生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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<転載> 「マサノブ教団」全本部講師・地方講師必読の“真理の悟り”投稿文 <その四>  (4350)
日時:2014年06月30日 (月) 07時41分
名前:信徒連合




この様な素晴らしい「生長の家」真理の理解と解説の投稿文が見つかりました。他の掲示板でも転載されております。最初に見つけてくださった方に感謝申上げます。

「マサノブ教団」が依然として「生長の家」という看板を掲げている限り、そこに所属している本部の講師部長、本部講師、地方講師の皆さんは自分自身どの程度深く開祖・谷口雅春先生の本来の『御教え』という真理を理解しているかの尺度として、熟読して頂くに値する現代の「維摩居士」とでもなぞらえることの出来る内容であります。謹んで御紹介させて頂きます。

出所は、−−
http://56937977.at.webry.info/201406/article_6.html



////////////////////////////



< 転載:第四回 >




7/ 中心帰一 その四 / 中心帰一の理念と「天皇」への展開

<< 作成日時 : 2014/06/20 00:24 >>



 中心帰一の書き込みは「その三」で終了する予定だったが、大変重要であることに改めて自分自身が気付いたため、続けて書込みを継続します。

 この書込みも生長の家関係者向けの内容であるので、一般の方々には用語の理解を含めて違和感を感じる箇所があると思われますので、どうぞスルーしてください。


**************


 どうも「菩薩は何を為すべきか」の第九条に書かれている部分だけに焦点が集まりがちなので、どうしても間違った解釈がなされるのかもしれません。同本の第五条に大変重要な記載があるので、平行してご紹介します。ちょっと長い引用となります。


 《第五条 生長の家の各員は、人間神の子の自覚が、日本民族が悠久の昔より世々代々承け継ぎ語り継いできた「命(みこと)」の自覚にほかならず、生長の家立教の使命が同時に日本建国の理念の現成にほかならない事を明らかにすべきである。日本民族は存在の究極を、一切のものの生成の根源たる普遍的絶対者を、天之御中主神として把握し、その「中(みなか)」への帰一とその「中(みなか)」の展開、即ち宇宙普遍の原理の地上的顕現を日本国家形成の理念とし、天津日嗣(あまつひつぎ)とはこの理念のさながらなる継承以外にはなく、天皇の権威は権力をもって思うがままにこの国を支配する権利にあるのではなく、この理念の継承実現にまします事、従って天皇を中心と仰ぐ日本国家の発展は、天皇の人民支配の手段としての国家の発展と云うが如き専制的な性格のものでは微塵もなく、宇宙真理、即ち神意の地上顕現の至純志高の形体としての日本国家の発展である事、これが日本神話の理念であり日本民族の理想であり日本建国の精神である。この真理現成の大まつりごとに、神の子として命(みこと)として自己の責任としてまつろい奉る事が実相の成就である事を明らかにすべきである。単に自分の祖国たるのみの理由にて日本を愛するのではなく、東洋と西洋との中間に位して一切を生かす大乗の真理国家たる事が日本の理念であるからこそこの国の国体を鑽仰してやまず、この国の神の子国民として生を享(う)けしめられた所以(ゆえん)の深さに感泣し、わが一身もわが家庭もわが生活もすべてこの理念現成に捧げられてはじめて存在の意義を持ち得るものなることを、各自互に明確に自覚し合い、その行動の根拠となし合うべきである。》(「菩薩は何を為すべきか」より)


 ここに《生長の家立教の使命が同時に日本建国の理念の現成にほかならない》とあり、さらに《単に自分の祖国たるのみの理由にて日本を愛するのではなく、東洋と西洋との中間に位して一切を生かす大乗の真理国家たる事が日本の理念であるからこそこの国の国体を鑽仰してやまず、この国の神の子国民として生を享けしめられた所以の深さに感泣し、わが一身もわが家庭もわが生活もすべてこの理念現成に捧げられてはじめて存在の意義を持ち得るものなることを、各自互に明確に自覚し合い、その行動の根拠となし合うべきである》とあるように、生長の家立教の使命と信仰の本質は、偏に日本建国の理念の現象世界への完成のためにある事が明確に示されているのです。


 《宇宙普遍の原理の地上的顕現を日本国家形成の理念とし、天津日嗣とはこの理念のさながらなる継承以外にはなく、天皇の権威は権力をもって思うがままにこの国を支配する権利にあるのではなく、この理念の継承実現にまします》とあるように、日本建国の理念とは、具体的には「天皇」にあることを明記しています。


 これこそが生長の家本来の存在意義なのであります。この日本建国の理念を現象世界に展開するためには、全世界の人々が総て「神の子」であることを明確に解き明かさねばならないのです。それが生命の実相哲学となり、人類光明化運動として全世界に展開しているわけであります。


