生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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森で滅びる生長の家教団 (5254)
日時:2014年09月28日 (日) 07時41分
名前:不動明王

ブログ 森で滅びる生長の家教団 より一部転写


 思い起こせば、三機関誌、四普及誌の両軸体制、組織の会員化、講習会運動の骨抜き、意味のない国際本部と日本本部の区別と、言葉だけ残った国際平和信仰運動……現総裁が始めたこれらの運動は、組織の弱体化を招いただけで、ことごとく失敗に終わっている。
 
しかも、なんらの総括もなされていない。今また「直下の指導」やら「小規模単層伝達」やら、ややこしいことを言われて、多くの教化部長が悩んでいるようだが、「森のオフィス」こそは、その一連の教団内部破壊策の集大成なのである。

 聞けば、このたびの代表者会議では森に対する質問がほとんどなかったそうである。関心がないのか、あきらめムードなのか、いずれにしろ、誰も期待していないのである。
  先の谷口純子氏のブログには、「私たちは好んで森に行くわけではない。信仰が試されている」ともあるが、四分の三は当たっている。好んで行くわけではない、はまさにそうだし、「信仰が」を「現総裁に対する個人的信奉」と言い換えれば、当たっていなくもない。後は今の不況の中、残りの給料のために、家族を連れて、或いは残していくのであろう。
 
それに対して、谷口総裁夫婦は子供を連れて行くのか。新文明のモデルとなるならば、自分たちの子供にこそ、その担い手として範を示させるべきではないか。が、谷口夫婦はとりまきである職員には自然との共生を強制しつつ、可愛い我が子には都会で遊び暮らさせている。もっとも兄弟とも調和できないでいる現総裁が子供にそんな信仰教育など期待できようはずもないが。

 また、谷口総裁夫婦は、それだけ都心から離れたところに「範を示す」と移転するからには、もう飛行機や新幹線を利用しない決意なのだろうか。まして海外に出かけることなどないと言い切れるのか。
  もしも、そうでないならば、やっぱりそれはセレブのその場だけの田舎暮らし志向でしかない。ならば、その 100 億近い巨費を、田舎どころか、日本に帰ることさえままならぬ、拉致被害者救出の資金としたらどうか。

 北朝鮮、中国、韓国…そうした近隣諸国の問題となると、総裁は「それは現象であって、まずは吾々の見方を変えるべき」というような唯心所現論を持ち出す。ならば、地球環境もまた「温暖化、温暖化」と叫びすぎない方がよいではないか。まさに「環境」は「心の現れ」ではないのか。
  つまり、谷口雅宣氏は全てが自己中心、自己撞着、矛盾の帝王なのである。

 すべての本部職員、幹部、信徒は、今こそそのことを正視するべきである。



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