生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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全く始末に終えない、蛇の狡知のマサノブ(自称)総裁!――9・23「布教功労物故者追悼慰霊祭」挨拶 (5229)
日時:2014年09月24日 (水) 19時25分
名前:公平なる観察者



下記は、久方ぶりに投稿記事が更新されたマサノブ君の「枯れ松模様」の投稿文の概要であります。


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2014年9月23日 (火) =肉体は神性表現の道具なり = (概要)
 今日は午前10時半から、山梨県北杜市の生長の家“森の中のオフィス”のイベントホールで「布教功労物故者追悼慰霊祭」が執り行われた。私は御祭で「奏上の詞」を読み、玉串拝礼を行ったほか、最後に概略以下のような挨拶の言葉を述べた:
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 皆さん、本日は生長の家の布教功労物故者慰霊祭に大勢お集まり頂きまして、ありがとうございます。
 この慰霊祭は、“森の中のオフィス”で行われるものとしては最初の慰霊祭です。・・・今回は358柱になりました。・・・生長の家の幹部として光明化運動に尽力された方々のうち、霊界に逝かれた方々をお招きして、感謝の誠を捧げる。・・・「人間は神の子であり、肉体ではない」というのが、生長の家の教えの根本の1つであります。しかしこれは、肉体を粗末に扱っていいという教えではありません。私たち人間の肉体は、この現象世界で生き、神の子らしさを表現するために与えられた最も大切な“道具”である・・・ 江戸時代の儒学者、貝原益軒の著書に『養生訓』という有名な本があります。・・・ 養生の視点からの「三楽」として次のものが掲げられています−− @道を行い、善を積むことを楽しむ A健康な生活を楽しむ B長寿を楽しむ。 これをまとめて言えば、「善を積みながら欲望を制御して楽しく生きなさい」ということです。『大自然讃歌』には、こうあります−− されば汝らよ、 欲望の正しき制御を忘るべからず。欲望を神性表現の目的に従属させよ。(…中略…)“生命(いのち)の炎”自在に統御し、自己の内なる神の目的に活用せよ。しかして内部理想の実現に邁進せよ。・・・この1年の間、私たちは大都会・東京の環境から離れて、自然豊かなこの土地で生活してみて、何を感じているでしょうか?・・・私は、貝原益軒が勧めるような4つの欲望を抑える生き方ができて、それでいて大変幸せを感じるのであります。・・・“森の中”の生活は、決して楽ではありませんし、便利でもありません。でも、職員同士が助け合い、また近隣の人々と助け合い、与え合うことで、何でも金銭に換算されがちな都会ではめったにない、暖かい交流と喜びを味わうことができます。また私は、貝原益軒が書いてないこともやり始めました。「肉体は神性表現の道具である」という話をしましたが、道具はきちんと手入れし、整備しなければなりません。・・・こちらでは雪かきを初め、薪割りや、菜園作り、山菜採り、キノコ採りなど、体を鍛える機会はたくさんあります。ご存じのように、私はこれらに加えて自転車通勤を始めました。・・・しかし、こうしてどんなに肉体を鍛えたとしても、やがて肉体は衰えていき、そして使えなくなる時期がやってきます。そんな時に、「自分は肉体である」と考えている人と、そうではなく「自分は肉体ではなく、神の子である」と考えている人との間には、大きな差が出てくると思います。・・・この肉体を通して神性表現ができた現世のすべての人・事・物に「ありがとう」とお礼を言う気持になれると思います。最近では、肉体が老いることが悪いことであるかのように考える人が増えているようで・・・こういう動きの背後には、私はどうも「人間は肉体なり」という誤った考えがあるように思うのです。人間を肉体として捉えるならば、肉体の機能が最も充実しているのは若い時代ですから、そういう肉体をもった人間が優れており、理想的だということになる。そして、「老いる」ことは“悪現象”であり、不幸なこととして捉えられます。そこで、あらゆる手段を尽くして自分の肉体の若さを保つことが幸福である、というい考えに結びつきます。しかし、人間は肉体そのものではなく、それを道具として使う“生命”です。「魂」といってもいい。肉体が老いるということは、それを使う魂が、老いた肉体を上手に使う練習ができるということです。・・・また、自ら自ら体力が衰えることで、社会の弱い立場の人々−−障害者や病人の気持が理解でき、そういう人々の立場に立って物事を進めることもできるようになります。・・・「人間は肉体である」という考えにもとづくと、このようにして他人から奪ってでも自分の肉体を生かし続けたいという“執着”が生まれます。ですから、科学や技術が進歩し続ける現代にあっても、私たちは益々盛んに運動を拡げ、「人間は神の子であって、肉体ではない」という真理を伝えていかねばならない、と考える次第です。私たちは、肉体を神性表現の道具として大切に、また鍛えながら、十分に心を込めて使うと共に、その肉体から離れる時期が来たならば、お世話になった社会のことを考え、次世代の人々に配慮し、肉体への執着を捨てて次の生へと安らかに移行していかねばなりません。そういう生き方をされた多くの先輩たちのことを思い、心から感謝申し上げながら、今日の慰霊祭の言葉といたします。ご清聴、ありがとうございました。 谷口 雅宣


