生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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<転載> 「マサノブ教団」全本部講師・地方講師必読の“真理の悟り”投稿文 <その十六> (5058) |
- 日時:2014年09月04日 (木) 10時30分
名前:信徒連合
この様な素晴らしい「生長の家」真理の理解と解説の投稿文が見つかりました。他の掲示板でも転載されております。最初に見つけてくださった方に感謝申上げます。
「マサノブ教団」が依然として「生長の家」という看板を掲げている限り、そこに所属している本部の講師部長、本部講師、地方講師の皆さんは自分自身どの程度深く開祖・谷口雅春先生の本来の『御教え』という真理を理解しているかの尺度として、熟読して頂くに値する現代の「維摩居士」とでもなぞらえることの出来る内容であります。謹んで御紹介させて頂きます。
出所は、−− http://56937977.at.webry.info/201409/article_1.html
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< 転載:第十六回 >
20/久遠の今<Vリーズ(2)/「物質無し」は哲学理論にあらず、科学的事実だ
<< 作成日時 : 2014/09/02 01:45
久遠の今<Vリーズの第二弾です。今回は、現代物理学から見た「物質」や「時間空間」に対する見方についての考察です。 ©2014あまむし 20-1) 理論物理学者は、「久遠の今」と「時間空間世界」との境目を研究している 20-2) 「時間空間」は、「過去」を計測(認識)するための道具である 20-3) 「物質無し」は科学的に既に証明されている 20-4) 「物質有り」から出発している現代理論物理学者の根本的誤謬(ごびゅう) 20-5) 結果を観測して起源を推論する、現代理論物理学者の誤謬 20-6) 宇宙と物質の起源を探る物理学者は、聞き手を間違えている 20-7) 作品を創った本人に「造り方」を聴け 20-8) 神が創造した万物は、神的霊的存在である
※インターネットの世界では、いつ情報が遮断されるか分かりません。もし、「もう一度文章を見てみたい」と思われる方がおられましたら、ご自分の責任で「保存」されることをお勧めいたします。拡散はご自身の責任でご自由にどうぞ! ©2014あまむし 【訂正記録】 2014/9/3 〈20-4-7 観察できなくなった時点ではじめて実在しない世界≠ゥら脱却し得た〉を追加。
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20-1) 理論物理学者は、「久遠の今」と「時間空間世界」との境目を研究している
〈20-1-1 「素粒子」の世界を観察すると、揺らいで来る〉 物質世界を構成しているのは「原子」であると、科学者は観察しています。「原子」は「原子核」や「電子」で構成されています。その「原子核」をもっと分析すると「素粒子」として観察されます。しかし、極微の「素粒子」の世界を観察してみると、小さな「粒」としては特定できなくなり、物質の本源が揺らいで来るのであります。
〈20-1-2 現時点の科学では、物質世界の本質を特定するに至っていない〉 物質同士の関係性を示す「相対性理論」等の法則と、物質の構成に迫る「量子力学」の法則とは、矛盾を生ずるのであります。さらに、それら素粒子発生の根源の原理として、「超ヒモ理論」や「膜理論」等が考えられておりますが、現時点における人間の科学では、物質世界の起源を特定するに至っておらないのが現状であります。
〈20-1-3 11次元の膜の世界でヒモが振動している〉 理論物理学者が、物質の根源を探れば探る程、物質としては特定できなくなり、「ぼやっとした、何かが振動しているような、波動のような世界である」と思われて来ているのです。10次元「超ヒモ理論」、11次元「膜理論」などはまさにそれでありまして、最近では「無数の膜の世界の上で、ヒモのような何物かが振動している」と科学者は考えているようですが、それが何であるかは全く解らないのです。小生など11次元と言われてもさっぱり解りません。
〈20-1-4 極微の物質発生の実体に迫る程、「ぼやけて観測し得なくなる」〉 素粒子を突き詰めて行くと、何故ぼやっとした「振動」だけの世界に入り込むかと申しますと、それは「物質が本来無い世界」の実体に迫るからであります。「物質の根源」の世界に肉迫しようとすれば、「時間空間以前の世界」を無理やり観測しようとするに等しい行為となるのでありますが、元来、その世界は「久遠の今」「時間空間以前の世界」でありますから、自他一体の「非客観世界」であるが故に、「観察すること自体が不可能」なのであります。
