生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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「初心者」はかくのごとく生長の家の『御教え』を否定する! <その17> (373)
日時:2013年03月08日 (金) 12時06分
名前:四万十分析官




「初心者」という人物は、「トキ掲示板」において下記の如く生長の家の『御教え』を否定しているのである。「トキ掲示版」規約には「基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教えを支持、共鳴する人のためのサイトです。生長の家と谷口雅春先生へのご批判をされる内容の投稿はご遠慮下さい。」と書いてあるが、一連の「初心者」と名乗る人物は、この投稿規約に反する投稿を続け、管理人氏も未だに一回も注意を与えていない。「初心者」と「トキ掲示板」との関係は主従の関係にあり、この様なところから「初心者=雅宣総裁」と言われているのである。そして、雅宣総裁としては、決して公の“総裁”としての立場では言いたくても言えない開祖・谷口雅春先生への反逆の「本音の思想」を「初心者」なる名前を使い、思う存分吐露し続けているとも考えられるのである。この意味からでも、彼のやり口は宗教家として非常に卑怯そのものであり、“総裁更迭”に十分に値するのであり、信徒はもっと声を大きくしなければならないのである。

以下、生長の家の『御教え』を否定する「初心者」なる人物の投稿を転載させていただき読者のみなさんの判断に供するものである。



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「トキ掲示板」より


266 :初心者:2012/07/17(火) 23:32:11 ID:TfQ0e6RA

救いを欲する人々を、いつまでも救いを欲する状況にとどめおくために、宗教は文字という
パルマコンを供給しつづけます。


285 :初心者:2012/07/19(木) 10:02:52 ID:TfQ0e6RA

医者が病人を必要とするように、宗教は迷える人々を必要とする。医者が病人がいなくなることを願ってはいないように、宗教も迷える人々がいなくなることを願ってはいない。いつまでも迷い続けてくれる人をこそ宗教は欲しているのだ。迷える人々に、心に響く言葉をあたえ、それで束の間の平安をあたえたところで、効果が薄まれば、人々はかならず戻ってくることを宗教は知っている。迷える人々に心に響く文字を供給しつづけるのは宗教の仕事だ。それは麻薬に依存し欲する人々に麻薬を供給し続けることに似ている。心に響く文字をあたえられた人々は、狂喜乱舞し、文字に群がりはじめる。やがて効果は薄れるが、文字の供給が途絶えることはない。文字には依存性があり、それがゆえに文字がパルマコンであることを宗教は熟知しているからだ。



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<問題点>


@ 「初心者=雅宣総裁」は、われわれ一般信徒が日常使わないカタカナ言葉で自己顕示したがる性癖を持っている。“パルマコン”という言葉など使わずにもっと平易に述べよと言いたいのである。「初心者=雅宣総裁」の開祖・谷口雅春先生の『御教え』への飽くなき挑戦が続いているのである。


A <救いを欲する人々を、いつまでも救いを欲する状況にとどめおく>・<宗教も迷える人々がいなくなることを願ってはいない。いつまでも迷い続けてくれる人をこそ宗教は欲しているのだ。> このように「初心者=雅宣総裁」は明確に「人類光明化運動」を蔑んだ冷ややかな斜視的観察眼で見ているのである。この様な人間はもはや宗教家と名乗るには値しない高慢傲慢な人間である。「総裁更迭」の資格と条件はシッカリ整備されている。後は実行あるのみ!


B 続いて「初心者=雅宣総裁」は何の遠慮もなく“掲示板”の特性を逆手にとって、心の奥底の本心を思い切り書き殴っているのである。曰く――

* < 医者が病人がいなくなることを願ってはいないように、宗教も迷える人々がいなくなることを願ってはいない。いつまでも迷い続けてくれる人をこそ宗教は欲しているのだ。>

* < 迷える人々に、心に響く言葉をあたえ、それで束の間の平安をあたえたところで、効果が薄まれば、人々はかならず戻ってくることを宗教は知っている。>

* < 迷える人々に心に響く文字を供給しつづけるのは宗教の仕事だ。それは麻薬に依存し欲する人々に麻薬を供給し続けることに似ている。>

* < 心に響く文字をあたえられた人々は、狂喜乱舞し、文字に群がりはじめる。やがて効果は薄れるが、文字の供給が途絶えることはない。文字には依存性があり、それがゆえに文字がパルマコンであることを宗教は熟知しているからだ。> 


C <宗教は迷える人々を必要とする、いつまでも迷い続けてくれる人をこそ宗教は欲しているのだ。迷える人々に心に響く文字を供給しつづけるのは宗教の仕事だ。それは麻薬に依存し欲する人々に麻薬を供給し続けることに似ている。>何と云うゾッとする様な発言であろうか! これは紛れもなく“悪魔”のコトバではないか、しかしこれが雅宣総裁の本音の思想である。(この様なところから、雅宣総裁は悪霊に憑依されていることがわかるのである。)


D だから、雅宣総裁は「人類光明化」すなわち人類社会からの病悩苦の解消を放棄し、真理の証し人の体験談を見向きもしないのである。この様な意味での宗教は大嫌いな雅宣総裁が“環境問題”と鎮護国家を捨て“机上の左翼的平和論”に傾倒して行ったわけが分かるのである。


E 雅宣総裁は、生長の家はキライで彼の心の中では開祖・谷口雅春先生の『御教え』とはとっくの昔に決別しているのであるが何故総裁の椅子に座り続けるのであるか? それは言うまでもなく生涯のセレブ生活維持のためであり、これを可能ならしめるのは“総裁の椅子”と「生長の家」という“看板”である。この看板は“金の成る打出の小槌”であるから利用し続ける。そのためには“日時計主義”さえ説いておれば開祖の教えを継いでいると信徒を誑かせることが出来る、という宗教家としては風上にも置けないことさえも平気でやる、その人の名は「雅宣」という。しかし、彼は本音を大いに言いたい。故に「初心者」を仕立て上げて言わしめているのである。


F <雅春先生に抵抗する、「愛の行動」にも「実相顕現」にも徹底抗戦する>まさに雅宣総裁の相はこの通りであります。信徒の悩み相談の指導も出来ず、総裁としての仕事は人事権の行使(将棋の駒の動かし方)の快楽に酔い、職員給与の上げ下げ決定に快楽を感じ、後は“大閑”なるが故に“パソコンお宅”で<雅春先生に抵抗する>文章を叩き出しているのであります。一方では余念なく着実に個人資産の蓄積を計りながら・・・(個人資産はおそらくスイス銀行?あたりで10億円?を既に超しているかもしれない?!)






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