生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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<転載> 「マサノブ教団」全本部講師・地方講師必読の“真理の悟り”投稿文 <その八> (4462) |
- 日時:2014年07月07日 (月) 00時18分
名前:信徒連合
この様な素晴らしい「生長の家」真理の理解と解説の投稿文が見つかりました。他の掲示板でも転載されております。最初に見つけてくださった方に感謝申上げます。
「マサノブ教団」が依然として「生長の家」という看板を掲げている限り、そこに所属している本部の講師部長、本部講師、地方講師の皆さんは自分自身どの程度深く開祖・谷口雅春先生の本来の『御教え』という真理を理解しているかの尺度として、熟読して頂くに値する現代の「維摩居士」とでもなぞらえることの出来る内容であります。謹んで御紹介させて頂きます。
出所は、−− http://56937977.at.webry.info/201407/article_2.html
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< 転載:第八回 >
11/ 一切の問題を解決する原理原則(コツ)と潜在意識の浄化。そして「壮大なる公案」へ
<< 作成日時 : 2014/07/06 00:02
またまた、生長の家関連の書込みとなりました。ご興味なき方はスルーしてください。 ※※ このサイト内文章の全文コピー引用、一部コピー引用、他サイトへの掲載・紹介、印刷配布は各自ご自由にどうぞ! その場合、当サイトURL、サイト名「あまむし庵」より引用等、出典を明らかにして下さい。 *************
◯ 「一切の問題を解決する原理原則(コツ)」 前投稿では、現在生長の家が抱えている問題を解決するのは、現総裁を「愛する=実相を観る=神性を拝む」ことによって解決する事、そして「愛する=実相を観る=神性を拝む」ことによって、「自身の魂が救済される」ことを、谷口雅春先生の『信仰の活人剣』の御文章を引用しつつ、書かせていただきました。生長の家が抱える今回の「問題」は、この世界の様々な問題を解決するための、最も本質的な原理原則を教えんがための「公案」であり、その「公案」を正しく解く事は、「一切の問題を解決する原理原則(コツ)」を習得することを意味していると考えられるのです。
畢竟「問題の解決」ということは、「現象の奥に実在する神の世界(実相)を見つけ出す」ことに他ならないのです。キリストの説く「隣人を愛する」とは生長の家式に申せば「相手の実相を観る」ことであり、「相手を神として拝む」ことであります。相手に神を見出した時、はじめて「感謝」の念が涌出ることとなり、神を見出すが故に「救われる」のであります。実は、元々本当に実在している世界は神様の世界でありますから、「救われ済みの世界」であったのですが、それを勘違いしていた(迷っていた)ことに気付くだけのことであります。
その「一切の問題を解決する原理原則(コツ)」を我がものにすることは、極めて重要な課題なのであります。その「一切の問題を解決する原理原則(コツ)」を習得してはじめて、我等はさらに「高度な公案」の道に進む事ができるのであります。それはまさしく「天皇国日本の実相顕現」と「人類光明化運動」を車の両輪として進めるところの、「地上天国実現」の「大公案」であったのです。
「高度な公案」を解決する力は、現象人間の側から見れば、基本的解決力の錬磨の努力の継続によりもたらされるのであります。何事も一足飛びに、そういった力は身に付かないのが、この世界の仕組みであります。基礎を固めて、簡単な問題から順次難しい高度な問題解決へと力を付けて行くこと、すなわち「魂の進歩」が求められているのです。