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今回のマサノブ君の言いたいところを更に圧縮してみると、――


@ 人間の肉体は、この現象世界で生き、神の子らしさを表現するために与えられた最も大切な“道具”である。肉体の中の“生命(いのち)の炎”を自在に統御し、自己の内なる神の目的に活用せよ。しかして内部理想の実現に邁進せよ。

A 自分(マサノブ)は、貝原益軒が勧めるような4つの欲望(食欲、色欲、睡眠欲、お喋り欲)を抑える生き方ができて、それでいて大変幸せを感じている。貝原益軒は、@道を行い、善を積むことを楽しむ A健康な生活を楽しむ B長寿を楽しむ。 まとめて言えば、「善を積みながら欲望を制御して楽しく生きなさい」という。

B 「自分は肉体である」と考えている人と、「自分は肉体ではなく、神の子である」と考えている人との間には、大きな差が出てくる。「人間・神の子」の思想を持つ人達は、この肉体を通して神性表現ができた現世のすべての人・事・物に「ありがとう」とお礼を言う気持になれる。

C 人間の肉体が老いて来ると、自ら体力が衰えることで、社会の弱い立場の人々――障害者や病人の気持が理解でき、そういう人々の立場に立って物事を進めることもできるようになる。

D 臨終に際しては、お世話になった社会のことを考え、次世代の人々に配慮し、肉体への執着を捨てて次の生へと安らかに移行していかねばならない。それまでは、肉体を神性表現の道具として大切に、また鍛えながら、十分に心を込めて使って「人間は神の子であって、肉体ではない」という真理を伝えていかねばならない。



このように圧縮できると考えるのであります。この圧縮文を読むと、肉体として生きている人間がこの地上世界で如何に生きて行くべきだあるか、という模範的地球市民となるための道徳(地球市民憲章)が示されていて社会常識から言っても間違った内容ではなく、大抵の人達はナルホドその通りであるという感想を持つのであります。



次に「地球市民憲章」と表現してもよい道徳指標から離れて“宗教”という霊的立場に観点を移してマサノブ君のこの文章を眺めて見ますとどうなるでしょうか?


イ、一般常識的立場では、「強く鍛えられた健全な肉体に健全な精神が形成される」と言われ、「スポーツマンシップ」を育成するスポーツ振興・競技記録の更新が為されているのであります。然し、宗教的立場では「健全な精神が育成されてこそ、肉体も健全になる」のであります。

ロ、一般常識的には、今日の日本社会に於いては、肉体の鍛錬の方が心とか霊性の鍛錬よりも重要視されているのでありますが、宗教的立場からは、心と霊性の鍛錬の方が肉体の鍛錬よりも優先して考えられるのであります。なぜならば、人間地上誕生の意義と目的が、霊魂の進化向上にあると考えられるからであります。

