生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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7・5「唐松模様」のマサノブ発言<生長の家は、かつて政治運動をして失敗した>に意義あり!「生政連」は、日本国を左翼勢力の侵略から護った! <第三篇>  (4516)
日時:2014年07月10日 (木) 07時45分
名前:信徒連合





マサノブ君は7月5日の「唐松模様」(別名・枯れ松模様)の中で、< 生長の家は、かつて政治運動をして失敗した >と書いています。しかし、事実は逆なのであります。
@ 昭和41年12月9日、「建国記念の日」の制定
A 昭和51年11月10日、「天皇陛下御在位50年奉祝行事」の全国民的実施
B 平成11年11月21日、「国旗国歌法」の制定施行

われらの「生長の家」は、この様な国家的な重要時に関して大いなる役割と貢献を果たしてきた実績を持っているのであります。それにもかかわらずマサノブ君は、<生長の家の政治運動は失敗した>という。汝、何を持ってその言を為すや? 自称とは言え総裁としての明らかな失言!取り消したまえ! 全信徒に謝罪すべきであります。

かつて、「生長の家」は「生長の家政治連合」(生政連)を結成し、左翼勢力から日本の国を護り、日本国の實相顕現のために大いなる活動を展開していました。それを、当時からサヨク思想を持つマサノブ君は心よからず思い、裏面で「生政連」を解散させるべく動いて、清超先生の名前で「生政連」を活動凍結(実質的解散)に追い込んだのであります。マサノブ君の人並みすぐれた押し強い性格とその後の現在に至る「生長の家」解体の実績から考えて、「生政連」を実質解散に持って言った影の立役者はマサノブ君と見て間違いはありません。厳密に言えば、実質的解散ではありますが、表現上の公式な言葉は“活動凍結”であり、現在もそれが続いております。“活動再開”の意味を含んでの“活動凍結”なのであります。

かつて、「生長の家今昔物語」では、閲覧者の質問(「生政連」についての詳しいことを知りたい)に応えて、特集記事を纏めて掲載いたしました。その当時以降に入信された信徒さんにもこの「生政連」について正しく知っていただいて、「生政連」が大嫌いであったマサノブ君の虚言・妄言・洗脳に惑わされないようにして頂きたいと存じます。本日から数回に分けて別スレッド(親記事)として再掲示させて頂きます。



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           「生政連」への谷口雅春先生の熱き想い 

                  <第三編>



 以上が開祖・谷口雅春先生の迸る“憂国と愛国”の情の具体化された『生長の家政治連合』(生政連)の誕生から実質解散までの経緯でありますが、その中の特に、『生政連』の活動停止(実質解散)に関して大きな疑問点があるのであります。この公表されていない裏面の真実を知らなければ今日の原宿教団の状況と第三代目・谷口雅宣先生の“民主党・鳩山政権を歓迎!”の真相が理解出来ないと思うのであります。



<問題点1>

副総裁・谷口清超先生がこの『生政連』の活動停止(実質解散)の決断を下された訳ですが副総裁・谷口清超先生は総裁・開祖・谷口雅春先生の御意見を何ら聴く事もなく、相談もせずに全くの独断でなされたのであります。開祖・谷口雅春先生は昭和50年1月13日に長崎県西彼町の九州別格本山へ移られて『龍宮住吉本宮』の建設に当たっておられました。東京本部の事は副総裁・谷口清超先生がなさって居られたのであります。とは云っても、開祖・谷口雅春先生の終生の御悲願・日本国実相顕現のための『生政連』、それの実質解散と云う重大な事を何故、独断決定され発表されたのか。事実この事について開祖・谷口雅春先生は全くツンボ桟敷に置かれて居られ、非信徒の知人からの手紙で始めてお知りになられたのが真相であります。その証拠に第三代目・谷口雅宣先生監修『歴史から何を学ぶか』P.59−60<生長の家政治活動の終息>に於いても総裁・谷口雅春先生の<御承認を得て>とか<御決済を得て>といったコトバはないのであります。これが第一番目のミステリーであります。



<問題点2>

副総裁・谷口清超先生がこの『生政連』の活動停止(実質解散)の決断を下された訳ですが、その決断を総裁・開祖・谷口雅春先生に知らせずに行ったことについての第三代目・谷口雅宣先生の影響の有無であります。帰納法論理で考えて行けば、答えは「イエス」、しかも『強力なるイエス』であります。その論拠は・・・

(1)第三代目・谷口雅宣先生は、学生時代から「生学連」運動には不熱心でむしろその言動は逆であったことであります。左翼の「全学連」と同類の人であった。

(2)開祖・谷口雅春先生の御著書を真剣には読んでいない、拾い読みの程度と自ら話されている。従って、思想的には開祖・谷口雅春先生の教えには共鳴、賛同されていない。むしろ対極(反対派=左翼端)である。

(3)九州の「龍宮住吉本宮」建立の時にも“何故あのようなものを造るのか理解出来ない”と感想を洩らしておられた。

(4)戦争は、迷いと迷いの自壊現象であると認識され、如何なる理由があっても、所詮は人殺しである。と純子先生共々御認識(平成16年8月号理想世界「平和こそ美しい」をお読み下さい)従って、自衛戦争・自衛隊も“人殺し集団”との御認識。

(5)第三代目・谷口雅宣先生は開祖・谷口雅春先生の時代の生長の家は“明らかに右寄り(右翼)”と御認識(『信仰による平和の道』)また、大東亜戦争は侵略戦争、仕掛けた日本は「悪」で、それを阻止した連合国は「善」と御認識(平成4年3月号・理想世界および宇治・精霊招魂神社祝詞の改竄の事実)