〈20-1-5 理論物理学者は「久遠の今」と「時間空間世界」との境目を研究している〉 したがって、その極微の物質発生の実体に迫る程、「ぼやけて観測し得なくなる」のは、当たり前なのであります。理論物理学者が今盛んに研究しようとしている世界は、「久遠の今」と「時間空間世界」との境目の研究、ということが言えるのです。この世界は、「非客観世界」と「客観世界」との間を繋ぐ世界でありますので、「心の世界」ということになるのであります。
〈20-1-6 「物質世界」を超越した、より高度な概念や法則が必要〉 「心の世界」を理論物理学として、解明しようとするのでしょうが、「物質の法則」以前の世界でありますから、「物質世界」を超越したより高度な概念や法則を駆使しなければならなくなるでしょう。その研究は、「哲学」「宗教」「精神科学」「神霊学」「心」の世界の研究に繋がることでありましょう。
20-2) 「時間空間」は、「過去」を計測(認識)するための道具である
〈20-2-1 現代科学の縛りからの解放によって「久遠の今」に迫る〉 「久遠の今」の反対の概念が、「時間の継続」や「物質の存在」や「時間空間の存在」という概念です。これらの概念は、客観的に事物を観察するための世界でありまして、総じて「現象世界」と云えます。現代科学が見つめているのは、概して「現象世界」の中でも「物質世界」であります。従って、現代科学では観察不可能な「久遠の今」の世界は言及できないでいるのです。今回は、現代科学の抱える多くの矛盾を知ることによって、「時間の継続」や「物質の存在」や「時間空間の存在」の概念の縛りから解放させ、「久遠の今」に迫ってみようと思います。
〈20-2-2 「物質がある」という概念は、時間と空間が無ければ成立し得ない概念〉 「時間が継続している」という概念自体を、そろそろ抜本的に考え直さねばならないと思います。「物質有り」の「唯物論の観点」は、「物質が存在している」ということを大前提にしています。実は「物質がある」という概念は、時間と空間が無ければ成立し得ない概念であるのです。
〈20-2-3 「自他分離の時間空間」という座標軸上でのみ、客観的に観察できる〉 それはどういうことかと申しますと、「物質が存在する」という風に認識する為には、「客観的に観察する」必要があります。「客観的に観察する」為には、どうしても自己を中心とした「自他分離の時間空間」という座標軸上で、「対象となる物質」なるものを観察しなければならなくなるのです。それは、観察する自分と、観察される「物質」とが、「離れた存在」にあるということなのです。「離れなければ」客観的に観察できないのです。
〈20-2-4 時間空間は、「過去」を計測する物差し〉 そして、この時間空間の概念は、「過去」を作り出すのです。全て時間空間上の存在は「物質」として客観的に認識することができ、それは「過去」として認識されるのです。「時間空間」は、「過去」を計測(認識)するための道具(物差し)であると言い得るのです。
〈20-2-5 8.6光年離れたシリウスの光は、8.6年前の「シリウスの過去」を見ている〉 一番端的な例を示せば、宇宙の恒星です。地球から見える恒星で、最も明るい星はシリウスです。シリウスは地球から8.6光年離れた星でありまして、シリウスで発した光が地球に到達するまでに、8.6年時間がかかる、ということです。つまり、8.6年前にシリウスが発した「光」を、今地球上で観察しているということになります。今見えているシリウスの光は、シリウスの8.6年前の「過去」を見ていることになります。
〈20-2-6 時間空間に存在する物質は、全てが「過去」である〉 一事が万事、時間空間に存在する物質は、一切が「過去」の状態を観察している事になっているのです。例え、手で触れ得る間近の物体でありましょうとも、「距離」があるという事は、「過去」を観察しているということなのです。物質世界、時間空間世界の一切合切が、「過去」だということです。
〈20-2-7 時空間の物質(=過去)は、「存在」を客観的に認識する道具〉 「過去」しか、客観的に「観察」することは不可能なのです。別のいい方をすれば、観察するためには、「過去」をわざわざ作らねば観察できない、とも言えるのです。「存在」を客観的に認識するためには、「時間空間」の概念の中で、「存在」を「物質(時間空間的広がり=過去)」として捉える必要があるのです。客観的存在である「物質」とは、すなわち「過去」なのです。
