生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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生長の家「今昔物語」・ 理性篇の再掲示 <第十八話> (368)
日時:2013年03月08日 (金) 10時16分
名前:信徒連合




生長の家「今昔物語」第六篇 理性篇



第十八話(通算第344)

 絶対精神の問題――特にマルクスの模写説を反駁す(4)



すべての生物は神の子である

(『解放への二つの道』P.167−173)



 絶対精神の表現であるところのものは人間だけじゃないのであります。従って厳密にいうと神の子というのは人間だけではない他の生物でも皆神の子であります。蜜蜂でもミミズでも、ナメクジでも蟻(あり)でも、皆、その生命は神から出て来ているから神の子である。

それなのに、人間だけを神の子だと仮にいうのは、人間は特に神の自己実現として、神の持ちたまえる全徳の最高の自己実現であるからです。

他の生物は皆魚でも、蟲(むし)でも、獣でも、花でも、みな神の子ですけれども、これらは単なる被造物であって、神の全徳の表現ではなくて神の一部の御徳を表現しているにすぎません。

人間は単なる被造物たるにとどまらず創造主としての全徳を表現せる神の最高の自己実現として一切のものを創造する自主的力をもっているのであるから、これを特に「神の子」といって尊敬するのであります。


 ところで、一切の存在は一元の神から来るのですから皆各々普遍の生命を宿しているのであって、従っていのちの世界で互いに連絡をしているのであります。

身体は互いに別れ離れている。例えば此処に蜜蜂がおるとしますと、蜜蜂の身体は、花とは別れた存在である。そして蜜蜂の世界には、花の研究所というようなものは持っていないけれども、花の何処へ行ったならば、自分の好きな蜜があるのだということを知っているのであります。

併し、蜜蜂がそんなことを知っているのは偶然かもしれない。或るとき花へ行って見たら、蜜がその花の子房の底のところにあったというので、それで憶えているのかも知れない。しかし、花の方はどうかというと、これは、花には脳髄もないし考えるっていうような器官ももっていないし、蜜蜂研究所というのも備えていないのでありますけれど、花の生命は蜜蜂というものを研究しないでも蜜蜂というものが自分の花粉を配達してくれるだろうという事を知っている。そして蜜蜂にその花粉を配達してくれるために何にも報酬をやらなかったならば、もう二度と花粉を配達してくれないかも知れない。

そうすると、我々の子孫を絶やすということになるから、蜜蜂の好む所の食物をこしらえて、御馳走しようということを考える――考えるといっても脳髄で考えるんじゃない。そういういのちの響きが植物の内部に宿っていて、蜜蜂研究所というようなものがなくとも、蜜蜂は如何なる食物がお好きかを研究せずして知っている。考えずして知っている。

そして蜜蜂の好きなみつを拵えて待っているのであります。これは理論でなくて実際なのです。蜜蜂と花とは全然生命の種類段階が異なっており、からだも全然離れておっても、宇宙普遍の一つの生命が宿っているので互いに知り合っているのです。

 蜜蜂が花の色を良く見分けるということは実験をして見ると判るのであります。例えば、色ガラスの上にお砂糖を盛って置く、最初赤いガラスの上にお砂糖を盛って置くと、砂糖を求めて蜜蜂がその赤ガラスの上の砂糖にやって来て食べる。これを繰り返しますと、その後青い色ガラスの方に砂糖を盛って、赤い色ガラスの方をカラッポにしていても、蜂は赤い色ガラスのところへ一応飛んで来て、お砂糖を探す様子をして、砂糖が無いことを確かめてから、青い色ガラスの砂糖の方へ飛んで行くのです。

それで、なる程、蜂は、色の区別が判るんだということが判るのであります。所が花の生命は蜜蜂がどんな色彩を好んで引きつけられるかということを、知っているからこそ、それに適する色彩の花を咲かすのです。

たとえば菫(すみれ)の花が菫色の振動を出すのには一万分の3.7ミリの振動数の波動を出さなければ菫色に感じないのであるというようなことを、そういう物理学の研究所も何もないけれども、花のいのち自身は普遍的叡智が宿っていてちゃんと知っている。それで、ちゃんと菫色の振動数を出して、蜂をいざなうということを知っているのです。