そのための「一切の問題を解決する原理原則(コツ)」を、谷口雅春先生が御生涯を掛けて私達にお教え下さったのであります。それが、「神の子人間」「唯神実相哲学」であります。生長の家の皆様は既にご存知の通りであり、説明には及びませんが、「神の子人間」とは、完全円満なる神が自己顕現せられんがために、個生命の姿で顕現されたのが、私達人間の本質である、との人間観であります。また「唯神実相哲学」は、この世界に真に存在するのは、神様が創造された完全円満な実相世界のみであり、不完全な姿で現れた現象世界は、人間の念の投影で映し出された仮の姿であって実在しない、との哲学であります。
この「一切の問題を解決する原理原則(コツ)」である「神の子人間」「唯神実相哲学」の手法を使った、問題解決の応用範囲は無限であります。「神の子人間」「唯神実相哲学」の原理を応用し、身の回りの小さな問題である「公案」を解いて行き、順次様々な問題をこの手法に基づき解いて行く。その時、「神の子人間」「唯神実相哲学」の真理が、魂の潜在意識の奥深くにまで、定着することになるのであります。
このようにして吾々の潜在意識の奥底にまで、「神の子人間」「唯神実相哲学」の真理が浸透した時、真に「人類史上的大問題」とも云える、「地上天国実現」の大公案にまで、具体的に着手する事ができるのでありましょう。
◯ 潜在意識の浄化 具体的に、この「一切の問題を解決する原理原則(コツ)」を如何に活用すればいいのでしょうか。それは、「悪本来なし」「善のみ実在」「全ての人々は神と一体なる神の子なり」とする、「唯神実相哲学」「神の子人間」の真理が、どれほど自分の「潜在意識」の奥底にまで浸透せしめ得たか、という問題となります。「自身の根底の信念が如何なるものであるか」という事が最も大切なのです。そのことを蔑(ないがし)ろにして、潜在意識に迷いの観念を残したまま、表面的に現象処理をしたとしても、結局は「心の法則(潜在意識の通りに現象化する)」の大原則に基づいて、現象界には不完全なる姿しか表わせないことになります。「そのことに自分自身がどれ程気付いているのか?」これは神様から与えられた「私自身の公案」なのであります。
人は何かを為そうとする時、何らかの「判断基準」が働きます。表面上(現在意識)の本人としては、大抵の場合自分で「正しい」と思って判断し行動しているものです。もしくは、絶対的に正しいと思わないまでも、状況上仕方ない場合は、よりベターな選択肢を選んで行動しているものです。しかし、それを選択した本人は、「潜在意識」の奥底に潜む「憎しみ、怨み、悲しみ、敵対心、恐怖心、不安感」等の不調和な「迷い」の念の無意識的縛りによって、表面意識の自分が操(あやつ)られていることをほとんど知らずにいるのです。
何かを為そうとする時に、最も重要なことが何かと申せば、実は「潜在意識の奥底の信念」なのであります。谷口雅春先生が御指摘頂いた通り、表面の自分が意識している「現在意識」は5%程度であり、残りの95%程度は無意識の「潜在意識」であるということであります。「潜在意識」の奥底に隠れている「罪の意識」(人間は物質的存在であり、霊的神の子でないとする間違った意識から発生する様々な迷いの観念)によって、「贖罪意識」を引き起こし、「自己破壊願望」を発生させることを、近代の精神科学は解明しております。人類を破壊へと導いているのは、人類の「潜在意識」に潜む「自己破壊願望」であります。一人一人の「幸福」も全く同じで、自己の「潜在意識」に潜む「自己破壊願望」の多寡(たか)によります。
その自身の「潜在意識」中に、如何なるものが蓄積されているか、ということが、唯一最大の問題であるということを、吾々全ての人類は、速やかに知る必要があるのです。人類が知るためには、まず私自身が明確に知る必要があるのです。
肉体人間を道具として使わせていただいている吾々にとって、時々刻々何かしらの現象処理は行っています。その時その時様々な現象処理を行っているのですが、真に吾々の運命を決定付けるものは、自身の「潜在意識」に蓄積せしめたところの「無意識の想念」なのであります。なぜなら、「潜在意識」は自身の心の95%を占め、運命に対する圧倒的な決定力を保持しているからであります。潜在意識の想念の通りに、現象世界は形づくられているのです。