〈20-2-8 「過去≠ヘ既に無い」故に「物質一切は無い」〉 そして、誰もが知っている当然の道理として、「過ぎ去った過去≠ヘ既に無い」のです。ということは、吾々が当たり前の様に何時も観察している「時間空間の世界に存在していると感じている物質一切」は「無い」のです。吾々は「無い過去を客観的に観察している」に過ぎないのです。
〈20-2-9 客観的に観察できるものは存在していない〉 さらに、「客観的に観察できるものは存在していない」と言えるのであります。客観世界に映し出された瞬間から、「鏡」の世界を見ているようなものでありますから、映し出された「観察可能な物質」は「影」であって実在していない、ということになるのであります。つまり、「観察可能な一切の存在」は、「客観的存在である」という理由だけで、「実在しない」と云い得ることになるのであります。「実在するもの」は、客観世界を映し出している「元の実在」であり、それは「非客観的存在」でありますので、観察不可能であるのです。実在する世界が、「久遠の今」の世界であります。
〈20-2-10 「肉体」も物質として観察し得ているが故に、実在しない〉 また、今自分の体として現れている「肉体」自体も、「客観的に観察できる存在」でありますから、「実在しない」ということになるのです。「物質(肉体)として現れていること自体」が、「非実在」であり、逆に「観察し得ざる生命的存在」の方が、「実在している」ということになるのであります。その生命的実在が、「久遠の今」に在るのです。
〈20-2-11 「時間空間」自体が「本来無い」〉 「時間空間の世界に存在していると感じている物質は無い=vと申しましたが、「物質だけが無い」のではありません。実は「時間空間自体が本来無い」のであります。それはどういう事かと申しますと、「時間空間の世界」は例えて言うなれば、「鏡」のようなものであるからです。
〈20-2-12 物質は鏡に写った虚像のようなものだから「物質は無い」〉 今「鏡」に「自分の顔」が写っているとしましょう。「鏡」に写っている「顔」は「虚像」でありますから、それは「無い」のであります。同様に「物質」と見えている物は、「鏡」に写っている「虚像」のようなものでありますから、「物質」は「無い」のであります。
〈20-2-13 「時間空間」自体は「鏡」であって「本物(実在)」ではない〉 「鏡」に写っている「自分の顔」は本物の自分ではありません。では「鏡」自体が「本物の自分」かと云いますと、「鏡」は飽く迄「自分」を映し出す「道具」でありますから、「本物の自分」ではありません。同じ様な意味において、「時間空間」自体も、「本物(実在)の世界」ではないということであります。「時間空間」は「久遠の今」という本物の世界を映し出す為の「道具」であるのです。
20-3) 「物質無し」は科学的に既に証明されている
〈20-3-1 「物質が存在し続けている」のは、瞬間瞬間、神が創造活動しているから〉 では「物質が存在し続けている」ように観察し得ているのは、一体どういうことなのでしょうか。それは、瞬間瞬間、神が創造活動し続けているからなのです。神の創造活動が一瞬でも停止すれば、次の瞬間、一切は消滅するでありましょう。過去たらしめている「時間空間」も同時に消滅しますので、一切は消滅するに違いありません。
〈20-3-2 消滅せずに観測し得ること自体、神の連続的創造を証明している〉 消滅せずに観測し続けていられるということ自体、神が一瞬一瞬(久遠の今)、「時間空間の現象宇宙」を含めた、宇宙の一切万物を、創造し続けているということを証明していると言えるのです。
〈20-3-3 「物質が存在」=「過去が存在」=「非存在が存在」という大矛盾〉 この道理が分かって来ますと、漠然と人類は「物質が存在している」と思い込んできましたが、「時間空間」上でしか、客観的に「物質として」観測できていないのだ、という事が分かるのであります。さらに、先ほど宇宙空間の星は全て「過去」を観測している、という事実で説明しました様に、その「客観的に観測している」時間空間の存在というものは、一切が「過去」でありますから、「物質=過去=存在しないもの」という結論にならざるを得ないのであります。つまり、最初に仮定したところの「物質≠ェ存在している」という概念は、「過去≠ェ存在している」となり、さらに「存在しないもの≠ェ存在している」という、大矛盾に変貌してしまうのです。
〈20-3-4 物理学上も「物質無し」「現象無し」は、証明されている〉 これはどこが間違っているかと申しますと、最初に仮定したところの「物質≠ェ存在している」という概念が、そもそも間違いであったということが、証明されたことになります。要は「物質は無い」のであります。「物質無し」「現象無し」という概念は、「生命の実相哲学」上の哲理ではありますが、時間空間の三次元世界を観察している物理学上の常識から見ても、この「物質無し」「現象無し」という概念は、既に証明されたと、断言し得るのです。
