生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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永遠生命・輪廻転生・個生命の進化を説かねば宗教家とは言えない! 開祖・谷口雅春先生の『御教え』を学ぶ<第七回> <第八回> <第九回・最終回> (5020) |
- 日時:2014年08月31日 (日) 07時51分
名前:信徒連合
世の中の凄惨無惨な社会的事件の発生は、現代人の<肉体生命尊重優先>の唯物的思考にあります。この根本的解決のためには「先祖供養・個別霊供養」が如何に大切か、さらには各人の単なる肉体生命よりも霊的生命を重視する社会的価値観の変更が必要であります。これからの現代人は、「永遠生命・輪廻転生・個生命の進化」について学び、日常生活の思考基準として行かねばならないのであります。マサノブ総裁は「そのような事は現代科学では確立された理論でもなく、宗教界に於いても“合意”には未だ至っていない。故に“今の教え”では採用しないのである」と明言しているのであります。故に、マサノブ総裁の『生長の家ってどんな教え?』でも触れてはいないであります。
「霊的生命」の思考――<永遠生命・輪廻転生・個生命の進化>を<先祖供養・個別霊供養>に加えて現代人に思想啓蒙をしなければ、唯物的肉体的現代文明の犠牲者(社会的凄惨残酷悲惨事件)を抑制する事はできないのであります。以下、引き続いて開祖・谷口雅春先生の『御教え』を学んで参りましょう。「生長の家 今昔物語・霊界篇」から転載いたします。
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個性命の進化と向上
(第三回)
『別冊・真理』<生死を超える道>よりの抜粋
霊的進化の促進――
<<宇宙の本源たる「一つの心」の宇宙設計中に於けるあなたの地位は、或る程度まで、生物学的法則と、人種と、その他の自然界の法則とによって決定されています。あなたは自己の人種、出生地、及びあなたの生まれた社会の性格や文化を変更することは出来ないのです。然し一個人としては自己の個体の運命を担当しているのであって、あらゆる面で自己の幸福増進のために心の法則を利用することができるのであります。然し宇宙設計中のあなたの地位は長期に亘る命題であって、あなたはその本体は「肉体」ではなく「霊」でありますから、自己の運命と云っても、五十年や七十年の限られた一生だけの問題ではないのであります。 従ってあなたは目先の幸、不幸にとらわれず、自己の個人的進化のために必要な真理を求めてそれを身につけることがあなたの務めであります。
肉体的な人間の進化の舞台に比し、遥かに高い世界があって、そこでこそ本当の自由と力と独立が得られるとすれば、あなたは人生の如何なる事業に従事するよりもその世界の発見に従事することに最大の興味を感ずる筈であります。われわれはその遥かなる高い世界に達するために、今まで多くの宗教人が選んで来たところの苦行と云う古い道にくらべて、一層確かな容易な旅する道を探し出して、その海図と、羅針盤とを得たのであって、それをあなたに紹介したいと思うのです。
キリストはこの自由と力と独立が得られる高き世界を「天国」又は「神の国」と呼ばれました。次に引用するコリント前書にあるように、パウロは実相の人間を自然人と区別してこれを「霊なる人」と呼んでいます。例えば――
始めの人アダムは活(い)ける者となれりとあるが如し。而して終りのアダムは生命を与うる霊となれり。霊なる者は前(さき)にあらず、反(かえ)って血気のもの前(さき)にありて、霊のもの後(のち)にあり。第一の人は地より出でて土に属し、第二の人は天より出でたる者なり。この土に属する者に、すべて天に属する者は似るなり。」(コリント前書第15章45−48節)
パウロは又コリント前書第15章で「兄弟よ吾汝らに告げん。肉と血は神の国を嗣(つ)ぐこと能わず。又朽つべきものは、朽ちざるものを嗣ぐこと能わず」と続けて言っているのであります。これは死すべき肉体は一時的のものであり、実相の霊体は永遠不滅であると云う意味であります。
