生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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復習: 聖経『甘露の法雨』の奇蹟 J (366) |
- 日時:2013年03月08日 (金) 10時01分
名前:ハスの華
合掌、ありがとうございます。 < 小は個人の病を癒し、大は国家の病を癒す > といわれて数えきれないほどの奇蹟が生じた天来の聖経『甘露の法雨』も、今や三代目の雅宣総裁は捨て去り、自分の頭で考え出した人間罪の子意識による「大自然讃歌」・「観世音菩薩讃歌」に置き換えようとことを進めております。果たして雅宣総裁の新・聖経?は『甘露の法雨』を凌ぐ奇蹟を生じさせるでしょうか? この際、これまで生じてきた『甘露の法雨』の奇蹟の数々を復習する事は大変意義のあるところであり、ニュー信徒さんにも認識を新たにして頂きたいと思います。
なお、『甘露の法雨』がどうしても手に入らない方々は、(株)光明思想社 TEL: 03−5829−6581 へ申し込めば手に入ります。また、末端の誌友会では、まだまだ『甘露の法雨』による地方講師の指導が依然として自信を持って行われておりますので、奇跡的な結果も指導を受けた信徒さんの身の上には起っていることも沢山あります。其の際には、間違っても「大自然讃歌」・「観世音菩薩讃歌」による奇蹟だとすりかえられないようにご注意願います。
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聖経『甘露の法雨』の奇蹟(11)
炭鉱爆発の時に起こった奇蹟 新講『甘露の法雨』解釈(p.322−327)
<< このような奇蹟は、あの昭和三十八年十一月の九州三井鉱山の三川坑の大爆発の惨事の時にも不思議な奇蹟が現れたのであります。大牟田市の前田常喜さんが、次の様な体験を発表されたのであります。
『私は十一月九日の三井坑大爆発の際、坑内にいまして罹災した一人であります。・・・当日、平日と変わらず出勤いたしました。・・・二十一卸(おろし)を昇って行きました所、粉塵、煙で真っ黒、今まで見たこともない真っ黒な煙・・・誰かが「本線に出てはいかんぞ、事故が起こったらしい。早く退避しろ」と言っている。間もなく乗り場の方からよろよろと二人出て来て、崩れるように倒れました。・・・私たちもガスを吸って・・・急激に手足の麻痺、頭痛が襲って来ました。・・・私の右肩の工具箱には、お守りの「甘露の法雨」が入っています。取り出す余裕もないので、そのままとにかく頑張れ頑張れと自分に言い聞かせて、必死になって急ぎました。・・・頭は朦朧として息苦しく「もう駄目だ」「いや二人の子供が待っている」・・・自問自答を繰り返しながら「甘露の法雨」を袋の上から押さえて、這うように歩き続け・・・しかし体力の限界でしょうか、倒れて失神してしまいました。
何時間くらい仮死状態で寝ていたでしょうか、何かゾクゾクッとしたと思ったら、ハッと気がつきました。目を開けると真っ黒い煙は、跡形もなく消え、キャンプ・ランプに照らし出された坑道は、綺麗な空気で満たされていたのでした。右肩を見ると、「甘露の法雨」の入っている工具袋を、肩から胸にしっかり抱いているのでした。「ああ、助けて頂きました。ありがとうございます」私は急いで「甘露の法雨」のお守りを取り出し、左胸のポケットにしっかりとしまい込み、上から手で押さえ、ただ「有難うございます」を繰り返していました。
失神していた時間は、二時間余りのようでした。二十一卸の方から、「おーい、こっちに倒れとるぞー!」という声が聞こえ、「眠ったらいかんぞ」「助かったんだ。しっかりしろ」と励ましの声と共に、担架に乗せられて二十一卸の四片口まで運ばれました。担架で運ばれる道すがら、倒れている仲間の多数の遺体を見て、大事故だとの実感がやっとピンときたのでした。天領町の三井総合病院に収容されたのは、十日の零時半頃でした。尚、当日は、長崎に行っていた妻は、朝から聖経三巻をあげ、神想観をして祈り、長女は昨晩のように『甘露の法雨』をあげてくれていたとの事ですがその時間がちょうど、私が失神から覚めた時と一致していたようでありました。
生きる喜び、九死に一生を得させて頂きました私の喜び、これこそ生長の家の大神様の御導きとお守りでなくてなんでありましょう。ただ有難いばかりであります。』>>
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