〈20-3-5 「物質無し≠フ事実の承認」という「新天地」への船出〉 不思議な事に、科学者の方々は、既に証明済みの「物質無し」の科学的事実を、認めていないだけのことです。科学者の目的は、宇宙万物の「真理」を解明することです。であるならば、過去の既成概念の殻を打ち破って、「物質無し≠フ事実の承認」という「新天地」に、勇敢に船出してみるべきではないでしょうか。
20-4) 「物質有り」から出発している現代理論物理学者の根本的誤謬(ごびゅう)
〈20-4-1 ヒモ理論、膜理論、並行宇宙論・・・、迷走する最新理論物理学〉 最新の理論物理学は、素粒子論を発達させ、「超ヒモ理論」さらに「膜理論」「並行(平行)宇宙論」と発展させて、宇宙の起源、物質の起源、存在の起源を「宇宙の統一理論」として、完成させようとしているのであります。しかし、かなりいいところまで理論が進展しても、どの理論も難しい「矛盾」や「壁」に突き当たるようであります。その度にそれを解決せんがための、新しい概念、理論、発想を生み出しつつ迷走≠オているのであります。
〈20-4-2 払拭せねばならない本質的概念の間違い〉 このような努力は、様々な科学的進歩を促すでありましょうが、抜本的な宇宙の起源、物質の起源、存在の起源に到達することは、どこか無理があるように思うのであります。それはどういうことかと申しますと、最も本質的なところで、払拭せねばならない概念の間違いがあるのではないかと思うのです。
〈20-4-3 「物質≠ェ存在している」という誤謬〉 本質的な誤謬(ごびゅう=論証の過程に論理的・形式的な明らかな瑕疵(かし=きず、欠点)があり、その論証が全体として妥当でないこと)があるとすれば、それは「物質≠ェ存在している」という大前提であります。
〈20-4-4 「無い物質」に起源は無いが、映し出した元を想像はできる〉 「無い」ものを「有る」として、その起源を発見し証明しようとすること自体に、元来無理がある、という事なのです。「無いもの」に、幾ら起源を探しましても、「起源は無い」のであります。前章までで明らかにしたように、「物質も時間空間も無い」ことは、既に証明済みであります。ただし、「物質の起源はない」のでありますが、「物質を映し出した元にある実体」を、想像することは可能であります。
〈20-4-5 「観察し得る」こと自体が、「存在しない」ことを証明している〉 「観察し得る」こと自体が、客観的存在であり、時空間の存在でありますから、「観察し得る」ということ自体が、「存在しない」ことを証明しているのであります。この概念は、通常の肉体人間が感じている「存在」に対する認識とは全く逆です。常識的な感覚では、「観察できたということは、実在する」ということになるのですが、純粋に科学的に考察しますと、全く逆になってしまうのです。これは非常に奇妙なことですが、事実なのです。
〈20-4-6 観察できる物=実在しない/観察できない物=実在する〉 さらに申せば、肉体人間にとって「観察できないもの」が「実在するもの」ということになるのであります。言葉を変えれば、実在するものは霊妙不可思議な観測し得ざる存在でありまして、それを客観的に観察する(味わう)ために、時間空間という「認識の形式」を使って、「物質」として観測し得る状態に映し出すのであります。しかし、その映し出された「物質」なるものは、「物質」として映し出された瞬間から「過去」となるのであります。つまり、それは「無い」のであります。
〈20-4-7 観察できなくなった時点ではじめて実在しない世界≠ゥら脱却し得た〉 「観察できないもの」が「実在するもの」という概念は、本当は正確ではないのかも知れません。もっと正確に申すとすれば、「観察できなくなった時点ではじめて実在しない世界≠ゥら脱却し得た」ということは言えると思うのであります。何故なら、「観察できる」ということは、「実在しない」からであります。
20-5) 結果を観測して起源を推論する、現代理論物理学者の誤謬
〈20-5-1 「推論方法」の誤謬〉 前節で、現代物理学者の根本的誤謬の一つとして、「実在していない物質」を「物質が実在している」とする大前提で、宇宙の起源、物質の起源を探求することの間違いを指摘しました。次にもう一つ、現代物理学者の根本的誤謬を指摘したいと思います。それは「推論方法」の誤謬であります。