この真理を悟る者は死に支配されることなく、死の恐怖を失うのであります。不滅と云うことは、土にて造られ土に複(かえ)るべき肉体によって不滅を得るのではなく、土にて造られず土に複ることなき実相の霊体によって不滅を得るのであります。
個人がいと高き神の国に至るために登る梯子の第一段は、魂は地上に於いても生活を営むが、同時に不滅の霊体を持っていることを認識しなければならない。この不滅の「霊体」こそ、神の国に至る「乗り物」なのであります。神の国に至ると云うことは肉体が向上進歩すると云うことではなく、霊の悟りが向上進歩することであります。これは霊的悟りであって、その悟りは霊体又は幽体の「主人公」たる不滅の「実相の自己」に目覚める時に得られるのであります。
この悟りを得た人は霊的進化の次の段階に入るのであります。然し吾々はその霊的進化の段階の資源や力を直ちに充分に利用出来ると云うわけには行かないのであります。それは巻いた糸を解くように、徐々にしか展敍(てんじょ)してゆかないのです。音楽、機械学、自然科学、工学等に於いて、技倆(ぎりょう)や専門技術は徐々にしか上達しないのと同じように、宗教的悟りも、精神科学の知識も、いはば徐々に滲(にじ)むように現実界の生活方法を通して染み込んでくるのであります。>>(P.91−94)
『別冊・真理』<生死を超える道>よりの抜粋
展開する舞台――
<<人生が発展し行く舞台面を見るためには色々の場面があって、それが統一されて最高の目標すなわち理想に向かって進んでいるのだと云うことを先ず知らなければなりません。鉱物界に岩石が生まれてやがてその岩石が砕けて土となったのは破壊であるかと云うと、そうではなくて、植物と云う地上生命出現のための準備をしたのであって、常により高きものへと前進しているのだと云うことであります。やがて植物は壊(くだ)けたる岩石の集合体なる土壌から発生し、それには種子(たね)を生じ種子は植物となり、植物は次代の種子を造ります。そしてこれが無限に繰り返されます。それは無限に増殖する生産能力を有する生きた有機体であります。それは霊の表現であるからです。またこの故に、植物は生産機械以上のものであります。機械は終いには摩滅して、役に立たぬ部品となってしまうけれども、植物は自己を修理し、自己の傷を癒し、自己と同じ美しさの植物を又別に創(つく)ることが出来るのであります。然し個々の植物はその存在の周期を終る時その活動を停止し、これを再び活動せしむることは出来ません。その復活は新しい体の中に行なわれます。すなわち、成熟した種子の中に再生するのであります。
植物及び全ての生物はこの周期的再生によって進化が可能なのであります。全ての生命の根元である「霊」は常に一層高度の表現に向かって進んでいるのであります。鉱物界に於いて、「植物」にまで発展すると云う声なき預言が、無生物の形の中に既に豫示(よじ)されているのと同じように、植物界には、さらにそれがなお一層複雑な有機体に発展することが豫示(よじ)されているのであります。植物の中には這うもの、歩くもの、走るもの、登るもの、飛ぶものがあるのであります。動物の如く食物を消化する植物もある。極めて巧妙な工夫と罠(わな)とを用いて獲物を捕らえる植物もあります。一寸触れるだけの刺激を与えるだけで、反応を表す神経組織を持っている植物もあります。或いは観たり、聞いたり、その他自己の生存する環境に適応する不思議な力を持っているものもあります。一つの植物がすべての感覚を持っているものはないが、種々の種類の植物の中にあらゆる感覚が表現されているのであります。
この無言の預言の中に、別の形の生命即ち動物界が預見されないでありましょうか。観察眼のある注意深い研究家なら、原始時代の植物界の高級な「種」の生命と知性とは、更に高級な生命体(動物)の出現を預示していたのだと云うこと、即ち植物の有する未完成感覚は、動物の視覚、聴覚、味覚、触覚となって表われる時代へと進んで行く過程中の胎児期であったと云うことに気がつくはずであります。
