生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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開祖・谷口雅春先生の直接指導録 <その8> =肉食か、菜食か= (388)
日時:2013年03月09日 (土) 10時52分
名前:信徒連合




開祖・谷口雅春先生の直接指導録 <その8>



=肉食か、菜食か=


『生命の實相』第15巻・人生問答篇(P.93〜95)



大川(兄):

・・・(森本さんは)時々わたしと意見が衝突することがあるのです。元来非常な菜食主義者で人間は肉食するから長寿をすることができないのだと言っていっさい肉食はされません。わたしの子供が病気になったときにも、それは君があまり肉食をするから、子供がそういう病気になるのだ、と言われました。

わたしは人間は心で病気になるのだから、そんなに窮屈に衛生衛生と言って促(とら)われるにはおよばない、心が自由になれば病気にかからんと申すのです。

ところが森本さんは人間というものは心と肉体とをもっているから、肉体も大切にしなければならんと言って非常に衛生を守られるのです。毎朝冷水摩擦を欠かされたことがない。食事はというと玄米の団子を一食二、三個に野菜少量といったふうに非常に質素なのです。

その癖、公のことだというと少しも金を惜しまれない。「生長の家」の例会にお寺を借りた時にも、そのお寺の借り賃を一人で支払われました。あの寺で集まりがあった時にも、そこまで三里も歩いて行かなければならないところですから、集った人たちがそこで食事をしなければならない。森本さんがお米を炊いて、わたしがほかの材料を持って行きました。




谷口:

本当にいろいろお世話になりますね。(中略)人間が肉食すべきであるか菜食すべきであるかは、それが衛生に適するとか適せぬとかのためではありません。

衛星に悪いから何をしてはいけない、これをしてはいけない――というような考え方になられますと、人間の生命というものは、「衛生」という外の物の支配を免れない弱い者だという自覚を深めることになります。

外の物に人間の生命が支配されるような弱いことになってはならないのです。人間の生命は何を食べても、どんな不衛生なことをしても、少しも害されることもない自由自在な相(すがた)なのが本当の相である。

と言って無理に不衛生をする必要はない。衛生とか不衛生とか、そんなことは迷いの世界の法則である。そんなものを超越して、ただ神の子のすがたのままに生きる。神の子のすがたのままに生きるとき自然に生活のすがたが整う。

すると、することなすことおのずから正しくなる。外から観れば衛生家に見えるかもしれぬし、また反対にむちゃをするように見えるかもしれぬが、そんなことはどうでもよい。

ただひたすら神の子としての相(すがた)をこの世に生きることだけが、われわれの選ぶべき道でなければならぬ――そうすると、あとは自然に整う――

肉食をしないということだって、不衛生とか衛生とかを問題にしてではない。ただひたすら神の子にふさわしい生き方をしようとするとき、自然にそうなる。それならば本当です。

神の愛であるから、苦痛を感ずる動物を憫(あわ)れむという上から、それを食べないというのなら、万物の霊長として動物の上に君臨する人間としての愛深き生き方ですけれども、肉食をしたら衛星に悪いと思って食べないのなら、人間の方が動物の肉に敗(ま)けたことになります。

何を食べても食べ物に敗(ま)けるようでは本当の人間ではない、本当の人間は何物にも敗けない自由自在な円満完全な生命である。これを自覚した上での生活が「生長の家」の生き方なんです。








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