〈20-5-2 創造する時に活用する「概念」と、創造の結果としての「法則」とでは違って当然〉 現象に現れた「物質」を観察して得られた「様々な法則や公式、定数、方程式」を駆使して、数学的概念で、宇宙の起源、物質の起源を探求しましても、それらの観測された「法則や公式、定数、方程式」は、あくまで、宇宙が創造された結果から導き出された「法則や公式、定数、方程式」でありますから、「宇宙を創造する時に使われた概念」と完全に一致しているかどうかの、証拠はどこにもないのであります。創造する時に活用する「概念」と、創造の結果としての「法則」とでは、違って当然なのです。
〈20-5-3 建物を設計建築する時の「概念」は、極めて複雑な要素の集まりである〉 例えば、人間が建物を設計建築する時に活用する「概念」は、極めて複雑な心の要素を使っています。「イメージ」「試行錯誤」「創造」「想像」「思考」「発見」「インスピレーション」「企画」「構想」「設計」「段取り」「構築」「工作」等々の概念と作業行程は、誰もが何かを作る時に活用している「心の作用」であり、具体的な働きであります。
〈20-5-4 結果から導かれた「法則」を並べても、創造活動時の働きを再現できない〉 それに対して創作活動の結果として作られた作品を観測して、計測、発見されたところの「法則」「数式」「物体と物体との関係性」「模写」等々は、それなりに数式化も出来ましょうし、図式化して表現することも可能です。しかし、その結果から導かれたところの「法則」「数式」「関係性」「模写」等々をいくら並べても、当初の創造活動時の働きを、完全に再現することはできないのです。
〈20-5-5 現象世界から観測した「法則」からは、宇宙の創造原理は導き出せない〉 宇宙を創造し、物質世界を創造した、叡智者の創造活動の根源を探ろうとして、現象世界から観測した「法則や公式、定数、方程式」を幾ら時間をかけてこねくり回しても、そこからは、宇宙を創造した叡智者の創造原理は導き出せないのであります。宇宙の起源と物質の起源を探ろうとする、現代の「理論物理学」の手法は、概ね現象に現れている、観測可能な物質世界から導き出された「法則、数式、定数、方程式」等を使って、数学的に宇宙の起源に迫ろうとする試みであります。したがって、現在の「推論方法」から脱却しない限り、永久に「創造者の創造原理」を見出す事はできないのです。
20-6) 宇宙と物質の起源を探る物理学者は、聞き手を間違えている
〈20-6-1 理論物理学は現象に現れたものを起源として、宇宙創造の仕組みを探ろうとしている〉 以上、現代の理論物理学者が採用している「推論方法」の誤謬を指摘しました。それではどのような手法を使えば、「宇宙の起源」「物質の起源」という、物理学世界の究極の疑問を解決し得るのでしょうか。いくつかの具体的な例を上げて、考えてみたいと思います。
〈20-6-2 「花柄の美しいハンカチ」がどのようにして作られたか〉 先ずは、極簡単な卑近な例を上げてみましょう。ここに一枚の「花柄の美しいハンカチ」があるとします。その「花柄の美しいハンカチ」の起源を探ろうと、そのハンカチを科学的に分析すれば、素材、染料の化学的組成、風合い、糸の太さ、糸の原材料の産地、花模様のパターン化、色彩の色相、明度、彩度の数値化、図式化、数式化等々、色々と分析が可能でしょう。では、それらの研究結果のデータだけに基づいて、「花柄の美しいハンカチがどのようにして作られたか」という起源を探ろうとしても、何十年、何百年頑張ったところで、その起源は解明できません。それは何故かと申しますと、その「花柄の美しいハンカチ」をデザインしたのは、人間の心であって、その人の心が「創造力」を働かして、創作したものだからです。物質の分析から得られるデータを幾らスーパーコンピューターにかけても、製作者の創造力を見い出すことはできないことぐらい、子供でも分かる道理なのです。「花柄の美しいハンカチ」を創造したのは人間なのでありますから、作り方を知りたければそれを創った人に聞けばいいのです。
〈20-6-3 地形や石の特徴と法則を調べて、ピラミッド作製方法を知ろうとするのと同じ〉 またそれは、「ピラミッドがどのように建てられたか」を知るのに、「ピラミッド周辺の地形・地質の特徴や、石の素材の特徴を調べ上げて、それらがどのようにして、ピラミッドの形に積み上げられたかを法則≠駆使して知ろう」という試みに似ています。
〈20-6-4 ビラミッドを造ったのは、設計者、技術者、石工、労働者である〉 ピラミッドは、石や地形が自然の法則に従って、加工され積み重ねられたものではありません。あれを造り上げたのは、ビラミッド設計者であり、技術者であり、石工であり、労働者であります。ピラミッドの作り方を知りたければ、ピラミッドの設計者、技術者に聞くのが一番いいのです。