ここに注意を要する点は、生命が一段高い標準の生命に高昇する時、低い階級の生命的存在を常に支配すると云うことであります。この点は植物王国が感覚のない鉱物界より優位にあることは見れば明瞭であります。植物界に於いて生命は、自動力のない物質を捉え、持ち上げ、活動のための体として使用し、それによって霊と智慧とを発揮するからであります。私はこの興味深い植物の内にすでに潜在的に存在する動物的性格に興味を深く感ずるのであります。>>(P.101−103)
人間は大海の一波一波ではない、個性生命は肉体死後も滅しない(『人生を支配する先祖供養』P.97−98)
<<人間の生命は宇宙大生命の大海に浮かぶ単なる波ではないのである。“波は消えるけれども大海は永遠の存在である”というような説明の仕方では、人間は何らの慰めも受けることはできないのである。そんな考え方は、「大自然は永遠であるけれども人間は須臾(しゅゆ)的存在で消えてしまう儚(はかな)き存在だ」というのとおなじである。
吾々が進歩を願い、向上を志すのは、個生命として独自の人格的存在として刻苦精励努力精進しつつあるのである。人間があらわれては消える波のような存在であるならば、何の為に刻苦精励努力精進するのか――このような人間の“個生命的存在”を“大海の波”にたとえる考え方は唯物論の一種に過ぎないのである。人間は決して波のような無機物をもって譬(たと)えてその存在意識が解るような簡単な存在ではないのである。波に比較して考えたことが間違いであったのである。>>(P.98)
<<生命は、同一条件に対しても個性ある別々の反応を示すのである。・・・生命の反応は個性的であって機械的でないからである。こうして生ける人間の生命は個性に従って、同様の環境条件に於いても異なる反応を示し、異なる人生経験をし、その人でなければあり得ない独特の感応を起こして、その魂が個性ある独特の進歩を遂げるのである。
もし人間がこの人生に於いて幾多の困難を克服し、苦痛を忍び悲しみに耐え、複雑なる人生の事件に処して独特の反応を示しつつ、独特の進歩を遂げて来た個性的な人生経験の賜物(たまもの)が、肉体の死と共に何の甲斐もなく消えてしまって、Aの霊魂もBの霊魂も、一様に大生命の一海の中に個性もなく溶け込んでしまうとしたならば、地上の人生経験は全然無意義になってしまうのである。
そんなことがあるはずもないし、あって好いはずもないのである。この事については『生命の實相』の「霊界篇」に高級霊のヴェッテリニからの霊界通信に於いて、仏教学者のうちには霊魂は高級に進化するに従って個性を滅して宇宙生命に還元してしまうように説く者もあるがこれは非常な間違いであると、憤激した語調で説いて、霊魂は進化すればするほど一層個性が発揮されるのだといっていることを参考にせられたいと思う。>>(P.97−98)
『生命の実相』第10巻・霊界篇下巻
<<わが子よ、われわれは知恵あるものをも賞(ほ)め讃(たた)えないし、愚かなる者をいやしめようとは思わないのだ。なぜなら彼らはすべてかくあるべくしてかくあるのであるからだ。知恵なき者もやがて知恵を得るであろうし、知恵ある者もかつては知恵なき者であったからだ。
かくして人間はいよいよ高く向上するのだ。知恵において勝れたるものは、その知恵によって神から与えられたる使命を果たし、愛においてすぐれたる者は、愛によって神から与えられたる使命をはたす。しかし最も知恵においてすぐれたる者もやがてまた、最も深き愛を獲得するであろう。また愚かなる者もやがては最上の知恵を獲得するであろう。そして“あらゆる人類は永遠のタイムを通じて等しき高さに向上する。”>>(P.53)
<<われわれが、人を指して偉人だの賢者だのと呼ぶのは、その人の神性を指していうのではなく、その人が地上に生きている間の彼を指していうのだ。<すべての人々には神性が宿っている。>しかしこれを感ずる者はすべての人間というわけにはゆかない。大知恵者といえども、自己に宿っている神性を自覚しないでその地上の生涯を終ることがある。これは彼の運命だ。しかし、神がその人の上に微笑(ほほえ)みを投げかけ給う者のみは、自己の神性を感ずることができるのだ。
もし、大知者の上に神が微笑(ほほえ)みを投げかけ給うならば、彼はどうなると思う?彼は霊が神であることを感ずる、しかし依然として彼の頭脳には神は理解されないだろう。なぜなら、肉体人間の頭脳には神は理解し難きものであるからだ。「が、ひとたび神が彼の上に微笑(ほほえ)みを投げかけ給うたならば、彼はもう決して魂の歓びを失うことはできないのである。この“法悦”こそ奇跡(きせき)でなくてなんであろう。なんじら愚かなる人間が奇跡だなどと考えている現象よりも、魂の法悦こそ幾層倍もの深遠な奇跡であるのだ。」>>(P.54)