この世界は「三界唯心所現」の世界であります。「思った通りになる」とは「潜在意識の信念の通りになる」という意味であります。ちっぽけな「現在意識」でどれだけ頑張っても、「潜在意識」が反対のことを信じているのでは、屁の突っ張りにもなりません。すなわち、その場合は「現在意識の思った通りにはならない」ということになります。しかし、「潜在意識」を考慮に入れれば、「潜在意識の想った通りになっている」ということになります。実に「因果眩(くら)まさず」です。
「潜在意識」内の「念の集積」の結果は、「三界唯心所現」の原理にしたがって、完璧に「現象世界の鏡」に、映し出してくれるのであります。我等の注目すべきは、この現象世界に映し出されていた「原因」は、我等の「潜在意識」の信念であったという「紛れもない事実」を承認することなのです。
そこのところの解釈を怠ると、現在発生している現象世界の「結果」の真の「原因」を間違って解釈してしまうことになるのであります。これは、「観世音菩薩の妙智力」を否定することになります。「自身の潜在意識に何が潜んでいるか?」これは誰しも知り得ないように仕組まれているのです。吾々肉体人間には自分の心の奥底に貯まっている「念の集積」が全然見えないので、それをはっきりと見せて下さるために、「観世音菩薩の慈悲の説法」で、わざわざその奥底の心を見せて下さっているのです。それが、「観世音菩薩の妙智力」なのであります。
せっかく観世音菩薩様が私達の潜在意識の奥底の姿を感じ取ってくださり、完璧な状態で私達の表面の意識(現在意識)に教えて下さっているにもかかわらず、それを無視したり、勘違いして受け止めることは、「観世音菩薩」の存在自体を否定することと、あまり変わらない馬鹿な行為と云わざるを得ないのです。「観世音菩薩」の働きを否定するということは、「神」の働きをも否定することと同義であります。なぜなら、「観世音菩薩」は神道では「住吉大神」と呼ばれ、キリスト教では「ヤハウェ」と云われる旧約聖書に現れる神であるからです。モーゼが観たのはその神であります。実は、モーゼとヘブライ民族は、「観世音菩薩(住吉大神)」を拝んでいたのです。 注)「ヤハウェ」が「因果の法則」的神であることについては、当ブログ『3/被告「旧約聖書の神ヤハウェ」を弁護する・・・・「因果律」も畢竟「無償の愛」そのものだ!』http://56937977.at.webry.info/201402/article_3.html参照
私達の為すべきは、偏に自身の「潜在意識」の奥底を浄めて、明るい善一元、愛一元、智慧一元、大調和の光明思想と、宇宙の根本理念であるところの「中心帰一」中(みなか)の理念等、「実相世界」のイメージを確立することではないでしょうか。多くの人々が協力しあって「潜在意識」を浄化し、実相そのものの理念のイメージを正確に「潜在意識」に印象づけた時に、その心の展開として、この世界は自動的に「地上天国」にならざるを得なくなるのであります。
では潜在意識を浄めるためには、どうすればいいのでしょうか?先ず我等が為すべきは、「天地一切のものに感謝」でありましょう。この『大調和の神示』を何人も蔑(ないがし)ろには出来ぬのです。この「天地一切のものに感謝」という天国への入口のドアを、真っ正面から開いて中に入らぬ者は、その奥(神の世界)には入っては行けぬのです。何故なら、現象世界は「自分自身の潜在意識」そのものの映しであるからであります。「天地一切のもの」と和解せぬもの(感謝せぬもの)は、「自分自身」と和解せぬもの(感謝せぬもの)である、ということと全く同義であるからであります。自身を否定するものは、一切他者(自他は本来一体)を否定し、そして神(神我一体)を否定せざるを得ないでしょう。
和解すべき(感謝すべき)は、過去の自分自身の潜在意識を、ありのままに見せてくれた「観世音菩薩」の御働きに対してであります。『彼を知り己を知れば百戦殆(あや)うからず』と「孫氏の兵法」にもあります。これの解釈は色々とあるようですが、彼(現象に現れた天地一切)を知り(和解・感謝)、己(奥底の真の自分)を知れば(和解・感謝)、百戦殆うからず(如意自在な地上天国が現れる)。そう解釈するのは、誠に楽しいものであります。
