生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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「今の教団」の運営上の<問題点>? トキさんが語る・・ (4269) |
- 日時:2014年06月20日 (金) 23時56分
名前:サーチャー
<トキ掲示板(生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4)> ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2668 :トキ:2014/06/20(金) 20:54:22 ID:yJ0/2CfA>>2665
トンチンカン 様
ご意見、ありがとうございました。
谷口雅宣先生も、指導方針では、「ボトムアップが大事だ」「現場の意見を聞きましょ う」とは言われています。ただ、おやりになっているのは、ものすごい中央集権なんです が(笑)、おそらくご本人も理想は、地方分権であり、現場中心主義だと思います。
よく、本流復活派が「マサノブがやった事は全部、失敗している」と揶揄しています。 これは事実です。何故、失敗しているのかを考えると、組織のあり方が影響している部分 があると思います。
言いにくいですが、谷口雅宣先生の時代になってから、実績も実力もある人が左遷され、 上へは従順だが、実績や実力に乏しい人が重用されていると言われています。仮に、谷口 雅宣先生の指導内容が妥当だとしても、そういうイエスマン、茶坊主を重用している限り は、うまくいくものもいかない、と言えます。また、そういうイエスマンばかりが偉くな っているのを見ていると、現場の人間は完全にしらけます。
本部が官僚化、硬直化すると、自主性があり、能力も経験もある人は逃げます。結果、 残るのは、上には従順だが、それ以外は不明な人物が多くなります。
今、本部がやっている事が全部、失敗しているのはいくつかの理由がありますが、「人」 の問題が大きいと感じます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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マサノブ爺さんは、「総裁」としての<大切なお仕事>を理解していない (4270) |
- 日時:2014年06月21日 (土) 00時02分
名前:サーチャー
<トキ掲示板(生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4)> ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2670 :トンチンカン:2014/06/20(金) 23:10:10 ID:itK3HnHY
マサノブ爺さんは、「総裁」としての<大切なお仕事>を理解していない
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 2668 :トキ:2014/06/20(金) 20:54:22 ID:yJ0/2CfA>>2665
言いにくいですが、谷口雅宣先生の時代になってから、実績も実力もある人が左遷され、 上へは従順だが、実績や実力に乏しい人が重用されていると言われています。仮に、谷口 雅宣先生の指導内容が妥当だとしても、そういうイエスマン、茶坊主を重用している限り は、うまくいくものもいかない、と言えます。また、そういうイエスマンばかりが偉くな っているのを見ていると、現場の人間は完全にしらけます。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・トキさんのお話では、「教団の組織」や「イエスマン、茶坊主を重用」等々に問題があ る、、と聞こえます。 しかし、それが根本問題でしょうか・・?
・「総裁」といえば、一般の会社では「社長」であります。
・「社長の仕事」は、
(1)会社の運営理念を推進していく<旗振り役>であります。
(2)もう一つ大切なことは、<後継者の育成>であります。
・トキさんには、この論点からの「問題指摘」がなされていないのです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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生長の家の体質がまるっきり変わってしまった (4271) |
- 日時:2014年06月21日 (土) 00時25分
名前:サーチャー
<トキ掲示板(生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4)> ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2661 :トキ:2014/06/18(水) 10:48:06 ID:cz/HhVsI
古い信徒さん、特に戦前や終戦後の生長の家を知る信徒さんと話すと、必ず言われるのが、 「生長の家の体質がまるっきり変わってしまった。」という声です。
「昔は、生長の家の信徒を”家族”と言ったが、その言葉通り、信徒同志が家族のよう な関係だった。だから、信徒同志で思いやりもあったし、また、発言も本音を言い合った。」 ということでした。