『人間死んでも死なぬ』<序・闘争なき世界への翹望(ぎょうぼう)>
<<本書で私が申し上げようとすることは近代のスピリチュアリズムの研究から得られた「他界よりの消息」に根拠を置くのであります。霊界通信に真実性をみとめない方にとっては無意義のたわごとのようにも思われるかも知れませんが、いづれは何人もこの肉体を捨てて何処かへ行かねばならないのであります。
或いは肉体の死と共に、「人間」そのものもなくなると信じている人もありましょうが、そう性急に速断しないで下さい。肉体死後に霊魂が存続するか、存続しないかで、この世の生活を生きる態度がかわって来なければならないのです。現世だけで、この「人間」が終るのでしたら、利己的快楽ばかりを追求しても好いかもしれませんが、現世の生活は、やがて来る未来世への準備であるとしたら、滅多な軽はずみな生活は出来ないと思います。>>(P.1−2)
<<現世にて苦しんだ人々からくる霊界通信は、苦痛の渦中にいるとき呪わしく思ったところの大苦痛も、現在享受し得ている向上の状態にくらぶれば、実にそれは小さなものに過ぎないと云う事を述べているのであります。私が『生命の實相』第九・十巻に書いている霊界通信の研究はお読み下さっていることだと思いますが、各種降霊会にあらわれて出て来た霊魂(スピリット)は、いづれも現世の苦痛が、今ある如き自己の向上をもたらしたと告白しているのであります。
「実に辛(つら)苦しみでした。しかしそれは苦しむだけの値打ちはあったのです。それは私の向上でした。--------そのために得たものは、私の苦しんだ苦しみなどのとても比べものにならないものです。」と一人の偉大なる霊魂(スピリット)は通信してきているのです。
苦痛の意義を否定し、苦痛が加わることを加害と認め、苦痛が存在することを被害と認める限りに於いて「苦痛は世界のいづこにも現存の事実なるが故に」この世界は加害者と被害者との調和なき集団としか認めることは出来ないでありましょう。しかし苦痛の意義をみとめ、苦痛を機縁として一切万物の霊魂が進化し得ることを知るものはこの苦痛の世界を霊魂の向上のための鍛錬の世界として喜んで受けることができましょう。
この自覚に立つことによって苦痛は私にとって自分を脅(おびや)かすものではなくなって来たのであります。激しき苦痛は肉体的には実に苦しい。しかしこれによって霊魂が進化するのだと云うことを顧みれば苦痛は私にとっては一種の勉強だと思われるようになって来ました。苦痛が来る毎に私は内なる自己に向かって「苦しめ、苦しめ、大いに苦しめ、そうして大いに進化し向上せよ」と言います。人は歯を治療するためや、健康をよくするためにでも可なりな苦痛を忍びます。それだのにわれわれは霊魂の向上のために苦しむことを呪うべき少しの理由もないと思うようになって来ました。
いやしくも此の世界が存在し得ている以上、どこかで調和しているに違いないのです。これは私が先見的に得た自覚でした。しかし苦痛は不調和のあらわれのように、今まで思われていたのでした。しかしわたしに霊界よりの通信が「苦痛は霊魂の進化のために、なくてはならぬものだ」と教えてくれたとき、この世界は苦痛があっても究極的には調和しているのだと云うことが判って来ました。もう私にとっては苦痛の境涯を閲(けみ)しつつある人も被害者でなければ、苦痛を与える人も加害者でなくなりました。それは互いの無限向上のための切磋琢磨(せっさたくま)であると信ずるようになって来ました。
私はこう信ずることによって、今まで敵として見えていた者が、自分を生かす味方に変貌することを体験しました。そこには宇宙の最高理念を実現せんがために、互いに切磋琢磨しながら進み行くための相互の心境を映す「鏡」があるばかりだと解って来たのです。>>(P.7−10)
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永遠生命・輪廻転生・個生命の進化を説かねば宗教家とは言えない! 開祖・谷口雅春先生の『御教え』を学ぶ<第八回> (5033) |