その「観世音菩薩」の御働きに全面降伏し、その御働きに感謝した上で、もしその現象界に不調和、不完全が観察できたのであれば、そこに表わし出したところの自分自身の過去の思いの蓄積であるところの「潜在意識」を浄化すべく、「そんなものは自分の勘違いであった」「偽物の汚い考え方を間違って持っておった」「そんなものは本来の自分の姿ではなかった」と、不完全な現象を映し出した自分の過去の想念に対して徹底否定(浄心行)するのです。その上で、きれいに浄化された心に、新鮮なる実相完全円満の真のイメージを注ぎ込むべく、「本物の自分は素晴らしい完全円満な神の子の自分であった」「全ての人を愛し慈しむ優しい自分であった」「私の本物は神の子永遠不滅の霊的存在であった」「全ての人々、天地一切のものと私は本来一体であり調和していた」「全ては神以外の何ものでもなかった」「あぁ、何と素晴らしい荘厳極まりない世界に住まわせて頂いていたのだろう。ありがとうございます。ありがとうございます」と、言葉の力を駆使して、全面的に肯定したいものであります。
一切の問題を解決させ得るためには、(1) 問題として教えてくれた対象を観世音菩薩として礼拝、感謝した上で、(2) その真の原因が自分の潜在意識(他者の潜在意識も畢竟自他は一体ですから、つながっています)にあったことを見つけ出し、(3) その上で自己の潜在意識内の過去の間違った「迷い」の想念を否定し捨て去り、(4) 浄化された自己の潜在意識内に、真に実在する「実相世界」の完全円満大調和の正しいイメージを描く。・・・・この手法によって、一切の問題という問題は真に解決することになるのであります。
畢竟、現象は本来無いのでありまして、現象の問題がただ解決して消えること、良くなる事が目的ではないのです。真の目的は、霊的実在なる吾々魂の生長にあるのです。自己の魂の生長、即ち、「神の子人間」「唯神実相哲学」なる宇宙の実相を我がものとする、というところにあるのです。この地球に人間として生を受けたのも、それが目的であり、地球的公案であるところの「地上天国実現」という遠大なるテーマが我等に与えられているのも、まさに自己の魂の進歩のために外なりません。
我等は霊的実在であり、神の生命そのものであり、肉体人間はその道具に過ぎないのであります。霊的実在なる我等の魂が、自身が全能なる神そのものと同じきものであったことを体験的に知ることこそ、我等が神の子人間としてこの世界に生を受けた目的であります。我等の「霊的神的大自覚」のためには、「地上天国実現」すなわち「天皇国日本実相顕現」「人類光明化運動」は避けて通れない課題なのであります。地球規模の課題を避けることは、それだけ神性の自覚を矮小化し、霊魂の進化をそれだけ遅らせることになるのです。我等は勇敢にその「大公案」に立ち向かいたいものであります。
我等にとって最大の目的は、現象の問題を正しい真理の自覚を使って解決し、不完全な状態を雲散霧消させ、一切の課題や「天皇国日本実相顕現」「人類光明化運動」、そして「地上天国実現」の大公案を解いて、完全円満自由自在大調和の実相世界を顕現させることであります。この大目標に勇敢に立ち向かう時、実は「救われたのは自分自身であった」ということに気付く時が来るでありましょう。何故なら、自身の信念こそが、この現象(映像)世界に映し出されるに過ぎないからであります。我が存在が「無限なる神」そのものであることを、経験的に知らさんがために、この宇宙の一切の出来事は存在して下さっているのでありました。ありがとうございます。ありがとうございます。我、観世音菩薩に感謝し奉る。
「我は何者ぞ」これこそが究極のテーマであったのです。それを知識に留まらず、体験的に知るのです。時空の宇宙(観世音菩薩)は実にそのためにあり、「地上天国実現」の公案もそのためにあるのではないでしょうか。いつか「地上天国実現」の公案を卒業した暁には、更なる星にて壮大なる公案が待っていてくれることでしょう。実に楽しみではありませんか。 感謝礼拝
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