生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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<転載> 「マサノブ教団」全本部講師・地方講師必読の“真理の悟り”投稿文 <その十四>  (4872)
日時:2014年08月20日 (水) 14時07分
名前:信徒連合




<転載> 「マサノブ教団」全本部講師・地方講師必読の“真理の悟り”投稿文 <その十四>


この様な素晴らしい「生長の家」真理の理解と解説の投稿文が見つかりました。他の掲示板でも転載されております。最初に見つけてくださった方に感謝申上げます。

「マサノブ教団」が依然として「生長の家」という看板を掲げている限り、そこに所属している本部の講師部長、本部講師、地方講師の皆さんは自分自身どの程度深く開祖・谷口雅春先生の本来の『御教え』という真理を理解しているかの尺度として、熟読して頂くに値する現代の「維摩居士」とでもなぞらえることの出来る内容であります。謹んで御紹介させて頂きます。

出所は、−−
http://56937977.at.webry.info/201408/article_4.html


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< 転載:第十四回 >



18/倶胝竪指(ぐていじゅし)/一切の経験は「実相を顕現する」ためにある

<< 作成日時 : 2014/08/20 00:59




 またもや、生長の家の問題に対する記事となりました。禅宗『無門関』からの公案です。やはり『無門関』は非常に含蓄(がんちく)があります。「現象の指」がある内は、「実相の指」に気付こうとしない、肉体人間の性(さが)のようなものを教えてくれています。



18-1) 「倶胝竪指」の公案

18-2) 「現象無し」の一喝

18-3) 「迷いの自壊(問題)」と「実相の肯定(解決)」の繰返し

18-4) 全ての出来事は、「神の無限力」を引き出す愛の働きである

18-5) 如何なる出来事も「実相顕現」のためにある


※インターネットの世界では、いつ情報が遮断されるか分かりません。もし、「もう一度文章を見てみたい」と思われる方がおられましたら、ご自分の責任で「保存」されることをお勧めいたします。拡散はご自身の責任でご自由にどうぞ!


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18-1) 「倶胝竪指」の公案


〈18-1-1 生長の家の崩壊劇と「倶胝竪指」の公案〉

 御存知の方も多いと思いますが、大変興味深い公案が無門関にあります。無門関第三則「倶胝竪指(ぐていじゅし)」という公案であります。倶胝(ぐてい)和尚(おしょう)は禅問答で何か聞かれると、決まって指を一本立ててその答えとしていた。それを見ていた小僧が、形だけ真似て指を一本立てた。それを知った倶胝和尚は小僧の指を切り落とした。泣きながら走り去ろうとする小僧に対して、倶胝和尚は「小僧、待て!」と呼び止め、指を一本立てて見せた。その瞬間、小僧は悟ったのです。

 形の世界を超えた「実相」に根差(ねざ)さない、形だけの真似は必ず崩壊するのです。そして、頼るべき「物質の指」が切り落とされた時、却って目には見えぬ「本物の指」を立て得るのです。此の度の生長の家の崩壊劇は、この「倶胝竪指」の公案にも比すべきものであるとも言えましょう。



〈18-1-2 小僧は「物質の指」の奥に立つ「実相の指」を悟った〉

 「虚説と妄言の鎧をまとった現総裁」「過去の組織運動の象徴、本部会館の消滅」「出版されなくなった無数の聖典」。もはや頼るべき「物質の指」は、倶胝和尚によって一刀両断「スパッ」と切り落とされてしまいました。

泣き叫びながら狼狽(うろた)える21世紀の生長の家の小僧に向かって、倶胝和尚は「小僧、待て!」と呼び止め、指を一本立てているのです。「倶胝竪指」の公案に登場した小僧は、切り落とされてなくなった「物質の指」の奥に立つところの「実相の指」を瞬間悟ったと言います。




18-2) 「現象無し」の一喝

〈18-2-1 尊師の「現象無し」の一喝〉

 「倶胝竪指」、この公案の倶胝和尚はどうも架空の人物であるらしいです。それはともかくとして、倶胝和尚は、本来無いところの「現象」を切る働きをしているのであります。それは、谷口雅春先生が「現象無し」の一喝を、人類に食らわしたのと全く同じ働きなのであります。それまで人類は、又大半の宗教者、哲学者は、神の存在を認めながらも、「本来無い現象」に引っ掛かって、苦しみ続けていたのでありました。