例えば、谷口雅春先生に対しても、尊敬の念は深かったものの、盲目的に崇拝するとい う姿勢ではなくて、愛情と信頼の対象という感じだったみたいです。ある人が、谷口雅春 先生の直弟子の先生に、 「私は谷口雅春先生みたいになりたいのです。」と発言すると、その直弟子の先生が、
「菊には菊の美しさがあり、桜には桜の美しさがある。あなたにはあなたの美しさがあ るのだから、人まねはやめなさい。」と言われた事がありました。
これが、平成になると、事情が変わります。
私が青年会時代、ブロックの研修会に出席すると、当時の青年会の会長さんが、 「私達は谷口雅宣先生という素晴らしい指導者を戴いています。青年諸君は、谷口雅宣 先生、谷口純子先生を手本として、お二人に近づくように人格や信仰を陶冶してください。」 と熱心に指導をされており、申し訳ありませんが、違和感を感じた事を記憶しております。
余談ですが、このとき、一緒に聞いていた他の教区の幹部に、今、総裁万歳で有名な人 がいたはずです。おそらく、このときのご指導を真に受けたのでしょう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2662 :トキ:2014/06/18(水) 11:00:16 ID:cz/HhVsI
また、谷口雅春先生は、信徒が自分の意見を持つ事、議論をする事を推奨されたとも聞い ています。戦前、戦後の生長の家では、議論を尽くして、決まった事には私心を捨てて 従う、という風潮がありました。昭和40年代までは、まだ、組織には自由な風潮が残っ ていたとも聞いています。記憶に間違いがなければ、ジュニアや生高連の規約にも、議論 をした上で、決まった事には従う、という文章があったはずです。
ところが、段々と、「議論」という言葉が消えて行き、「とにかく、組織の決定には無 条件で従いなさい。それが信仰である。」という指導をする幹部が増えて来ました。
また、「ハイの信仰」という言葉が、「組織の指導には盲目的に従う」という解釈にな ってきました。私が知る古い信徒さんには、「こんなものは谷口雅春先生の教えではない」 と言い切る人が多かったです。ところが、実際にそういう声が出て来ると、命令や権威で、 ごり押しする人が少なくなかったです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2663 :トキ:2014/06/18(水) 21:20:40 ID:cz/HhVsI
これは教団だけではなくて、本流復活派と言われる人達にも見られる光景だと感じます。
例えば、ある言動について、信仰上の根拠を問われると、返答をしない、あるいは、「議 論をするのは信仰ではない」などと返答をする本流復活派の人を見ると、なかなか問題の 根は深いと感じます。
谷口雅春先生の教えを復活する、というのなら、信徒からの質問にも素直に返答をする のが筋だと感じます。
そこで、翻って、この一連の総裁の「暴走」を考えると、背景にあるのは教団の官僚化、 硬直化ですが、さらにその土壌となったのが、この議論をしない、異論を言わない事をも って、信仰であるという指導であり、それをもって信仰の深化と誤解した信徒の態度だと 思います。
確かに、「ハイ」という言葉は素晴らしいし、素直というのも大切な徳目です。が、何 に「ハイ」か、何に「素直」か、というと、真理にハイでなければならず、自己内在の 神様に素直でなければいけないはずです。これが、生命の実相に書かれていた事であり、 また、私が古い信徒さんを見ていて感じた事であります。
ちなみに、戦前の生長の家を知る私の縁者である人は、ある白鳩会の役員さんが、「谷 口雅宣先生は時代を先取りしている、素晴らしい指導者だ」と言うのを聞いて、
「あなた、頭は大丈夫ですか? 常識というものを忘れるのは信仰ではありませんよ。」
と返答をした事はありました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2664 :トキ:2014/06/19(木) 22:43:02 ID:9YaKBDTs
これを考えると、創設当時は、谷口雅春先生の説かれた教えへの帰依という発想でしたが、 いつのまにか、運動や組織中心の発想と変わり、それがさらに変形して、いつのまにか、 組織が中心であり、信徒はそれに従う、という位置に変わってしまったのです。
何故、こうなったのか、と考えると、それが組織で指導に当たる活動者に都合が良かっ たからです。
組織活動で指導に当たった経験のある人ならご存知でしょうが、純粋なボランティア団 体である宗教の活動は、いわば、タダで他人様を動かす必要があります。
この場合、2つのやり方があります。一つは、話し合いをし、相手に納得をしてもらう 方法。もう一つは、脅したり、または神様や偉い人をダシにして、相手に命令する方法。
谷口雅春先生は、あくまでも前者でした。が、このやり方が王道なのですが、時間もか かるし、力量のない指導者の場合、荷が重いケースもあります。
その点、後者のやり方は、ある意味では楽です。カルトと言われる宗教法人や、それ以 外でも、他の宗教法人をやたら攻撃する団体などは、だいたいこのやり方をします。
「ご本尊様を疑ったら、地獄に落ちるぞ」「神罰があたるぞ」「神様に従え」と信徒を 脅す・・・・こんなやり方が、21世紀の今でも通用しているのですから、面白いとは思 います。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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