生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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昨年の産経新聞愛読者倶楽部投稿記事 (4301)
日時:2014年06月24日 (火) 21時19分
名前:不動明王


宗教法人・生長の家(公称信者数71万人)は、創始者・谷口雅春師の下、自主憲法制定、靖国神社国家護持、元号法制化、優生保護法改正反対などに取り組んできた愛国的宗教団体として知られていた。
しかし昭和50年代半ばに娘婿の谷口清超副総裁が実権を握ると、玉置和郎や村上正邦を国会に送り出してきた生長の家政治連合の活動を停止するなど政治運動から撤退した。
 60年に雅春師が死去し、清超が総裁に就任。平成2年に清超の次男・谷口雅宣が副総裁に就任すると、左傾化路線を進めた。雅宣は平成3年から4年にかけて教団機関誌「理想世界」で「大東亜戦争は侵略戦争だった」との見解を表明し、多くの信者を戸惑わせた。教団の出版部門「日本教文社」も平成13年に蔡焜燦著『台湾人と日本精神』を出版停止にするなど、左旋回・脱「谷口雅春」化を進めた。
 平成20年に清超が死去すると、雅宣が総裁に就任した。雅宣はブログで民主党政権誕生を歓迎するなど、谷口雅春師の教えに反する教団運営を続けている。谷口雅春師の教えに基づく愛国主義的な運動は「日本青年協議会」「日本会議」「日本政策研究センター」などに受け継がれている。信者や元信者からは雅宣総裁を公然と批判し、生長の家を本流に戻せとの声が上がっている。代表的なサイトは下記である。

 生長の家 本流復活掲示板
 生長の家「今昔物語」

生長の家を左傾化させた3代目の谷口雅宣は昭和26年生まれ。青山学院大学を卒業後、米コロンビア大学に留学し、帰国後、昭和54年にサンケイ新聞に入社し、横浜支局(当時は地域会社の「神奈川サンケイ新聞社」)に勤務、3年で退社した経験がある。
 産経にいた人間が愛国的宗教団体を左傾化させたのである。産経は彼に何を教えたのか。彼は産経に何を教えたのか。

生長の家も産経新聞も正常化してほしい。しかし、生長の家は「谷口雅春師」という戻るべき道があるが、産経新聞はどこに戻ればいいのか、正常だった時期はいつだろうか…。そう考えると、産経のほうが大変である。






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