〈20-6-5 宇宙を創った設計者、技術者、働き手を無視しては、「宇宙創造」は分からない〉 同様に、「宇宙で観測された法則」や「現象の有り様」を調べて、色々と駆使してみましても、宇宙を創り上げたところの設計者、技術者、働き手の存在を無視しているようでは、「宇宙創造」のあり方は全く分からないのです。 〈20-6-6 結果の情報のみで、建築手法は完全に知り得ない〉 このように、出来上がった結果の情報に基づいて、建築設計者の設計手法、建築手法、建築技術を備(つぶさ)に知ろうとする努力は、完全に報いられるとは限らないのです。近いところまでは迫れるかも知れませんが、その奥の謎はこの方法からは知り得ないのです。
〈20-6-7 最後は宇宙創造者たる「神」に聞く以外に方法はない〉 ある建物があったとして、それに関するある程度の情報を探るのであれば、建築された建築物の調査・研究・分析だけでもいいのですが、やはり、もっと詳細にその建物の作り方や建築上の工夫を知ろうとするなら、実際にその建物を建築した「設計者・建築家・技術者」に聞くのが一番確かな方法なのです。宇宙の創造、物質の創造についても全く同じ事が言えるのでありまして、物理学者の行っている現象宇宙の調査・研究・分析をベースとした上で、最後のところは宇宙創造者たる「神」に聞く以外に方法はないのであります。
20-7) 作品を創った本人に「造り方」を聴け
〈20-7-1 機械(宇宙)の造り方を知りたければ、造った本人に聴け〉 何かの機械が壊れた時、誰に修理をお願いすればいいのでしょう。一番確実なのは、その機械を造った当人に修理を頼むのが一番確実な方法です。それは、造った本人が、その機械の構造、造り方、使い方を一番熟知しているからです。それと同じ事で、「宇宙の造り方」を本当に知りたければ、「宇宙を造った本人」に聴いてみればいいのです。他の人にいくら聞いても、自分自身で考えても、それでは結局分からないのです。
〈20-7-2 謙虚でなければ、聴くことはできない〉 では、宇宙の創り手に聴くにはどうすればいいのでしょうか。「聴く」為にはまず、こちら側が「謙虚にならねば」聴く事はできません。それはどういう事かと申しますと、「自分は分からない」ということを表明する謙虚さ≠ナあり、聴く相手が「自分より知恵あるものであり、よく知っている」という相手を尊敬する謙虚さ≠ナあります。
〈20-7-3 電波を受信したければ、受信器の波長を合わせる必要がある〉 もう一つ重要な事は、創造者の心の波長にこちら側の心の波長を合わす、ということでしょう。テレビ、ラジオの受信の仕組みの根本は、「波長を合わす」ということです。無数の波長の違った電波が、今この空間を飛び交っていますが、その中から必要とする電波を受信したいと思うなら、その電波の波長を知って、その波長にピッタリとこちらの受信装置の波長を合わせる作業をまず行わなければならないのです。
〈20-7-4 宇宙創造者の波長がどんな波長か〉 宇宙創造者の波長にこちらの波長を合わす為には、宇宙創造者の波長がどんな波長か、ということを知らなければならないのです。いったいどんな波長なのでしょうか。それはこの宇宙を色々と観察してみれば、その全体像は自ずと分かってきます。
〈20-7-5 宇宙創造者は、広い心、無限の叡智と法則と秩序ある存在である〉 先ずは、宇宙は広いです。ということは、宇宙創造者の心もきっと「広い」のでしょう。こちらも「広い心になって」その波長に合わせましょう。次は無限の叡智や法則で、秩序整然と運行されているのが宇宙です。ということは、宇宙創造者の心も、無限の叡智と法則と秩序あるものでしょう。こちらの心もそうありたいものです。少なくとも、「宇宙創造者は、無限の叡智と法則と秩序ある存在である」という認識だけは持つ必要がありそうです。
〈20-7-6 この世界は生かし合って、協力し合って、愛し合っている〉 その次は、それぞれの物質や星同士が、不思議な関係性とバランスを持って、運行されている事実が発見できます。これを吾々は「重力」とか「万有引力」とかと呼んでいます。生物も、物質も互に生かし合って、お互いの生存を助け合っています。これらは「愛」と呼ばれている要素です。きっと宇宙創造者の心は、無限の愛を持った素晴らしい存在に違いありません。こちらの心も「愛」の波長を発する必要があるでしよう。少なくとも「この世界は生かし合って、協力し合って、愛し合っている」ということを認識しておく必要があるでしょう。