ハ、今日の日本社会の常識では、社会的弱者の救済手段としては、物的救済手段と精神的救済手段(心のケア)が主たる救済手段でありますが、物的救済には限界があり、肉体人間観を中心とする心のケアにも限界があるのです。然し、宗教的霊的立場に立ちますと、人間は現世限りの生命ではなく、無限に進化向上して行く永遠生命であり、最も重視するのが、魂としての人間の進化であると云う事、過去世→現世→未来世と続く中での現世の状態は、因果律と言う法則の然しからしむるところである事を学び、それを卒業するためのものであると云う霊的意義を最も重要視するのであります。



この様な“宗教”という霊的観点から見ても、マサノブ君の上記文章はそれなりの意味合いも調合されているのであり、総合的に見ても、一般社会的には説得力あるものと評価できるのであります。



然し、ここで一つの大きな問題が持ち上がって来るのであります。それは、宗教家たるもの、自ら“範”を示してこそ、その語れるコトバに重みを増す、と云うことであります。簡単に言うならば、その宗教家と自負している人自体の「言行」が一致しているか、一致していないかが重要なのであります。この側面からマサノブ君の投稿文の内容を<講評>しなければなりません。



<講評>



@ マサノブ君は言う。<< 肉体の中の“生命(いのち)の炎”を自在に統御し、自己の内なる神の目的に活用せよ。しかして内部理想の実現に邁進せよ。>>と。ここで問題なのは、マサノブ君の<内部理想>についてであります。マサノブ君の内部理想を簡単に示せば、今生の自己人生において“独裁者”になり、その醍醐味を存分に味わう、という一般人の言う「理想」とはかけ離れたところの彼独特の“破壊と蕩尽”の狂気的内部理想であります。この行き着く最終目的は、「森のオフィス」というマサノブ宮殿の新築であり原宿本部会館の完全解体撤去で示されたのであります。信徒には「優れた内部理想を実現せよ」と説教しながら、自身はその逆を行く。これは、彼・最大の「言行不一致」の典型例であります。



A マサノブ君は、<< (貝原益軒が言った如く)道を行い、善を積むことを楽しむ、つまり「善を積みながら欲望を制御して楽しく生きなさい」>>と説教する。そして、マサノブ君本人は、この生き方が出来て満足しているといっているのであります。ここのところも完全な「言行不一致」でありまして、よくもおめおめシャーシャーと“ウソ”を言えたものであります。焚書坑儒を決行し、『生命の實相』の著作権料を横領し、丁稚上げの自作自演の「法燈継承祭」を強行して信徒を騙し、実母・恵美子先生を軟禁同様に扱い、実印と預金通帳まで奪い取り、開祖・谷口雅春先生の御事蹟を徹底的に消し去ろうとして行きつつある現状、――信徒に偉そうに善人ぶって説教できたものではないのであります。マサノブ君は、信徒に対しては<善を積め>と説教し、自分はどこ吹く風、<悪行を積む>を楽しんでいるのであります。然し、マサノブ君自身は「悪行」とは決して考えてはいない。むしろ“善行”と自己評価しているのであります。がから「悪行」などとは思っていないのであります。



B マサノブ君は、また<< 「人間・神の子」の思想を持つ人達は、この肉体を通して神性表現ができた現世のすべての人・事・物に「ありがとう」とお礼を言う気持になれる。 >>とこれまた偉そうにお説教を垂れる。然し、彼の行ないを見ると「すべての人・事・物に「ありがとう」とお礼を言う気持になれる。」というが“ウソ”である。彼の「ありがとう」といえる相手は、“自然”――八ヶ岳の枯れ松や雑木林や野菜果物それにジュンコ君の好きな花だけであります。親兄弟は言うに及ばず、信徒に対してすら常に上から目線の下層の人間と見ているわけで「ありがとう」なんて思ってもいないのであります。彼のこれまでの実績が物語っているのであります。