〈18-2-2 「現象否定」を通らねば、「実相」には到達し得ない〉

 そこに尊師が現れ、人類に向かって「現象は無い」と一喝したのであります。これによって、人類は真に目覚め始めようとしているのであります。この「現象無し」の一喝こそ、生長の家の真髄とも言えるものです。「現象否定」を通らねば、「実相」には到達し得ない事を、人類はやっと学び始めようとしているのであります。



〈18-2-3 「物質に囚われている人」は、必死になって生長の家を攻撃する〉

 しかし、「現象無し」は「肉体無し」「物質無し」でありますから、「現象の物質、財産、地位、名誉、欲、肉体等に囚われていたい人々」にとっては、これは大変な一大事という訳なのです。従いまして、そのような「物質に囚われている人」は、必死になって生長の家を攻撃せねば、自分達の生存が危ぶまれると、考えてしまうのでしょう。



〈18-2-4 物質に囚われている人にとって、「純粋な真理」は「恐怖」の的となる〉

 二千年前、「我国はこの世の国に非ず」と言ったイエスが、唯物主義のユダヤ人達によって迫害されたのも同じことであります。当時のユダヤの民衆は、イエスを十字架にかけて殺害したのであります。それほど、物質に囚われている人間にとって、「純粋な真理」は「恐怖」の的となるのであります。

それは何故かと申しますと、「自分は物質(肉体)的存在だ」と信じている人が、「我国はこの世の国に非ず」「物質は無い」「肉体は無い」等と言う「純粋真理」に出会いますと、「物質(肉体)的存在である自身の存在自体が脅(おびや)かされる」と勘違いするからであります。従って、「唯物論に縛られている人」であればある程、物質(肉体)に対する執着が強いので、その傾向が益々強くなるということになるのであります。



〈18-2-5 いつか「現象有り」という妄想は自壊せざるを得ない〉

 しかし、「現象は元々無い」のですから、いつか「現象有り」という妄想は、自壊せざるを得ないことに定められているのでありまして、何も心配はいらないのです。事実、時々刻々、現象は消え去り走馬灯の如く移り去っているのであります。東洋思想の仏教等における「色即是空(しきそくぜくう)」「空即是色(くうそくぜしき)」の思想にある通りであります。このことを、人類は直感的に、何となく既に知っているのです。時節が到来すれば、このことは当たり前の概念になることでしょう。ですから、心配することなく、「無いものは無い」「本当にあるものをある」として、突き進む以外にないのであります。



〈18-2-6 「現象を切り捨てる」働きも、観世音菩薩の働き〉

 この現象世界は、一方で観世音菩薩の慈悲の説法でありますから、この観世音菩薩のお働きによって、「一番いい方向に向かっている」ということを、肝に据える必要があるのです。その働きは自由自在の神の叡智と愛なのでありますから、どのようにでも「無限相」の姿で展開しております。その一つの働きが倶胝和尚の「現象を切り捨てる」働きであるのです。



〈18-2-7 「現象の指」を「本物の指」だと勘違いして、いい気になっていた〉

 小僧が「現象の指」を「本物の指」だと勘違いして、いい気になっていたのでありますが、これでは小僧の魂の成長に役立たぬと判断されたのでありましょう。倶胝和尚という峻厳なる観世音菩薩の姿をもって、小僧の現象の指を切り落としたのであります。現象の指を切り落とされ、泣き叫び逃げようとする小僧に向かって、「小僧、待て!」と立ち留まらせ、徐(おもむろ)に、自分の指を立てて見せたのです。



〈18-2-8 和尚の指を見た瞬間、「切られた現象の指」から心を解放させた〉

 その時の小僧は偉かった。痛さと恐怖に怯(おび)えながらも、和尚の声をちゃんと聞いたではありませんか。和尚の気迫が勝ったとも解せますが、両者の阿吽(あうん)の呼吸の産物でありましょう。両者ともに偉かったのです。和尚が立てた「指」をじっと見たその瞬間、小僧は実は「現象の斬られてなくなった指」から心を解放させてしまっているのであります。其処の所が「偉い」のです。

切った瞬間、「小僧、待て!」と一喝し、立ち止まらせた上で、指をすっくと立てて見せた倶胝和尚の指導は、勿論「偉い」ことは言うに及びません。故に小僧の心は、肉体が痛がっているその瞬間、現象から解き放たれ自由自在となり、本来の「実相の指」の存在を悟り得たのであります。



