生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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反・『御教え』・・・雅宣総裁語録と講評 <第十七話> (357) |
- 日時:2013年03月07日 (木) 09時35分
名前:信徒連合
< 第十七話 > 真理の“目玉焼き論”と絶版問題
(『信仰による平和の道』P.112)
<<生長の家は宗教であり、政治思想やイデオロギーではないので、“焚書坑儒”みたいなことはしません。・・・変化の時代には、まず一貫して変わらない真理の“中心部分”を、つまり基本的な教義を、人々にしっかりと伝えることが最も重要である。時代の流れに応じて説かれる教義の“周縁部分”は変化して行くのです。そういう訳で今日、この周縁部分に関する出版物があまり出なくなっていると理解していただくと宜しいと思います>>
(註・“真理の目玉焼き論”とは、真理には“中心部分”(黄味)と“周縁部分”(白味)があると云う三代目・雅宣総裁の見解を云う。)
(講評)
*『真理』を“中心部分”(黄味)と“周縁部分”(白味)に分別することは、一見合理的な説明に見えるが、それは逆に『真理』というものを霊的に正しく理解していない者のすることで、肉体頭脳知による分析だけである。
*『真理』は普遍にして不変そして一つである。『真理』は“一即多”に展開しており、同時に“多即一”に収斂している。
*『真理』の實相は「無の門関」を超え、絶対実在を絶対認識した者でしか会得できない。
*『真理』の實相は肉体頭脳知による分析では判らず、却って『真理』の霊的理解から遠ざかる。三代目・雅宣総裁はこの過ちを敢えて犯しているのである。
*“真理の目玉焼き論”は、時代即応を旗印とする“今の教え”を正当化し、開祖・谷口雅春先生の御著書を絶版化してゆくための合理的詭弁である。絶版本の内容が、日本国實相顕現と教団史の分野に集中していることで証明されている。
*民主党政権と同じく、<“焚書坑儒”をせず>という“表のマニフェスト”を掲げながら、“裏のマニフェスト”として左翼側から見てどうしても葬り去りたい開祖・谷口雅春先生の書籍を“周縁部分の真理で現代には不必要”として<“焚書坑儒”の強行>をなしているのが三代目・雅宣総裁の現在の姿であります。
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