生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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『生長の家』の教義を説明してなにが悪いのでしょうか? (5296)
日時:2014年10月05日 (日) 21時42分
名前:転載

山ちゃんさんのサイトから転載

http://tecnopla1011.blog.jp/

2014年10月05日
『生長の家』の教義を説明してなにが悪いのでしょうか?
『生長の家教義』研修講座が行われたのが今年の6月20日〜22日である。
私も会社を休み全日参加した。この参加した人々の中には元講師会長などもいた。そうした中で大阪の教化部職員や講師などに戒厳令を施行して行かないように務めたのが大阪教化部である。
こうした行為は個人の思想にまで圧迫している。どこがこの生長の家講義がダメなのか説明出来ていない。
 教化部長様、貴方は生長の家の講師でしょ。生長の家の教えを説いて、どうしてダメなんでしょうか?

不思議でなりません。生長の家の教えを説くことを何を恐れているのか。それより生長の家から幸福の科学に入信する人のほうが圧倒的に多いのであります。
それをどうして批判しないで、何故こうなるのであろう。
私が職員の時、教化部で『赤旗』が購読していた。共産党会館にもいったりしていた。
そういうことを、平気で講話のなかで言っていた。

今や生長の家の中では個人の思想まで強要することとなった。それはおかしいということを気がつかないでいる。
私は「融通念仏宗」という先祖から受継ぐ宗教はどうして良くて、「生長の家」の根本義を教えて頂ける講話に参加して何故いけないのでしょうか?
はっきりと説明しないでそんなことしていると、近い将来、崩壊を招きます。

こういうのは「神の摂理」です。本来のものが正しいのです。それを自覚しないとダメである。
元教化部長の森田先生が来られたのが余程腹がたったのでしょうか?



それと社会事業団の図書館資料室のお話もこの時にあったが、それ以降沈黙である。

忙しいとは思うが、こうしたことが何故起こるのかというと、期限がないからなんです。だから目標もない。
自分の思いのまま出来るから、反対に出来なくなっているのです。

私も協力するとは言ったが、だんだんと音沙汰なしにウンザリする。
まあ、こんなことしていたら誰も信用しなくなる。
協力すると言っているのに、余程協力されるのが嫌なのであろう。
そんな狭心なものであるならば、誰も信用しなくなるでしょう。


それと『生命の實相』の新編版もそうである。
『生命の實相』の勉強会を開催しようと思っても、何れは無くなるであろうと自覚しないからであろう。
古本市でもそう滅多に出なくなっている。
私もそういう質問したのですが、まだ『生命の實相』を何冊か持っている人がいるから借りればいいと仰有るが、それもいつまで続くか不明です。

『雅春先生の思いが』ないからそんなことになるのです。
厳しいことをいうが大きく発展して欲しいから敢えていいます。

ここまで転載




以下は関連記事です。

公益財団法人役員のブログ『一相一味』にも「生長の家教義」研修講座の記事があります。

http://arachi.air-nifty.com/blog/2013/10/post-3c60.html



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