- 日時:2014年09月02日 (火) 08時10分
名前:信徒連合
個性命の進化と向上
(第四回)
『生命の實相』第10巻霊界篇下巻
<<真理の神仙譚(しんせんものがたり)の、いかにすばらしく美しいことであることよ。そして真理は、語れば神仙譚になるほかはないのである。われわれは全世界の悲しめる人たちに、この真理の神仙譚を語るために遣わされた使者であるのである。この世の悲しさに泣き濡れた者どもよ、眼をあげて真理を見よ。吾が囁く真理を悟れ――神はなんじたちの世界に光をかざして微笑(ほほえ)んでいたまうのだ。>>(P.117−118)
『實相金剛身の神示』
<<實相世界は一つの神に創造(つく)られ一つの神の叡智によって支配せられているから、秩序整然たる相(すがた)である。實相世界を空無の世界、虚無の世界、茫漠の世界だと思うものは誤りである。肉体の知恵にはわからぬ。悟ったつもりで間違っているから説いて聞かすのである。其処には山もあれば川もあり、植物もあれば動物もるある。獅子も羊もあるが皆な仲良く相戯れている。一切の人間、動物、諸霊悉く調和して相食むものはない。従って病気の人間は一人もない。山の形や、川の形や、植物の形や、乃至(ないし)動物の形なども、仮に現象界のそれに似ていると思へば好いが、一層精妙なのが実相世界の姿である。それは既に完成された世界であるが、完成したと言えば静止の世界のように思うかも知れぬが、不断の創造の世界である。不断の創造を続けながら完成した世界である。>>
『霊界の妻は語る』
<<幽界の光景はどんな流麗な筆致をもってしても描写し尽すことはできない程です。あまりにも素晴らしいので、言葉で形容することはできません。>>(P.328)
『霊供養入門』
<<人間は外面から観れば肉体であるけれども、内面からその本質を観るならば霊である。肉体には寿命というのがあって百歳を超える人は少ないけれども、人間の本質たるものを観るならば久遠不滅の霊であって滅びるということはないのである。されど、その霊がどんな心境にあるかによって、その存在状態が異なるのである>>(はしがき)
『霊界の妻は語る』
<<あの大陸が沈下したのが、一時代の終末でした。すべての遊星はそれぞれの進化の体系(システム)を備えています。すべての生物が完全の発達の頂点に達するには八億年かかります。あなたは人間の生まれ変りを信じますか?・・・あなたはアトランティス時代に生まれておられました。人間は進化の法則の下に於いて、一層高い霊圏に入ることができるほどに霊的に発達する過程として地殻の変動が起こるのが何時であるかを知る段階に到達したのです。人類発達の一周期毎に先ず地球表面の変動がおこると云うことに気がおつきでしょう。氷河時代は人類の世界の完全なる解体を意味します。南極北極に於いては今でさえ表現の状態が変化しつつあります。あなた達の住んでいる地球の一劫は四億五千万年で完了することになっているのです。そんなに永く経たなければ人類はその進化の頂点に入ることはできないのです。およそ一劫とは時間で成り立っている一周期です。火星の人類が一層進化しているのは、地球よりも其の一劫の期間が長いからなのです。ストーンヘンジはドルイド時代の遺物ではありません。それはアトランティス時代に先立つルミナリアン時代の遺跡です。イースター・ランドも同じことですそれは此の“劫”に入ってから隆起して来たのです。地上にはこの種の遺跡をのこすところが沢山あります。たとえばタスマニアにあるホーパート山がそれです。人類が進歩してくるにつれて、そのような資源から知識を汲み取ることが出来るようになるでしょう。私たちが貴方に望みたいことが一つあります。地上に脚をつけて研究を続けて頂きたいと云うことです>>(P.305−306)
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永遠生命・輪廻転生・個生命の進化を説かねば宗教家とは言えない! 開祖・谷口雅春先生の『御教え』を学ぶ<第九回・最終回> (5047) |
- 日時:2014年09月03日 (水) 07時34分
名前:信徒連合
個性命の進化と向上
