肉体を中心とする現代医学では「身心症」(精神分裂病・統合失調症)の依って来たる原因は不明でありますが、心霊的に原因究明すれば“本人以外の霊魂の憑依状態”ということであります。だから、マサノブ君の精神は現在、憑依霊によって“奴隷状態”(状況B)に置かれているのであります。



B かくして、上記引用文の<「本人の意思の有無」は、外からは−−つまり、他人からは分からないということだ。・・・人間は、自分の本心を隠すことが得意である。また、自分の本心というものは、本人にも分からないことが少なくない。・・・ >とマサノブ君は書かざるを得ない心の状況下にあるのです。



C 何回も本流掲示板で指摘されているように、若き時のマサノブ君の夢は、独裁者になる事であったようであります。独裁者になれば全て自分の意志どおりに自由に振舞えると考えたからでありましょう。そして、持ち前の人並み外れた独善主義と押し強さで、独裁者に駆け登ったが、最近では「独裁者は必ず倒される」と言う歴史原則が気になりだし始め、いつ自分も非業の最期を遂げるかもしれないと恐怖感を感じる不自由さを感じ始めていることは間違いないのであります。



D マサノブ君の不運は、<本当の自由は“絶対者”となることによってのみ得られる。>の“絶対者”を彼の精神的未熟さの為、“独裁者”と読み変えてしまったのであります。このあたりから彼への“類は友を呼ぶ”法則通りに日本破壊の意志を持つ悪霊に心が通じ始めたとしか考えられないのであります。余りにも非常識な上記の如き行動の数々を平気で行える精神状態の依って来たる心の原因はこれ以外には中々考えられないのであります。



E マサノブ君は、<不自由な環境は、“敵”として打破するような対立物ではなく、あなたの心の作品だから、あなたの心次第で自由に変えられるはずではないか?>として、開祖・谷口雅春先生のご文章を引用して曰く、<「本当の自由は、神想観によってのみ得られる。・・・神想観は真に最高の尊き神人合一の行事であると共に、何人(なんぴと)も“本当の自由”を求むる限り修しなければならない修行であって、生ま易しいものではないのである」>とわれわれ信徒に説教をしておりますが、マサノブ君自身は毎日正規の『神想観』をしているのでしょうか?していないと思われます。しているとしても彼の人間知で捏ね上げた<バージョウンアップ神想観>でしょうし、『甘露の法雨』を谷口家の御先祖様に読誦しているとも思えないのであります。かといって、これまでの開祖反逆の所業を考えるとき、まさか「大自然惨禍」経を読誦しているとも思えません。もしも平気で「大自然讃歌」経を谷口家のお仏壇の前で読誦しているとすれば、宗教家でありながら神をも恐れぬ所業、まさしく多重人格憑依、精神分裂病といえるのであります。



F いづれにしても、マサノブ君の心的現状は「不自由」極まりなき状態であります。マサノブ君が心の自由なる心的状況に復帰せんとするならば、「総裁辞去」そして「教団退去」しかありません。







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