〈18-2-9 恐怖心に心が囚われている間は、悟りは成就しない〉

 もし、切られたその痛さと恐怖心に心が囚われているのであれば、小僧の悟りは成就しなかった筈であります。如何なる「痛さ」「恐怖心」が現れましょうとも、その瞬間、如何に自己を「肉体人間」「現象世界」から解放し、「実相世界」「生命の世界」に振り向ける事が出来るのか、それが最も肝心であるということが、この公案を通して学ぶことができるのであります。




18-3) 「迷いの自壊(問題)」と「実相の肯定(解決)」の繰返し


〈18-3-1 この世界の出来事は、全て「倶胝竪指」の公案のようなもの〉

 この世界の出来事は、一事が万事、この「倶胝竪指」の公案の連続のようなものであると言っても過言ではないのです。「現象有りとして、現象に囚われることによって、現象が瓦解する」そして「現象の空しさを知り、心が現象から解放されて、実相に振り向く」。又「現象有りとして、現象に囚われることによって、現象が瓦解する」そして「現象の空しさを知り、心が現象から解放されて、実相に振り向く」。この繰返しで、現象世界に地上天国が建設されていくのであります。



〈18-3-2 地上天国構築には、問題と解決の両方が必要〉

 「現象有りとして、現象に囚われることによって、現象が瓦解する」これを一般的に「問題、疑問、事件、悩み、苦しみ」等と言います。そして「現象の空しさを知り、心が現象から解放されて、実相に振り向く」このことを一般的に、「解放、解決、悟り、解脱、自由、喜び、平安、感謝、和解」等と言います。地上天国を構築するためには、その両方の過程を通る必要があるのです。



〈18-3-3 「実相の神の子」は、苦しみ様がない〉

 ただし、ちょっとした気付きで実相に振り向ける人は、それだけ苦しみを味わうことはないのでありまして、「苦しみ」などというものは、絶対的に必要という部類のものではないのです。元来、「実相の神の子」の世界には、「苦しみ」は存在しないのであります。「苦しんでいる」と思っているのは、現象人間の「迷い」が勝手に苦しんでいるだけでありまして、そんなものは本来存在していないのであります。「迷いの自壊作用」これ自体が「苦しみ、悩み、問題、事件・・・」と感じているに過ぎないのであります。実相は「苦しみ様がない」のであります。



〈18-3-4 物質への執着が強い程、「苦痛」が大きい〉

 因みに、現象世界、物質世界に対する執着が強い程度に従って、その執着力(牽引力)を脱するパワーが必要となりますので、より大きな「衝撃力」が必然的に発生せざるを得ないことになります。その「衝撃力」が、肉体人間にとっては「苦痛」「悲しみ」「恐怖心」「物質的崩壊」の大きさとなって、感じられるのであります。



〈18-3-5 絶えきれない程の苦しみも、「肉体人間の迷い」が感じているだけ〉

 つまり、「苦痛」「悲しみ」「恐怖心」「物質的崩壊」の大きさは、一時的に「肉体人間」にとっては、絶えきれないと感じる程の苦しみを与えるかもしれませんが、それは「肉体人間の迷い」が感じているだけであって、「実相の神の子」にとっては、一度たりとも「苦痛」は感じようがないのであります。

逆に、「実相の神の子」にとっては、肉体が勝手に「神の子の神性を隠蔽」していただけのことでありますから、その「衝撃力」によって、それらの迷いの縛りが消え去り、本来の「神の子の神性」が自由自在に顕現されることになりますから、実に歓迎すべきことなのであります。



〈18-3-6 一見不幸なことでも、霊的に観察すると不幸ではない〉

 生長の家で今、総裁に頼れない、本部に頼れない、組織に頼れない等々の現象が現れていることは、一見不幸なことのようですが、以上のような考えに立つ時、魂の向上という霊的視野から観察すると、不幸でもなんでもないということが分かるのであります。




18-4) 全ての出来事は、「神の無限力」を引き出す愛の働きである


〈18-4-1 如何なる状況でも、「必ず良くなる」と信じ切れるか〉

 「不幸」とは、魂的には逆に祝福されるべきことでもある、と言うことができるのであります。天地一切の出来事に対して、如何なる状況に自分が置かれましょうとも、「良くなるより仕方が無い」「必ずこれによって良くなる」と断言でき得る「信仰」を獲得することが、本来の生長の家の生き方であり、これが「光明思想」なのであります。



〈18-4-2 その人が信じた通り、現象に反映される〉

 この宇宙の大原則は何かと申しますと、当ブログでも再三申しておりますように、「自分の思った通りになる」ということであります。この大原則は、何人も揺るがすことは出来ないのであります。如何なる「暗黒状態」にありましょうとも、「必ず良くなるしかないのだ」と心の底から信じている人間にとって、「暗黒はすぐさま消える」のであります。その人が信じた通りに、その人の周囲には「良くなる」状況しか反映せざるを得ないのであります。