(第五回・最終回)
<総括コメント>
=“おどろおどろしい”霊界観から“大宇宙ロマン溢れる”霊界観への大転換を!=
(1)洋の東西を問わず、人類歴史に於ける“霊界観”は、霊界とは何かおどろおどろしいもの、何か恐いものといったイメージの方が強かったのではないでしょうか?「幽霊、怨霊、悪霊、悪魔(サタン)、地獄、煉獄」と云う言葉が人類の潜在意識に何故か強く印象付けられております。そして、お芝居でも古典の世界でも、ドラマの世界でもこの様なまことに暗いイメージを伴ったテーマが扱われ、その方が一般大衆の関心を引いたわけであります。
(2)これに対し「善霊、高級霊、天国、浄土、」と云うことへの一般大衆の関心度は低く、これらのことを扱ったお芝居・ドラマ・小説も当然、世論の大きな関心と支持は得られなかったわけであります。
(3)原因結果の法則である「因果律」についても、「善因善果」は強調されず、因果の法則とは「悪因悪果の法則」であると一般的には理解されて来ていると言わなければならない状態が今まで続いて来ているのであります。
(4)人類社会全体が霊的に進化(実相顕現)してゆくためには、それこそ“日時計主義”で「善因善果の法則・善霊・高級霊・霊的進化向上」と云う言葉と話題が一般大衆の大いなる関心事となるような人類社会にしなければ、いくら世界平和を唱えても達成できるものではないのであります。唯物価値観をそのままにして幾ら平和論・環境論を唱えても効果は薄いものです。霊的価値観が全ての土台なのです。そのためには、宗教団体こそが先頭に立って、学校教育に“日時計主義的”霊的教育のカリキュラムを取り入れるような運動に取り組まねばならず、これこそが宗教団体としての第一最大の使命であるといっても過言ではないのであります。
(5)開祖・谷口雅春先生の御著書を拝読して私(筆者)が理解・自覚できた霊界観とは――
先ず、唯一創造神の生命の展開である完全円満完璧なる「実相世界」のみがあって、此の世界のみが本当にある唯一つの世界である。従って「実相世界」は「実在世界」とも云い、同じ意味であります。そして、神さまの自己実現としての「神の子人間」(個性生命)が自己内在の実相なるものを具体的に展開していく(実相顕現)ための舞台として造りだされたのが「現象世界」であり、この「現象世界」にも「肉体人間の住む物質としての地球世界」と「肉体を脱いだ霊魂がすむ霊界」があります。どちらの世界も「神の子人間」の完全に自由なる想念(心の想い)の反映として造りだされた世界であります。この様に、開祖・谷口雅春先生の霊界観では、「霊界」とはあくまでも「現象の世界」に属するものであり、「実相世界(実在世界)」とは明確に区別して認識しなければならないのであります。生長の家の信徒さんの中には、ときたま「霊界」を「実相世界(実在世界)」と思っている人もあり、宗教界の「師」と言われている人の中にも「霊界」のことを「実在世界」と書いている人もおられますので注意が必要です。開祖・谷口雅春先生の“霊界観”は明確に「霊界は現象世界に属す」ということであり、実相世界のみが永遠不滅の唯一の実在世界であると云う完全な一元論であります。実相世界(実在世界)の他に霊界が並存して居る(二つの世界が同格として存在するという二元論)のではないということであります。
(6)現象世界の存在目的は、「神の子人間」(個性生命)の実相顕現の場(舞台)、即ち、「個性生命」の“進化向上”の場(舞台)であります。霊魂としての個生命は「神様の自己実現」でありますから永遠不滅でありますが、肉体と云う衣を着て地球上の三次元現象世界に誕生してきた肉体人間としての寿命は有限であります。今生の課題をマスターし終わった霊魂は、次の課題に取り組むために肉体の衣を脱いで霊界に帰ります。そして霊界での霊魂進化の課題に取り組み、次なる来世の霊魂進化のプログラムを自分で作成し、その課題達成の為に最も相応しい父母を選んで誕生してくるわけであります。この過程が個性命の「輪廻転生・生まれかわり」と云う言葉で古来表現されている訳であります。地球霊界と地上世界との間の輪廻転生の全ての過程を卒業した個生命たる霊魂は、次は自己自身の希望または宇宙の経綸によって、地球以外の世界へ移りそこでの生命進化(実相顕現)の過程へと進んで行くわけであります。その意味で『生命の實相』の中では「宇宙のあらゆる天体は、生命進化のための場」であると書かれているのであります。このようにして個生命としての霊魂は無限の生き通しの実相顕現(無限の霊魂の進化向上)を目指して霊的飛翔を続けてゆくのであります。
