生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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『菩薩は何をなすべきか』人類光明化運動指針・第9条の「生長の家大神ー総裁・副総裁ー御教」は雅春先生の起草された文章ではない。 (4308) |
- 日時:2014年06月25日 (水) 17時00分
名前:神の子A
『菩薩は何をなすべきか』人類光明化運動指針・第9条の「生長の家大神ー総裁・副総裁ー御教」は雅春先生の起草された文章ではない。
古い生長の家の誌友の方から聞いた話によると、
この文章は雅春先生ではなく、
当時の執行部(幹部)により起草された文章である事がわかった。
もし、「生長の家大神ー総裁・副総裁ー御教」が正しいのであれば、
現在、八ヶ岳教団が盛んに広めている、
「地球終末論」も生長の家大神様の御教えであると言わざるをえない。
しかし、過去の歴史を振り返ってみても、
終末論なるものはいずれも否定されている。
『菩薩は何をなすべきか』の「はしがき」には、
「”人類光明化運動指針”と云うのは『生命の実相』はじめ其の他の私の著書のなかより、菩薩を志すものが、現代の日本に生まれ来て如何に考え、如何に処すべきかにつき、其の菩薩行の精髄を抜粋して、それを数人の編纂者が文意を凝縮し章句を練って簡単なる十三カ条にまとめたものである。」
と書かれている。
ここで注目したいのが、
「数人の編纂者が」と書かれていることである。
これは、雅春先生ご自身が起草された文章ではない事を示している。
私は『生命の実相』全40巻をはじめ数十冊の雅春先生の御著書を読破したが、
この「生長の家大神ー総裁・副総裁ー御教」なる文章は、
『菩薩は何をなすべきか』以外に載っていた記憶はない。
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菩薩は何をなすべきか エ!!! (4309) |
- 日時:2014年06月25日 (水) 18時19分
名前:ゆっくり考察。
雅宜総裁は、はっきり言われた。
生長の家は、原理主義ではありません。
本に書いてある、一言一句を、そのまま実行するものではありません。 何で、雅宜総裁(自称)の都合の良いたけだけ原理主義になるのですか?
雅宜総裁はいつも思い付きでしゃべるから、つじつまが合わなくなる。 あとから、あとからあとから、その言葉を擁護するのが大変で、
側近は、ほとほと疲れています。
雅宜さん、生長の家は神道ではない発言。
だったっら、その後の説明や如何に!!!
はっきりしてもらわないと困ります!!!
最高責任者であれば、
それに答えないと、信徒全員が迷惑します。
生長の家は、あなた個人のものでは無い!!!
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光明掲示板より転載 (4371) |
- 日時:2014年07月01日 (火) 23時53分
名前:神の子A
「人類光明化運動指針」の設立の背景には、ある教化部長の不敬発言≠ェあった…NEW (9598) 日時:2014年07月01日 (火) 19時14分 名前:破邪顕正
今年の4月に赴任した新任教化部長は、揃いも揃って「人類光明化運動指針第九条」を拠り所として「谷口雅宣総裁に中心帰一せよ」と信徒に迫っているという情報が耳に入りました。
教化部長研修で、よほどそのことを叩き込まれたのでありましょう。
「谷口雅春先生を学ぶ会」に信徒が流出しないためには、中心帰一の洗脳≠オかないという、“八ヶ岳教団”のそれなりの判断がそこには介在しているものと思われます。
で、不思議なのは、「人類光明化運動指針」は全部で13カ条もあるのに、どうして今は「第九条」しか教えないのかということであります。
それが如何に欺瞞に満ちたものであるかを、その成立過程にさかのぼって明らかにしておきたいと思う次第です。
そもそも、この「人類光明化運動指針」は誰によって作成されたものなのか。
山口悌治著『中のこころ』の「序にかえて」は谷口雅春先生がお書きになられたものですが、その5頁にこうあります。
>本部にありてはその組織の拡大に伴い教化企画編集局長、企画局長…講師活動推進局長を歴任する中で、常に光明化運動の根幹となる年次計画を立案遂行し、ついに光明化運動指針十三カ条≠もつくりあげ、その定着により戦後の光明化運動の新体制は、着実に推進され来たりしなり。
ここに明らかな如く、これは山口悌治元理事長が作成されたのであり、それが出来たのが昭和33年3月であるということが『生長の家五拾年史』452頁に記されています。
それでは、なぜ、この時期に、これを作成する必要があったのか。
生長の家の歴史に詳しい方から、とても重大なことをお聞きしました。
それをここにご報告させていただきます。
何でも、当時、谷口雅春先生が大変、可愛がっていた教化部長がおられたそうです。
ところが、その教化部長が、天皇陛下に対して「不敬」な発言をするようになり、谷口雅春先生はこれを大変憂慮なされたそうであります。
谷口雅春先生が大本教を脱退された要因として、お筆先の中に不敬にあたる言葉があったということは既述いたしました。
それだけに、まさか、自分の弟子の中から、不敬発言をする教化部長が出るとは、谷口雅春先生もよもや思いもよらぬことではなかったかと拝察されます。