〈18-4-3 現象の悪に囚われずに、心を転じて実相世界を注視する〉

神の子の為すべきは、例え「暗黒」が現れようとも、その瞬間、現象の「暗黒」から心を転じて、「実相」の完全円満な世界を直視する生き方であります。これが出来得るのは、やはり「唯神実相哲学」の真理を学んだ者でなければ、なかなか難しいと言わざるを得ないのであります。

「現象無し」「物質無し」「実相独在」を会得した者でなければ、現象的困難に立ち向かった時に、現象の悪に囚われずに、一瞬心を転じて、実相の光輝く世界を注視する、などという芸当はなかなか出来にくいのであります。



〈18-4-4 神様の創造されている実相を拝み出す使命に邁進したい〉

 ここに「生命の実相哲学」を学んだ者の素晴らしさがあるのです。そして尚且つ、人類的、国家的、社会的使命があるのであります。現象の悪や暗黒に対する「現象処理」については、それがお上手な方やお得意とする方にお任せすべきと思います。その方々も、神様からの大事な使命を授かっておられるに違いありません。餅は餅屋に任せておけばいいのであって、私たちは、現象の奥に実在する「実相」を観て、神様の創造されている姿を拝み出す使命に邁進したいものであります。



〈18-4-5 危急の時「進むべき道」を指し示す使命がある〉

非常時であればある程、そういう人が随所におられれば、動揺する周囲の人々の中にあって、極めて大きな「希望の星」となり得るのであります。そういう危急の時であればこそ、右往左往して現象に執着する人々があれば、「小僧、待て!」と一喝し、「進むべき道」を指し示すべきであります。現象の支えを無くして、「道」を求める人々の心に対して、「現象無し」「物質無し」の一喝と共に、実在するのは「汝の内にある実相である」と、「観るべき道」「進むべき道」を指し示す絶好のチャンスの到来と言えるのであります。



〈18-4-6 心を整え、神の叡智を頂きながら事に当たる〉

 現在、生長の家組織に於いては、刻々形ある頼るべき存在が崩壊しております。今後どのように展開するのか、小生にも知る術はありません。が、もしかすると、さらに頼るべきもの、信頼していた存在が、崩れ去って行くようなことも十分考えられるのであります。

如何なる状況が吾らに訪れましょうとも、吾らは何も恐れる事も、心配も要らないのであります。《衆生、劫尽きて大火に焼かるると見る時も、我が此の土は安穏にして天人常に充満せり。》(『法華経如来寿量品第十六』より)の通りの心境で、心を整え、神に波長を合わせ、神の「無限の叡智」を頂きながら、事に当たればいいだけであります。



〈18-4-7 全ての人々にとって、一番良くなる様にしかなっていない〉

 如何なる状況が現象に現れましょうとも、全てはなるべくしてなっているのであり、起こるべくして起こっているのでありまして、全ての人々にとって、一番良くなる様にしかなっていない、という「神の御心」を忘れてはならないのであります。

全ての現象の出来事は、畢竟、吾々の中に存在する「神の無限力」を引き出さんが為の、愛の働きであるのです。それ以外の事はこの世の中に存在しようがない、ということなのです。全ては「神」以外の何物でもなかったことを、全ての人々は何時か体感体得するよう定められているのであります。この世界は実に素晴らしい世界なのであります。




18-5) 如何なる出来事も「実相顕現」のためにある


〈18-5-1 その人の信念に基づいて、様々な対応の仕方があって当然〉

 生長の家教団の現象の形が、今倶胝和尚の峻厳なる力によって、斬り落とされようとしているのです。この現象の事件をどうみるかということが、一人一人に与えられた「公案」であって、その答えは一つではない筈であります。その人の信ずる信念に基づいて、様々な対応の仕方があって当然であり、様々な考え方と行動があって良いと思うのであります。

攻撃するも良し、反省するも良し、改めて勉強するも良し、戦うもよし、破壊するも良し、感謝するも良し、和解するも良し、逆に賛同するも無限の選択の一つで良いではありませんか。



〈18-5-2 全ての人には「選択の自由」が神から与えられている〉

 その人がそう選択するのは、その人自身の選択の自由なのであります。その人の選択の背景には、その人にしか分からない言うに言われぬ理由があるものです。基本とすべきは唯、「自分自身が如何なる道を選択するか」だけの問題であると思うのであります。この事だけは、神から「選択の自由」が自分自身に与えられているのでありますから、自分自身の責任において決断せねばならないのです。他人の選択については、神から「選択の自由」がその人に与えられていますので、その人の自由選択による決断に任せるしか、方法がないのであります。