(7)個生命としての霊魂の無限の霊的進化の修行と云う過程は、“苦行”という言葉であらわすのは適切な表現ではありません。“無限の霊的進化向上(無限の実相顕現)を目指して進む歓喜あふれる大宇宙の旅”であります。しかし、大勢の霊魂の中には、悪因悪果の法則によって霊界の最下層の地獄・煉獄で魂の反省と悔悟の修行をして居る霊魂もあります。そして客観的に見れば“苦行”といわざるを得ない境涯を反省と悔悟の自覚がめばえるまで続けて行くのであります。
(8)個性生命としての霊魂が無限の進化向上を目指して永遠無限の旅を続けていくこの大宇宙全体に働いている法則は、想念実現の法則、類は類を呼ぶ・類でないものは反発する法則、無限進化(實相顕現)の法則、天地陰陽の法則、調和性原理の法則、原因結果の法則、感謝報恩の法則等々いわゆる「心の法則」であります。この法則に順応するものは栄え、反対の行為・行動を採るものは好むと好まざるを得ない一時的衰退の魂の状態に陥るわけでありましょう。
(9)この様な大宇宙の経綸を、今生の地上人生を生きているときに積極的に学び、やがて帰ってゆく霊界とはどういう処なのか、その精確な知識の概要を前以って知って置くことは、今後の輪廻転生のための計画を立てるためにも有意義な事であります。(余談に成りますが、“千の風となって”の歌のごとく、肉体を脱げば(死ねば)その霊魂は個性を消滅して大生命の海の水の一滴となって、あるいは大気の中に分解吸収されて風になって吹いて行くのではなく、人間はあくまでもそれまで努力して開発(実相顕現)した個性を維持しながら一個の独立した明確なる個性生命(個生命=霊魂)として霊界へと帰っていくのであります。したがって、歌の正しい言葉の表現は“(霊魂=個生命は)千の風に乗って”でなければなりません。歌謡曲の作詞家といえどもその歌詞にはそのひとの価値観がどのようなものかが表現されており、その価値観がその歌謡曲を聴く人の心の意識深く定着して行くのであります。この意味に於いては、作詞家といえどもその社会的責任は重大であります。
(10)物質で構成されている地上の三次元現象世界の波長は、四次元以上の霊界の精妙な波長に較べれば、想念の具象化に要する時間は長く掛かりますが、霊界のそれは極めて短く瞬間的と云えるほどに速い。従って、<想うこと=実現完了>と云っても過言ではありません。また、地上世界では「潜在意識」は文字通りの“潜在”ですが霊界では常に潜在意識が表面意識となって顕在化しているのであります。
(11)地上の現象世界はその居住範囲・行動範囲は有限でありますが、四次元以上の霊界は無限の高さ、深さ、広がりがあります。その無限のエリアのなかで霊魂は自己想念の内容に相応しい場所で生きて行きます。地上世界では、霊魂の進化(実相顕現)の度合いに関係なく主として物質的且つ精神的な方面での“類は類を呼ぶ”法則が優先的重点的に働いて、国家を形成し、民族を形成しています。地域社会、団体や会社を形成しておりますがその構成人員の霊魂進化のレベルは千差万別であってそれが逆に霊魂同士の切磋琢磨、磨き合いによって霊界よりも霊魂進化のスピードを上げることになっています。此れに対して霊界の生活圏は無限でありますが、霊魂の進化(実相顕現)の同じレベルの者が類は類を呼ぶ法則に従って一つ一つの霊圏・霊層を形作っているのです。(霊界での居住場所=霊圏・霊層は完全なまでの“類は類を呼ぶ法則”が作用しており、類の違う魂同士の“磨き合いの生活”ではなく、同じ類の魂の“高め合いの生活”だと云えるのです。)肉体から幽体離脱して霊界を探訪したスウェーデンボルグ氏やロンドン心霊大学学長のマッケンジー氏などの霊界研究によりますと、霊界は最下層の地獄界から最高層の天国まで凡そ九層内外に分かれているとのことですが、“無限の霊魂進化レベルに応じた無限の層”があると理解するのが至当ではないかと思われるのであります。幽体離脱して霊界を探訪した人といえども無限の高さ・深さ・広がりを持つ霊界の隅々までを探訪できたわけではなく、同じことがまた霊界から霊界の様子を知らせてくれる霊界通信についても云える訳で、その通信や報告内容の差があるのはその為(探訪または見聞範囲の違い)であると考えられます。そしてまた、宇宙の全ての天体の霊圏はすべて通じ合(融合)っていると考えることも可能となるのであります。