そういうように、花のいのちと蜂のいのちとは、皆もう互いに連絡があり互いに生命の底では理解し合っているのであります。これは一例を以って蜂と花との関係を申し上げただけでありますが、森羅万象悉くたがいにそういう連絡関係がある。

「人の造った建築物などは心で設計して造られたと云うのは正しいけれども、天地万物まで神の心が造ったと推(お)しひろめて説くのは間違いだ」と左翼の人は言いますが、これで観ると、すべてのものに神の普遍的叡智が宿っていることはあきらかであります。

花と蜜蜂との間にさえこういう関係があるのですから、いわんや生命の高度に発達した人間と人間との精神交感、精神の感応というものは、これ又素晴らしいものであるのは当然のことであります。


 ある日、NHKのラジオ放送のあさの訪問の時間をきいておりましたら、和田アナウンサーが、ある美術評論家を訪問して対談をしておりましたが、そのはなしの中にこんな話がありました。

それは子供が絵を描く場合に、親の心の通りの絵を描くというのであります。

幼い子供が描いた絵を見ると、「オヤ昨夜この子の親は夫婦喧嘩をしたんだな」と判るくらいにその絵に夫婦喧嘩があらわれるのであります。親が夫婦喧嘩をした日、又は翌日に、その子供が描いた絵というものは、薄暗い、黒っぽい陰気臭い、黒と青との色彩の多い絵を描くというのであります。

それからクリスマスが近づいて来た時とか誕生日の祝いの前とかいう時になると、子供は黄色の色彩の多い黄金色輝くような、非常に明るい色彩の絵を描くというのであります。子供の描いた絵にすらもその親の精神というものが斯うして子供に実に良く現れると云う事は重大なことであります。

形の世界は、心の世界を模写するという事であります。絵にすらも親の心の状態があらわれるとすると、子供の健康状態に親の精神状態があらわれ、親夫婦の心境のよい時に子供が健康となり、親夫婦が互いに嫉妬や利益関係で争うというような時に子供が病気になり、それを宗教の先生に指摘され、反省して心をかえた結果、その心の反映として子供の病気が治る実例があるのは少しも不思議ではないのであります。


 これなどは「心」が「形」に先行し、「形」の方が「精神」を模写したという実例であって、親の精神を子供が絵に模写したり、健康状態に模写したということになるわけであります。

だから子供に心持ちのよい絵を描かせようと思えば、「良い絵を描け」といわないでも親の心持の良い時には、心持の良い絵を描くわけであります。

絵を描くというのは、それは人間の手が動くのだけれども、手は意識的に動くんだけれども、意識的の奥に無意識に動いているものがある。気が付かないで動いているものがある。

その無意識の世界に於いて、蜜蜂と花のいのちとはつながり、子供の精神状態が親の精神状態につながり、無意識界に動いている所の親の精神によって子供の意識的動作も無意識動作も左右されることになるのであります。

これが判ってまいりますと、親の心の状態が、子供に病気を起すとか、子供を健康ならしめるというような問題も、それによって、科学的に理論づけられるのであります。これが深層心理学の研究課題であります。


 我々の内臓を支配し、血行を支配しているというものは、心の深層にある無意識の世界であります。吾々は意識的に内蔵を動かしはしないけれども、無意識即ち気が付かん心で生理作用をつかさどっているのであります。

此の気が付かん心に、親の精神の波が波及して来て、内蔵を無線操縦して病気を起したり子供の意識的にあらわれる色彩の選択作用に影響を与えて暗い絵を描かせたりするのであります。

だから、子供は親の心の鏡であると言われるのは当然のことであります。従って子供を良くしようと思ったならば、親がよくならなければならない。

これらの事を更に拡張して考えれば世界の平和でも心の問題であって、先ず世界各国の首脳者の精神が互いに愛念を持ち合って、互いに好意を持つようにすることから始まらなければならない。その意味に於いて、最近ジュネーブであった世界四巨頭会談でどんな具体的な内容ある決定が行なわれなかったにしても、世界の大国の四巨頭の精神が平和な気持で、友好親愛な交歓が行なわれたと云うことは、「心は形に先行する」と云う原理から、世界に平和を一歩進めたということになるのだと歓ばずにはいられないのであります。






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