〈20-7-7 無限の力、無限の調和、無限の喜び・・・〉 他にも色々とありそうです。「無限の力」であったり、「無限の調和」であったり、「無限の喜び」であったり、様々な要素が発見できます。それら宇宙創造者の心の波長と同じような波長を、こちら側の心が起こすことをしないと、宇宙創造者に聴こうと思っても、具体的に「聴ける」ことにはならないでしょう。
〈20-7-8 波長さえ合わせれば、宇宙創造、物質創造の謎を聴く事ができる〉 宇宙創造者に宇宙創造、物質創造の原理を聴こうとした時に、必要となるのは、こちら側の心の波長を、宇宙創造者の心の波長と同じような波長に整えておく必要があるということです。そうすれば、きっと宇宙創造者が発している波長を受信して、宇宙創造、物質創造の謎の部分を聴く事ができるのではないでしょうか。因に『19-3) 「日本惟神の道」は「真象」を現す原理、『古事記』は宇宙創造の原理』で書きましたように、宇宙創造者に心の波長を合わして、「宇宙創造の原理」を地上に天降したのが、『古事記』の神話なのです。
20-8) 神が創造した万物は、神的霊的存在である
〈20-8-1 物質宇宙と法則がまずあって、物質が運動しているのではない〉 この三次元宇宙空間とは、吾々が今まで思い込んでいたような、「物質宇宙」が先ず存在して、「物質」が発生し、「物質宇宙の物理法則的惰性」に基づいて、運動したり、消滅したりする、というものではないのであります。肉体人間から観察すると、そのように見えているだけのことであって、本当は、一瞬一瞬(久遠の今)、神の光源(理念や働きを備えた光源)から発した「霊的光(創造の念波)」によって、全宇宙の一切万物を新たに創造されている、ということだったのです。
〈20-8-2 今の一瞬、神から創造された「霊的実在」であって、物質的死物ではない〉 この事が理会できますと、一切万物は「物質」などというものではなく、神の理念と叡智と働きと法則と愛そのものであることが、よく分かるのであります。「光源なる神」から発せられた「霊的光」そのものが、大宇宙の一切万物の正体であったのです。原子一つ、素粒子一つ、微生物一つを見ても、それは今の一瞬、神から創造せられた「霊的実在」であって、物質的死物はこの宇宙に何一つ存在しなかったのでありました。
〈20-8-3 人間は神の宇宙創造活動に参画して、地上天国建設をしている〉 何とも霊妙不可思議なる世界であります。吾々はこの神の無限創造の一瞬一瞬の中で、神と共に協力しながら、神の宇宙創造活動に参画して、地上天国建設をしているわけでありまして、何とも荘厳極まりない使命を、神から授かっているのであります。これこそが神が人類全員に与えた使命であります。
〈20-8-4 一切万物は神の生命的創造物であり、神の霊的実在〉 一切万物を見るに、今までは物質として見ていましたが、それは間違いであったのです。微生物であれ、土の塵であれ、星であれ、一切万物は、神の生命的創造物であり、神の霊的実在でありますから、一切万物を「神の現れ」として拝みながら、感謝して接していきたいものであります。
〈20-8-5 「過去」で観察すると「物質」と見え、「久遠の今」と観る時「神の顕現」となる〉 「物質」と観じていたのは、唯「観察するため」にそう観じていたに過ぎなかったのです。「物質」と観じていた元の存在は、「久遠の今」の「神の創造の輝き」であったのです。それを「時間空間の世界」で「過去」として観察すると「物質」として感じられ、「久遠の今」として観る時、「神の顕現」と観じることが出来るのです。つまり、「久遠の今」として万物を観ることが如何に重要なことであるか、ということが解るのであります。きっとキリストや釈迦や雅春先生は、「久遠の今」を常にじっと観ておられたのでありましょう。
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【まとめ】20/久遠の今<Vリーズ(2)/「物質無し」は哲学理論にあらず、科学的事実だ
20-1) 理論物理学者は、「久遠の今」と「時間空間世界」との境目を研究している
〈20-1-1 「素粒子」の世界を観察すると、揺らいで来る〉
〈20-1-2 現時点の科学では、物質世界の本質を特定するに至っていない〉
〈20-1-3 11次元の膜の世界でヒモが振動している〉
〈20-1-4 極微の物質発生の実体に迫る程、「ぼやけて観測し得なくなる」〉
〈20-1-5 理論物理学者は「久遠の今」と「時間空間世界」との境目を研究している〉
〈20-1-6 「物質世界」を超越した、より高度な概念や法則が必要〉
20-2) 「時間空間」は、「過去」を計測(認識)するための道具である
〈20-2-1 現代科学の縛りからの解放によって「久遠の今」に迫る〉
〈20-2-2 「物質がある」という概念は、時間と空間が無ければ成立し得ない概念〉