(12)地球の霊界と地上物質世界(正確に表現すれば四次元以上の地球霊界の中に三次元物質世界は包摂せられている)は想念の世界に於いては因果的にお互いに影響し合っていますが、どちらかといえば地上世界での事件、出来事は霊界に於いてその原型(雛形)が形作くられそれが地上世界に現れてくる、その間高級霊による修正が行なわれることが多いのであります。故に、予言があたらない事が多いのであります。予言は霊界に於いて作られた原型を霊能者が読み取るわけですが、実際はその後の霊界での修正や地上の人間の想念の影響が色々と加味されていって、当初の霊界の原型が修正されて地上の実際の事件や出来事となって現れてくるからであります。
(13)個生命の存在目的は、輪廻転生によって無限の霊魂進化(自己の実相顕現)を目指すことにあるのでありますが、ある特定のレベルの高い共通の心を持った霊魂が宇宙の経綸に従って極めて高い形而上的目的を達成して人類全体の霊的レベルアップを図ることがあるのであります。この端的なケースが日本民族による天皇国日本の実相顕現・真理国家日本の建設で、更にそれを地球世界全体に敷衍して実相の現象化をはかることであります。
(14)地上現象世界のある面悲惨な状況はその原型は霊界で形作られ、それは低級霊界の霊魂の想念と地球現象界の人類社会の唯物的想念の作用が大きい。従って現代世界の戦争や紛争や大地震、津波、ハリケーン(台風)、飢餓、大規模伝染病、環境問題、列車や航空機の大事故、そして小さくは現代日本で起こっている社会的諸問題、諸事件等すべての根本的原因は霊界と地上人間社会の想念の乱れの反映つまり積もり積もった“業(悪業)”の自壊現象であるのであります。霊界の浄化と人類の唯物価値観を生命的霊的価値観へと転換せしめてゆく、此れが開祖・谷口雅春先生が示された「人類光明化運動」であり「天皇国日本の実相顕現・真理国家日本の建設」であります。教団としても地球霊界の浄化を進めると共に、信徒個人に於いても自らの悟りを深め自分の家庭の霊的浄化(神想観と先祖供養・個別霊供養)の励行が大切となってくるのであります。
(15)斯くの如くにして、私たち個人は今生の地上世界での霊的使命を果たして(地球人生学校の課程を卒業し)霊界へ戻っていくわけであります。そして地球霊界で更なる上層霊界へ進んで行くコース、再び三次元の地球現象世界へ誕生するコース、他の宇宙天体の霊界へ進んで行くコースを自己自身の自由なる意志で決定し、時にはグレートサムシングの宇宙の経綸に沿った特定の目的のための使命の方向へ進ませられる場合もあるわけであります。この様なコースの選択によって吾々個生命としての霊魂は無限向上進化(無限の実相顕現)の道を、苦行の霊魂進化ではなく、無限の希望と歓喜の生命進化の永遠の素晴らしき旅を続けて行く事ができるのであります。これすなわち、『神の子人間』としての個生命(一人一人としての霊魂)の持つ無限の可能性の久遠悠久宇宙人生――将に、『大宇宙ロマン人生』の展開であります。(この様な形而上的観点に立てば、将来の第二の地球の確保を目指して、火星等への移住計画を進めている現代科学者の考え方は間違いであり、物質科学の進歩によって火星等への移住が可能になったとしても唯物論の闘争侵奪環境破壊思想を宇宙の他の天体にまで拡散することになり、グレートサムシングの意志に完全に反する事になります。従って、人類社会は唯物的価値観を脱却して、開祖・谷口雅春先生の示された生命の実相・唯神実相の霊的価値観へと価値観の大変革を必要とするのであります。ここにこそ生長の家の大宇宙的存在意義があることを私たち信徒は自覚を新たにしなければならないと思うのであります。)
=完=
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