と同時に、谷口雅春先生も深く心を痛められたようであります。
そこで、このような教化部長が出てきた以上、早急に、生長の家信徒として心すべき信条をまとめる必要があるということで、この「人類光明化運動指針」が誕生したというわけです。
ですから、前にも書きましたように、全13カ条中、最も重要なのは「第五条」であるのです。
それもそうでしょう、これが生れた背景には、先述したように、教化部長の「不敬発言」が引き金になっていたのですから。
そういう成立の背景を考えれば、どう考えても、「第九条」のみに固執するというのは、尋常ではありません。
むしろ、「第五条」をこそ徹底して学ぶべきであると思うものであります。
そうすれば、きっと、谷口雅宣総裁の今の教え≠フいかがわしさが手に取るようにわかるでありましょう。
それと同時に、どうしてそういうところに「中心帰一」しなくてはならないのか、その洗脳≠ゥらも目が覚めるであろうと思うものであります。
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光明掲示板より転載 (4382) |
- 日時:2014年07月02日 (水) 09時56分
名前:神の子A
「人類光明化運動指針第五条」NEW (9621) 日時:2014年07月02日 (水) 09時51分 名前:破邪顕正 ここで改めて、「人類光明化運動指針第五条」を引用させていただきます。
…生長の家の各員は、人間神の子の自覚が、日本民族が悠久の昔より世々代々承け継ぎ語り継いで来た「命」の自覚にほかならず、生長の家立教の使命が同時に日本建国の理念の現成にほかならない事を明らかにすべきである。
日本民族は存在の窮極を、一切のものの生成の根源たる普遍的絶対者を、天之御中主神として把握し、その「中(みなか)」への帰一とその「中」の展開、即ち宇宙普遍の原理の地上的顕現を日本国家形成の理念とし、天津日嗣とはこの理念のさながらなる継承以外にはなく、天皇の権威は権力をもって思うがままにこの国を支配する権利にあるのではなく、この理念の継承実現にまします事、従って天皇を中心と仰ぐ日本国家の発展は、天皇の人民支配の手段としての国家の発展と云うが如き専制的な性格のものでは微塵もなく、宇宙真理、即ち神意の地上顕現の至純至高の形体としての日本国家の発展である事、これが日本神話の理念であり日本民族の理想であり日本建国の精神である。
この真理現成の大まつりごとに、神の子として命として自己の責任としてまつろひ奉る事が実相の成就である事を明らかにすべきである。
単に自分の祖国たるのみの理由にて日本を愛するのではなく、東洋と西洋との中間に位して一切を生かす大乗の真理国家たる事が日本の理念であるからこそこの国の団体を鑚仰してやまず、この国の神の子国民として生を享けしめられた所以の深さに感涙し、わが一身もわが家庭もわが生活もすべてこの理念現成に捧げられてはじめて存在の意義を持ち得るものなることを、各自互に明確に自覚し合い、その行動の根拠となし合うべきである。
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光明系掲示板より転載 (4397) |
- 日時:2014年07月03日 (木) 08時19分
名前:神の子A
「山ちゃん1952」様へNEW (9666) 日時:2014年07月03日 (木) 08時06分 名前:破邪顕正
「山ちゃん1952」様のブログに、こんな投稿がありました。
>あれ? これは少し違うのではないかと感じました。 天皇陛下に不敬な発言と記入しているが、詳しくは書いていない。そこまで断定するのであればもう少し詳しく記入してもらいたい。
私は故菊池藤吉先生から時下に聞いた話である。 本部講師などに自分が導いた信徒を連れて、別派を作ることが数件ありまして、それを憂いた当時の山口悌治先生と田中忠雄先生・菊池藤吉先生が生長の家で規範というものが無いのがそうしたことに連なるのではないかと考え、山口悌治先生を中心に規範というものを考えたということです。 そこで最終、谷口雅春先生がそこに加筆していただき、『菩薩は何を為すべきか」が出来たのです。
そのことは、阪田先生の発言とも一致することでありますし、歴史で一番詳しいといえば『阪田先生』です。生長の家五拾年史の編集委員長として活躍され、温故資料館館長としても活躍されました。
また菊池先生は当時の「生長の家各人の運動心得13か条にも携わっておられます。
もしこの記事を破邪顕正様が拝見されるようでしたら反論をお願いします。<
『菩薩は何を為すべきか」が出来た背景に、「本部講師などに自分が導いた信徒を連れて、別派を作ることが数件あ」ったということは、私も聞いたことがありましたが、その本部講師の中に、「天皇陛下に不敬な発言」をなす人もいたというのを、実は、当の阪田先生よりお伺いしましたので、それは私も初耳で、とても重大なことだと思いましたので、今回、書かせていただいたような次第です。
その教化部長が誰であるかまで、阪田先生は仰ってくださいましたが、私の判断で匿名にさせていただきました。
何でも、兵庫や岐阜等の教化部長をなされていたそうであります。
以上、回答まで。
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