〈20-2-3 「自他分離の時間空間」という座標軸上でのみ、客観的に観察できる〉
〈20-2-4 時間空間は、「過去」を計測する物差し〉
〈20-2-5 8.6光年離れたシリウスの光は、8.6年前の「シリウスの過去」を見ている〉
〈20-2-6 時間空間に存在する物質は、全てが「過去」である〉
〈20-2-7 時空間の物質(=過去)は、「存在」を客観的に認識する道具〉
〈20-2-8 「過去≠ヘ既に無い」故に「物質一切は無い」〉
〈20-2-9 客観的に観察できるものは存在していない〉
〈20-2-10 「肉体」も物質として観察し得ているが故に、実在しない〉
〈20-2-11 「時間空間」自体が「本来無い」〉
〈20-2-12 物質は鏡に写った虚像のようなものだから「物質は無い」〉
〈20-2-13 「時間空間」自体は「鏡」であって「本物(実在)」ではない〉
20-3) 「物質無し」は科学的に既に証明されている
〈20-3-1 「物質が存在し続けている」のは、瞬間瞬間、神が創造活動しているから〉
〈20-3-2 消滅せずに観測し得ること自体、神の連続的創造を証明している〉
〈20-3-3 「物質が存在」=「過去が存在」=「非存在が存在」という大矛盾〉
〈20-3-4 物理学上も「物質無し」「現象無し」は、証明されている〉
〈20-3-5 「物質無し≠フ事実の承認」という「新天地」への船出〉
20-4) 「物質有り」から出発している現代理論物理学者の根本的誤謬(ごびゅう)
〈20-4-1 ヒモ理論、膜理論、並行宇宙論・・・、迷走する最新理論物理学〉
〈20-4-2 払拭せねばならない本質的概念の間違い〉
〈20-4-3 「物質≠ェ存在している」という誤謬〉
〈20-4-4 「無い物質」に起源は無いが、映し出した元を想像はできる〉
〈20-4-5 「観察し得る」こと自体が、「存在しない」ことを証明している〉
〈20-4-6 観察できる物=実在しない/観察できない物=実在する〉
〈20-4-7 観察できなくなった時点ではじめて実在しない世界≠ゥら脱却し得た〉
20-5) 結果を観測して起源を推論する、現代理論物理学者の誤謬
〈20-5-1 「推論方法」の誤謬〉
〈20-5-2 創造する時に活用する「概念」と、創造の結果としての「法則」とでは違って当然〉
〈20-5-3 建物を設計建築する時の「概念」は、極めて複雑な要素の集まりである〉
〈20-5-4 結果から導かれた「法則」を並べても、創造活動時の働きを再現できない〉
〈20-5-5 現象世界から観測した「法則」からは、宇宙の創造原理は導き出せない〉
20-6) 宇宙と物質の起源を探る物理学者は、聞き手を間違えている
〈20-6-1 理論物理学は現象に 現れたものを起源として、宇宙創造の仕組みを探ろうとしている〉
〈20-6-2 「花柄の美しいハンカチ」がどのようにして作られたか〉
〈20-6-3 地形や石の特徴と法則を調べて、ピラミッド作製方法を知ろうとするのと同じ〉
〈20-6-4 ビラミッドを造ったのは、設計者、技術者、石工、労働者である〉
〈20-6-5 宇宙を創った設計者、技術者、働き手を無視しては、「宇宙創造」は分からない〉
〈20-6-6 結果の情報のみで、建築手法は完全に知り得ない〉
〈20-6-7 最後は宇宙創造者たる「神」に聞く以外に方法はない〉
20-7) 作品を創った本人に「造り方」を聴け
〈20-7-1 機械(宇宙)の造り方を知りたければ、造った本人に聴け〉
〈20-7-2 謙虚でなければ、聴くことはできない〉
〈20-7-3 電波を受信したければ、受信器の波長を合わせる必要がある〉
〈20-7-4 宇宙創造者の波長がどんな波長か〉
〈20-7-5 宇宙創造者は、広い心、無限の叡智と法則と秩序ある存在である〉
〈20-7-6 この世界は生かし合って、協力し合って、愛し合っている〉
〈20-7-7 無限の力、無限の調和、無限の喜び・・・〉
〈20-7-8 波長さえ合わせれば、宇宙創造、物質創造の謎を聴く事ができる〉
20-8) 神が創造した万物は、神的霊的存在である
〈20-8-1 物質宇宙と法則がまずあって、物質が運動しているのではない〉
〈20-8-2 今の一瞬、神から創造された「霊的実在」であって、物質的死物ではない〉
〈20-8-3 人間は神の宇宙創造活動に参画して、地上天国建設をしている 〉 〈20-8-4 一切万物は神の生命的創造物であり、神の霊的実在〉
〈20-8-5 「過去」で観察すると「物質」と見え、「久遠の今」と観る時「神の顕現」となる〉
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