生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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「初心者」はかくのごとく生長の家の『御教え』を否定する! <その19> (398)
日時:2013年03月10日 (日) 16時38分
名前:四万十分析官




「初心者」という人物は、「トキ掲示板」において下記の如く生長の家の『御教え』を否定しているのである。「トキ掲示版」規約には「基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教えを支持、共鳴する人のためのサイトです。生長の家と谷口雅春先生へのご批判をされる内容の投稿はご遠慮下さい。」と書いてあるが、一連の「初心者」と名乗る人物は、この投稿規約に反する投稿を続け、管理人氏も未だに一回も注意を与えていない。「初心者」と「トキ掲示板」との関係は主従の関係にあり、この様なところから「初心者=雅宣総裁」と言われているのである。そして、雅宣総裁としては、決して公の“総裁”としての立場では言いたくても言えない開祖・谷口雅春先生への反逆の「本音の思想」を「初心者」なる名前を使い、思う存分吐露し続けているとも考えられるのである。この意味からでも、彼のやり口は宗教家として非常に卑怯そのものであり、“総裁更迭”に十分に値するのであり、信徒はもっと声を大きくしなければならないのである。

以下、生長の家の『御教え』を否定する「初心者」なる人物の投稿を転載させていただき読者のみなさんの判断に供するものである。



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「トキ掲示板」より



335 :初心者:2012/08/17(金) 10:08:05 ID:TfQ0e6RA

「なにが真の生長の家か」を問題提起するためにこれを書いております。問題点も限界も棚上げにしたうえで、言葉の心地よさに身をまかせて、ただただ信じ込もうとするのが「真の生長の家」であるのか、問題点と限界をあきらかにしたうえで、教えの真偽、正邪をたしかめようと務めるものが「真の生長の家」であるのか。これを問うているところであります。



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<問題点>


@ <「なにが真の生長の家か」を問題提起するためにこれを書いております>と「初心者=雅宣総裁」はさも自慢げに“問題提起”しているが、「真の生長の家の教え」は既に『生命の實相』に書かれているのである。『生命の實相』を熟読すれば分かることを“問題提起する”とは、「初心者=雅宣総裁」の『生命の實相』の読み方は<関心を持つところだけの“拾い読み”である事を逆に証明しているに過ぎない。自己の霊的無能力をさらけ出していることを「初心者=雅宣総裁」は気付いていないのである。


A 「無の関門」を超えられて實相生命の世界を大悟徹底された開祖・谷口雅春先生の『御教え』に対して、単なる肉体頭脳のIQ指数の高さだけで、『御教え』の問題点を明らかにせよ、とか『御教え』自体の真偽・正邪を確かめよ、などと見下したような言い方をなす「初心者=雅宣総裁」とはなんと驕慢の極に達した人間であろうか。


B 雅宣総裁はかつて語った。「(自分が生長の家教団の全権力を握ったからには)これからは、今までタブーであった事柄も表に出して解明して行く!」、「雅春先生も間違った言動を為した。その間違いを孫の自分がこれから正していく!」。雅宣総裁のこれ等の言葉は、上記「初心者」の言葉である“問題提起”と“真偽正邪”と同じ内容である事が容易に解るのである。したがって、ここでも「初心者=雅宣総裁」である事が証明されているのである。


C 雅宣総裁は言う。『甘露の法雨』には、“自然との共生”や“神・自然・人の一体”が明確には説かれていないので『甘露の法雨』は不完全な御経である。その不完全部分を“補強”するために「大自然讃歌」・「観世音菩薩讃歌」を作ったのだ、と。また曰く、従来の生長の家では地球環境の問題については具体的行動が無かった。病悩苦が解決されても自分たちの住んでいる地球が環境破壊され、生き物が住めない死の星になれば全てがジ・エンドだ。従来の『御教え』の問題点と限界は此処に在る。だから、21世紀の生長の家の運動は従来の枠を超えた「自然と共に伸びる」運動を実践して行かなければならない。この雅宣総裁の言は、上記「初心者」の“教えの問題点と限界”という表現とピッタリ一致している。「初心者=雅宣総裁」である。


D 『御教え』の“真偽正邪”について確かめよ、と「初心者」は言う。一方、雅宣総裁は、まず「大東亜戦争」は“侵略戦争”が正しい、開祖・谷口雅春先生の“宇宙摂理による人類進化のための避け得べからざる聖戦”は間違っている、と『御教え』を真っ向否定した。また、「不立文字」に関しても雅宣総裁は、真理は文字に表わすことは不可能、したがって開祖・谷口雅春先生の文字化された真理の解説ははなはだ不十分なものである、と開祖・谷口雅春先生の文章芸術の極として説かれた真理に“ものいい”をつけ、その文章芸術の極による“いのちの響き”の共鳴作用によって引き起こされた信徒の奇跡的体験さえも“タマタマ起きたに過ぎない。”と否定的態度を取っているのである。これらの事柄も「初心者」=「雅宣総裁」である事を証明しているのである。


E このように雅宣総裁は、開祖・谷口雅春先生の『御教え』をナンヤカンヤと物言いをつけて否定し、開祖・谷口雅春先生の『御教え』は完全なものではなかったと総裁の立場としては決して公には言えないことを「初心者」をして言わしめているのである。そして純粋に『御教え』を信仰している信徒たちを、 < 言葉の心地よさに身をまかせて、ただただ信じ込もうとする >と馬鹿にしたような言い方をしているのである。

ここまでくると、「雅宣」なる人物は自称・法燈継承者であるにせよ「後継者」の資格は全然ないといえる。毎回毎回結論は同じところへ来るのである。「早く辞めなさい!」 悪因を積み重ねることはここらあたりでよろしいのでは御座いませんか? 雅宣総裁殿!






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