〈18-5-3 様々な方々が実際行動を起されているのが素晴らしい〉

 個我の浅はかな考えでは、神様の計画、高級霊界の計画など、分かりっこないのでありますから、その神様、高級霊界の指導を仰ぐべく、「無我」に一歩でも近づく以外に方法はありません。その上で、小生自身と致しましては、自分なりの「気付き」を、このような個人ブログを使って提供するということが、現段階での小生の選択なのであります。その中には間違いも多々あるでしょうが、それはお許し頂きたいのです。

様々な方々が、この問題で色々な考えを示され、実際行動を起されています。それが素晴らしいと思うのです。一人一人の考え行動は、一見思想と形体は違っているように見えますが、このような無数の方々の熱心且つ真剣な行動を通し、それらの輪が大きくなれば、必ず偉大な力になるのではないでしょうか。



〈18-5-4 「実相」を観ることによってのみ、「美しい実相世界」の映像が展開される〉

 倶胝和尚の「現象の指を切る」働きは、小僧に対して「実相の指」を悟らせる切っ掛けを与えました。生長の家の今回の問題も、畢竟は「実相顕現」のために有効に働くものと信じています。そして、より多くの「神の子」たちが「実相」を観ることによってのみ、その心の映しである「美しい実相世界」の映像が、「現象世界のスクリーン」に展開されることになるでありましょう。



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【まとめ】18/倶胝竪指(ぐていじゅし)/一切の経験は「実相を顕現する」ためにある


18-1) 「倶胝竪指」の公案

〈18-1-1 生長の家の崩壊劇と「倶胝竪指」の公案〉

〈18-1-2 小僧は「物質の指」の奥に立つ「実相の指」を悟った〉



18-2) 「現象無し」の一喝

〈18-2-1 尊師の「現象無し」の一喝〉

〈18-2-2 「現象否定」を通らねば、「実相」には到達し得ない〉

〈18-2-3 「物質に囚われている人」は、必死になって生長の家を攻撃する〉

〈18-2-4 物質に囚われている人にとって、「純粋な真理」は「恐怖」の的となる〉

〈18-2-5 いつか「現象有り」という妄想は自壊せざるを得ない〉

〈18-2-6 「現象を切り捨てる」働きも、観世音菩薩の働き〉

〈18-2-7 「現象の指」を「本物の指」だと勘違いして、いい気になっていた〉

〈18-2-8 和尚の指を見た瞬間、「切られた現象の指」から心を解放させた〉

〈18-2-9 恐怖心に心が囚われている間は、悟りは成就しない〉



18-3) 「迷いの自壊(問題)」と「実相の肯定(解決)」の繰返し

〈18-3-1 この世界の出来事は、全て「倶胝竪指」の公案のようなもの〉

〈18-3-2 地上天国構築には、問題と解決の両方が必要〉

〈18-3-3 「実相の神の子」は、苦しみ様がない

〈18-3-4 物質への執着が強い程、「苦痛」が大きい〉

〈18-3-5 絶えきれない程の苦しみも、「肉体人間の迷い」が感じているだけ〉

〈18-3-6 一見不幸なことでも、霊的に観察すると不幸ではない〉



18-4) 全ての出来事は、「神の無限力」を引き出す愛の働きである

〈18-4-1 如何なる状況でも、「必ず良くなる」と信じ切れるか〉

〈18-4-2 その人が信じた通り、現象に反映される〉

〈18-4-3 現象の悪に囚われずに、心を転じて実相世界を注視する〉
〈18-4-4 神様の創造されている実相を拝み出す使命に邁進したい〉
〈18-4-5 危急の時「進むべき道」を指し示す使命がある〉

〈18-4-6 心を整え、神の叡智を頂きながら事に当たる〉

〈18-4-7 全ての人々にとって、一番良くなる様にしかなっていない〉



18-5) 如何なる出来事も「実相顕現」のためにある

〈18-5-1 その人の信念に基づいて、様々な対応の仕方があって当然〉

〈18-5-2 全ての人には「選択の自由」が神から与えられている〉

〈18-5-3 様々な方々が実際行動を起されているのが素晴らしい〉

〈18-5-4 「実相」を観ることによってのみ、「美しい実相世界」の映像が展開される〉
                       (以上)








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