 ただ単に人類光明化運動が単独で存在しているということではないのです。人類光明化運動は真理国家日本建国の理念の全世界的展開運動そのものであるのです。人間が神の子であるという本質に気がつくということは、総ての人間が一つなる親神様の子供であることに気付くことであり、それはただ単に抽象的「神」への帰一に留まらず、その地上的展開の象徴としての無私なる権威の最高峰「天皇」に中心帰一するということになるのであります。それが理解でき無理なく受け入れられる時代がいずれ訪れるでありましょう。


 その時の準備として、生長の家は立教されたのであります。その立教の使命を初代生長の家総裁は明確に説いておられましたが、二代目になるとその解き方はかなり薄まってしまいました。さらに三代目の現在では、全く説かれなくなり、真逆の思想に変わってしまったのです。誠に嘆かわしい限りであります。どこに生長の家立教の使命がありましょう。組織は分裂し「八ヶ岳教団」と揶揄され、「売り家と唐様で書く三代目」と馬鹿にされるのは、当然であります。


 やはり本質的問題の在りかは、生長の家立教の使命がどこにあったのかということを、明確にして来なかったところにあるのです。今一度、生長の家を愛する信徒誌友は、生長の家立教の使命を明確に学び直す時期に来ているのであります。


 何に対して中心帰一するのか? 何に対して自分は生命を掛け得るのか? 何のために生長の家を学んでいるのか? 総ての信徒誌友は生長の家分裂混乱衰退せる今の時期にこそ、真剣に自分に問いたださねばならないのです。もし立教の精神を否定し無視し続けるなら、その組織は神界高級霊界から託されたエネルギーを感受することはできなくなり、存在意義を失い、自滅崩壊する以外に道はなくなるでありましょう。


 その根本問題に対する問いかけなしに、表面上「総裁・副総裁に中心帰一」などとお題目を称えようとも、何の値打ちがありましょうか。逆に悪業を積むだけの諸行でしかなくなるではありませんか。現総裁が生命をかけて天皇様に中心帰一し、日本建国の正しい理念に帰るべく天皇国日本の実相顕現に対する明確なる発言と行動がない限り、われわれ生長の家信徒誌友は決して現総裁に中心帰一するなどということはあってはならないのであります。


 現総裁は先般、総本山の龍宮住吉本宮顕斎殿にて、土足で清浄なる壇上に上がりました。世界からの参加者がいるからとかの理屈をつけているようですが、清浄な場を踏みにじろうとする願望の隠れ蓑にすぎません。さらに龍宮住吉本宮に通ずる実相額の前をわざわざ布で覆い、龍宮住吉本宮と実相額を隠してしまいました。さらに本来誰もが龍宮住吉本宮と実相額に対して礼拝するところを、誰にも礼拝させなかったのです。ひとり会釈した非常任理事はその後非常任理事を外されたとのことです。


 総本山の龍宮住吉本宮は、雅春先生が鎮護国家のために建立された神社です。「天皇国日本」の実相顕現のための鎮護国家の神社であります。そこにも明確に雅春先生の生長の家立教の使命が現れております。その鎮護国家龍宮住吉本宮に対する三代目総裁の対応は、生長の家の立教の精神を踏みにじり、破壊する行為であるのです。


 さらに、既に龍宮住吉本宮の理念「鎮護国家」は下ろされてしまいました。《生長の家総本山の祭祀の重点を「鎮護国家」から「世界平和」へ移す》(平成二十四年十一月二十日教化部長懇談会資料より)なる方針が出されました。また、三代目総裁のブログ「唐松模様」2012年11月22日に《雅春先生がこの生長の家総本山を建立され、そこに“七つの燈台”を建てられ、その第1番目の燈台に「天孫降臨皇御国成就燈」という名前を付けられたことの意味は、明確になると思います。先生が私たちに託された願いは、「天の下ことごとくに神の御心が満ちひろがる世界が来ること」です。「日本に天皇制国家を樹立する」などと解釈することは、全くの誤りであります。だから、私たちは世界各地に“神意”が拡大していくことを目指さねばなりません。》とあり、彼は天皇に対して明確に否定し始めました。


 彼は日本建国の理念、即ち「天皇国日本」を真っ向から反対し破壊したいのでしょう。彼がどんな思想信条を持とうが、それは彼の自由でありますから、別に良いのでありますが、問題は「生長の家」という天皇信仰が基本であるところの宗教団体の総裁として、その立教の精神に全く反する言動を行って、信徒誌友を惑わしているところにあるのです。


 その行為は生長の家の立教の使命に反し、創始者谷口雅春先生と二代目総裁につばを吐きかけ、恐れ多くも「天皇」に弓矢を引き、日本国家を愛し護り給う無数の霊界諸霊たちに対して戦いを挑み、吾々愛国者且つ生長の家を愛する数多くの人々に対しても攻撃していることになるのです。三代目総裁はそのことの重大性を知らないのでしょう。親を否定し、祖父を否定し、日本国の中心者「天皇」を否定し、国家建国の理念を否定し、無数の霊界神界の諸霊に反目しているのです。そして純真なる生長の家信徒たちを欺いているのです。さらに増して、宇宙の根本理念であるところの「中心帰一」の理念「中(みなか)」の理念に反しているのです。