C << 社会の弱い立場の人々――障害者や病人の気持が理解でき >>なんて言っているが、これも信徒に対する説教だけで、自らは病悩苦の人たちに対する宗教家としての救済の使命を既に捨て去って、地球の生命救済だけを考えているのであります、いや、本当は考えてなんかいない。彼の本心は、開祖・谷口雅春先生を越える実績を作りたい、それには時流に乗った「環境問題」が最適だと考え、それを大義名分にして、信徒の浄財で「森のオフィス」と言う“マサノブ宮殿”を造って宗教貴族生活を満喫しているだけであります。元来が議論好きで理屈の世界でしか生きていけないマサノブ君ですから、パソコンとトレーニングジム(「森のオフィス」に特設)に熱中し、多くのHNを使ってマサノブ思想の本音を書き連ね、「霊的真理の研鑽修行」よりも「肉体の鍛錬」の重要性を何かにつけて強調しているわけであります。



D 最後にマサノブ君は、<< 臨終に際しては、お世話になった社会のことを考え、次世代の人々に配慮し、肉体への執着を捨てて次の生へと安らかに移行していかねばならない。>>と、これまた信徒に対して偉そうに説教している。然し、彼にとっての“次世代の人々”とは3人の子供さんのことなのである。これまでのマサノブ君の“破壊と蕩尽”の典型的生き方人生の因果がマサノブ君の子孫の上にどのような形となって現われ刈り取っていかなければならないか、という事をマサノブ君は全然考えてはいないと思われるのであります。「親の因果が子に報い」と言う諺すらマサノブ君は頭から信じていないように思えるのであります。<因果応報・不昧因果>と言うコトバを心に留めていれば、宗教界に於ける前人未踏の開祖をないがしろにした徹底的な「生長の家」の破壊と信徒の浄財の蕩尽など出来ないはずであります。然し、彼・マサノブ君は徹底的な「生長の家」の解体と、信徒の浄財の蕩尽を現に今、行いつつあるのであります。こんな人生を送っていて、マサノブ君は果たして<次の生へと安らかに移行して>行けるのであろうか?と、常識的には考えざるを得ないのでありますが、社会常識の欠落しているマサノブ君は、<安らかにあの世に旅立てる>と本気に信じているのであります。だが、こんな間違った個人的信念などは閻魔大王(絶対的宇宙法則)の前では通用しないのであります。



本当に、よくもまあ、八ヶ岳のマサノブ宮殿(「森のオフィス」)で、言行不一致の第一人者である本人が恥かしげもなく「布教功労物故者追悼慰霊祭」でこの様な“お言葉”とやらを発言できたものと思われるのであります。信徒の皆さん、マサノブ君の「言行不一致」をシッカリと見据えて、「生長の家」の完全解体と消滅に向かって突っ走るマサノブ君の正体をみきわめて頂きたいと思う次第であります。決して、上っ面の尤もらしい説教調の美辞麗句にはくれぐれも騙されないようにしないで頂きたいと思う次第であります。





本部職員不倫懺悔塔の建設をおすすめします。雅宣総裁様 (5230)
日時:2014年09月25日 (木) 00時37分
名前:だから。

もう、びっくりです。聞いたところによると。

 〇尾長老・スガ〇〇理事・ミヨ〇理事・青年会会長が、揃って
 不倫経験者。中には継続中の人も、いるのかなあ。信徒や、
 部下に手を出すなど、最低の男です。

雅宣総裁様、貝原益軒の、欲望撲滅法を信徒に説く前に、上記の
方々に、是非、教えてあげてください。

そして、泣かせた女性に懺悔する、懺悔塔の建設をお勧めします。

雅宣総裁様、上記四名を、要職に任命した責任。任命責任は、
どの様にとられるのですか!!

あなた様の大好きな、民主党は、機会あるごとに、任命責任追及
任命責任追及と、騒いでおられます。あなた様の大好きな、朝日
新聞も同様です。

教団は、次から次に問題を起こし、信徒様も、もうこれ以上の
擁護は出来ない状態ですぞ!!!



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