(6)開祖・谷口雅春先生の御著書の内、主として日本国家論・愛国論・教団の歴史・日本神話について説かれたものを絶版処分(神示講義に至るまで)

(7)清超先生と雅宣先生とは血の繋がった実の親子の間柄、しかもお二人とも宗教よりも藝術への関心が強く深い。更に宗教家と云うよりも学者的性向のひとである。従って、家庭内ではザックバランに遠慮なく頻繁に『生政連』のことについても始終話し合われていたと思われる。

(8)その、親子同士の話をされる時のリーダーシップは雅宣先生のほうにあったと思うのが至当であります。清超先生は息子の自由意志を尊重し受け入れるタイプの御性格でした。したがって第三代目を継ぐに当たっても息子の自由意志にまかせてしまわれたのでした。

  普通なら「法燈継承」と云う最重大事項は、父親としてではなく“法の師”として、杯の水を一滴も残すことなくソノママ移し替えるに足る“資格と器”を有するかを日頃の言動と悟りのレベルをテストする正式面授を通して厳正に判断されるべきであるのに「継ぐか否かは、あなたの意思のままに・・・」が真相のようであります。

一方、雅宣先生は極めて押し強く自己意志強力貫徹型(横車押し之介タイプ)と拝察されます。故に、最後には、息子の意見が通ることになります。

(9)上記の事は、単なる推測ではなく次の様な事柄からも“然り!”と思われるのであります。開祖・谷口雅春先生は第三代目・谷口雅宣先生の大学進学については「皇學館大学」を希望されて居られましたが、御本人は「青山学院大学」を希望、父親の清超先生は息子の希望の方を優先されました。(皇學館大学は日本精神を重視、青山学院大学及び、後に留学された米国・コロンビア大学は共にリベラル派系(左翼系色彩の強い大学)であります。『新しい開国の時代』を読めば清超先生も、リベラル、グローバリズム思考であり、雅宣先生と同じ思考傾向であることが判るのであります。

(10)雅宣先生が議長の会議では、たとえ目上の総裁・清超先生が出席されていても異なる意見を清超先生が言われたら「議長は私ですから」とその発言を封じ、最後は自分の意見を採択されるのであります。限度をわきまえない以上の“傲慢”な御性格。

(11)平成2年11月21日、雅宣先生は「副総裁」に就任されましたが、具体的権限が無かったので総裁・清超先生に辞職願を申し出られました。結局、雅宣先生は清超先生の慰留を受け入れられましたが、その条件として「思うとおりに(教団運営を)してよろしい」と云う清超先生の“お墨付き”があったのでした。これは現在でも続行されている。反対意見をもつ人の追放(左遷人事で自主退職に追い込む)、義兄・弟さん達の追放、開祖・谷口雅春先生の御著書を絶版処分、清超先生推奨の「台湾人と日本精神」の強圧的販売停止、億単位での裁判費用、開祖・谷口雅春先生天啓神授の御教え内容の換骨奪胎等々・・・に対して総裁・清超先生は何も忠告や修正をされないで帰幽してしまわれた事実によって証明されております。しかし、たとえ“お墨付き”があっても目に余ることがあれば総裁の権限を以ってすれば更迭も出来たのに敢えてされなかったのであります。これが第二番目のミステリーであります。



<問題点3>

最大の疑問点――普通人の感覚では解決出来ない疑問点の数々(何故だろう?なんでやねん?)があります。

(1)総裁・清超先生の手許へは、多くの心ある信徒達から「雅宣先生の説かれることはおかしい?何とかして下さい!」との直訴状が相当数届いていたのであります。しかし、清超先生は動かれなかった。その直訴状の内容をそのまま携えて霊界へいかれた。

(2)「小閑雑感」のプロフィールで“宗教家”であると公言していながら、義兄の宮澤潔先生の依願退職を懲戒解雇扱いにして退職金を出さなかったり、実弟の貴康先生を左遷人事で退職に追い込んだり、清超先生のお通夜で義兄の荒地浩靖先生を座敷へ上げず門前払いにしたり、“嫁・姑の問題があるから”と云う理由で母親の恵美子先生との同居を拒否して隣に住まわせしかも家賃を取る(?)、兄弟その他の裁判で高額の弁護士費用(億単位)を教団資金=信徒の奉納金=僅かの年金収入の末端信徒の一灯(聖使命会費)の集積から支払われた。

(3)開祖・谷口雅春先生の御教えの内容や教化方針の中で(今まで、どうかな?と思いながらも、それに触れる事は)タブー視されていた事に関して今後は積極的に挑戦(採り上げて修正)して行くと公言されている。(『歴史から何を学ぶか』P.77)

(4)第三代目・谷口雅宣先生御夫妻は共に開祖・谷口雅春先生の御教えに反する左翼的内容の文章を堂々と掲載し、また、自らのセレブ生活(休日には別荘へ・毎日の食卓の写真の連日公開)をブログを通じて一般公開し続けている。

(5)清超先生は絶対的にされなかった分野、すなわち肉体頭脳での「祈りのことば」・「毎日の真理のことば」を開祖・谷口雅春先生を真似して堂々と作り発表している。

(6)教勢の衰退現象に対して最高責任者として何の反省も感じておられない。等々・・・
(つづく)


                  本当の「生長の家」を伝え遺す信徒連合・作成







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