生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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開祖・谷口雅春先生の直接指導録 <その9> =「迷いの心」で「迷いの心」は治せない= (399)
日時:2013年03月10日 (日) 16時47分
名前:信徒連合




開祖・谷口雅春先生の直接指導録<その9>



           =「迷いの心」で「迷いの心」は治せない=

        『生命の實相』第15巻・人生問答篇(P.95〜96)




大川(兄):

森本先生は博学多識でありますから、相手に従っていろいろのちがう説明をして、あまり言いすぎ出ないかと思って時々ひやりとさせられることがあります。「心の力」を説明していられるかと思うと、「心で心が治せるはずがない」などと「生長の家」と反対のことを言われることがあります。



谷口:

心で心が治せないというのは、「迷いの心」で「迷いの心」が治せるはずがないということなんでしょう。「迷いの心」でいくら力んでみても「迷いの心」は治せません。「迷いの心」を治すのは「真理を知った心」のみです。



大川(兄):

なるほど、それでわかりました。「迷いの心」では「迷いの心」を治せない。なるほど、そこですな。そこを言われたのですなあ。



谷口:

「迷いの心」で「迷いの心」を治すことができないのはあたりまえです。迷いを治すのは真理のみです。暗(やみ)を照らすのは光のみです。暗(やみ)で暗を照らすことはできません。

心が病気になっているのに、その心で病気に“なるまい”と思ってもだめです。“なるまい”という心は「迷いの心」です。病気というものが在るという信念を前提として病気に“なるまい”という心持ちが生ずるのです。

世間の多くの人はみんな病気に“なるまい”、“なるまい”と思いながら病気になっているのです。「迷いの心」は「病気になるまい」と言いますが、「真理を知った心」は「“病気はない”」というのです。

“病気は無い”のだから、「“なるまい”」などと思う必要はない。病気になろうと思っても < 本当の人間は神性だから病気になりようが無い > のです。病気になるのは“本当の人間”でないものがなる。

 < 病気というのは、そこに本当の人間が自覚されておらぬことの表われなんです。> 病気とは“本当の人間”から正しき自覚をマイナスしたものなんです。『生命の實相』第一巻にある「生長の家の神人論」にはそのことが書いてあったのです。



大川(兄):

あの章は誰も、むずかしいと言っていました。



谷口:

五官で感じられ、五官に視えるものばかりを実在だと思う人が多いからです。






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