 彼自らが起こしたこれらの不調和の言動は、彼自身で刈り取ることになります。何人(なんびと)も三界唯心所現、心の法則から微塵も逃れることはできないのです。天皇、親、祖父を否定する事は、自らの存在自体を否定することになります。様々な問題は総てこの一点から生じていることを、彼自身改めて学ぶ時がいつか訪れるでしょう。生長の家で行われている練成会での様々な解決の基本は、実にこの一点なのです。生長の家総裁を自認する彼が、そんな基礎的問題も知らないのです。生長の家信徒の風上にも置けぬ輩というべきでしょう。まずは一信徒から出直して練成道場で下座の行を通して修行をし、しっかりと両親、祖父母、祖先、天皇に感謝し、天地一切のものに感謝しましょう。そして兄弟親戚の皆様とも和解しましょう。その感謝が出来た後、初めて徐々に組織の段階を上がりたければ上がればよろしいでしょう。先ずは「天地一切に感謝」ですよ!生長の家人にとってのイロハのイです。


 生長の家の尤も重要な神示「大調和の神示」に次の通り示されています。《神に感謝しても天地万物に感謝せぬものは天地万物と和解が成立せぬ 天地万物との和解が成立せねば 神は助けとうても 争いの念波は神の救いの念波を能う受けぬ 皇恩に感謝せよ 汝の父母に感謝せよ 汝の夫又は妻に感謝せよ 汝の子に感謝せよ 汝の召使に感謝せよ 一切の人々に感謝せよ 天地の万物に感謝せよ その感謝の念の中にこそ汝はわが姿を見 わが救を受けるであろう われは全ての総てであるからすべてと和解したものの中にのみわれはいる》(「大調和の神示」より抜粋)


 彼の不調和の精神波動は、生長の家の根本神示に照らしても完全に落第なのです。それを隠して無理やり反抗することは、悪業を蓄積することになります。業はいつか必ず崩壊するのです。大きく蓄積した業は、大きな自壊作用を伴って崩れ去ります。その時のショックは極めて大きなものとならざるを得ないのです。そんなことは生長の家の真理を学んでいる信徒であれば、誰もが知っている事でしょう。


 「中心帰一」これは宇宙の基本理念であります。古事記にあるところの「中(みなか)」の理念です。これは総てに当て嵌まる理念であり、国家においては「天皇国日本」となります。「菩薩は何を為すべきか」第五条に次の通り明確に示されております。《宇宙普遍の原理の地上的顕現を日本国家形成の理念とし、天津日嗣とはこの理念のさながらなる継承以外にはなく、天皇の権威は権力をもって思うがままにこの国を支配する権利にあるのではなく、この理念の継承実現にまします事、従って天皇を中心と仰ぐ日本国家の発展は、天皇の人民支配の手段としての国家の発展と云うが如き専制的な性格のものでは微塵もなく、宇宙真理、即ち神意の地上顕現の至純志高の形体としての日本国家の発展である事、これが日本神話の理念であり日本民族の理想であり日本建国の精神である。》すなわち宇宙の根本原理たる「中心帰一」の理念が、国家へ展開した時、「天皇国日本」となって展開しているのであります。


 また、生長の家という組織においては、《生長の家立教の使命が同時に日本建国の理念の現成にほかならない》という「天皇国日本の実相顕現運動」にこそ生長の家立教の使命が立脚しているのであります。したがって生長の家内部においての中心帰一とは、「日本建国の理念の現成」(天皇国日本の実相顕現運動)なる立教の使命に対する中心帰一となるのです。立教の精神をすり替えてしまった現総裁は、もはや生長の家の中心者ではなくなってしまったということなのです。「総裁」という名称と権力の座に居座っているだけの傀儡に過ぎないのです。傀儡は傀儡であって、真の中心者ではないことを、生長の家信徒誌友は明確に理解すべき時期がきたのです。


 皆さんはっきりと中心帰一の原理を把握しようではありませんか。本物の理念に中心帰一するのは素晴らしいことですが、傀儡の偽物の総裁に中心帰一するのは、彼と同じように「中心帰一」の宇宙の理念に反することとなるのです。お気をつけ下さいませ!


 さぁ、あなたはどちらを選択なさいますか? 生長の家の本物の立教の理念にですか? それとも偽物傀儡の総裁にですか? 全て選択の自由はご自身に託されていますのでどうぞご自由に! 何人も強制はできぬものです。しかし・・・選択した結果は、総てあなたご自身が責任をもって拾い上げねばならないのです。総てはあなたご自身に返ってくるのです。







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